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 屋根裏に子供部屋が、小さい頃の思い出・・・ 沢山の思い出が、大冒険の始まりの予感が!
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2009年08月31日
不思議な電話!
 こんにちはの時間に・・・

今日は、不思議な電話!です。

先日のお話の続きがあったのです。

無事、後期教育隊も終了し一般の部隊へ配置。

今までの同僚との生活とは違って部隊には先輩隊員や上司の自衛官が

沢山いて戸惑いの連続・・・・

部屋でも一人隅の方で座っていることも少なくない

自衛官といっても同じ人間ですから取って食べるようなことはない…はず、

環境に慣れるまでにはかなりの個人差があり

どうしても同じ教育隊出身者で集まる傾向があったのです。

私もそのうちの一人ではあるのですが

部隊に帰ってくることもなく違う部隊でいることの方が多い隊員も中には、

しかし、駐屯地内で生活をしなければならないのですから

自然となれて自分の部屋のように気ままに生活をする日が来るのです。

来ない人は・・・・早期に退職をする事に・・・・

ところが、自衛官も2年ごとに任期の継続があったのです。

退職をして民間企業に再就職・・・・

陸士でも天下り・・・と言うのでしょうか・・・・

民間企業からは自衛隊で学んだ基本訓練や規則正しい生活を

我が社で発揮してもらいたい・・・の思いも多く

企業からの募集も大手から中小企業まであったのです。

中には民間の新入社員の教育を自衛隊でする企業も少なくはないのです。

私の同期も任期継続をせず退職の道を選ぶものも多くいたのです。

ところが・・・・不思議なことに気がついたのです。

退職をして数か月・・・・人によっては1年・・・もっと年数を過ぎて・・・

所属していた部隊に連絡をしてくるのです。

当時、当直勤務をしていた私に一本の電話が基地の交換から入ったのです。

電話に出てみると懐かしい声にピンときた私は他人を装い要件を聞いたのです。

部隊に所属している時から目立たない存在の同期に要件を聞くのは

たやすくはなかったのですが、根気よく話を聞いてみると・・・・・

ある日、同期の自宅へ一本の電話がかかってきたのだそうです。

しかも、私の所属する小隊の班長から・・・・

この時、彼におかしくないか?・・と尋ねたのです。

彼の所属していた小隊は私とは違うはず・・・

ただ、二人とも職種は同じで部隊も一緒だったのは事実なのです。

彼の話では部隊に連絡をせよと指示があったらしいのです。

不思議なこともあるものだと当時の私は思ったのですが

彼の要件に応えるべく課業終了、間なしの営外者室に向かったのです。

そこには自宅へ帰るため制服に着かえる小隊の班長がおり

電話の要件を伝えたのです。

小隊の班長からは「何のようだ、うるさい」の一言・・・・・

しかし、私の同期でもある彼の要件を満たすため班長へ頼んだのです。

表情には仕方ないの思いを浮かべ事務室にある電話へ・・・・

電話に出たと思ったら「ばかか」の一言で電話を切られたのです。

おかしな電話に昔の同期もかけてこずにはいられなかった思いも・・・・

その後何度かかかってきた電話に私は出たのですがやはり話の内容が見えてこず

変わったことを言ってくる奴だな・・・・昔とちっとも変ってない・・・・

その思いでその場は落ち着いたのです。

翌日、課業中に昨日の電話の件をよく聞いてみると私の聞いた内容と同じで

思いは班長と同様のものだったのです。

私自身、彼には「おかしくないか?」小隊の違う班長から電話をかけてこいなど

言うはずもない・・・しかも彼の自宅のお母さんへ・・・・

自衛官だって社会人の一人親元に電話してかけてこい・・・言うはずもない。

それから十年、この時の彼の・・・私の同期の思いがわかる事件が起きたのです。




 明日は、不思議な声!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 15:56 | 冒険 | この記事のURL
2009年08月29日
通信教育隊の不思議!
 おはようございます。

