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2021年12月10日

「暴力団との交際を堂々とアピール」 ソンな人間に何故日本大学は牛耳られて居たのか?



 「暴力団との交際を堂々とアピール」

  ソンな人間に 何故日本大学は牛耳られて居たのか?





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  所得税法違反容疑で東京地検特捜部に逮捕された田中英寿氏   写真 時事通信フォト 12-10-11


 ■暴力団幹部と一緒に写った写真が次々と流出  

 住吉会の福田晴瞭会長(当時)・山口組六代目の司忍組長・弘道会傘下佐々木一家の山本岩雄総長(故人)と一緒に写って居る人間が大学を牛耳って居る理事長だったら、その学校の学生やOBは如何思うのだろう。
 日本大学の理事長だった田中英寿(74)が、11月29日に東京地検特捜部に逮捕された。田中は歴代の総長選で、自分の推す候補者を勝たせて来た。コンなエピソードが在ると週刊新潮(12月9日号)が報じて居る。  

 「13年前の総長選では自分が着いた候補の対抗馬を向島の料亭に呼び出し〔出馬を辞退して呉れたら5,000万円渡す。次期総長選は勝たせる様にするから〕と協力を仰いで居ました。余りに一方的な申し出に、その候補は断って居ましたが」(さる日大関係者)  

 気に要ら無い教授が居ると「夜道に気を着けろ!」と脅した事も在ったと云う。俺のバックには暴力団が居ると仄めかし我が物顔に振る舞って居た。

 ■対立して居た幹部は グラウンドの守衛に左遷  

 瀬在幸安(せざいさちやす)総長は田中(当時は常務理事)の言動に疑問を持ち始め、6人の弁護士から為る特別調査委員会を造り、疑惑の調査を指示したと週刊文春(12月9日号)が報じて居る。だが調査は有耶無耶に為り、反瀬在に転じた田中は、2005年の総長選では小嶋勝衛(こじまかつえ)を推して瀬在を破ったと云う。
 文春に依れば、その後、名古屋で行われたイベントに出席した小嶋総長に「会わせたい人が居る」と田中が誘った。行った先に居たのは「司(忍=筆者注)氏だったそうです」と、同大学の元幹部が話して居る。 田中が2008年に理事長に就任すると

 「先ず着手したのは学内に在る在籍を知らせる電光掲示板の『総長』と『理事長』の位置を入れ替える事でした。 それ迄は総長が上だったのを、理事長を上にし自らがトップだと宣言した。対立して居た幹部を左遷し、最終的に東京・稲城のグラウンドの守衛にする等、逆らう奴が居れば呼び出して〔北海道の大学施設の管理人が空いてるぞ〕と脅すのです」(週刊新潮 同)

 ■教育を食いものにする社会悪  

 逮捕の発端は、田中の側近だった大学理事の井ノ口忠男と医療法人「錦秀会」の藪本雅巳理事長が、日大医学部附属板橋病院の建て替えを巡り、大学に4億2,000万円の損害を与えた背任容疑で逮捕、起訴された事だった。  
 そのカネの一部が田中に渡って居るのではないか。特捜部は今年9月8日に阿佐ヶ谷の彼の自宅で1億円超の現金を発見、藪本からも約6,000万円を田中に渡したと云う供述を引き出して居た。  

 約5,300万円を脱税した所得税法違反容疑だが、特捜部は最初から、5年以下の懲役で在る背任では無く、10年以下の懲役の所得税法違反で遣る積りだったと、週刊文春(同)が報じて居る。それが証拠に、特捜部から上級庁には、コノ様な報告が為されて居たと云うので在る。  

 「特捜部は、全て当初の予定通り、田中を逮捕致します。予てよりご報告の通り、教育を食い物にする社会悪としての田中を、可罰に於いて重い量刑を科す本来目的の、所得税法違反による逮捕です。全ては狡猾な巨悪を油断させる為の〔死んだ振り〕が功を奏しました」  

 だが、立件・逮捕に至る迄には高いハードルが在った様だ。

 ■決定的な証拠を掴め無い中作戦を変え・・・  

 捜査の手が伸びると、田中は駿河台に在る日本大学病院に逃げ込んだ。ソコで行われた特捜部の任意の事情聴取では、一貫して容疑を否認し強気だったと云う。  

 「田中氏が背任工作のスキームを指示、或いは承知して居た事を証明する必要が在りましたが、それが難しかった」(司法担当記者)  

