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2017年08月27日
「古代宇宙飛行士説」世界各地に宇宙人飛来の痕跡
「古代宇宙飛行士説」とは、古代の地球には他の惑星から宇宙人がやってきたことがあり、人類を含める様々な生命体を創造し、同時に超高度な技術を授け、古代文明の発展を促したという説である。
この説が生まれた経緯
1970年代、スイス人の実業家エーリッヒ・フォン・デニケンによる著書「未来の記憶」の中でこの説について書かれたことが全ての発端とされている。特に「旧約聖書の『エゼキエル書』が、宇宙人来訪の様子を描写している」という指摘が注目を集め、後にこの本は世界的ベストセラーとなった。
「未来の記憶」の中で書かれた内容は、主に下記の通りである。
宇宙人は類人猿を進化させ、人類を創った
世界各地に残る神話の神々は、宇宙人を神格化して生まれたもの
巨大な古代遺跡やオーパーツなどは、宇宙人の技術によって作られた
この説の証拠とされるもの
「古代宇宙飛行士説」を裏付ける証拠として、巨大な古代建造物や出土した遺物品、世界各国の古代文明への文献などが引き合いに出されることが多い。下記は、その中でも有力とされているものである。
ギザの大ピラミッド
「ギザの大ピラミッド」とは、エジプトのギザに建設された現存する古代の建造物である。このピラミッドは、ファラオクフ王の墳墓として、紀元前2560年頃に建設されたと考えられている。しかし、ピラミッドの建設方法については、当時の文明の技術力では建設することは困難だったと指摘されており、未だに謎が多いとされている。
日本の土偶
「日本の土偶」とは、人間、あるいは精霊を表現して作られたと考えられる、日本で出土した土製品のことである。この土偶は縄文時代に沖縄県を除く地域で作られた。その形状が宇宙服に似ていることから、「土偶のモデルは、縄文時代の日本に飛来した宇宙人だったのではないか」という説を唱える研究者もいる。
ナスカの地上絵
「ナスカの地上絵」とは、ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれた、乾燥した地表面に描かれた動物、あるいは幾何学的模様をした巨大な絵のことである。あまりにも巨大な絵が多く、上空からではないとその全体像を把握することが難しいものもある。このような巨大な地上絵に対して、「古代の人間がどのような方法で、また何の目的で描いたのか」という大きな謎が存在する。
アビドス遺跡の壁画
「アビドス遺跡」とは、古代エジプトのエジプト神話に登場する、オシリス神復活の古代都市であり、現在はエジプト新王国最盛期の王を祀っていたとされる遺跡である。1997年、研究家ブルース・ローレスによって、現代のヘリコプターや戦車、そして戦闘機のような飛行物体が描かれた、謎の壁画が発見されている。
古代インドのヴィマナ
「古代インドのヴィマナ」とは、主にヒンドゥー教の叙事詩に登場する、空中に浮かぶ宮殿、あるいは戦車である。その形状については三角形型、四角型、円盤型など数種類存在したとされ、地上上空だけでなく、宇宙空間でも飛行可能だったという記述が残っている。その正体については、UFOの特徴との類似点が多いことから、「他の惑星から古代のインドに宇宙人が飛来していたのではないか」と指摘する研究者もいる。
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「アガスティアの葉」とは、古代インドの聖者アガスティアが残したとされる、個人の運命に関する予言が書かれたヤシの葉のことである。この葉は、将来にこの葉を探しに来ることになる全ての人々の分が用意されており、その膨大な量の葉は南インドのタミル語文化圏にある、いくつかの館で厳重に保管されている。その予言は古代タミル語で書かれており、「ナディ・リーダー」と呼ばれる専門の人々が葉を探し出し、現代のタミル語へと翻訳を行っているという。
アガスティアの葉とは?
「アガスティアの葉」とは、紀元前3000年頃に実在したという、古代インドの聖者アガスティアが残したとされる、個人の運命に関する予言が全て書かれたヤシの葉のことである。その予言の内容は、前世・現世・来世においての人生が書かれており、また現世でトラブルを回避するための方法なども知ることができるという。
この葉は、将来にこの葉を探しに来ることになる全ての人々の分が用意されており、実際にいつ探しにくるのかということも予言されている。しかし、極まれに依頼者の葉が存在しないこともあるという。
その膨大な量の葉は、南インドのタミル語文化圏にある、いくつかの館で厳重に保管されており、約500年に一度のペースで書写が行われている。その予言は古代タミル語で書かれているため、特別な訓練を受けた「ナディ・リーダー」と呼ばれる専門の人々が葉を探し出し、現代のタミル語へと翻訳を行っているという。
アガスティアの葉の探し方
アガスティアの葉の探し方については、まず依頼者が男性の場合は右手の親指の指紋を、女性の場合は左手の親指の指紋をナディ・リーダーへと渡す。この時、依頼者は指紋以外の一切の情報をナディ・リーダーに渡す必要はないという。この指紋を受け取ったナディ・リーダーは、膨大な量の葉が保管されている倉庫の中から、指紋のパターンによって全部で108個にわかれている葉の束を持ってくる。
次にナディ・リーダーが依頼者にいくつかの質問を行い、依頼者の葉がその束の中に含まれているかいないか、順番に確認を行っていく。具体的には「父親の名前は○○である」、「母親は生きている」、「出身地は○○である」などの簡単な質問に対して、「イエス」か「ノー」で答えていき、その一連の作業を依頼者に該当する葉が見つかるまで続けるという流れとなる。
この作業は、早ければ数分で終わることもあるが、遅い時には約5時間ほどかかることもあり、また極まれに依頼者の葉が存在しないこともあるという。
アガスティアの葉の種類
アガスティアの葉については、その予言の内容ごとに全部で14種類にわかれている。
第1章:大まかな人生の流れ
第2章:財産・家族・生活
第3章:兄弟・姉妹
第4章:母親との関係・土地・生きがい
第5章:子供について
第6章:病気・借金・訴訟
第7章:結婚・配偶者
第8章:死期・事故・寿命
第9章:父親との関係・幸運・信仰
第10章:職業・仕事・転居
第11章:利益・再婚
第12章:出費・来世・解脱
第13章:前世・カルマとその解消方法
第14章:現世でのトラブルの解消方法
その真相とは?