今日は、通信教育隊の不思議!です。

本来は教育隊の不思議なのだと思うのです。

もともとアメリカ空軍の整備基地だった場所へ駐屯していたのですから

不思議な話やそれにまつわるいろいろな噂が飛び交っていたのです。

昔の話にさかのぼるとかなりの数の自衛官が自害した話もあるほど・・・・

不思議な出来事は前期の教育から少し始まっていたようです。

私のいる区隊でも少しノイローゼ気味になり退職を・・・

当時は精神的に負担が大きく病気・・・そう思っていたのです。

月日がたつにつれ教育隊も後期に入る頃には通信教育隊だけでなく

衛生隊の後期教育隊でも不思議なことが・・・・

隊員の一人がいきなり隊舎の中を「西の空から雨が降る」・・・

叫びながら走るうわさも・・・私も衛生隊にはよく見に行ったものです。

私の目に飛び込んだ前期の同期は以前の様子とかなり違っていた。

少し、精神異常者に近く見えた・・・まるで何かに憑依された様に・・・

今思えば・・・・近くには霊峰比叡山があり天台宗の中では

こうしたこともあると聞く機会があったのです。

以前のお話でも出てきた鼻川神社の神様も雨の降る30分前には

予知することができたそうです。

当時の私には不思議で仕方のない状況・・・私だけではなかったでしょう。

現に多くの若い隊員が退職をしていったのですから・・・・

通信教育隊でも度重なる不思議な現象が起こっていたのです。

通信教育隊の隊舎は、木造の古いつくりで何かにつれ木目がいろいろなものに

見えていたのです・・・・あのネズミ婆さんの童話のように・・・・

そんなところへ善通寺駐屯地の通信教場の話があると

周りは何やらおかしなムードに・・・・

大半が高校を卒業したばかりの若い自衛官ですから仕方のないこと・・・・

中には霊的なものが好きでいろいろな雑誌や本を読んでいる隊員も・・・・

この時、以前のお話の交霊会が行われ一人の隊員が意識不明。

明かりをつけた隊員の背後に光る女性の姿が写真に・・・・

この時のことは誰もが口を閉ざしたのですが

不思議と写真の行方が分からなくなりその後誰からも話題になることは・・・

明かりをつけた隊員はかなりいやな感じもあったでしょう。

自宅は・・・そう・・・伊丹にある天神川の川沿い・・・・

病院の横の住宅・・・本人もかなり気にしてはいたようです。

隊舎ではまだまだ不思議なことが・・・・

一人の隊員は夜中にバイオリンの音がする。

また一人の隊員は女性の声がする・・・・

夜中にラジオの放送が聞こえる・・・・

なぜか私に相談に・・・・

この時はなんでもなくただ聞き流すだけ・・・・だったのですが

ここ十年を振り返ってみると私の小さい頃の生活だったような気もする。

私には日常変わりない生活・・・ただ単に夢の出来事。

慣れっこになっていたのかも知れません。

こうした事が度重なると若い隊員は一人・・・また一人と退職へ・・・

霊峰、比叡山がそうさせたのか?また別の要素があったのか?

この時、私には知る由もなかったのです。





 明日は、不思議な電話!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 06:59 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年08月28日
通信教育隊の伝統?
 おはようございます。

