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2020年12月13日

お袋の 言葉の由来 諸説あり 説き得る力 どれもなきなり

室町時代から「おふくろ」という言葉があったとか
大事なものを入れる袋からきたとか
子宮を意味するとか

などと述べている御本人がその実納得していないようなコメントが目立つ

日向國史を読む の日向國史の第三章 天孫降臨
 第一節 大國主~の國土奉献 の所で、

後世或は此の~を夷(えびす)~(かみ)として崇敬す。其の社は延喜式内攝津國菟原
郡大國主西ノ~社にして、所謂西宮夷是なり。もと其の攝社に三郎殿
ありき。或は夷三郎殿と稱す。古事記に大國主~の御子を列記する中
の、第三の男子に當れる事代主~を祭れるなり。一説に三郎殿を蛭子(ひるこ)
~なりと稱するも、毫も徴證を得ず。中世以後此の西ノ宮の分靈所々
に祭られて、大國主~は其の字音大黒に通ずるより、つひに印度の~
たる大黒天に附會せられ、三郎殿専ら夷~の名を有し、大黒、夷、相
並びて~と仰がるることとなれり。大黒像の袋を負へるは、古事記
に、大國主~が負袋者としてとして、庶兄弟なる八十~に從ひ行けり
とある傳説に基づけるものにして、其の袋に代ふるに魚を以てした
る夷~像は、是れ即ち古への三郎殿の像なりしなり。 後略

日本人の精神文化の中で福の~として定着した大国主命や袋を背負った大黒さんが、
同じように有難く、愛情深い存在の母親と重なった。

つまり負袋 「おうふくろ」が「おふくろ」に転訛したと。
この章、節を読んで考えた。

古事記が編纂された奈良時代から「おふくろ」は母親の代名詞だったのかも知れない。

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