2020年12月14日
照葉の 文字の通りに 照る葉かな 冬の日差しを 撥ねて美し
今日は曇り模様だが僅かな時間日が差して裏山の照葉が光り輝いた。
縦縞の 等圧線が かかるげな 真冬の風が 吹いてくるげな
冬の典型的な気圧配置は西高東低
低気圧は中心から反時計回りに風が吹き
高気圧は時計回りに風が吹く
つまり西高東低の気圧配置では東西の二つのファンが回っているような状態になって
北から南に風を吹かせることになる
等圧線は地図でいう等高線みたいなものだから
線の間隔が狭いほど気圧の傾斜が強いということになるのだろう
日本列島に等圧線が8本かかると北風が強くなると聞いたことがある
今日は何本かな…
低気圧は中心から反時計回りに風が吹き
高気圧は時計回りに風が吹く
つまり西高東低の気圧配置では東西の二つのファンが回っているような状態になって
北から南に風を吹かせることになる
等圧線は地図でいう等高線みたいなものだから
線の間隔が狭いほど気圧の傾斜が強いということになるのだろう
日本列島に等圧線が8本かかると北風が強くなると聞いたことがある
今日は何本かな…
2020年12月13日
知事たちが 天秤睨み もの言わぬ 赤信号を みんなで渡る
国会議員もそうだが
政治家たるもの真の正義に生きて欲しい。
誰とは言わないが、与党議員の中にはキャリアのために政権に摺り寄る見苦しい発言をする人が多い。
自らの政治生命やキャリア、人生設計は、政治の正義の前には決して優れることはない。
夕間詰 辺りに響く 船の音 遊漁船が 帰りを急ぐ
夕間詰の静かな湾内に一艘の白い船がエンジン音を響かせて帰ってきた。
遊漁船だ。
釣果は如何に。
さつまいも 三日前買って 今日見たら 別のとこから 又さつまいも
あちゃー
さつまいも食わんといかん
さつまいも食わんといかん
湾の中 高いマストの 帆船が 日曜の昼 のんびり遊ぶ
世間では今コロナの感染者が過去最高で医療崩壊寸前だという。
私の生まれ故郷のこの海は「ひねもすのたりのたりかな」状態。
昨今は漁業も低調でこの湾で漁船が通る姿は中々見ることができない。
どこの分限者か知らないが、
悠然と帆船で遊んでいる。
私の生まれ故郷のこの海は「ひねもすのたりのたりかな」状態。
昨今は漁業も低調でこの湾で漁船が通る姿は中々見ることができない。
どこの分限者か知らないが、
悠然と帆船で遊んでいる。
お袋の 言葉の由来 諸説あり 説き得る力 どれもなきなり
室町時代から「おふくろ」という言葉があったとか
大事なものを入れる袋からきたとか
子宮を意味するとか
などと述べている御本人がその実納得していないようなコメントが目立つ
日向國史を読む の日向國史の第三章 天孫降臨
第一節 大國主~の國土奉献 の所で、
後世或は此の~を夷(えびす)~(かみ)として崇敬す。其の社は延喜式内攝津國菟原
郡大國主西ノ~社にして、所謂西宮夷是なり。もと其の攝社に三郎殿
ありき。或は夷三郎殿と稱す。古事記に大國主~の御子を列記する中
の、第三の男子に當れる事代主~を祭れるなり。一説に三郎殿を蛭子(ひるこ)
~なりと稱するも、毫も徴證を得ず。中世以後此の西ノ宮の分靈所々
に祭られて、大國主~は其の字音大黒に通ずるより、つひに印度の~
たる大黒天に附會せられ、三郎殿専ら夷~の名を有し、大黒、夷、相
並びて~と仰がるることとなれり。大黒像の袋を負へるは、古事記
に、大國主~が負袋者としてとして、庶兄弟なる八十~に從ひ行けり
とある傳説に基づけるものにして、其の袋に代ふるに魚を以てした
る夷~像は、是れ即ち古への三郎殿の像なりしなり。 後略
日本人の精神文化の中で福の~として定着した大国主命や袋を背負った大黒さんが、
同じように有難く、愛情深い存在の母親と重なった。
つまり負袋 「おうふくろ」が「おふくろ」に転訛したと。
この章、節を読んで考えた。
古事記が編纂された奈良時代から「おふくろ」は母親の代名詞だったのかも知れない。
大事なものを入れる袋からきたとか
子宮を意味するとか
などと述べている御本人がその実納得していないようなコメントが目立つ
日向國史を読む の日向國史の第三章 天孫降臨
第一節 大國主~の國土奉献 の所で、
後世或は此の~を夷(えびす)~(かみ)として崇敬す。其の社は延喜式内攝津國菟原
郡大國主西ノ~社にして、所謂西宮夷是なり。もと其の攝社に三郎殿
ありき。或は夷三郎殿と稱す。古事記に大國主~の御子を列記する中
の、第三の男子に當れる事代主~を祭れるなり。一説に三郎殿を蛭子(ひるこ)
~なりと稱するも、毫も徴證を得ず。中世以後此の西ノ宮の分靈所々
に祭られて、大國主~は其の字音大黒に通ずるより、つひに印度の~
たる大黒天に附會せられ、三郎殿専ら夷~の名を有し、大黒、夷、相
並びて~と仰がるることとなれり。大黒像の袋を負へるは、古事記
に、大國主~が負袋者としてとして、庶兄弟なる八十~に從ひ行けり
とある傳説に基づけるものにして、其の袋に代ふるに魚を以てした
る夷~像は、是れ即ち古への三郎殿の像なりしなり。 後略
日本人の精神文化の中で福の~として定着した大国主命や袋を背負った大黒さんが、
同じように有難く、愛情深い存在の母親と重なった。
つまり負袋 「おうふくろ」が「おふくろ」に転訛したと。
この章、節を読んで考えた。
古事記が編纂された奈良時代から「おふくろ」は母親の代名詞だったのかも知れない。