今日は、通信教育隊の伝統?です。

古い建物にまつわる不思議な話は後を絶たないようです。

先日もお話の中で紹介したように通信教育隊がまだ、四国善通寺市にある頃に

さかのぼります。

当時の教育隊の建物自体見たことはないのですが

古くからの歴史のある教育隊ですから私が教育を受けた時に

助教として勤務する班長のほとんどは昔の、善通寺市にあった

教育隊出身なのです。

当然、教育の中で昔の思い出話や面白い出来事を織り交ぜ

教育を進めてゆくのですが中でも木造の古い通信教育隊の教場の話題には

親しみ易かったようです。

滋賀県に移ってからも通信の教場は木造の古びた建物。

四国善通寺市にも不思議な話が残っていたのです。

古い教場の横にはよくありがちな樹があったのだそうです。

教場も古く伝統のある建物、でも建て替えなければならない時期がやがて訪れる。

善通寺市にあった通信教場もその時期を迎えていたのです。

建て替えをする間、通信教育隊を移転することに・・・・

移転場所が滋賀県にある教育大隊に決まった頃、

建物の周りの整地が始まったのです。

古くから通信教場に寄り添うように立っていた樹も建物の建て替えとともに伐採。

作業に入ったとたん不思議な事故が相次いだのだそうです。

伐採を始めたとたんチェーンソウは動かなくなり樹の上の作業員は

体調不良から休みがちになり整地の作業が進まなくなったのだそうです。

長期にわたり作業員の体調不良や資器材の異変から

建物の建て替えの見合わせることを余儀なくなったのです。

不思議と通信教育隊の移転は進み滋賀県大津市にある駐屯地の

古い木造の教場に移転は完了。

鉄筋コンクリートの建物で聞くモールス信号の符号とは違い

木造の建物から聞こえてくる符号には不思議と心和む雰囲気が感じられたのです。

幸い善通寺市にある古い教場の建て替えは見送られ教場に寄り添うように

立っていた樹もそのままの形で残されることが決まったのです。

通信教育隊発祥の地として囲いが設けられ残されることに・・・・

私の受けた教育の期間にも善通寺駐屯地にある

古い通信教育隊の建物の話が話題になった頃、周りで不思議な出来事が

起こり始めていたのです。

今では元気に民間企業で頑張っている元自衛官も当時の不思議な出来事に

悩み幾人もの若い隊員が自衛隊を去っていったのです。




 明日は通信教育隊の不思議!です。






 では、また。

Posted by ビギン at 10:35 | 冒険 | この記事のURL
2009年08月27日
花折れ峠の鯖寿司!
 おはようございます。

今日は、花折れ峠の鯖寿司!です。

滋賀県には自衛隊の大きな演習場があり私も多くの地域で

活動をしていたのです。

比叡山を左に国道161号線・・・・・

右に国道367号線と日本海に抜ける道が伸びているのです。

琵琶湖に沿って走る国道161号線は利用者も多く今ではバイパスとなり

道幅も広く快適なドライブの楽しめる道になっているのです。

浜大津から日本海へ抜けるまでの地名も不思議な感じを受ける・・・・

比叡山ならでは地域なのかも知れません。

変わって国道367号線は、静かな山道で夏でも涼しく感じる。

昔は日本海側から京都へ上がる主要道路だったようです。

小浜から京の都に献上するための鯖を運んだことから

鯖街道とも呼ばれたようです。

日本海側からくると国道303号線を保坂で右折、

京の都までの途中、谷に向かい古いトンネルを超える花折れ峠。

昔では超えるのに大変な思いもあったのでしょう。

日本海から鯖を運ぶのですがこのあたりに差し掛かる頃魚のうまみが頂点に

〆たサバも程よくお寿司としていただくのに丁度好い加減になったことから

今でも花折れ峠には鯖寿司が親しまれているのです。

不思議な地域で京都の要所を形どった地域のつくりになっているのも

何か意味合いがあるのかも知れません。

京都の保津川下りと同様、保坂あたりまで日本海に進むと303号線へ突き当る

国道303号線を右に進むと箱館山があり保津川下りの乗り場に似た地域に

左に進むと四国善通寺市に似た地域と不思議な感じを受ける。