 田中はいちいち細かい事には口を出さ無い為決定的な証拠が無い。背任の共犯での立件は困難だと云う見方が広がったそうだ。そこで特捜部は、田中が会長を務める〔国際相撲連盟〕を使った金の出入りと、昨年行われた〔田中邸のリフォームを巡る支払いの疑惑〕へと戦線を拡大して行った。 
 だが、相撲連盟の方は任意団体で、会計報告の義務も無く突破口には為ら無かった様だ。 リフォームの方は、工事の窓口に為ったのは田中が信頼を置く相撲部のOBで、過つて日大の建設工事等の差配役を担った会社の元社員だった。
 
 その人間は田中の紹介で石川県の建設会社の営業部長に為り、日大の子会社・日本大学事業部にも籍を置いて居て、リフォームは件の会社が請け負い、日大工学部がコノ会社に発注した別の工事費用と併せて処理されて居たフシが在ったが、このルートも不発に終わった。  
 そこから特捜部は、脱税に焦点を合わせて行って要約逮捕に漕ぎ着けたと云うので在る。田中は逮捕されて理事長を辞任したが、彼には幾つもの疑惑が在る。冒頭書いた暴力団との強い繋がりが一つで在る。

 ■田中体制の集金マシンと化して居た「日大事業部」  

 週刊文春にはコンな話が載って居る。  

 「日大出身の或る親方が部屋を開いた際は、小雨の降る地鎮祭に、後に山口組若頭と為る高山清司氏が姿を見せたと言われて居た。田中氏と弘道会(司忍山口組六代目の出身母体=筆者注)の関係が密かに話題に為り、高山氏が田中氏の妻の優子夫人にエルメスのバーキンを一ダース送り、優子夫人が感激して居たとの話も耳にしました」(日大関係者)  

 田中の側近で在る井ノ口が牛耳って居た〔日大事業部〕と云う伏魔殿の実態も、明るみに出され無ければ為ら無い。 此処は別名「日大相撲部」と云われて居て、田中が率いる相撲部の関係者が複数採用されて居ると云う。その利益の大半は日大への寄付として処理されて居て、田中体制の集金マシンに為って居たと云われる。  

 薮本の政界人脈と豪遊振りも週刊新潮(10月21日号)と週刊文春(同)で報じられた。週刊新潮は、薮本が安倍晋三元総理と親しく、加計学園の加計孝太郎理事長等とゴルフクラブで撮った写真も掲載して居た。 口ひげを蓄えた面構えは如何にも〔政商〕と云われる雰囲気である。薮本の仲介で田中と安倍が会った事は無いのだろうか?

 ■「政治家に渡した裏金のことも全部ブチマケテ遣る」  

 田中との関係が最も強いのは相撲界だ。週刊文春によれば、

 「1983年には日大相撲部の監督に就任。田中氏が指導した角界の日大出身者は50人を超えて居ます。現役理事の境川親方を始め、木瀬親方や入間川親方、解説者の舞の海も居ます。 更に角界に力士を輩出し続ける鳥取城北高の石浦外喜義総監督や埼玉栄高の山田道紀監督も田中氏の薫陶を受けて居ます」(角界関係者)  

 薫陶ばかりでは無い。  

 「田中氏はその豊富な人脈を駆使し、日大に有望な学生を集め、高値で相撲部屋に力士を送り込む事で絶大な影響力を誇った」(週刊文春)と云う。田中は入院中に、こんな言葉を口にして居た様だ。  
 「俺が逮捕される様な事が在れば、今迄政治家に渡した裏金の事も全部ブチマケテ遣る!」  
 逮捕されたのだからぜひ、そうして貰いたいものである。