アガスティアの葉については、その予言の内容を疑問視する声が挙がっており、それは主に下記のようなものである。
ナディ・リーダーによる質問の中で依頼者の素生が明らかとなっているため、別の部屋に他のスタッフがいる場合、その依頼者ごとに合わせてその場で葉を作成することができるのではないか
現在では、このアガスティアの葉に関連したツアーが多く組まれているため、事前に旅行代理店から個人情報を得ているナディ・リーダーが、依頼者に合わせた葉を用意しているだけなのではないか
一見すれば、一般的で曖昧な内容が、ある状況下では自分だけに当てはまる具体的で適切な内容だと思い込んでしまう、「バーナム効果」を利用したものではないか
実際、この葉に書かれている予言の内容通りの人生を送る者もいれば、全く違った人生を送る者もいるという。これは聖者アガスティアは、人生について全体の75%を知っているだけであり、残りの25%については依頼者の自由意志によって常に変化していくためだと説明されている。一説では、その予言の再現率はインド人の場合では約90%ほどと高いのに対し、日本人の場合では約30%ほどと低いものと考えられている。
またアガスティアの葉の存在が世界中に広く知れ渡り、注目を集めるようになってからは悪徳業者の存在も確認されており、ナディー・リーダーの中には依頼者が葉の内容を読めないことを利用し、特別料金を請求する者もいるため、自分の葉を探したいという方は、お金と時間を無駄にしないためにも十分に理解した上で依頼していただきたい。
「A113」ピクサー映画に潜む、謎のコード。
アメリカ合衆国のカリフォルニア州エメリービルに本社を置き、これまでに数多くの長編アニメーション映画を世に放ってきた、アニメーション制作会社「ピクサー・アニメーション・スタジオ(通称:ピクサー)」。このピクサーは、その多くの作品が世界中で大ヒットを記録しており、現在ではフル3DCGアニメーション映画における、「先駆け的な存在」として広く知られている。しかし、ピクサーの長編アニメーション作品には、「A113」という謎のコードが必ずどこかのシーン内に登場しており、一時期、熱狂的なピクサーファンの間では、そのコードの意味に関しての様々な憶測が飛び交っていたという。
「A113」とは?
「A113」とは、アメリカ合衆国が世界に誇るアニメーション制作会社「ピクサー・アニメーション・スタジオ(通称:ピクサー)」の長編アニメーション作品において、必ずどこかのシーン内に登場している謎のコードのことである。
そのコードは、例えば「トイ・ストーリーシリーズ」では、少年アンディ・デイビスの母親が運転する水色の自家用車のナンバープレート番号に使われており、「カーズシリーズ」では、主人公メーターのナンバープレート番号に使われている。また「カールじいさんの空飛ぶ家」では、主人公カール・フレドリクセンが出廷することになる、法廷の部屋番号にこのコードが使われている。
この謎のコードについては、2005年頃にインターネット上で報告がされたことをきっかけとして、一時期、熱狂的なピクサーファンの間では話題となり、最終的にはピクサーが製作した全ての長編アニメーション作品から発見されることになった。また現在では、ピクサー映画以外のアニメーション作品や実写映画などからも見つかっており、そのコードの意味に関しては「秘密結社による、何らかの暗号なのではないか」という突拍子もないような憶測などがいくつも飛び交っていたが、長い間、その真相は不明のままとされていた。
「A113」が確認されている作品
「A113」という謎のコードについては、現在ではピクサーが製作した全ての長編アニメーション作品から見つかっているが、ピクサー映画以外の作品では下記のものなどが挙げられている。
ドクター・フー
これは1963年11月23日から、イギリスのBBCによって放送されている、SFドラマ番組である。シーズン8の第8話において、トンネル内を走行する列車の方向幕にこのコードが使われている。
ブレイブ・リトル・トースター
これは1987年7月10日に公開された、SF作家トマス・M・ディッシュの短編小説「いさましいちびのトースター」を原作とした、ハイペリオン・ピクチャーズ製作による長編アニメーション映画である。ご主人のロブが暮らす、都会でのマンションの部屋番号にこのコードが使われている。
ザ・シンプソンズ
これは1989年12月17日からフォックス放送で放送されている、アメリカ人のアニメーション製作者マット・グレイニングによって創作されたテレビアニメシリーズである。例えば、人気コメディアンのクラスティーが、強盗容疑で逮捕された時の囚人番号などに何度もこのコードが使われている。
アイアン・ジャイアント
これは1999年8月6日に公開された、アメリカ人のアニメーション作家ブラッド・バードが監督を務めている、ワーナー・ブラザースによる長編アニメーション映画である。登場キャラクターのアイアン・ジャイアントが噛り付いた自家用車のナンバープレート番号にこのコードが使われている。
アベンジャーズ
これは2012年5月4日に公開された、マーベル・スタジオ製作によるSFアクション映画である。モニターに映し出されるファイル番号にこのコードが使われている。
その真相とは?
