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2013年04月09日
129. ピーター 葉山・イタリアン 「にじいろジーン」
ぐっさんとの待ち合わせは葉山(神奈川県、三浦郡)。ピーターさんが現在住んでいるところです。
ぐっさんと会い、開口一番「やっと来たね!」「仕事しすぎちゃうのん?」
葉山に引っ越す前から、葉山の家のことについてぐっさんに話をしていたそうで、ぐっさんにとっては8年越しの葉山訪問です。
お気に入りのイタリアン
まず2人が向かったのは、ピーターさんお気に入りのイタリアンのお店
「ピッツェリア ヴィヴァヴィータ」。
オススメは
「三浦野菜のバーニャカウダ」1200円
三浦半島の野菜・海産物を使ったサラダです。ピーターさんいわく「地産地消ですよ」
オリジナルのアンチョビソースが絶品だとか。
次に「クアトロフォルマッジ」1550円 窯焼きピザです。手作りの生地の食感とチーズの風味が絶妙です。
葉山での生活
ピーターさんはここ葉山で「海が見える生活をしながら芸能界にいられる幸せ」を噛みしめています。
「西南に海があるのがいい」とアドバイスを受けたピーターさん。「御用邸があるから治安もいい」とかで本当にこの地を気にいってます。
つるの剛士さんや山口達也さん(TOKIO)も引っ越してきているのだとか。高速を使って1時間で東京に行ける地の利です。
散歩の後はピーター邸に向かいます。
枕木の階段を上って玄関に到着。
テラスから海が見渡せます。「気持ちいいなあ」とぐっさん。「海と空がつながっている」
「上地(雄輔)くんとか来ますよ、実家が近いから」
「朝起きて波の音が聞けるなんてすごいですね」
恵まれた生活環境で得たエネルギーを芸能活動に向けるピーターさんでした。
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2013年04月08日
128. 小川洋子 佐野元春・アンネの日記 「サワコの朝」
小川さんは28歳のとき「妊娠カレンダー」で芥川賞受賞。
41歳で発表した「博士の愛した数式」は2006年に映画化され、累計200万部の大ベストセラーになりました。
デビューして25年。ほぼ毎日机に向かう毎日で、「いつも書きかけの小説が頭の中にある」とのことで、「起きてすぐ机に向かって小説が書ける」状態です。
奥様と小説家を見事に両立させています。
「記憶の中で今もきらめく曲」は
「アンジェリーナ」佐野元春
佐野元春さんがデビューしたころは、小川さんが大学進学のため上京したころと一致しています。
小説家を目指し大学生活を送り始めたときに佐野さんの楽曲に出会い、「素晴らしい!天才だ。いつか小説家になってお会いできたらどんなにいいだろう」と思いました。
歌詞「ニューヨークから流れてきた、さびしげなエンジェル。今夜も愛を探して…」という一節に物語的な客観性を感じ「こんなふうに小説を書けばいいのでは」とサジェスチョンをもらいました。
夢は叶います。
小川さんが作家としてデビューして10年、「佐野元春の歌をもとにして連載をしませんか?」というなんとも夢のような企画が持ち込まれました。
アガワさんいわく「好きだという人の弱みにつけ込んで!」確かに。
小川さんは「来た!」と思い、企画が実現。佐野さんとの対談も果たしました。
「私の人生の夢の95%が叶いました」
文学的な環境では無かった
ところでアガワさんのお父さんも小説家です。
小川さんはアガワさんに思うところがあるらしく、「自分が小説家になれるとは思っていなかったので、作家の娘さんというのが羨ましくて…」
小川洋子さんの生家は小説家を生む環境とはほど遠く、読み物といえば「家庭の医学」しかなかったとか。本当ですか?
幼少期の読書は「家庭の医学」で、そこから人体や性的なこと、思春期の心と体等、いろいろなことを学んだそうです。
そういえばドストエフスキーもデビューしてまもなく、政治犯として牢屋で過ごし、読むの許されたのは聖書だけだったとか。それが後年の「カラマーゾフ」などに繋がっていくわけですから、限られた本を精読するのは悪いことではないのでは。
家に本がないので、図書室で本を借り、それを持ちかえって読むのが大きな楽しみでした。
「アンネの日記」では、アンネが架空の人物に話しかける形で心の内側を吐き出しているのを知り、思春期のもやもやを文章に吐露することを学びます。小川文学の出発点です。
小説を書くこと
小川さんにとって小説を書くことは、顕微鏡を覗いているのに近い、とのこと。
「その向こうに宇宙があるんです」
「1から100まで、全部自分が作ったんだ、と思える小説は失敗作だ」とも。
「自分じゃない人が書いたみたいだ…と思える小説を書けたときに幸福を感じる」
作家として円熟の年代を迎え、ますます楽しみな小川洋子さんでした。
2013年04月05日
127. 川原和久 相棒・塗装 「笑っていいとも!」
「相棒」でブレイクした川原さんが俳優を目指すようになったのは高校時代です。誘われて演劇部に入ります。「演劇に携わろうかな、と」
下積み時代
「一番長かったのは塗装屋です」「奥が深いです…。1軒任されたりして…」ほとんどプロじゃないですか!