 ■日大の「暗黒の歴史」が繰り返されて居る  

 日大と云う大学には帝王やドンと云われる人間達が、莫大な私学助成金や学生達の学費を私して来た「暗黒の歴史」が在る。  
 1960年代後半、吹き荒れた学生運動の〔先駆〕と為ったのは〔日大闘争〕だった。  以前にも書いた事が在るから詳しくは繰り返さ無いが、当時〔帝王〕と迄云われた古田重二良会頭は、学費の相次ぐ値上げに怒った学生達を右翼学生や体育部の学生達に襲わせた。その中に相撲部の田中も居たと云われて居る。  

 古田は、学生達のデモ鎮圧の為に機動隊迄導入したが、遂には学生たちに屈し、3万5000人の学生が見詰める中で大衆団交に応じ要求を認めた。だが、当時の佐藤栄作首相が「日大の大衆団交は常識を逸脱して居る」と発言。
 約束は反故にされ、古田は会長として再び日大に戻るがその年に死去。アノ時、古田的なものを一掃出来て居れば、田中英寿前理事長も出て来無かったかも知れ無い。  

 田中は警察関係との繋がりも強い。 週刊新潮は、安倍晋三元首相時代、官邸の守護神と云われた警察庁出身の杉田和博前官房副長官もその1人ではないかと報じて居る。最も杉田は「サシでは無いと思いますよ。記憶に御座いませんね」と週刊新潮に答えて居るが。 警察官僚出身で衆院議員だった亀井静香も週刊新潮で「相撲取りからマンモス校のトップ迄行ったんだから、大人物だよ」と田中を擁護して居る。

 ■〔田中派〕の評議員が理事長に復帰させるのでは無いか  

 特捜部は、悪質な所得隠しに妻の優子も共謀して居たと見て捜査を進めて居ると云う。実刑も視野に入れて居るとも云われる。だが、もしそう為っても、数年後に再び田中が理事長に復帰する可能性が在ると囁(ささや)かれて居る様だ。  
 現在の加藤直人学長はアメフト事件(日大の選手が監督やコーチの指示で相手選手に危険なタックルをして負傷させた)当時、アメフト部の部長だったが、不祥事にも関わらずトップに就けたのは、田中の力が在ったからだと云われて居る。  

 今回の件で理事は総辞職したが、大半が田中派と云われる評議員はそのママで在る。彼等を理事に横滑りさせ、時機を見て田中を理事長に復帰させるのではないか。 こう云うケースは他にも在ると大学ジャーナリストの石橋嶺司が「揺れ動く日大〜田中色一掃かそれとも復権狙いか、今後のシナリオは」(Yahoo!ニュース 12月2日 7:54)で書いて居る。  

 「2008年の東京福祉大事件です。当時、総長だった人物がわいせつ事件により逮捕。総長も辞任し、大学は『今後、大学経営に関与させ無い』と表明します。しかし、服役後には大学職員(事務総長)として大学に復帰。2020年には学長としても復帰します」

 ■政界迄深く食い込んで居る日大を改革出来るのか  

 石橋は、こうしたシナリオは文科省も承知して居るから、田中派を学内から一掃した日大再建を考えて居ると云う。その切り札は年間90億円と云われる私学助成金。日大側が説明責任を果たして徹底的な改革を断行し無ければ文科省は、コレを減額、又は不支給にすると〔脅し〕て学内の田中派を一網打尽にすると云うので在る。  
 確かに学生数6万5,000人と云われるマンモス校でも、助成金が減らされれば学校経営に大きな支障が出るだろう。増してや、理事長が反社と深い付き合いが在ったと云うのでは、来年の志望者が激減する事も予想され、受験料収入が大幅にダウンするかも知れない。  

 それでは、文科省主導の日大改革が行われるかと云うと、私には大いに疑問で在る。安倍元首相時代の官邸に迄食い込んで居た田中グループが、文科省の官僚や大臣達を手懐けて無い筈はは無いからである。 彼等を饗応した際の明細や録音を録って居るかも知れない。それが〔ヤクザの流儀〕で在る。もし、それを公開すると云えば、それでも日大改革を遣ると云う気骨の在る人間が出て来るだろうか。  
 第2の日大闘争を起こせとは云わ無いが、良識ある教授・学生達が立ち上がり、学長の説明責任を求め、納得出来無ければ辞任を要求するべきである。  

 学外に新学長に相応しい人材を求める事を考えても好いのではないか。コノ機を逃さず、真の改革に着手し無ければ、日大は「マンモスの化石」に為る。 (文中敬称略)