2008年頃、この謎のコード「A113」について、オンライン画像共有サービスの「Imgur」の利用者である、「TheGhostWhoHatesSpills」というハンドルネームの人物によって、下記のような解説がされている。
「A113」とは、カリフォルニア芸術大学の教室番号を意味している。かつて、その教室ではグラフィックデザインとキャラクターアニメーションについての授業が行われており、現在のピクサーなどに所属している有名なアニメーターたちが、作品作りについて多くのことを学んだ場所となっている。
つまり、このコードはただの仲間内のジョークの一種であり、また同士に対する声援のようなものである。
実際、現在のアメリカ合衆国を代表する多くのアニメーターたちが、カリフォルニア芸術大学の卒業生であることが確認されており、その後、ジョン・ラセター、ピーター・ドクター、アンドリュー・スタントンという三人の有名なアニメーターたちが、この教室の前で撮影した写真が発見されたことにより、その事実が確かなものとなった。
またこのコードを一番最初に使ったのはアニメーション作家のブラッド・バードであり、1985年から1987年にかけて、アメリカ合衆国のNBCにて放送されていた、「世にも不思議なアメージング・ストーリー」というオムニバス・ドラマ番組内において、自家用車のナンバープレート番号にこのコードが使われたことが事の発端となっているのだという。
今後、海外の映像作品を見る際には、このコードがこっそり潜んでいないか、注意して見てみてはいかがだろうか。
2017年08月26日
【エシュロン】世界中の情報を秘密裏に収集
「エシュロン」とは、アメリカ合衆国を中心に構築されている、軍事目的の通信傍受システムのことである。このシステムは、国家安全保障局(NSA)主体で運営されており、その機能は情報の収集・分析・分類・蓄積・提供によって構成されていると考えられている。
エシュロン」の沿革
1943年5月17日、アメリカ合衆国とイギリスの間で「英米通信傍受協定」が結ばれ、この時、後に「エシュロン」と呼ばれることになる、通信傍受システムが誕生したと考えられている。
1948年、アメリカ合衆国、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの間で秘密協定である「UKUSA協定」が結ばれ、通信傍受の協力体勢が整えられた。
1949年、統合参謀本部安全保障局が作られ、その後、1952年にNSAへと改編された。この頃から「エシュロン」は、その勢力を拡大させている。
現在の参加国は、アメリカ合衆国、イギリス、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドであり、「英米同盟」とも呼ばれる国々が参加している。また参加は認めていないが、ギリシャ、スペイン、ドイツ、日本などの同盟国にも傍受施設が置かれているとされている。
「エシュロン」が明るみに出た経緯
2013年6月、香港で元CIA職員であるエドワード・スノーデンが、複数の新聞社(ガーディアン紙、ワシントン・ポスト紙、サウスチャイナ・モーニング・ポスト紙)から受けたインタビューの中で、「NSAによる、盗聴の実態と手口」を内部告発したことにより、「エシュロン」の存在は世間に知れ渡ることになった。
その後、2013年6月22日に米司法当局から逮捕命令が出されたスノーデンは、第三国への亡命を検討していたが、2013年8月1日にロシア移民局から滞在許可証が発給されたため、現在はロシアに滞在している。
「エシュロン」での情報の流れ
1. 収集
「エシュロン」は、その全ての情報を電子的な形で入手しており、その多くが電波の傍受によって行われている。1分間に300万の通信を傍受できる、「史上最強の盗聴機関」とも言われている。
電波には、軍事無線、固定電話、携帯電話、電子メールなどが含まれており、同盟国にある米軍電波通信基地や大使館・領事館、スパイ衛星、電子偵察機、電子情報収集艦などを使って電波を傍受したり、時には直接通信線を盗聴することで多量のデータを収集しているものと考えられている。
2. 分析
収集された膨大な生データは中身を分析され、保存すべき情報と破棄すべきものに仕分けられる。最初に生データの暗号解読が行われ、暗号解読に成功した場合は、そのデータ内に「爆弾」などのテロ行為を連想させるキーワードが含まれていないか自動認識され、無害と判断された場合、そのデータは破棄される。
3. 分類
暗号解読と内容の重要度の自動認識が完了すれば、次はNSA職員による手作業が加わり、情報の分類作業が行われる。この時点でさらに内容が吟味され、不要なデータが破棄される。その内容によって重要度がランク付けされ、いくつかのキーワードによる索引が与えられる。
4. 蓄積
分類された情報が、「エシュロン」のデータベースに登録される。インターネットをデータベースではないと考えた場合、「『エシュロン』は、世界最大規模のデータベースである」という意見も多い。
5. 提供
ネットワークを通じて、世界中に点在する「エシュロン」のターミナルから、「エシュロン」のデータベースへアクセスすることができる。提供される情報は、閲覧者の保安レベルや国別・部署別にカテゴリ化されており、重層的なセキュリティ対策が講じられていると考えられる。
「エシュロン」と日本
日本のジャーナリスト池上彰によれば、日本にも「エシュロン」の傍受施設が存在しており、その施設は青森県の三沢基地に置かれているという。その施設内では、約1000人程度のNSA要員が作業を行っていると考えられている。
日本政府もその監視の対象とされており、無線、携帯電話、インターネット回線など、様々な日本国内の通信が傍受され、そのデータはニュージーランドの通信所に送られて「エシュロン」に蓄積されていると考えられている。
2001年には朝日新聞が日本を含む、アジア・オセアニア地域に置かれた傍受施設の存在を報道している。また2004年には雑誌「週刊ポスト」が日米首脳会談において、当時内閣総理大臣だった小泉純一郎が、日本の「エシュロン」への参加を打診され、アメリカ政府がイラク戦争での多国籍軍参加の見返りに「エシュロン」への参加を許可したという報道がなされたが、その真偽の程は定かではない。
「地球温暖化捏造説」政府による、でっち上げ?
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1980年代後半から本格的な調査が開始され、その存在が次第に明らかとなったという、大きな気候変動「地球温暖化」。それは地球表面の平均温度が長期的に上昇する現象のことであり、その原因としては主に温室効果ガスの増加という、人為的な問題によるものだと考えられている。しかし、この地球温暖化については、「実際には、地球温暖化は起きておらず、各国政府が環境ビジネスのために捏造しているのではないか」という陰謀論が囁かれている。
地球温暖化とは?