自衛隊中部方面隊の通信科の教育隊が出来たのも善通寺駐屯地、

第303通信教育中隊、滋賀県に移って数年歴史を守り通信を学んだのも

不思議な縁がさせたのかも知れない。

四国で悟りを開いた空海の育った町だったのもあるいは理由の一つ・・・

自衛隊退職後10年にして起こる様々なこと

すでに、教育隊で言われたとおりのことが起こるのもあるいは・・・

宗教的な意味合いが強いのかと思うようになったのです。





 明日は、通信教育隊の伝統?です。





 では、また。

Posted by ビギン at 10:42 | 冒険 | この記事のURL
2009年08月26日
池の中の帽子!
 おはようございます。

今日は、池の中の帽子!です。

昨日もお話で紹介したのですが四国松山へは必ず教育を受けに行かなければ

ならないのです。

一部職種から違った教育隊へ行く人もいるようですが

愛知県から山口県までの中部方面隊の各師団の隊員の

大半は四国松山にある第四陸曹教育隊へ行くことになるのです。

とにかく四国の第四陸曹教育とあって四の数字が並び

大半の自衛官は四曹教とも四走教・死走教ともいわれかなり走る教育隊では

あったようです。

一部では石鎚山もあってか師走教と呼ぶ人も・・・・

以前のお話の中でも紹介した明かりのない山道を走り行軍する訓練も

その一つだと今では思っているのです。

いろいろな意味での教育・・・・辛いこともたびたびある。

土曜日や日曜日の休みに部屋にいると松山城まで走るぞのお誘いも・・・・

片道約15kうかつに部屋でのんびりはいかない・・・・

特に走るのに苦手な私は中でも特別だったのかも知れません。

体力検定では基準を満たすのに紐でくくり走る光景もあるほどです。

楽しみと言えば週末の一日、外出することくらい・・・・

松山の街も銀天街や大街道とかなりの規模の商店街もあり

賑やかな町、遊びと言えばサウナや映画、商店街界隈の飲食店で

楽しむことが多かったようです。

ただ、一般部隊とは違って外出は、制服を着用することが原則です。

当時の映画館で上映していたものは「愛と青春の旅立ち」「トップガン」と

軍隊や戦争のものも多く「プラトーン」なども四国にいた時期の

映画だったように記憶しています。

辛い訓練も3か月をすると終了を迎え四国松山にある第四陸曹教育隊を

旅立つのです。

昔の風習か見送るときには帽振れの声とともに全員帽子を取り手にした

帽子を横に振るのです。

誰もが同じ時期を過ごしたのでしょう。

この時の光景があの「愛と青春の旅立ち」の卒業の風景とダブったのは

私を含めかなりの人数だったようです。

見送りの中を抜け門をくぐり外へ出ると池の周りの道へ少し歩くとさらに門が

最後の門をくぐる手前で何やら歓声が上がっていたのです。

見てみるとそこに並んだ学生が手にした帽子を映画のように

空高くほり上げたのです。

誰もが映画の最後をイメージしていることにきずいたころ

石槌山から石槌おろしが吹いたのです。

空高く上げた制帽は石槌おろしに乗り道に沿ってある池へと運ばれたのです。

一瞬の出来事に声をあげる間もなく沢山の制帽はそのまま池へと消えたのです。

映画のかっこいいシーンもこの先の最後の説教へとなることなど

知るはずもない学生たちは走ってくる教官の声にただ整列するばかり。

最後にとんでもない洗礼を石槌山からいただいたのです。

今ではそのことも忘れることのない思い出として心に刻まれたことでしょう。




 明日は、花折れ峠の鯖寿司!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 10:55 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年08月25日
夜中の斥候!
 おはようございます。

今日は、夜中の斥候!です。

四国松山で受けた教育の中に夜中の斥候!があったのです。

今、振り返ってみれば小学生の時に行った高野山での肝試しと似てる。

二人ペアーになって駐屯地の近くにある演習場へ斥候!