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  元木 昌彦(もとき・まさひこ) ジャーナリスト  1945年生まれ 講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する 上智大学・明治学院大学等でマスコミ論を講義 主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)等が在る


 【管理人のひとこと】

 悪夢の安倍晋三長期政権・・・政・菅・財・学・・・と、アラユル金の為る存在に根を生やし吸い上げる力・・・それが持ち切れ無く為り脆くも自ら退陣した。彼の行った悪行の数々は、今後何十年と事件が起こる度に名前が飛び出し続けるだろう。
 日大の金に纏わる事件にも、安倍晋三氏の身辺に及ぼす影響も計り知れ無い。コレだけの不正が永く続くには官憲との甘い付き合いが在ってコソでは無かろうかと疑問に思うのは当然。最近の官憲の甘い捜査は安倍氏の存在在ってのものだろうから、今度は確りとした存在感を示して欲しい。有耶無耶で済ますようなら未だ安倍氏の力は残っていると考えて好いだろう。


















     

日本が太平洋戦争に 総額幾らを費やしたか知って居ますか?



 日本が太平洋戦争に 総額幾らを費やしたか知って居ますか?

 国家予算の280倍 今で換算すると・・・




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              加谷 珪一 2017.08.16 12-10-5

 プロフィール 1969年宮城県仙台市生まれ  東北大学工学部原子核工学科卒業後 日経BP社に記者として入社 野村證券グループの投資ファンド運用会社に転じ企業評価や投資業務を担当 独立後は中央省庁や政府系金融機関など対するコンサルティング業務に従事  現在は、経済・金融・ビジネス・IT等多方面の分野で執筆活動を行って居る
 著書に著書に『貧乏国ニッポン』(幻冬舎新書) 『億万長者への道は経済学に書いてある』(クロスメディア・パブリッシング) 『感じる経済学』(SBクリエイティブ) 『ポスト新産業革命』(CCCメディアハウス) 『教養として身につけたい戦争と経済の本質』(総合法令出版)等が在る



 毎年、この時期(8月15日)に為ると太平洋戦争に関する話題がメディアで取り上げられる。アノ戦争に付いては様々な解釈が存在して居るが、その殆どが政治的な視点か軍事力に依るもので在り、経済的な視点での議論は多く無い。
 だが歴史を振り返ると、戦争と経済は切っても切れ無い関係に在り、経済力は戦争遂行能力そのもので在ると云うのが現実だ。経済と云う切り口で太平洋戦争を振り返った時、何が見えて来るだろうか〜



 国家予算の280倍を如何(どう)用意したのか?

 戦争には多額の費用が掛かる事は多くの人が認識して居るが、実際にどの程度の金額が戦争に費やされるのかに付いて詳しく知る人は少ない。突出して規模の大きかった太平洋戦争には、一体幾らの戦費が投入されたのだろうか?
 実は、太平洋戦争に於ける戦費の実態は好く分かって居ない。戦争中と云っても、日本政府は毎年予算を組み記録も存在して居る。それでも金額がハッキリしないのには主に二つの理由が在る。


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              Photo by GettyImages 12-10-6


 一つは軍部が暴走し、東南アジアの占領地域に於いて軍票(手形の一種)や独自の現地通貨を乱発し、コノ財源を基に資金を現地調達した為、その分の金額がハッキリし無い事で在る。
 もう一つは、太平洋戦争が日本経済の基礎体力を完全にオーバーした戦争で在り、これに依って激しい財政インフレが発生。戦争期間中から既に日本円の貨幣価値が可成り毀損して仕舞ったからで在る。

 戦費の実態は好く分から無いと述べたが、或る程度までなら推測する事が出来る。旧大蔵省が戦後まとめた資料に依ると、太平洋戦争(日中戦争を含む)に於ける名目上の戦費総額(一般会計と特別会計)は約7,600億円と為って居る。
 金額だけ聞くと意外に少無いと感じるかも知れ無いが、日中戦争開戦時のGDP(厳密にはGNP)が228億円なので、戦費総額のGDP比率を計算すると何と33倍に為る。又、国家予算(日中戦争開戦当時の一般会計)に対する比率では280倍と云う天文学的数字で在る。

