2012年07月13日
母の武勇伝
さて、昨日はちょっと父の寛大さについて、ご意見を賜りましたが
実際に寛大だったのはやはり母の方でした。
父はゲンチャリひとつを移動手段として仕事をしていて、
職場は六戸がほとんどでした。
六戸に小さな古いアパートを借りていて
仕事が忙しい時期は何ヶ月もそこで暮らして
仕事が暇なときは何ヶ月も家にいました。
何ヶ月も自宅を離れるわけですからそこで何事もなかったわけではありません。
結構女遊びをやっていたらしいです。
あるとき、ヤクザの女に手を出して、それがバレて、殺されそうになりました。
母が働いていたお店に真っ青な顔で飛び込んできて
「K、助けてくれ!助けてくれ!殺される!!」と叫んだそうです。
母は終始冷静に父を座敷の奥にかこまってから
ガラッと表玄関を開けました。
そこにはヤクザが数人いて
「F男を出せ!」「F男を出せーー!!」「ぶっ殺してやるっ!!」
そう叫んでいました。
母はその男たちの目を一人ひとり見回してから
「F男はここにはいないっ! ここからは1歩も中に入ることはゆるさんっ!!」
その場は一瞬沈黙して、仁王立ちをしている母の前から
ヤクザたちは黙って引き返して行き、
その後、ヤクザたちが現れることはなかったそうです。
命拾いした父はしばらくはびびっていて、
終始冷静にしている母を見ながら
「Kは怖い女だ」「Kは怖い女だ」と話していたそうです。
このことは家族の中でもずっと封印されていて
私が40歳くらいになったときに初めて聞かされたお話です。
女遊びの不始末を自分の妻にしてもらった父の情けなさを口外するなんて
父のプライドに関わる話ですからずっと封印していたんですね。
まさに武勇伝です。
実際に寛大だったのはやはり母の方でした。
父はゲンチャリひとつを移動手段として仕事をしていて、
職場は六戸がほとんどでした。
六戸に小さな古いアパートを借りていて
仕事が忙しい時期は何ヶ月もそこで暮らして
仕事が暇なときは何ヶ月も家にいました。
何ヶ月も自宅を離れるわけですからそこで何事もなかったわけではありません。
結構女遊びをやっていたらしいです。
あるとき、ヤクザの女に手を出して、それがバレて、殺されそうになりました。
母が働いていたお店に真っ青な顔で飛び込んできて
「K、助けてくれ!助けてくれ!殺される!!」と叫んだそうです。
母は終始冷静に父を座敷の奥にかこまってから
ガラッと表玄関を開けました。
そこにはヤクザが数人いて
「F男を出せ!」「F男を出せーー!!」「ぶっ殺してやるっ!!」
そう叫んでいました。
母はその男たちの目を一人ひとり見回してから
「F男はここにはいないっ! ここからは1歩も中に入ることはゆるさんっ!!」
その場は一瞬沈黙して、仁王立ちをしている母の前から
ヤクザたちは黙って引き返して行き、
その後、ヤクザたちが現れることはなかったそうです。
命拾いした父はしばらくはびびっていて、
終始冷静にしている母を見ながら
「Kは怖い女だ」「Kは怖い女だ」と話していたそうです。
このことは家族の中でもずっと封印されていて
私が40歳くらいになったときに初めて聞かされたお話です。
女遊びの不始末を自分の妻にしてもらった父の情けなさを口外するなんて
父のプライドに関わる話ですからずっと封印していたんですね。
まさに武勇伝です。
この記事へのコメント
コメントを書く