「地球温暖化」とは、地球の表面を覆っている大気や海の平均温度が、長期的に上昇し続ける現象のことである。この地球温暖化が進んだ場合、洪水やハリケーンなどの異常気象が増加し、地球全体の生態系が大きく破壊され、農業・漁業にも影響が出るため、食料問題が深刻化するものと予測されている。この現象は、単純に「温暖化」とも呼ばれている。
1970年代、アメリカ合衆国において「地球寒冷化」という説が浮上した際、長期的に見れば逆に地球は温暖化しているということが判明したため、「地球温暖化」という言葉が生まれ、その大きな気候変動の存在が明らかとなった。
1988年11月、地球温暖化についての科学的な研究・調査を行っている組織「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」が、国際連合環境計画(UNEP)と世界気象機関(WMO)の共同で設立され、その後の研究・調査により、その気候変動の原因としては、二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスの増加という、人為的な問題による可能性が濃厚となった。
1997年12月11日、温室効果ガスの人為的な排出量を削減することを目的として「京都議定書」が議決され、その後の2005年2月16日に発効されることになった。しかし、この議定書については温室効果ガスの主要排出国であるアメリカ合衆国が受け入れを拒否しており、また地球温暖化の被害を最小限に抑えるには、削減目標の数値を一桁多くする必要があるにも関わらず、目標達成の目処が立たない国が多く存在しているというのが現状となっている。
地球温暖化の疑問点
地球温暖化については、世界中の科学者から多くの疑問点が挙げられており、「実際には、地球温暖化は起きておらず、各国政府が環境ビジネスのために捏造しているのではないか」という陰謀論が囁かれている。その疑問点とは、主に下記のようなものである。
2005年から2007年にかけての世界各国の平均気温に大きな変化が見られないため、2005年頃の時点で地球温暖化は終わっているのではないか
2009年から2010年にかけては世界各国の冬の平均気温が低下しており、地球温暖化は停止状態なのではないか
1998年以降では世界各国の平均気温の上昇が停滞しており、逆に太陽活動の低下が確認されているため、これからの地球は寒冷化していくのではないか
人為的な問題による影響は極僅かなものであり、人間活動に関係のない自然要因による影響が大きいのではないか
過去にあった紀元前5000年から紀元前3000年にかけての地球全体の温暖期「完新世の気候最温暖期」、10世紀から14世紀にかけてのヨーロッパ地方の温暖期「中世の温暖期」などのように、地球は長期的に何度も温暖化を繰り返しているだけなのではないか
地球から放出された温室効果ガスは、その約95%ほどが宇宙空間にすでに吸収されているため、そのような大きな気候変動が起きるとは考え難いのではないか
火山活動、落ち葉の腐敗、人間以外の生物の呼吸などによる二酸化炭素の排出量の方が、人為的な二酸化炭素の排出量を大きく上回っているのではないか
短期的に見れば、平均気温の上昇より二酸化炭素の排出量の上昇の方が約1年ほど遅れているため、温室効果ガスの増加によって気温上昇が生じているのではなく、気温上昇の結果、温室効果ガスが増加しただけなのではないか
南極と北極の氷が溶けることによって海面が上昇するとされているが、アメリカ航空宇宙局(NASA)による調査において、北極では氷が減少しているのに対し、南極では氷が増加していることが判明しており、海面上昇の原因は地球温暖化とは無関係なのではないか
現在の科学力では、一週間先の気象状態すら正確に予測できないにも関わらず、数十年から数百年先の気象状態を予測するというのは無理なのではないか
その真相とは?
2007年3月8日、イギリスの公共テレビ局「チャンネル4」において、プロデューサーのマーティン・ダーキンによって製作されたドキュメンタリー映画「地球温暖化詐欺」が放送された。この映画では、地球温暖化の原因が人為的な問題であるということに懐疑的な科学者や経済学者、政治家などが多数出演しており、地球温暖化に対して「近代の中で、最も大きな詐欺である」と異論を唱え、大きな論争を巻き起こした。
その後の2009年11月17日、同じくイギリスにあるイースト・アングリア大学の気候研究ユニット(CRU)の所有するサーバが何者かによってハッキングされ、地球温暖化に関する約1,000通以上のメールと約3,000以上の文書がインターネット上で公開されるという、「気候研究ユニット・メール流出事件」が起きた。
この事件で流出したメールの中には、データの意図的な操作や隠蔽などの事実を疑わせるような言葉の表現がいくつか確認されており、地球温暖化の捏造を裏付ける証拠が見つかったとして、イギリス国内を中心に大きく報道されることになった。
しかし、もともとIPCCは地球温暖化の原因に対して、「完全に100%、人為的な問題によるものである」と名言した事実はこれまでになく、2007年2月から2007年10月にかけて、IPCCによって発行された報告書「IPCC第4次評価報告書」によれば、その人為的な問題による可能性は約90%ほどだとしている。この報告書は現在のところ、最も多くの学術的な見解を集約した報告書だとされており、地球温暖化の原因について議論が行われる場合、この報告書が用いられることが多い。
現在では、世界中の科学者から挙げられた多くの疑問点について、ほぼ全ての問題が「人為的な問題によるもの」として科学的に証明されており、また地球温暖化の存在そのものを否定するのに十分なデータはこれまでに一つも確認されておらず、現在では地球温暖化に対して懐疑的な考えを持っている著名な科学者は、ほとんど存在しない状態となっている。しかし、いくつか未解決とされている問題が存在することも、また事実であり、さらなる研究・調査が期待されている。
またドキュメンタリー映画「地球温暖化詐欺」では、後に製作スタッフが多くのデータを誤用・捏造していた事実が発覚しており、実際に出演者の中からも映画の中での取り扱い方に対して「故意に印象を操作している」という批判が多く寄せられる事態となった。その後、この映画は多くの科学者や評論家ジャーナリストなどから、「この映画こそが、詐欺である」という評価を受けている。
「気候研究ユニット・メール流出事件」において、その流失したとされる大量のメールと文書については、その後の公的機関による調査の結果、不正の事実は全く発見されておらず、捏造疑惑については一部の懐疑的な考えを持つ人々の偏見から生まれた、ただの誤解であるということが判明した。また後に物理学者リチャード・A・ミュラーによって行われたデータの再分析の結果、彼のデータはCRUのデータと完全に合致している。
そのため、現状では「地球温暖化は確実に進行しており、その原因は人為的な問題によるものだと考えられるが、それは完全に100%だとは断言できない」というのが確かな結論となっている。
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「ロサンゼルス空襲事件」大量のUFO?!
