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2013年06月01日
174. 山田 優 ソーキそば・沖縄・ディズニー・鋲が好き 「はなまるマーケット」
「今朝のおめざ」は
「ソーキそば」(650円) そば処玉屋(たまや) (沖縄県南城市)
ソーキとは豚のあばら肉(スペアリブ)ですが、柔らかなソーキと手間ひまかけて作られた豚骨とかつお節のあっさりスープ。そしてこだわりの細麺は相性抜群だとか。この店の人気1メニュー。
「うーん、ほっとする」と優さん。
「おいしいスープですね」という声が。
「朝からソーキそばですか?」
「全然大丈夫です。好きすぎて沖縄に帰ると2,3食は1日に食べるくらい」「ということは全部ソーキそばということですか?」「全然大丈夫です」
1日3食ソーキそば!よっぽど好きなんですね。
「全部お取り寄せできるんですよ」お父さんが送ってくれるらしいのです。
デビューと東京暮らし
優さんは3人姉弟で、下に弟が2人います。弟たちと一緒に元気に遊んだ子ども時代でした。
小学校時代は琉球舞踊を習っていましたが、夢は医者になることだったそうです。どうして?
けがした友だちの傷口に入った砂を丁寧に取ってあげたり、その後きれいに消毒するのが好きで、「お礼を言われるとうれしいし」「医者に向いているかな?」と思ったからだそうです。「中1まで思ってた」
転機は小5のときに訪れます。沖縄アクターズスクールの試験に受かり、興味がダンスに移行していったのです。
「友だちと一緒に受けに行って、私だけ受かった…というか、結局みんな受けるのをやめてしまって…」
東京に出てきたのは高校生のときです。東京にはお父さんが単身赴任をしていて、遊びに行くとディズニーランドに連れて行ってくれたりしました。
お父さんがいるから東京暮らしも平気、と思っていたら、仕事が一段落、優さんと入れ替わりに沖縄に戻ってしまいました。
がっかりした優さん。ストレスを発散したのがお料理です。
「読んでいたのが『オレンジページ』と『レタスクラブ』」
今でも家でのお料理はもちろん、お弁当も自分で作ります。
「愛妻弁当は?」の質問に「たまに作ります」「なんでも『おいしい』って言って食べてくれます」
山田優の生きる場所
普段の生活では「山田優」で過ごしているので、たまに「小栗優さん」と呼ばれるとドキッとするそうです。
お芝居「オセロ」で共演する仲村トオルさんが優さんのことをこう評していました。
「山田優が一番生きる場所がここ(舞台)ではないかと…」「立ち姿が美しかったり、手足が長かったり…ダンスも含めて身のこなしが素晴らしかったり」
その仲村さんが優さんに質問です。「どんなおばあちゃんになりたいですか?」
「孫や子どもたちに囲まれて笑って生きていたい」沖縄にいるお祖母さんは本当にそんなふうに生きておられるとか。
大好きなもの
最後に大好きなものが2点紹介されました。
1つはディズニーのキャラクターの油絵(?)です。ハワイで購入したもので、ミッキーやらリトルマーメイドやら10点ほど飾っているそうです。
夫婦ともにディズニー好きらしいのですが、特に優さんにとってディズニーランドは幼いころお父さんに連れて行ってもらった思い出の場所です。
もう1つは靴です。お気に入りの靴がずらっと並びましたが、よく見ると鋲(びょう)があちこちに。
「鋲が大好きで、蹴られたら痛い系です」
明るくて、穏やかで、かわいらしくて、とても魅力的な山田優さんでした。
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2013年05月31日
173. 梅沢富美男 大家族・ハーブだらけの自宅・妄想カウボーイ・料理 「はなまるマーケット」
「今朝のおめざ」は
「大の里(おおのさと)」(1個170円) (株)佐藤菓子舗(青森県 南津軽郡 藤崎町)
藤崎町発祥のふじりんごを飴色になるまで煮込んだりんごあんを、昔ながらの生地に包み、焼き上げたお菓子です。数々の賞を受賞したお菓子のブランドです。
「和風アップルパイ?」と薬丸さん。「私、甘いのが苦手なんだけれど、私でも食べられるんです」と梅沢さん。
「なぜこれをおめざに?」
「母が青森の藤崎というところの出身なものですから」その縁から「『ふじりんご大使』に任命されて…」
いわゆる観光大使ですね。
女の中に女形が1人
梅沢さんは、現在8人で暮らしていますが、男性は梅沢さん1人です。
女性陣の内訳は、奥様、奥様のお母さん、長女、次女、2人のおばさま、お手伝いさん。大家族ですね。
「気が付いたら女性ばっかりで…」「大奥みたいですね」と突っ込む人も。
「もともと母もおばも芸者さんだった…」「もう毎日いろんな方がいらっしゃって、どんちゃん騒ぎですよ」「3日にあげず飲んでます」「すごいババアたちです」「笑いの絶えない家です」「(男は1人なので)居心地はあまりよくないですね」「芸事には理解があります」「最後は下ネタになって…」
宴会の最後が下ネタということで、お嬢さん2人には評判がよくないようです。
上の娘さんは、現在大学3年生。機械に強く、日本の歴史を始め勉強が好きで、将来の夢は「塾の先生」。
下の娘さんは高2ですが、芸事が好きというのはお父さん譲り?宝塚が好きで、夢は宝塚に入ること。それが無理なら日大の芸術学部に入って「舞踊家を目指したい」。
2人に共通しているのは大の宝塚好き、という点です。
「彼氏は?」と薬丸さんが尋ねると
「それだけは聞きたくない」「『連れてくるな』と言ってある」「顔も見たくない」と、かなり保守的?
