2023年05月16日
小町の100
70: 小町から 2011/05/29(日) 20:48:59.04
劉と言います。44歳、子供はいません。
夫が家を出て行ってから1年が経過しました。
原因は私が離婚届を何度も突きつけたからです。
私は夫が物事をすぐ忘れる事、約束を覚えていない事がどうしても許せず「どうして約束が守れないの」と明け方まで責めてしまう事が度々ありました。
そのつど夫は謝ってくれるのですが、私はどうしても怒りがとけず夫を蹴ったり、叩いたり、コップの水をかけたりしてしまい、そのまま家出。
市役所に行って離婚届をつかんで家に戻り、「これにサインして!」と夫に迫ったりしていました。
そして去年、いつも同じように一晩家出してから離婚届を持ち帰りサインを迫ったら、何と夫が本当に離婚届に署名したのです。
私は頭をガン、と殴られたような衝撃を受けました。
この時まで私は、夫が何がああっても離婚は踏みとどまってくれると信じていたのです。
その夫がサインするなんて…。
私はショックでまた夫を一晩かけて責めてしまいました。
何でサインが出来るの、今までした事なかったくせに、と。
今考えれば、すぐに私が謝れば良かったのですが、当時思いつきもしませんでした。
専業主婦だった私に夫は、「3カ月の猶予をあげる。その間に仕事を探し、身の振り方を決めなさい」と言って、引越しの手続きをして出て行きました。
専業主婦が長かった私に、すぐ仕事が見つかる訳ありません。
夫にはそうメールして、何度も帰ってきて欲しい旨を伝えました。
夫から返ってきたのは、離婚調停手続きでしたが…。
その調停も私が離婚しない、と言い張った為不調停になり、裁判へ移行しました。
今私が住んでいるのが夫名義のマンション。
このまま裁判でも「離婚しない」と言い続けていれば、ずっとここに住めるのでしょうか…。
71: 小町から 2011/05/29(日) 20:51:23.88
暴力はいけない、という事は理解しています。
でも、男性が振るう暴力と女性とでは、雲泥の差があると思うのです。
確かに私はやってはならない事をしました。
でも、叩いても痕が残る程ではないし、コップの水をかけたって火傷する訳ではないのです。
夫側からの訴状で、私からこのような暴力が振るわれた、と記載されていました。
本当は認めたくなかったのですが、私の依頼した弁護士さんから「もしここで否認して、原告側が揺るぎない証拠を提示した場合、あなたに対する裁判官の心証が悪くなってしまいます」と言っていたので仕方なく答弁書に「概ね認める」と入れたのです。
私は夫に分かって欲しかったのです。あなたをとても愛してる、という事を。
愛しているからこそ、私の気持ちを理解して欲しくて一晩かけて話し合ったり、愛しているからこそ、思わず感情を高ぶらせて「何故私の気持ちを分かってくれないの!」と夫を叩いたりしてしまったのです。
72: 小町から 2011/05/29(日) 20:52:19.49
本当に私は、あれほど攻撃的な方法をとりながらも離婚なんて露ほども考えていなかった。
私のこの苦しい気持ちに、いつか夫は気付いてくれるはず。ずっとそう思っていました。
夫が離婚届にサインし、そのまま一晩話合いをした日、私は夫に聞きました。
「本当に離婚したいの?それともしばたく離れたいだけ?」
夫は答えました。
「もういい、離婚したい」
なので私は激こうし、夫に言い返してしまいました。
「離婚すると楽になれる、とか思っているんでしょう。だったら絶対に離婚なんかしない。離婚しないであなたを苦しめ続けてやる!」と。
夫が驚いた顔で私を見つめたあの日を、私は今も忘れる事が出来ません。
本当は離婚なんか考えていない。したいとも思わない。
そんなバカな発言をする私を抱きしめて、「バカだな、離婚する訳ないだろ」そう言って欲しかった。
夫を愛しているからこその可愛い我儘なのです。
73: 小町から 2011/05/29(日) 20:54:10.34
出金間際まで言いあいをして、「また時間切れですかぁ?」と更に責めていたあの時の自分。
本当にひどいことをしました。
現在私は定期的にカウンセリングを受け、感情をコントロール出来るよう努力しているつもりです。
離婚調停時も調停員さんに、カウンセリングを受けている事、夫から部屋を出て行ってと言われたけど専業主婦なので仕事がない事、お金もないしマンションから出て行きたくない事、精神が不安定なので離婚に同意はしない事を切々と訴え続けていたら、お互いにしばらく別居したら?という妥協案を勧められました。
私の方は離婚さえ回避できるなら妥協案を呑もうと考えていたのですが、その時すでに夫は弁護士を雇っていて、調停は不調停にされてしまい、離婚裁判への手続き申請に移行してしまったのです。
74: 小町から 2011/05/29(日) 20:55:16.00
答弁書に「概ね認める」と記載してしまった事は、やはり間違いだったでしょうか。
もっと色々反論を書いた方が良かったのではないでしょうか?