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「ロサンゼルス空襲事件」とは、1942年2月25日にアメリカ合衆国のカリフォルニア州にある都市ロサンゼルスにて、アメリカ陸軍が上空を飛び交う大量の未確認飛行物体に対し、大規模な対空砲火を行ったという事件のことである。当時は第二次世界大戦の真っ只中であり、アメリカ軍は約3ヶ月前の1941年12月8日に日本海軍から真珠湾攻撃を受けていたため、その未確認飛行物体の正体を日本海軍の艦載機などと誤認して攻撃を行ったものと見られている。実際には第二次世界大戦後に明らかとなった記録によれば、当時、日本海軍が都市ロサンゼルスを攻撃したという事実などは一切見つかっておらず、その未確認飛行物体の正体は未だにわかっていない。
この事件の詳細
1942年2月25日の午前1時44分頃、アメリカ合衆国のカリフォルニア州にある都市ロサンゼルスに設置されていたアメリカ陸軍の防空レーダーが、西方約190キロの地点にて大量の未確認飛行物体の存在を感知した。この時、未確認飛行物体の数は合計で25機と報告されており、直ちに空襲警報が発令されたため、真夜中の都市ロサンゼルスには大音量のサイレンが鳴り響いた。
当時、アメリカ陸軍は約3ヶ月前の1941年12月8日に日本海軍から真珠湾攻撃を受けており、また2日前の1942年2月23日には日本海軍の伊号第十七潜水艦によってアメリカ本土にも攻撃を受けていたため、その未確認飛行物体の正体を日本海軍の艦載機だと推測した。この時、その飛行物体の姿は多くのロサンゼルス市民によって実際に目視されている。
同日の午前4時頃までにかけて、アメリカ陸軍は都市ロサンゼルスにて、サーチライトに照らし出されながら上空を飛び交う大量の飛行物体に対し、大規模な対空砲火を行っている。この時、約1,400発もの高射砲が発射されたものと推測されているが、その飛行物体には一発も命中することはなかったという。またアメリカ陸軍のP-40戦闘機が迎撃を試みているが、全て失敗に終わっている。その後、その飛行物体はサンタモニカとロングビーチを結ぶ地点で、防空レーダーから完全に姿を消したのだという。
このアメリカ陸軍による大規模な対空砲火の様子は、CBS放送などのラジオ放送局にてアメリカ全土へと中継されており、アメリカ国内は大きなパニック状態へと陥ることになった。また都市ロサンゼルスは飛行物体からの攻撃などは受けなかったものの、対空砲火による破片が落下したことにより、3人のロサンゼルス市民が死亡しており、同じくショック性の心臓麻痺によって3人が死亡している。
この「ロサンゼルス空襲事件」における、アメリカ陸軍が行った大規模な対空砲火については、アメリカ陸軍と海軍の間で立場や意見などが対立している。
事件当日である1942年2月25日の午後、第46代アメリカ合衆国海軍長官のフランク・ノックスは、「日本海軍の艦載機などと思われるような飛行物体が飛来したという事実は存在しておらず、それらはアメリカ陸軍による単なる誤報であり、実際には日本海軍からの攻撃などは一切確認されていない」という発表を行った。
その翌日である1942年2月26日、第45代アメリカ合衆国陸軍長官のヘンリー・スティムソンは会見を行い、「アメリカ陸軍では都市ロサンゼルスの上空にて約1時間ほどにわたり、合計で15機もの航空機が飛来していたことを確認している」と反論している。
その後、第二次世界大戦後に施行された情報公開法により、第15代アメリカ陸軍参謀総長のジョージ・マーシャルが、当時のフランクリン・ルーズベルト大統領へと宛てた報告書が見つかっている。その報告書によれば、「合計で15機もの航空機が飛来したことが確認されていたものの、空襲などの攻撃を受けることはなかった。そのため、これらの航空機はあくまで偵察機の一種であり、こちらの対空砲の位置などを把握するための目的で飛来した可能性が高いものと推測される」という形で一連の事件がまとめられていた。
その真相とは?
この「ロサンゼルス空襲事件」に関して、第二次世界大戦後に明らかとなった記録によれば、当時日本海軍が都市ロサンゼルスを攻撃したという事実などは一切見つかっていない。そのため、世界各国のUFO研究家の中には、この事件における未確認飛行物体の正体を「宇宙人によるUFOなのではないか」と考える者も多い。
現在、もっとも現実的な説としては、「アメリカ陸軍が気象観測を目的として飛ばしていた『気球』を、自らが誤認し、攻撃を行っていただけなのではないか」というものが挙げられている。これは事件当日の1942年2月25日にアメリカ陸軍が都市サンタモニカにて、気象観測を目的をとした気球を飛ばしていたことが判明しているためである。
その未確認飛行物体の正体が気球だとした場合、アメリカ陸軍は自らが飛ばした気球を誤認して攻撃を行い、結果的には6人のロサンゼルス市民を死亡させるという大きな失態を犯していたことになる。そのため、この事件における未確認飛行物体の正体を「日本海軍による航空機」とする主張をアメリカ陸軍が最後まで曲げない姿勢を取っていたことにも説明がつく。
しかし、結果的にはアメリカ陸軍の姿勢が何か重大な秘密を隠蔽しているかのように見えるため、この「ロサンゼルス空襲事件」は、現在でもUFOが起こした事件の一つとして紹介されることが多いというのが現状である。
「ロサンゼルス空襲事件」大量のUFO?!