 最も、この数字には少々カラクリが或る。太平洋戦争の戦費は余りにも膨大で税金を使って調達する事は不可能だった。この為、戦費の殆どは日銀に依る国債の直接引き受けに依って賄われた。現在の量的緩和策にも通じる処があるが、日銀が無制限に輪転機を回すと云う事なので、当然の事乍らインフレが発生する。
 戦争中は価格統制が敷かれて居た事から余り顕在化し無かった(コレも現在に通じる)が、それでも戦争が始まると物価水準はドンドン上がって行った。

 この財政インフレは終戦後、準ハイパーインフレとして爆発する事に為った訳だが、戦費の実態を考える時には、このインフレ率を考慮し無ければ為ら無い。
 更に、日本軍は占領地域に〔国策金融機関〕を設立し、現地通貨や軍票(一種の約束手形)等を乱発して無謀な戦費調達を行った。これに依って各地域の経済は破壊され、日本国内を遥かに超えるインフレが発生したが、占領地域に於けるインフレの実態は好く分かって居ない。

 何れにせよ、占領地域では相当のインフレに為って居るにも関わらず、名目上の交換レートは従来のママ据え置かれたので、書類上、日本円ベースの軍事費が膨れ上がる結果と為る。

 無理にも程が在る

 当時の国内のインフレ率を適用し、更に現地のインフレ率を国内の1.5倍と仮定した場合、実質的な戦費の総額は凡そ2,000億円と計算される。仮にコノ数字が正しいと仮定すると、GDPとの比率は8.8倍に、国家予算との比率は74倍に為る。先程の比率に比べれば可成り小さく為ったが、それでも途方も無い金額で在る事に変わりは無い。

 現在の価値に置き換えれば4,400兆円もの費用を投入した事に為る。これ等の戦費負担に付いては、最終的には〔預金封鎖に依って国民から財産を強制徴収する形〕で埋め合わせが行われた。税率が高い人では資産の9割が徴収されて居り、富裕層の多くはコレに依って財産の殆どを失う事に為った。


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                Photo by GettyImages 12-10-7


 では、戦争のもう一方の当事者で在る米国の様子は如何だったのだろうか。太平洋戦争は米国に取っても大きな戦争だったが、それでも日本と比べると相対的な負担は軽い。
 米国に於ける第2次世界大戦の戦費総額は約3,000億ドル。開戦当時の米国のGDPは920億ドルなのでGDP比は3.2倍と為る。

 米国は、太平洋戦争と同時に欧州では対独戦争を戦って居る。極めて大規模な戦争を2つ遂行して居るにも関わらず、この程度の負担で済んで居る事を考えると、米国経済の基礎体力の大きさが分かるだろう。因みに第1次大戦の時に英国が投じた戦費総額も当時のGDPの3.8倍程度で在った。国家の存亡を賭けた全面戦争で在っても無制限にお金を掛けられる訳では無い。

 〔GDPの3倍から4倍程度と云うのが、無理無く全面戦争を遂行出来る限界値で在る〕と観て好い。その点からすると、太平洋戦争は最初から無理の在った戦争と云う解釈に為らざるを得無い。
 ダイエー創業者の中内功氏が徴兵され戦地に赴いた際、日本軍が飢えに苦しむ中、米兵が基地内でアイスクリームを自由に食べて居るのを見て衝撃を受けたと云う話は有名だが、数字上の体力差はコウした日常的な光景にも反映される事に為る。

 日露戦争との激し過ぎる落差

 これ程無謀な戦争に反対する意見も無かった訳では無い。当時は、現在のGDPに相当する概念は無く、企業の生産力や輸送力等の統計データから国力を算定して居たが、一連のデータから対米戦争の遂行は不可能と云う分析は行われて居た。
 それにも関わらず、開戦が決断され、全土が焼け野原に為る迄それを止める事は出来無かったのは、何とも残念な事だ。

 太平洋戦争の特殊性は、明治期に行われた日清戦争・日露戦争と比較すると更に際立つ。日清戦争開戦当時のGDPは13億4,000万円で、戦費総額のGDP比は0.17倍だった。現在の日本に当て嵌めると約85兆円と云う金額に為る。一方、日露戦争の開戦当事のGDPは約30億円で、戦費総額のGDP比は0.6倍だった。