訴状には、私が家事を放棄したという内容も書かれていました。
これに対しては反論があります。
月に1度くらいは掃除機をかけていたし、週に一度は生ゴミだって出していました。
食事に関しては、私が少食である事、夫に「何が食べたい?」と聞いても大抵「何でもいいよ」と答えるので何でもいいなら作らなくてもいいか、と思ったこと。そして体調が悪かった事などが重なって、一時期作らなかっただけです。
それに夫は、体調悪いなら作らなくていいんだよ、と言ってくれたし、会社から戻ってきてから炊飯器をしかけて、買い物に行ってくれたので、それが普通かと思っていました。
今になって裁判の理由事項にするのは悲しいと思います。
弁護士さんも言っていましたが、日本の調停・裁判は割と女性に対して有利に働くらしいので調停の時と同じく、部屋を出たくない等、精神的に不安定である事を訴えて離婚回避の方向で頑張りたいと思います。
75: 小町から 2011/05/29(日) 20:56:41.47
離婚しなさい、というレスの多さに少々凹んでおります。
考えてはいたのです。
夫から離婚したいという意思表示があったにもかかわらず何故それを承認出来ないのか。
夫は当初、調停や裁判を経っての嫌な別れ方をせず、協議離婚しようと言ってきました。
だけど、「離婚」という言葉が独り歩きを始めた時、私たちは一度もそれについて協議をしていない。
離婚する、嫌だ、そればかり主張して、「話し合い」をしていないのです。
何人からのご指摘通り、私は日本人ではありません。
両親は中華料理店を経営、兄夫婦と隣町で暮らしています。
でも私の事を罵って罪の意識も持たないような毒親の元へは帰りません。
親とは縁を切りました。私の家族は夫ただ一人なのです。
だからこの部屋で待つと決めた。
夫とは平行線ばかりで進まなかった話合いも、調停委員の助けを借りれば出来るかも知れない、と思ったから応じたのです。
76: 小町から 2011/05/29(日) 20:57:41.34
私は本来丁重に扱わなければならない「離婚」という選択肢を軽々しく扱ってしまった。
今、その罰を受けています。
夫がどれほど苦悩したか、そのことに気付きもしなかった。
だからこそ、夫と話し合いたい。
ずっと二人で頑張ろうね、と誓ったあの日のまま、私の気持ちに揺るぎはないです。
私の悪い部分を全力で治して、夫が居心地のよい部屋にする。それが今の私の目標です。
もう離婚届をもてあそぶような事はしません。だから離婚しません。
私の気持ちが届くまで、何年でも、待ち続けます。
実は去年のお正月にも私たちはケンカをして、明け方に私は部屋を飛び出した事があります。
その時、道端で子猫を拾ってしまい、部屋に連れて帰りました。
実は夫が動物嫌いだったので、半分あてつけの意味もあったのです。
その猫も夫が帰ってきたくない理由の1つかと思い、この春処分しました。
77: 小町から 2011/05/29(日) 20:59:07.30
それぐらい真剣に、夫に帰ってきて欲しいのです。
覆水盆に返らず、ということわざをレスしていただいていますが、私は、水は新しく汲んでくればいいと思います。
過去にあった出来事は変えられない、それは理解しています。
しかし、破壊と再生が繰り返されて、夫婦の絆は強くなるのではないでしょうか。
夫を解放することが愛である、とおっしゃってる方もいますが無理と皆さんが断言しても、出来ないと言われても、私は夫を失いたくない。
世界で一番夫が恋しい、愛している。
これが私の嘘偽りのない真実の言葉です。
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