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「ロサンゼルス空襲事件」とは、1942年2月25日にアメリカ合衆国のカリフォルニア州にある都市ロサンゼルスにて、アメリカ陸軍が上空を飛び交う大量の未確認飛行物体に対し、大規模な対空砲火を行ったという事件のことである。当時は第二次世界大戦の真っ只中であり、アメリカ軍は約3ヶ月前の1941年12月8日に日本海軍から真珠湾攻撃を受けていたため、その未確認飛行物体の正体を日本海軍の艦載機などと誤認して攻撃を行ったものと見られている。実際には第二次世界大戦後に明らかとなった記録によれば、当時、日本海軍が都市ロサンゼルスを攻撃したという事実などは一切見つかっておらず、その未確認飛行物体の正体は未だにわかっていない。
この事件の詳細
1942年2月25日の午前1時44分頃、アメリカ合衆国のカリフォルニア州にある都市ロサンゼルスに設置されていたアメリカ陸軍の防空レーダーが、西方約190キロの地点にて大量の未確認飛行物体の存在を感知した。この時、未確認飛行物体の数は合計で25機と報告されており、直ちに空襲警報が発令されたため、真夜中の都市ロサンゼルスには大音量のサイレンが鳴り響いた。
当時、アメリカ陸軍は約3ヶ月前の1941年12月8日に日本海軍から真珠湾攻撃を受けており、また2日前の1942年2月23日には日本海軍の伊号第十七潜水艦によってアメリカ本土にも攻撃を受けていたため、その未確認飛行物体の正体を日本海軍の艦載機だと推測した。この時、その飛行物体の姿は多くのロサンゼルス市民によって実際に目視されている。
同日の午前4時頃までにかけて、アメリカ陸軍は都市ロサンゼルスにて、サーチライトに照らし出されながら上空を飛び交う大量の飛行物体に対し、大規模な対空砲火を行っている。この時、約1,400発もの高射砲が発射されたものと推測されているが、その飛行物体には一発も命中することはなかったという。またアメリカ陸軍のP-40戦闘機が迎撃を試みているが、全て失敗に終わっている。その後、その飛行物体はサンタモニカとロングビーチを結ぶ地点で、防空レーダーから完全に姿を消したのだという。
このアメリカ陸軍による大規模な対空砲火の様子は、CBS放送などのラジオ放送局にてアメリカ全土へと中継されており、アメリカ国内は大きなパニック状態へと陥ることになった。また都市ロサンゼルスは飛行物体からの攻撃などは受けなかったものの、対空砲火による破片が落下したことにより、3人のロサンゼルス市民が死亡しており、同じくショック性の心臓麻痺によって3人が死亡している。
この「ロサンゼルス空襲事件」における、アメリカ陸軍が行った大規模な対空砲火については、アメリカ陸軍と海軍の間で立場や意見などが対立している。
事件当日である1942年2月25日の午後、第46代アメリカ合衆国海軍長官のフランク・ノックスは、「日本海軍の艦載機などと思われるような飛行物体が飛来したという事実は存在しておらず、それらはアメリカ陸軍による単なる誤報であり、実際には日本海軍からの攻撃などは一切確認されていない」という発表を行った。
その翌日である1942年2月26日、第45代アメリカ合衆国陸軍長官のヘンリー・スティムソンは会見を行い、「アメリカ陸軍では都市ロサンゼルスの上空にて約1時間ほどにわたり、合計で15機もの航空機が飛来していたことを確認している」と反論している。
その後、第二次世界大戦後に施行された情報公開法により、第15代アメリカ陸軍参謀総長のジョージ・マーシャルが、当時のフランクリン・ルーズベルト大統領へと宛てた報告書が見つかっている。その報告書によれば、「合計で15機もの航空機が飛来したことが確認されていたものの、空襲などの攻撃を受けることはなかった。そのため、これらの航空機はあくまで偵察機の一種であり、こちらの対空砲の位置などを把握するための目的で飛来した可能性が高いものと推測される」という形で一連の事件がまとめられていた。
その真相とは?
この「ロサンゼルス空襲事件」に関して、第二次世界大戦後に明らかとなった記録によれば、当時日本海軍が都市ロサンゼルスを攻撃したという事実などは一切見つかっていない。そのため、世界各国のUFO研究家の中には、この事件における未確認飛行物体の正体を「宇宙人によるUFOなのではないか」と考える者も多い。
現在、もっとも現実的な説としては、「アメリカ陸軍が気象観測を目的として飛ばしていた『気球』を、自らが誤認し、攻撃を行っていただけなのではないか」というものが挙げられている。これは事件当日の1942年2月25日にアメリカ陸軍が都市サンタモニカにて、気象観測を目的をとした気球を飛ばしていたことが判明しているためである。
その未確認飛行物体の正体が気球だとした場合、アメリカ陸軍は自らが飛ばした気球を誤認して攻撃を行い、結果的には6人のロサンゼルス市民を死亡させるという大きな失態を犯していたことになる。そのため、この事件における未確認飛行物体の正体を「日本海軍による航空機」とする主張をアメリカ陸軍が最後まで曲げない姿勢を取っていたことにも説明がつく。
しかし、結果的にはアメリカ陸軍の姿勢が何か重大な秘密を隠蔽しているかのように見えるため、この「ロサンゼルス空襲事件」は、現在でもUFOが起こした事件の一つとして紹介されることが多いというのが現状である。
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この事件の詳細
1942年2月25日の午前1時44分頃、アメリカ合衆国のカリフォルニア州にある都市ロサンゼルスに設置されていたアメリカ陸軍の防空レーダーが、西方約190キロの地点にて大量の未確認飛行物体の存在を感知した。この時、未確認飛行物体の数は合計で25機と報告されており、直ちに空襲警報が発令されたため、真夜中の都市ロサンゼルスには大音量のサイレンが鳴り響いた。
当時、アメリカ陸軍は約3ヶ月前の1941年12月8日に日本海軍から真珠湾攻撃を受けており、また2日前の1942年2月23日には日本海軍の伊号第十七潜水艦によってアメリカ本土にも攻撃を受けていたため、その未確認飛行物体の正体を日本海軍の艦載機だと推測した。この時、その飛行物体の姿は多くのロサンゼルス市民によって実際に目視されている。
同日の午前4時頃までにかけて、アメリカ陸軍は都市ロサンゼルスにて、サーチライトに照らし出されながら上空を飛び交う大量の飛行物体に対し、大規模な対空砲火を行っている。この時、約1,400発もの高射砲が発射されたものと推測されているが、その飛行物体には一発も命中することはなかったという。またアメリカ陸軍のP-40戦闘機が迎撃を試みているが、全て失敗に終わっている。その後、その飛行物体はサンタモニカとロングビーチを結ぶ地点で、防空レーダーから完全に姿を消したのだという。
このアメリカ陸軍による大規模な対空砲火の様子は、CBS放送などのラジオ放送局にてアメリカ全土へと中継されており、アメリカ国内は大きなパニック状態へと陥ることになった。また都市ロサンゼルスは飛行物体からの攻撃などは受けなかったものの、対空砲火による破片が落下したことにより、3人のロサンゼルス市民が死亡しており、同じくショック性の心臓麻痺によって3人が死亡している。
この「ロサンゼルス空襲事件」における、アメリカ陸軍が行った大規模な対空砲火については、アメリカ陸軍と海軍の間で立場や意見などが対立している。
事件当日である1942年2月25日の午後、第46代アメリカ合衆国海軍長官のフランク・ノックスは、「日本海軍の艦載機などと思われるような飛行物体が飛来したという事実は存在しておらず、それらはアメリカ陸軍による単なる誤報であり、実際には日本海軍からの攻撃などは一切確認されていない」という発表を行った。
その翌日である1942年2月26日、第45代アメリカ合衆国陸軍長官のヘンリー・スティムソンは会見を行い、「アメリカ陸軍では都市ロサンゼルスの上空にて約1時間ほどにわたり、合計で15機もの航空機が飛来していたことを確認している」と反論している。
その後、第二次世界大戦後に施行された情報公開法により、第15代アメリカ陸軍参謀総長のジョージ・マーシャルが、当時のフランクリン・ルーズベルト大統領へと宛てた報告書が見つかっている。その報告書によれば、「合計で15機もの航空機が飛来したことが確認されていたものの、空襲などの攻撃を受けることはなかった。そのため、これらの航空機はあくまで偵察機の一種であり、こちらの対空砲の位置などを把握するための目的で飛来した可能性が高いものと推測される」という形で一連の事件がまとめられていた。
その真相とは?