 両者ともそれ為りに大きい金額だが、決して拠出不可能な水準では無く、実際に、戦争終了後の日本経済に対して深刻な影響は与えて居ない。因みに日露戦争の戦費の多くは、当時、覇権国家で在った英国ロンドンのシティ(現在の米国ウォール街に相当)に於いて外債を発行する事で調達された。

 外債の発行は難航が予想されたが、英米の投資銀行が積極的に関与した事や、当時の日本側の責任者で在った高橋是清(後に蔵相・首相 二・二六事件で暗殺)が見事なプレゼンテーションを行った事で、ホボ全額の調達に成功して居る。
 世界の投資家を相手に、戦争の目的や合理性をアピールし、十分に納得させた上での外債発行で在る事を考えると、日露戦争は正にグローバルな経済・金融システムをフル活用した戦争と云って好いだろう。

 一方、太平洋戦争はグローバル・スタンダードで在った英国と米国の両方を敵に回し、親米感情が強い中国(国民党)とも戦争をしてしまった。日清・日露戦争とは正反対に、グローバルな動きに完全に背を向けた戦争で在った。
 日露戦争当時、シティで調達された英ポンドは日本には移送されず、そのママ英国の銀行に預金された。その理由は、英国から大量の近代兵器を輸入する必要が在り(三笠など当時の主力艦船の殆どは英国製)その決済がシティで行われるからである。

 大事な国家予算を外国の民間銀行に預ける事には抵抗が在ったと思われるが、当時の指導者はグローバルな金融システムを熟知して居り、合理的な決断をしたものと思われる。
 維新と云う半ばクーデターに近い形で政権を掌握した明治政府の指導者に対する評価は様々であり、筆者も全面的に賛美する立場では無いが、当時の指導者達に卓越したリーダーシップとリアリズムが存在した事は間違い無い。それと比較した場合、学歴選抜された昭和のエリートが著しく劣って居た事は認めざるを得無いだろう。


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                 Photo by GettyImages 12-10-8


 歴史は繰り返す

 歴史を知って居る今の私達が、現在の目線で当時の決断を批判する事は容易い。だが、一方で歴史は繰り返すとも云われる。
 「戦争は他の手段を持ってする政治の継続で在る」と云うのは、戦争論(クラウゼヴィッツ 1780年〜1831年)の有名な一説だが、政治や外交も最終的には経済問題に行き着く事が殆どで在る。詰まり、戦争は日常的な経済活動の延長線上に存在する事に為る。

 実際、各国の戦争遂行能力は、GDP(国内総生産)に比例して居り、経済体力を超えて戦争を遂行する事は出来無い。現実を直視せず、結果として日本経済を完全に破綻させてしまった太平洋戦争は、正に教訓とすべき歴史的事実だが、規模は小さいながらも私達は今でも同じ様な事を繰り返して居る。
 シャープの液晶投資や東芝の米ウェスティングハウス買収に無理が在った事は、当時から何度も指摘されて居たが、勇ましい精神論に搔き消され、社会で共有される事は無かった。日の丸液晶メーカーとして多額の国費が投入されたジャパンディスプレイは、大方の予想通り、経営が立ち行か無く為り、大規模なリストラを余儀無くされて居る。見え無い形で太平洋戦争の失敗は今でも続いて居るのだ。



 【管理人のひとこと】

 コレは、2017年8月16日に発表された論文で在る。12月8日の真珠湾攻撃の記念日と共に8月15日は終戦記念日として、共に改めて戦争を考える特別な日だ。
 単なる数字上の考えとして「国家の戦争に掛けられる総額は、GDPの3倍から4倍程度と云うのが、無理無く全面戦争を遂行出来る限界値で在ると観て好い。その点からすると、太平洋戦争は最初から無理の在った戦争と云う解釈に為らざるを得無い」
 との結論が書かれて居る。これは正確な計算からでは無く、今迄の各国(日本・米国・英国等)の経験値として導き出されたものである。
 我が国の「日中・太平洋戦争の実質的な戦費の総額は凡そ2,000億円と計算される。仮にコノ数字が正しいと仮定すると、GDPとの比率は8.8倍に、国家予算との比率は74倍に為る」
 と記される「現在の価値に置き換えれば、4,400兆円」と為れば、今の政治では到底戦争は賄い切れ無い。国民一人に10万円を配るだけでも青息吐息なのだから。