行く経路と方法は各人の判断。

目的地までの経路上の警戒部隊の規模や場所、交代の間隔を偵察。

駐屯地にかえって各ペアーごと報告。

正確な報告の有無を問われる。

以前、屋根裏部屋のお話の中でも紹介したように演習場へは、みかん畑を通り

行かなければたどり着けない地域。

そこまでの民家も農家なのでしょう、家の庭にはたくさんのみかんの木も植えられ

木にはたくさんのみかんがなっているのです。

装備を整え偵察すべき駐屯地を出発した私たちは、演習場へ向かう細い道を

走ったのです。

夜の道は白く見え自衛隊の戦闘服では遠くからでも気つかれる。

道の両脇に体を寄せみかんの木に身を隠し演習場へ途中人の声で隠れ

あたりを見渡す、姿勢は低く空と道とを透かすように人の有無を確認。

ふと、自分の置かれている場所を見るとそこにはたくさんのみかんが・・・・

斥候であるにも関わらず農家のおじさんの声を思い出す。

キュウイの実は取ってならない、原価が高くしかも時期が少し早い・・・・

みかんは、収穫も終え後は木の実を採りに来る動物や鳥のためのもの、

みかんも来年のために上手に取ってくれ。

取り方の練習までしてくれたおじさんを思い出す。

しかも、こんな時に、演習場までは高台から見渡せる場所を通るため

かなりの速度での移動、体は汗でぬれ喉の渇きまで・・・・

相棒の姿も確認できないままの私は木に実ったみかんを一つ・・・・

喉の渇きがとれ甘味のあるみかんに心をいやされていたのです。

きずいた時には相棒もそばでみかんを・・・

二人顔を見つめこみあげてくる笑いを押さえたのです。

目的の場所まではまだ3kmは残っている、先を急がねば斥候報告何んて

何も出てきやしない。

腰まである側溝に身を隠し先を急ぐ二人、目的地の高台には旗が立てられ

数名の助教が監視をしている。

岩の間に身を隠し敵の人数・交代の有無・斥候の時間を確認。

1時間前に進んだ別のグループの斥候が私の前に・・・・

銃を持って引き寄せる・・・・高台から見渡せる場所を二人

大きな声で話しながら歩いては私たちまで見つかってしまう。

かなり驚いたのだろう、声もないまま顔を見つめている。

偵察した情報を教えてもらう。

情報ではもう少し先に一名監視の情報。

少し移動を試みる・・・かなりの斥候が前方に・・・・

何やら様子が変だ・・・・数名のグループがつかまっているらしいことにきずく

もはやここまでか・・・・私と相棒の二人はここで引き返すことに

帰りは敵から遠くなる気も緩む・・・

いつしか来た時と同じみかん畑の中へ・・・・本来防護マスクの入った

鞄にみかんを数個隠して入れる。相棒にもきずかれないように・・・・

再び駐屯地までの山道を走りかえり付いた私は、斥候の報告書を・・・・

書き終わる頃には全員かええてきた状態。

行く時と違う風景は部屋にはたくさんのみかんが置かれてあったことくらい。

戦利品なのだろうか?私だけでなくいつ間にか沢山のみかんに

ただビックリするばかり、松山にたどりついて農家のおじさんの

みかん狩りの教育の意味がハッキリとわかる瞬間。

毎年この時期の教育隊の風景だったのかも知れません。

農家のおじさんには感謝を・・・・

山の頂上にあるみかん小屋へは誰も足を踏み入れる事はなかったでしょう。





 明日は、池の中の帽子!です。





 では、また。

2009年08月24日
横須賀の町!
 おはようございます。

今日は、横須賀の町!です。

私の感じたところ不思議な雰囲気の残る町・・・

そう言うイメージが強く残る町だった気がします。

陸上自衛隊通信学校がある場所・・・

そこへ私も行く機会が訪れたのです。

日本の各地域・・・北海道から沖縄までの通信科の職種の隊員の集まる学校。

町の中は漁師町、いつも潮風の匂いが漂う静かな町。

町の中ほどにはモダンな建物・・・・鹿鳴館。

大正ロマンが漂う面影に歴史が刻まれていたのです。

坂道を岬に向かい歩くと勾配のある下り坂・・・尻こすり坂の異名を持つ

お尻をこするかの如く勾配のある坂を降りると一隻の黒い船が・・・・

ペリー上陸記念公園・・・そう浦賀である。

昔、外国から来たあの黒船がついた場所。

歴史の背景から通信技術もこの地で発展したのかも知れない。

岬の先端に行けば海の幸のおいしいものが沢山食べられる。

特にまぐろの料理は学生の間でも一度は行かなければと歴代の申し送り場所。

夜になると学生は街に繰り出す。

横須賀中央まで京浜電車で・・・・ネオンきらめく繁華街には

アメリカ海兵隊の兵士も交る不思議な街・・・・

そこで見つけた一軒のパブ・・・中には映画に出てくるアメリカンな感じの

おしゃれな店に学生たちが一人・・・また一人と集まり始める。

夜も更ける頃には通信学校の学生たちのグループと海兵隊のグループの

笑い声でいっぱいになる。

門限のあった私は帰路を急がなければ・・・・

駐屯地へ帰る途中にある小さな川沿いの一軒の店に立ち寄る。

卵焼きと焼きそばとおにぎりを急いで注文しアルミホイルにくるんで持って帰る。

やっとの思いで辿り着いた門ではすでに門限が・・・・

朝まで門の片隅で眠ることも・・・・・

不思議な感じのある町、営内に帰った私はアルミでくるまれた

おにぎりと焼きそば・卵焼きを暖房のスチームの上に置く。

バルブを回しカンカンと鳴り響く音を確認して少し眠る。

目覚めの朝食はすでに温まり元のおいしい状態に・・・・

風の便りで聞いた声、漁師の船の上の食事も暖かく食べれる。

アルミホイルのありがたさはこんなところにも・・・・

食事も終われば洗濯にアイロン・半長靴を顔が映るくらい磨く。

明日から新しい一週間の始まり。

窓から入る潮風が心地よい。

なんとも不思議な感じのする町だ・・・・遠い昔の思い出です。





 明日は、夜中の斥候!です。





 では、また。




Posted by ビギン at 09:44 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年08月22日
銃剣道の合宿!
 おはようございます。

