2012年06月10日
ウチの母
まゆみさんの母は、近くの施設に入所しています。
最初に施設を探し回ったときは私の足で面会ができそうもないような施設しか
なかなかなくて、
今の施設に空きができて入所できるようになった時は
あぁ、良かった、ここならいつでも面会に行けるとホッとしました。
それでこの施設の職員さんたちは
たまげだちょんじゃぐがいい
(注)とてもお世話が行き届いている
(南部弁のなかでもすでに若者たちの間では死語になっている
私も年配の人が話しているのを聞いて覚えた)
母の痴呆がまだほとんどなかった頃に
私と姪と2人で面会に行ったときに
母が突然にたにたと笑い出した。
「どうしたの?おばあちゃん」
「今職員さんと目が合ったら投げキッスしてきたの」
振り返ると数人の若い男性の職員さんたちがいました。
「え?どの人?どの人?」と聞いても
「教えない」と言いながら機嫌がいい
「おばあちゃんもてもてなんだね」
母がまだもちょっと若かったときに
井上陽水とか安全地帯とか久保田利伸が好きだったので
姪が陽水と安全地帯の曲をカセットに録音して送ってきて
「おばあちゃんに聞かせてあげて」といいました。
カセットデッキを持って行ってかけてあげると職員さんたちが
「Kさん、ハイカラですね〜、安全地帯なんか聞くんですか?」
と言いました。
姪は久保田利伸のは見つけられなかったと言っていました。
少し前に発売されたCDを録音してあげると
どうも反応がいまいちでした。
私も実は流星のサドルとか昔の曲が好きだったので
きっとおばあちゃんもそうなんだろうな
THE BADDESTが発売されてすっごく嬉しくて
即買いました。
おばあちゃんにも録音してあげました。
もうすっかり痴呆が進んで私が誰かも覚えていないのですが
「この曲だったらいいでしょう?」と言うと
うなずいていました。
またまた職員さんがびっくりして
「Kさん、流星のサドル聞いてるんですか?すごいですねー」
と言ってました。
今は言葉も全く出てきません。
言葉を忘れてしまってからも
安全地帯をかけてあげると所々口ずさんでいました。
最初に施設を探し回ったときは私の足で面会ができそうもないような施設しか
なかなかなくて、
今の施設に空きができて入所できるようになった時は
あぁ、良かった、ここならいつでも面会に行けるとホッとしました。
それでこの施設の職員さんたちは
たまげだちょんじゃぐがいい
(注)とてもお世話が行き届いている
(南部弁のなかでもすでに若者たちの間では死語になっている
私も年配の人が話しているのを聞いて覚えた)
母の痴呆がまだほとんどなかった頃に
私と姪と2人で面会に行ったときに
母が突然にたにたと笑い出した。
「どうしたの?おばあちゃん」
「今職員さんと目が合ったら投げキッスしてきたの」
振り返ると数人の若い男性の職員さんたちがいました。
「え?どの人?どの人?」と聞いても
「教えない」と言いながら機嫌がいい
「おばあちゃんもてもてなんだね」
母がまだもちょっと若かったときに
井上陽水とか安全地帯とか久保田利伸が好きだったので
姪が陽水と安全地帯の曲をカセットに録音して送ってきて
「おばあちゃんに聞かせてあげて」といいました。
カセットデッキを持って行ってかけてあげると職員さんたちが
「Kさん、ハイカラですね〜、安全地帯なんか聞くんですか?」
と言いました。
姪は久保田利伸のは見つけられなかったと言っていました。
少し前に発売されたCDを録音してあげると
どうも反応がいまいちでした。
私も実は流星のサドルとか昔の曲が好きだったので
きっとおばあちゃんもそうなんだろうな
THE BADDESTが発売されてすっごく嬉しくて
即買いました。
おばあちゃんにも録音してあげました。
もうすっかり痴呆が進んで私が誰かも覚えていないのですが
「この曲だったらいいでしょう?」と言うと
うなずいていました。
またまた職員さんがびっくりして
「Kさん、流星のサドル聞いてるんですか?すごいですねー」
と言ってました。
今は言葉も全く出てきません。
言葉を忘れてしまってからも
安全地帯をかけてあげると所々口ずさんでいました。
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