2009年10月03日
大地の子3!
おはようございます。
今日は、大地の子3です。
中国の生活の中の一部分のお話を私の記憶の中に残る範囲でお話します。
中国にはその当時、強制労働収容所があったようです。
日本の刑務所のイメージで私は捉えたのですが映画を見ていくうち少し
違うことに気がついたのです。
ケイン・コスギ扮する中国の青年がある容疑の疑いを
かけられたため収容されたのです。
中国では、容疑の晴れるまでの間、収容所の生活を余儀なくされるようです。
収容所は私が見たん感じ刑務所の中の作業場の感じが強くあったのです。
違うのは昔でいわれる奴隷のようにかなりハードに働かされている。
しかも名前のとおり強制労働・・・・
私は行ったことがないのですが日本の喜劇でもよくある
どこかの山の飯場につれていかれ、働かされる感じです。
ところが容疑が晴れるとその奴隷のような強制労働も様子が変わってくるのです。
どちらかというと今の自衛隊、日本で言えばそういう感じを受けたのです。
収容施設での生活は変わりないのですが、
警察の機関から自衛隊の機関へ移る感じを受けたのです。
今までの刑務所の中のような生活とは一変して自衛隊。
収容場から遠く離れた牧場へ羊の世話役として行くのです。
その風景はさすが、中国と感じる壮大な景色で山々に囲まれた
広い地域の牧場へ何日もかけて移動。
そこでは、今までのような奴隷のように強制的な労働はなく
どちらかと言えば遊牧民族の感じを受けるほどのんびりとした
時間が流れるのです。
ケイン・コスギ扮する中国の青年もこの時、さまざまなことを思い
自分の将来を見つめていたようです。
週に一度その牧場を通る遊牧民族の若い娘と知り合い、恋におち
楽しい生活をしばらくの間送るのです。
その間の監視は全くと言ってない。
いいかえれば自衛隊の雰囲気です。
自衛隊も教育の期間は色々な制限があり約一年ほど大変な時期があるものの
その期間が過ぎればまたもとの部隊の雰囲気に戻る。
私の受けた感じではそういった気持が強かったのです。
ケイン・コスギ扮する中国の青年も強制労働の期間が終わり
再び一般社会へ戻る日が来たのです。
山奥の地で知り合った女性とともに元の職場に復帰。
再び中国の製鉄産業の重要なポストを担うことになるのです。
日本側からの担当者が自分の父である事を強制労働所で聞いていた
青年は、父の姿に喜び交流が再び始まるのです。
やがて子供もでき大地の子としてすくすくと育つ。
この先、最後のシーンはあまり記憶に残ってないのです。
残ってないというより見ていないという方が正しい。
少し最後の重要な部分に差し掛かった時、私の気持ちがなえてしまった。
今思えば大地の子の題名になる要素が終わりの部分にあったのかも知れない。
機会があり、『大地の子』を見ることがあれば私の代わりにぜひ最後まで
見ていただきたい。
今から約十年前、平成11年頃の大阪市の中央図書館で見た作品です。
今ではインターネットで検索をすると自宅近くの区の図書館まで
資料やCD/DVDを持って来てくれるサービスがある。
他にもまだまだ沢山の資料もあるようです。
私の見たものだけでも、小森一揆の話や水平社の話など部落差別や
教育に関するものもたくさんある。
私は同和の活動をしているわけではないのですが機会に恵まれたのか
図書館へ行く機会が多く目に止まったのです。
今では、落語のDVDを借りてみるのが楽しみになっているほどです。
一度時間を見つけ行ってみるのもいいかも知れません。
明日は、お葬式!です。
では、また。
今日は、大地の子3です。
中国の生活の中の一部分のお話を私の記憶の中に残る範囲でお話します。
中国にはその当時、強制労働収容所があったようです。
日本の刑務所のイメージで私は捉えたのですが映画を見ていくうち少し
違うことに気がついたのです。
ケイン・コスギ扮する中国の青年がある容疑の疑いを
かけられたため収容されたのです。
中国では、容疑の晴れるまでの間、収容所の生活を余儀なくされるようです。
収容所は私が見たん感じ刑務所の中の作業場の感じが強くあったのです。
違うのは昔でいわれる奴隷のようにかなりハードに働かされている。
しかも名前のとおり強制労働・・・・
私は行ったことがないのですが日本の喜劇でもよくある
どこかの山の飯場につれていかれ、働かされる感じです。
ところが容疑が晴れるとその奴隷のような強制労働も様子が変わってくるのです。
どちらかというと今の自衛隊、日本で言えばそういう感じを受けたのです。
収容施設での生活は変わりないのですが、
警察の機関から自衛隊の機関へ移る感じを受けたのです。
今までの刑務所の中のような生活とは一変して自衛隊。
収容場から遠く離れた牧場へ羊の世話役として行くのです。
その風景はさすが、中国と感じる壮大な景色で山々に囲まれた
広い地域の牧場へ何日もかけて移動。
そこでは、今までのような奴隷のように強制的な労働はなく
どちらかと言えば遊牧民族の感じを受けるほどのんびりとした
時間が流れるのです。
ケイン・コスギ扮する中国の青年もこの時、さまざまなことを思い
自分の将来を見つめていたようです。
週に一度その牧場を通る遊牧民族の若い娘と知り合い、恋におち
楽しい生活をしばらくの間送るのです。
その間の監視は全くと言ってない。
いいかえれば自衛隊の雰囲気です。
自衛隊も教育の期間は色々な制限があり約一年ほど大変な時期があるものの
その期間が過ぎればまたもとの部隊の雰囲気に戻る。
私の受けた感じではそういった気持が強かったのです。
ケイン・コスギ扮する中国の青年も強制労働の期間が終わり
再び一般社会へ戻る日が来たのです。
山奥の地で知り合った女性とともに元の職場に復帰。
再び中国の製鉄産業の重要なポストを担うことになるのです。
日本側からの担当者が自分の父である事を強制労働所で聞いていた
青年は、父の姿に喜び交流が再び始まるのです。
やがて子供もでき大地の子としてすくすくと育つ。
この先、最後のシーンはあまり記憶に残ってないのです。
残ってないというより見ていないという方が正しい。
少し最後の重要な部分に差し掛かった時、私の気持ちがなえてしまった。
今思えば大地の子の題名になる要素が終わりの部分にあったのかも知れない。
機会があり、『大地の子』を見ることがあれば私の代わりにぜひ最後まで
見ていただきたい。
今から約十年前、平成11年頃の大阪市の中央図書館で見た作品です。
今ではインターネットで検索をすると自宅近くの区の図書館まで
資料やCD/DVDを持って来てくれるサービスがある。
他にもまだまだ沢山の資料もあるようです。
私の見たものだけでも、小森一揆の話や水平社の話など部落差別や
教育に関するものもたくさんある。
私は同和の活動をしているわけではないのですが機会に恵まれたのか
図書館へ行く機会が多く目に止まったのです。
今では、落語のDVDを借りてみるのが楽しみになっているほどです。
一度時間を見つけ行ってみるのもいいかも知れません。
明日は、お葬式!です。
では、また。