この「ロサンゼルス空襲事件」に関して、第二次世界大戦後に明らかとなった記録によれば、当時日本海軍が都市ロサンゼルスを攻撃したという事実などは一切見つかっていない。そのため、世界各国のUFO研究家の中には、この事件における未確認飛行物体の正体を「宇宙人によるUFOなのではないか」と考える者も多い。
現在、もっとも現実的な説としては、「アメリカ陸軍が気象観測を目的として飛ばしていた『気球』を、自らが誤認し、攻撃を行っていただけなのではないか」というものが挙げられている。これは事件当日の1942年2月25日にアメリカ陸軍が都市サンタモニカにて、気象観測を目的をとした気球を飛ばしていたことが判明しているためである。
その未確認飛行物体の正体が気球だとした場合、アメリカ陸軍は自らが飛ばした気球を誤認して攻撃を行い、結果的には6人のロサンゼルス市民を死亡させるという大きな失態を犯していたことになる。そのため、この事件における未確認飛行物体の正体を「日本海軍による航空機」とする主張をアメリカ陸軍が最後まで曲げない姿勢を取っていたことにも説明がつく。
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恐ろしい味の素の原料
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1909年から、日本の食品企業「味の素株式会社」によって製造・販売されている、日本を代表するうま味調味料「味の素」。その主成分は、現在の東京大学の教授を務めていた池田菊苗によって、1908年に発見された「グルタミン酸ナトリウム」であり、この物質は「日本の十大発明」の一つに数えられている。しかし、この味の素の原料については、1980年代頃から一つの不気味な都市伝説が人々の間で囁かれている。その内容とは、「その原料は人間の髪の毛であり、味の素株式会社は主にインドを中心として、海外の国々から大量の毛髪を輸入している」というものである。
味の素の原料にまつわる都市伝説
この「味の素の原料」にまつわる都市伝説の内容とは、下記の通りである。
1980年代頃、日本の神奈川県にある横浜港において、インドから一隻の貨物船が入港した。その貨物船の乗組員の一人に身元が不明な者がいたため、入国管理局の職員がその貨物船に積まれた大量のコンテナの一つを調べることになった。
その結果、コンテナの中にはインド人の女性のものと思われる、大量の毛髪が詰め込まれていたのだ。驚いた職員がそのコンテナの輸送先を調べてみると、それは味の素株式会社が所有する、「味の素」の製造工場の一つだった。
この奇妙な事件の存在が人々の間に広まると、いつしか人々の間では、「実は味の素の原料は、人間の髪の毛なのではないか」という噂が囁かれるようになったのだという。
その真相とは?
まず、人間の髪の毛からアミノ酸を抽出し、それを原料として調味料を製造すること自体は可能である。実際に代用醤油の一つとして「人毛醤油」というものがあり、その製造方法とは、毛髪を10%の塩酸の中に入れて24時間ほど煮た後、ろ過してから苛性ソーダで中和させるというものである。2004年頃、中国では「人毛醤油には、発がん性物質が含まれている」という理由などにより、中国政府から生産禁止命令が出されているが、現在でも中国国内では人毛醤油が密造されており、低級醤油として取り引きされているものと見られている。
しかし、この都市伝説として囁かれているような、味の素株式会社がインドなどの海外の国々から大量の毛髪を輸入しているという事実は存在しておらず、そのような事件も現在までに確認されていない。「味の素」については、その製造方法の詳細は企業秘密とされているものの、原料自体は一般的に公表されており、現在では、主に「サトウキビ」を原料としているのだという。しかし、1970年代までは石油由来の原料「アクリロニトリル」を用いていた時期があり、「石油」という食品とはかけ離れた言葉から、安全性を危惧する者がいたが、実際には人体には無害なものだったと考えられている。
これらのことから、この都市伝説は「人間の髪の毛から調味料を製造することが可能である」という事実と、「味の素は人体にとって危険なものである」という誤った認識から生まれた、事実無根の創作話だと考えられる。
ちなみに「味の素は消費量を増やし、売上を増加させるために容器のフタの穴を大きくした」という、発想の転換の重要性を日本全国へと広めることになった有名なエピソードは、本当は誤りなのだという。実際は、消費者から寄せられた「味噌汁に振りかける時、湿気で穴が詰まって困る」という苦情の対処のためであり、結果的に売上が増加しただけなのだと公式にコメントしている。
【ヴァージニア・ウルフ】世界でもっとも美しい遺書。
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1941年3月28日、イギリスのイングランド中部を流れるウーズ川にて、一人の女性が入水自殺した。その女性の名は「ヴァージニア・ウルフ」という。彼女はイギリスを代表する女性作家の一人であり、長年の間、重度の神経衰弱に苦しめられていた。その遺体は同年の4月18日まで発見されることはなかったが、彼女の書斎には夫のレナード・ウルフへと宛てた遺書が残されていた。後にレナードがその遺書を世間に公表すると、イギリス国内の市民は悲しみに暮れるとともに、その美しい文章には世界各国から彼女の死を惜しむ声が数多く寄せられることとなった。今回は、そんな「世界でもっとも美しい遺書」として紹介されることもある、このヴァージニア・ウルフの遺書を紹介する。
ヴァージニア・ウルフの生涯