今日は、銃剣道の合宿!です。

自衛隊の大事な訓練の一つです。

訓練最盛期も終わる秋から冬にかけて各部隊では銃剣道や持久走のムードが

強く部隊の中でも今年の優勝旗は我が中隊へと士気が高くなってくるのです。

銃剣道も大事な訓練の一つ殺人の技?とまではいかないでも

戦地に行けばこれをなくしては生きては帰れないもの・・・・

「借与の筒は武器ならず、寸余の剣なびかせん」・・・・

自衛官の装備の腰につけた剣、銃の先に付け敵地に・・・・

訓練も演習場でする訓練と冬の時期にする訓練といろいろあるのです。

当然、自衛官として訓練を受けるのですから

銃剣道と持久走どちらかを選択しなければならないのです。

どちらも必要な訓練、自衛官なんら必ず・・・・

私は銃剣道に縁があったのでしょう。

縁があったというより、持久走は苦手・・・・

自衛隊の装備を付けて何キロも走るのですから辛くないはずはない。

まして、1500メートルを5分程度の早さなら腐るほどいる自衛隊

いくら頑張ってもつらさは・・・・

そんな気持ちもあってなのか銃剣道へ。

武道も人よりすぐれているわけではないのですが必ずどちらかを選択するのです。

体の小さな私には銃剣道は不利・・・・

そんな私も毎年のように冬には師団の連隊へ銃剣道の合宿へ

参加を命じられるのです。

銃剣道の強化よりまた別の意味合いが強かったのかも知れません。

師団内の各部隊から集まるのですが懐かしい顔が沢山・・・・

合宿も鬼のようなしごきがなければ楽しいものに・・・

しかし、そう甘くはない、朝からかなりの距離を走りまるで

持久走の合宿のように、体育館では大人と子供のように

まるで遊ばれているようなもの・・・・

手に持った木銃はどこかへ飛ばされまるで串刺しにされるかの様に

胸や喉に決められる。

武道の不思議な部分はここにあるのかも???

子供のようにあしらわれても自分の形や剣を磨く・・・

相手より早く、より正確に、間合いも考え・・・・

一年目の合宿より二年目・・・・三年目には・・・・やっとの思いの一本。

いつの頃からか合宿に参加するのが楽しくなっていたのです。

合宿場はまるで十年前からともに生活をしていたかの雰囲気に・・・

不思議と懐かし顔ぶれに感じたのもどこかで縁があったのかも知れません。

私の自衛隊生活懐かしい人々が多く今思えば自衛隊ではなかったのかも???

こんな思いも今では妙に懐かしい気がするのです。




 明日は、横須賀の町!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 10:19 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年08月21日
ラッパ教育!
 おはようございます。

今日は、ラッパ教育!です。

自衛官として生活の中では様々な教育があるのです。

今日のラッパ教育もその中の一つなのです。

今、日本の国ではなくなった軍隊にはラッパ隊というものあったそうです。

軍隊がこれから戦場へ向かうのにラッパ隊を先頭に行進曲で進んだそうです。

ラッパ隊のラッパの音に気付き敵の攻撃を受けた場所が戦闘地域・・・・

いうなればクマよけの鈴みたいなもの???