木村多江〔薄幸系〕から〔怪演女優〕へ



 木村多江〔薄幸系〕から〔怪演女優〕 

「面白い俳優に為りたい一心で突き進んで来た」




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                木村多江 12-10-2


 日本中に考察ブームを巻き起こしたドラマを映画化した『あなたの番です 劇場版』で再び〔怪演キャラ〕に挑み、よるドラ『阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし』(NHK総合 毎週月曜22時45分)では驚きの再現度で阿佐ヶ谷姉妹を演じる等、女優・木村多江の進化が止まら無い。

 「面白い俳優に為りたい一心で突き進んで来た」と云う木村は〔怪演女優〕と呼ばれる事に付いても「嬉しいです。怪演出来る様な役って、ナカナカ出会えるものでは無いですから」と柔らかな笑顔。
 今年50歳と云う人生の節目を迎えて「今は又0歳に為った様な感覚」と云う彼女が、これ迄のキャリアを振り返りながら、転機や50歳と云う年齢の持つ意味に付いて語って呉れた。

 ◆『あな番』の台本は「脚本家からのラブレターで在り挑戦状」  

 2019年4月から2クールに渉り日本テレビ系で放送された『あなたの番です』 ドラマでは、幸せ一杯の新婚生活を始めた年の差夫婦が、住民達の〔交換殺人ゲーム〕に巻き込まれて行く様が描かれたが、劇場版はドラマとは違った〔もしもの世界〕が展開する。
 映画化が叶い、木村は「登場人物の殆どが居なく為ってしまって居るし〔私、出られるのかな?〕と思って居た」とお茶目に笑いながら「もしもの世界に為ると云う事で、又皆に会える!と嬉しく為りました」とワクワクしたと云う。  

 登場人物の誰もが個性的で「コノ人が犯人かも?」と思わせる様な怪しさタップリ。展開としても常に視聴者を驚かせる仕掛けが施されて居るが、木村は本シリーズの脚本に付いて「脚本家からのラブレターで在り、挑戦状の様」と分析。
 振り切った演技を求められる場面も在り「如何応えたら好いんだろうと云うプレッシャーも在り、そう思える様な機会を頂けた喜びと、遣ってやるぞと云う闘志が湧いて来る様な台本」と役者冥利(みょうり)に尽きるものなのだとか。  

 その言葉も納得な程、本シリーズで木村が演じた専業主婦の榎本早苗役も強烈な役処。ホンワカとした笑顔を持ち、誰からも好かれる様な住民会の会長・・・と思いきやドラマの第10話で早苗が豹変(ひょうへん)
一人息子を溺愛する余り、ミキサーを持って暴れ捲る狂気の女性と為ってお茶の間を驚かせた。

 早苗には〔ミキサー主婦〕との異名が着いたり「木村多江の芝居が凄い!」との声が上がり大いに話題と為ったが、劇場版では一体どの様な姿を見せて呉れるのか。  
 木村は「早苗は又遣らかして居ます」とコメント「水難事故に遭った様」と水に関わる場面が多いと明かし「私は余り泳げ無いので、家のお風呂でイメージトレーニングをして。アー、このシーンの事かと笑いながら楽しんで頂けたら嬉しい」と期待して居た。

 ◆薄幸女優から、怪演女優へ「40代はプレゼンの時期」  

 『あな番』を通して〔怪演女優〕と呼ばれる事も増えた木村。改めてドラマの反響を振り返って貰うと「10話を観た友達からは〔日本列島が震撼(しんかん)したよ〕と言われて(笑) これで暫く頑張れるなと思いました」と新たな遣る気にも繋がったと話す。  
 早苗が豹変する回の台本のト書きには「〔般若の様な顔をする〕と書いて在った」そうで「来た来た来たー!と思って」とニッコリ。