「素人がやると刷毛の跡が残るんだよね」とタモリさん。
「かれこれ15年くらいやってました…アルバイトではなく仕事ですよね」
「30歳を超えたころから(役者で)食べていけたんですけれどやってました」
大泉の撮影所で水谷豊さん相手に芝居をして、その後やはり大泉の現場で塗装の仕事をしていたとか。
「何やってんだろ?って」
食べるためではなかったんですよね。
「(塗装が)好きで止められなかった」「ちゃんとしたギャラもいただいてたんですが…好きだったんです」
御茶ノ水の「聖橋」も携わったそうです。
塗装仕事の合間にコンビニに行くと「俳優さんじゃないの?」と言われることもあったとか。そりゃあ「相棒」に出てるんですから。
塗装が気になる
「今でも歩いていると塗装に目が行くんです」
塗装をやめたのは「不景気になって(塗装の)仕事が減ったから身を引いたんです」
「声がかかればまた(塗装を)やりたいですね」どれだけ好きやねん!
新婚生活での日曜大工でその腕を発揮されますように!
2013年04月04日
126. 鈴木浩介 瓦そば・西田敏行・青年座・青山学院 「はなまるマーケット」
「今朝のおめざ」は「お多福の瓦そば」 1050円 川棚グランドホテル(山口県下関市)
アツアツの瓦で抹茶入りのおそばを炒め、金糸玉子やレモンをのせ、だしにつけて食べます。
「いい香り」という声が。
「実はこの『おめざ』は15年前から決めていたんです」どういうこと!?
「大学の友人がお多福の息子で、『はなまるに出るときはうちの瓦そばをおめざに使ってくれ』と…。38歳までかかってしまって…」
その友人もスタジオに登場。
「鈴木さんはどういう人ですか?」「すごく物腰の柔らかな、誠実な方です」とコメント。
鈴木さん、思わず「本当の友だちと思えないし!」確かに。
西田敏行に憧れて
その鈴木さんが芸能界に入ったきっかけは子どものころに見たドラマ「池中玄太80キロ」。西田敏行さん主演の人気ドラマです。ドラマを見ては号泣していたそうです。
青山学院大学に入学してしばらくして「まだ西田さんに会えてないな」と思い、劇団「青年座」に電話をします。
「まず研究生になってから…」ということだったので大学を休学し、俳優の道へ。といってもそれまで演劇の経験はゼロです。高校時代は陸上部でひたすら走る毎日でした。
「西田さんの追っかけだったんです」
研究生になるには「300人受けて60人受かるんです」。そのあと2年で2人が選抜され、その中に鈴木さんも!
「どんだけ才能を隠してたんですか!」
「西田さんを追いかける気持ちが300人中1位だったんです」うーん、すごいなあ。
「4月の公演が西田さんの主演で。『屋根の上のバイオリン弾き』を帝劇に見に行って、挨拶したんです」
「『浩ちゃん、メシ食べに行こうや』って言われて…」感激ですよね。
「それで『ぼくを追いかけてきてくれたのはうれしいんだけど、これからは同じ舞台に立つ仲間だからよろしくね』って言われて…」「この人を追いかけてきてよかった、って思いました!」
舞台関係の人って、本当につながりを大事にするなあ、としみじみ思うのでした。
2013年04月03日
125. 及川光博 アジ 「笑っていいとも!」
ノリノリで登場です。
「みんなで呼んでみよう!」「ミッチー!」
元気な及川さんも43歳。
「何か変わったことある?」「声が出るようになりました」
ビールを飲むとき「オー(記述不可能)」サウナに入ると「オー(記述不可能)」
アジの魅力
そしてお酒の話に。
タモリさん「ウィスキーに合うつまみがない」
及川さん「ぼくは日本酒が好きですね」「つまみが好きで飲んでいる感じです」「底知れないと思うのがアジ(鯵)ですね」
「アジフライでハイボール、アジのスペイン風薄漬けと白ワイン、なめろうと栗焼酎」
「栗焼酎とアジのなめろう?」とタモリさん。
「好きすぎて3枚におろしてみたいんです」「寿司を握ってみたいんです」と料理への夢を語りだす及川さん。
「寿司は難しいよ」とタモリさん。「シャリがまとまんないんだよ」
「飲みたくなってきましたね」と及川さん。本当に!
どうしてくれるんですか、昼なのに。