「お父さんみたいな人ならいいじゃないですか?」と薬丸さんがいうと、「最低だと思いますよ」ご謙遜…ですよね。
娘さんたちの評価は
さて、お父さんに対する娘さんたちの気持ちは?
Q1「お父さんにちょっと直してもらいたいところは?」
長女「作る料理の量が多すぎる」大勢の劇団員につくることが多く、つい作りすぎちゃうのだとか。
次女「心配症。もう小さい子じゃない」愛情ゆえですよね。
Q2「お父さんみたいな人と結婚したい?」
長女「Yes. やさしい。家族が一番」
次女「Yes. 放任主義だが、いつも見てくれている」
梅沢さん、満面の笑みです。2人からのメッセージは
「最近モテ期みたいですが、ママは浮気を許しても私たちが許しません。いつも『役者は売れるまでは努力で売れてからは体力だ!』なんて言って休みなく働いていますが、もう若くはないので、ゆっくり休んでください…」
感激のメッセージですが、それでも以前のように家族で出かけることがなくなり、「寂しい…」のだとか。
こだわりの自宅
次に梅沢さんのこだわりのご自宅が紹介されました。リビング・ダイニングがなんと40畳!「家族で一番話の出来る場所だから」そしてテーブルの上には「かつお節削り器」が。「うちの必需品です」
奥様はフィトセラピー(植物療法)の専門学校の校長です。そのために家の中はハーブだらけだとか。
屋上はもともと花見とか宴会用の場所の予定だったのが、ここもハーブ畑になって…。「酒やたばこはやめてくれと」たばこはともかく、『お酒はいいんじゃないですか?』という声があちこちから。
妄想カウボーイ
そして梅沢さんのストレス解消法。それは…
カウボーイになりきって、妄想の中でジョン・ウェインと戦うこと、なのだそうです。
子どものころからカウボーイに憧れがあり、大人になった今でもストレスが溜まってくると、カウボーイのコスチュームに身を包み、健康のための電動イスを馬に見立て、ジョン・ウェインと戦うのです。
妄想にはルールがあり、「最後はジョン・ウェインにやられる」のです。ジョン・ウェインを倒してしまえば、もうそこで終わりなわけですから。
夢中になってジョン・ウェインと戦っている姿を奥様に見られたこともあるのだとか。奥様、呆然?
「芋そうめん」を披露
最後に梅沢さんの手料理がスタジオで披露されました。「芋そうめん」です。
梅沢さんの家庭料理の哲学は「料理は愛情」というものです。子どもたちの苦手な食材を利用して好き嫌いをなくすのが得意だそうです。
うーん、梅沢さんの秘密を見た気がします。ある分野で傑出し続けるためには大変なプレッシャーと戦わないといけないわけですから、それを発散するのが梅沢さんの場合、手料理とカウボーイ…と思うのですが、どうでしょう?