1882年1月25日、ヴァージニア・ウルフはイギリスの首都ロンドンにて、父のレズリー・スティーヴンと母のジュリア・プリンセップ・スティーヴンの間にアデリーン・ヴァージニア・スティーヴンとして生まれた。父のレズリーは著名な文学史家であり、母のジュリアはとても美しく、多くの芸術作品のモデルを務めるほどの美貌を持っていた。
ウルフの両親はともに再婚者であり、父のレズリーには前妻との間にローラという子供がおり、母のジュリアには前夫との間にジョージ、ステラ、ジェラルドという三人の子供がいた。また父のレズリーと母のジュリアの間にはウルフ以外にも、ヴァネッサ、トビー、エイドリアンの三人の子供がおり、スティーヴン家はちょっとした大家族だった。
父のレズリーが著作家であり、また一家には客人としてイギリス国内の数多くの著名な作家が訪問してくるということもあり、ウルフは幼い頃からヴィクトリア朝文学の影響を強く受けて育った。またスティーヴン家の書斎には膨大な量の書物があり、彼女はそれらの書物から古典文学について多くのことを学んだという。
1895年、ウルフが13歳の時に母のジュリアが48歳という若さで急死し、その二年後の1897年に義姉のステラが亡くなったことにより、彼女は神経衰弱を発症した。そんな状態の中、1897年から1901年にかけて、ウルフは首都ロンドンにあるキングス・カレッジ・ロンドンにてギリシャ語・ラテン語・ドイツ語を学び、いくつかの科目においては学位レベルまで修めている。
1904年、父のレズリーが72歳で死去した際、ウルフは深刻な虚脱状態に陥り、一時的に入院治療を行った。その後もウルフは周期的に繰り返す神経衰弱とうつ状態に苦しめられることになり、彼女の社交生活には少なからず影響を及ぼすこととなった。
この頃、実姉のヴァネッサと実弟のエイドリアンは首都ロンドンのハイド・パーク・コーナーにある家を売却し、ブルームズベリーのゴードンスクエアに新しく家を購入した。ここでウルフは「ブルームズベリー・グループ」と呼ばれる、イギリス国内の著名な芸術家による集まりのメンバーと交流することになった。
1912年、ウルフはブルームズベリー・グループのメンバーの一人であり、作家のレナード・ウルフという男性と結婚した。二人は決して裕福ではなかったが、ともに強い絆で結ばれており、「ホガース・プレス」という小さな出版社を経営して生活をしていた。
1915年、ウルフは儀兄のジェラルドが経営する出版社から、処女作の「船出」という小説を発表した。その後、彼女は数多くの小説や評論を、自らが経営するホガース・プレスから精力的に発表し続け、イギリス国内の市民や批評家から高い評価を受けることになった。
死と遺書
1941年に発表されることになる「幕間」の原稿を完成させた後、ウルフは深刻な躁うつ病の状態へと陥った。そして、第二次世界大戦によって自宅が破壊されたことや、友人の画家であるロジャー・フライの伝記の評判があまり良くなかったことなどにより、その症状が深刻なものとなり、彼女は文筆活動を続けることができなくなっていった。
1941年3月28日、ウルフはコートを着込み、そのポケットに小さな石を詰め込んで自宅の近くを流れるウーズ川にて入水自殺した。彼女の遺体が発見されたのは、同年の4月18日のことである。その後、夫のレナードは彼女を火葬し、その遺骨を自宅の庭にある楡の木の下に埋葬したという。
この時、ウルフの書斎には、夫のレナードへと宛てた遺書が残されていた。その遺書の内容とは、下記の通りである。
最愛のあなた
また自分の頭がおかしくなっていくのがわかります。私たちはあのひどい時期を、もう二度と乗り切ることはできないでしょう。それに今度は治りそうにもありません。声が聞こえるようになって集中できないのです。だから、私は最善と思うことをします。
あなたは私をこれ以上ないほど幸せにしてくれました。あなたは誰にも代えがたい人でした。二人の人間が私たちほど幸せになれることはないでしょう。この恐ろしい病気が始まるまでは。
もう戦うことができません。私はあなたの人生を犠牲にしています。私がいなければ、あなたは自分の仕事ができるのですから。あなたはできるはずです。もうこの文章さえきちんと書けません。まともに読むこともできない。
言っておきたいのは、私の人生の幸せは全てあなたのおかげだったということです。あなたは私に対してとても忍耐強く、信じられないほどよくして下さいました。他の人たちもわかっています。もし誰かが私を救ったとしたなら、それはあなたでした。
私にはもう何も残っていませんが、あなたの優しさだけは今も確信しています。これ以上、あなたの人生を無駄にするわけにはいかないのです。今までの私たち以上に幸せな二人は他にはありません。
V(レナードに宛てた書き置き)
後にレナードがその遺書を世間に公表すると、イギリス国内の市民は悲しみに暮れるとともに、その美しい文章には世界各国からウルフの死を惜しむ声が数多く寄せられることとなった。彼女が幼い頃に神経衰弱を発症した原因としては、彼女が近親から性的虐待を受けていた影響が大きいという見方もあるが、はっきりとしたことはわかっていない。
全体を通して、ウルフの小説には「意識の流れ」と呼ばれる、文学上の手法が多く用いられており、これは「登場人物の主観的な思考や感覚の流れを、注釈をつけずに記述していく」というものである。その中でも、彼女が1925年に発表した長編小説「ダロウェイ夫人」は、現在ではモダニズム文学の代表作の一つとして挙げられることが多い。
また2002年10月27日に公開された、スティーブン・ダルドリー監督によるアメリカ合衆国の映画「めぐりあう時間たち」は、このダロウェイ夫人をモチーフとしてヴァージニア・ウルフを中心に三人の女性の生き方を描いた作品となっており、この映画は第75回アカデミー賞にて9部門にノミネートされている。
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