戦地から帰還するもラッパ隊を先頭に帰って来るのです。

ラッパの音が聞こえると今まで建物の中にいた住民や兵隊たちが出迎える。

本来のラッパの意味はこうした部分だったようです。

兵士の士気が落ちないようい急ぐ時にはテンポの早い曲

戦地でなくなった兵士を土にかえす時には葬奏の譜

野営で朝起きるのもラッパの音・・・夜寝るのも・・・・

何かと軍隊の行動はラッパの音で始まるのです。

当然、今の自衛隊にもその風習が多くあり

朝の目覚めの時には起床ラッパ鳴り響き

夜、消灯を迎える時には消灯ラッパが駐屯地に鳴り響くのです。

私がラッパの教育を受けた時は、師団にある音楽隊へ・・・

部隊長に申告を済ませた後、音楽隊へ約三ケ月教育

途中には悩みも多くなかなか音がでない

本来音楽に携わっていた隊員とは違い個人差もかなり大きかったようです。

私も多分にもれず音が出なかったのです。

それまで飲酒は禁止されていたにも関わらずこっそりクラブへ・・・・

お酒を飲むスペースである対内クラブの片隅に隠れるように座り

お酒を・・・・半ばやけ酒のように周りではラッパから

きれいな音が出ているにも関わらず未だ私のラッパからは息の音だけである。

禁止をされているお酒もすすむにつれ本来の自分に・・・・

脳天気な私は千鳥足で部屋へ帰りそのままラッパを口に

目はどことなく座り足もおぼつかない状態・・・

まるで体に力が入らない・・・そんな状態で吹いた私のラッパから

音が響き渡ったのです。

日夕点呼を前に鳴り響くラッパに各部屋から整列の声が・・・・

当直からは、今日は少し早いが点呼!の声・・・・

不思議と鳴り響いたラッパの音に自分でもビックリ・・・

何が功を制するかわからない・・・・その日から教育に参加している

私のラッパからはきれいな音が鳴り響き始めたのです。

ラッパの教育隊の伝統、天神川を川上へラッパからは行進曲と駆け足の局と

これから日々生活をする中の曲を吹きながら行進するのです。

途中ある病院からはがんばれの声も、奇声のように聞きながら

教育も終了すると警衛隊として勤務に就くときラッパ手として

勤務に・・・・マイクの前に立ちラッパを・・・・

ボリュームに手をやり時間が来ると・・・・初めてマイクの前で吹くラッパに

足が震えるたのを覚えているのです。

今でもテープでなくマイクの前でラッパ手が吹くラッパの音で

昼食や自衛隊内の生活が送られているのでしょう。

真鍮磨きで毎日磨いたラッパも今では音が鳴ることもなくなりました。




 明日は、銃剣道の合宿!です。




 では、また。

2009年08月20日
洗面器を的に!
 おはようございます。

今日は、洗面器を的に!です。

以前、屋根裏部屋のお話の中でも紹介したのですが今はない訓練場での

忘れられない出来事・・・訓練のお話です。

ガソリンが入った携行缶へ引火した時もこの訓練場。

近くに民家がないわけではないのです。

滋賀県浜大津駅から少し走ったところ南志賀里駅から少し山に入ったあたり

小さな訓練場があったのです。

訓練場と言うより野外射撃場だったのかも知れません。

近江神宮から日吉大社を結ぶ線の丁度真ん中辺りに

その訓練場はあったのです。

自衛隊に入隊して初めて手にする銃に誰もが緊張を・・・・

当然と言えば当然、今まで手にする事はなかったはず

日本では自衛隊か警察か国の許可した猟友会等の一部の人以外に

触ることは、表向きにはないはずですから・・・

高校を出て間なしの若者が手にし射撃の姿勢を習い

そして射撃!

最初は空砲を的に向け撃つ!

屋内射場ではなく屋外の小さな射撃場!

訓練のとおり姿勢を・・・気お抜くと後ろから思いっきり蹴り飛ばされる

当然である・・・18・9の青年といえど銃を持っての訓練なのだから

おかしな動作をするととび蹴りが・・・・周りの隊員に怪我を・・・

怪我だけで終わればまだ良い・・・中には・・・・

はじめから弾を込めて撃つはずもない空砲から・・・・

一メートルほど前に置いた洗面器に向け照準を合わせる。

撃ての号令で数名一緒に打つ・・・・自分の前の洗面器が割れて飛び散る

弾など入っていないのに・・・

それを見た別の隊員は緊張のあまり射撃が出来ない。

撃ったはずの空砲が銃に残ったまま・・・

撃ち方やめの号令で一斉に元の姿勢に・・・・どこから飛んで来るのだろう。

助教のとび蹴りが炸裂・・・若い隊員は頭を押さえうずくまる

とうとう射撃が出来ないままその日の訓練は終了となる。

実弾を撃つまでにはかなりの訓練を受ける。

中には萎縮し自分弾はどこにも当たった形跡がない隊員もいる。

中には目をつむって射撃!助教にきずかれ蹴り飛ばされる。

今思えば日本の国の若者は皆当然の姿なのだろう。

銃を人に向けて撃てることの方が異様である。

自衛隊で訓練を受けながらこの世と違った世界に自分がいることに気付く。

蹴られしゃがみ・頭を押さえ・・・・昔の自分に懐かしさを感じることがある。

人を殺す訓練を今の自衛隊はしている?????

今の自衛隊ではない。

昔から自衛隊はそうなのだ・・・・

有事の時にはすぐに銃を手にし撃つ事が出来る。

本当の怖さを分かっていない日本の国民たちが多い。

戦争に負けてから時がそうさせたのだろう。

幸せのままの日本の国を残せればいいのに・・・・




 明日は、ラッパの教育!です。



 では、また。

Posted by ビギン at 09:25 | 昔を散策 | この記事のURL
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