 「『あなたの番です』の台本にはセリフだけでは無く、そう遣って脚本家からの熱い要望が書いて在るんです。最も大事にして居たのは、何故早苗はそう為ってしまったのかと云う動機や彼女の人間性をキチンと出すこと。〔形で遣ら無い〕と云う事を大切にして居ました」と早苗の心に真っすぐ向き合った。
 早苗のことが「大好き」と破顔しながら「振り幅が大きくて、毎回チャレンジをさせて頂ける役。早苗は追い詰められて、焦ると人生の選択を間違えて暴走してしまうんです。でもそれって誰にでも在り得ること。人間の滑稽さ、弱さ、愚かさと愛おしさを表現出来る役だと思って居ます」と語る姿からも如何に役柄に愛情を注いでいるかが伝わる。  

 〔怪演女優〕と言われる迄には〔薄幸系〕と云われる役柄を演じる事も多かったが「20代はズッと〔コメディーを遣りたい〕と言い続けて居た」と云う。

 「でも私達は頂いた役を一生懸命に遣る事が使命。頂けるものを追求して行ったら〔薄幸系〕と呼ばれる様にも為って(笑) そう遣って歩みながらも、取り分け40代は〔似た様な役だけでは無く、新しい役も演じて行きたい〕〔プレゼンの時期だ〕と思ってお仕事に臨んで来ました。常に次のお仕事を頂けるか分から無い世界で生きて居るので、役者としてはプレゼンをして行くことも必要」

 と癒(い)やしのホホ笑みの裏側に、芯の強さと役者業への情熱が浮かび上がる。

 ◆50歳を迎えて「もう一度生き直しても好いのかな?」  

 今や出演作の途切れ無い売れっ子女優と為った木村だが「27歳位迄はアルバイトをしながら役者を遣って居た」と告白。
 「有名に為りたいと云うタイプでは無く〔面白い役者に為る為には如何したら好いだろう〕と云う事ばかり考えて居ました。面白いと云うのは、意外性や驚きを与えられる様な役者。観て頂く方の心に何か引っ掛かる様なお芝居が出来たらと思って居ました」と語る。

 役者としての転機は、子供の死を乗り越えて行こうとする夫婦を描いた映画『ぐるりのこと』(2008年)だった。

 「それ迄は、自分を出すのが凄く嫌だったんです。鎧(よろい)を着てお芝居をして居る様で、本当に自分が抱えて居る痛みは隠して居たかった。でも『ぐるりのこと』で、心の中で蓋をして居たものを沢山開ける事に為って。役者の本質が見える事で、観客の方の心にも触れるものが在るんだと感じる事が出来ました」

 と実感を込め「それからは、モッと木村多江がダダ漏れても好いのかなと思う様に為りました」と楽しそうにホホ笑む。  

 「改めて何故このお仕事が好きなんだろうと思うと、化学反応を起こす事が最高に楽しいんです。『あな番』も『阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし』も、化学反応ばかり起きる様な現場。『阿佐ヶ谷姉妹』では安藤玉恵さんもそうですが、宇崎竜童さんや研ナオコさんも如何云う球を投げて来るか分から無い(笑)台本に書かれた事が立体的に為って行く過程が堪ら無く面白い」

 と充実感もタップリ。今年の3月には、50歳を迎えた。この事は木村に取って大きな意味を持つと云う。

 「父が49歳で亡く為って居るので〔私は49歳を越えられるのだろうか〕と思いながら生きて来た様な処が在って。逆に言えば49歳で死んでも好いと思える位、ボロボロに為ろうが走り続けて行こうと思って居ました。だからコソ50歳を迎えた時に、又0歳に為った様な感覚に為って。もう一度生き直しても好いのかなと云う気持ちに為って居ます」

 と胸の内を明かす。

 「50代は今迄と同じ様な速度で走る事は出来無いかも知れ無い。でも社会や誰かの為に役立てる様なお仕事をして行きたいと思って居ます。役者と云うお仕事を通して、皆さんの心を支えられる様な作品・勇気を与えられる様な作品。私は如何見られたって構わ無いから、楽しく笑って貰える様な作品に携われたらとても嬉しいです」

 と心を込めて居た。


 取材・文 成田おり枝  写真 高野広美   映画『あなたの番です 劇場版』は全国公開中


















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