活躍し続けてもらうためには妄想カウボーイを、ご家族は見て見ぬふりをしてくださいますように。
172. 赤木春恵 贈られたソファ・森光子からの手紙 「はなまるマーケット」
現在89歳という赤木さん、司会の薬丸さんとは長いお付き合いです。
というのも薬丸さんのドラマデビュー「2年B組 仙八先生」で赤木さんは校長先生の役をしていたからです。
「あなたは一番目立ってた」と赤木さん。「あなた、変わらないわねえ」「その後、ハワイで会って…」
まだ若かった(幼かった?)薬丸さん、ハワイで赤木さんを見つけると、「校長先生!」と叫んで駆け寄ったそうです。
「今朝のおめざ」は
「幸せたまご」(6個入り 250円) えぐぅ〜マルシェ (東京小平市)
見たところ、普通の卵なのですが、無添加の飼料を使い、自由に運動できる環境で育てた鶏が産んだ卵なのだとか。
「朝食ですね…毎日これなんです」「ご飯の上にスクランブルエッグをかけて、じゃこをかけて、野沢菜をかけて…大好物なんです」
物心ついたころから家にはちりめんじゃこが置いてあったそうです。常備菜?
赤木さんの骨密度は20代だそうで、お医者さんが笑い出すほど立派な骨なのですが、思い当たるのは子どものころからちりめんじゃこを食べ続けたことぐらいなのです。
30万のソファ
それでも年のせいか足が不自由になり、家の中でのお気に入りは白いソファの上。1人用で、ひじ掛けや足台があり、リクライニングにもできます。
この白いソファは、米寿(88歳)を迎えて、大好きだった舞台もいよいよ引退することになったとき、共演していたコロッケさんたちがお金を集めて贈ってくれたものだそうです。
ここで1つハプニングがありました。椅子の入っていたケースの中に納品書(?)が入っていて、そこにしっかり値段が記されてあったのです。
「30万円近かったんです。そんなに高いものを贈ってもらって…『大事にしよう』って」(笑)
ひょっとして贈り物の値打ちを知ってもらうためのコロッケさんたちの作戦?と思ったのは私だけでしょうか?
「渡鬼」への復活〜心友からの手紙
赤木さんは「渡る世間は鬼ばかり」(渡鬼)に15年間出演していましたが、15年目で「いったん休憩」しました。というのも体力の衰えを自覚し、大好きな舞台との両立は難しいと考え、舞台での活躍を選んだのです。その舞台も引退した今、赤木さんが「渡鬼」の「2013 スペシャル」で復活します。
というのも、去年亡くなった「心友」森光子さんから、手紙を送られたことがあったからです。
その手紙の一節…
「石井さん(渡鬼プロデューサー)はあやちゃん(赤木さんの本名)のことを心配しておられます。渡鬼に帰ってほしいと思います。ドラマにあやちゃんがいないことが大きいことなのだと判りました。…なんだか少女のようだなと思いますが、心友というあなたの言葉、一番大切にします。」
心のこもったいい文章ですね。実際の手紙はかなりの分量だったそうです。森光子さんは下積みが長く、ご苦労された分、自分にとって大切な人を思いやる気持ちが強かったようです。
初めての主演
足も不自由になった赤木さんですが、89歳で初めて主演の映画を撮りました。
「ペコロスの母に会いに行く」です。長崎が舞台で認知症の母の役を演じられたのだとか。
引退しようとしても、周りが放っておかず、活躍の場が与えられる…これは仕事をする人間にとって本当に羨ましい、得難いことなのではないでしょうか?幸せそうな赤木さんでした。
2013年05月29日
171. 六平直政 美大出身・ウナギの串焼き・男性エステ 「にじいろジーン」
ぐっさんとの待ち合わせは東京・千代田区・御茶ノ水。
ここには六平さんが美大に入るために通っていた「お茶の水美術学院」があります。「ブラブラしていて、『いいの、いねえかな?』と思って…」
日本一のてんぷら
「行きたいとこあんのよ」「日本一の味をぐっさんに食べさせたい」と六平さんがぐっさんを連れていったのは「山の上ホテル」です。川端康成、三島由紀夫、池波正太郎など、文豪が愛したホテルです。近所に出版社が多いですから、原稿執筆には好都合ですね。
ホテル1階にあるのが
「てんぷらと和食 山の上」
「ぐっさんと極上の天ぷらをたべたい」という六平さん。全国で有名な天ぷら料理人の多くが「山の上」で修業をしたのだとか。
ゴマから抽出し、特別に配合された油で揚げた天ぷらは、香ばしくあっさりした味わい。
高知産の「みょうが」の天ぷらを一口、「上品な味だねえ」と六平さん。
続いて高級魚の「銀宝(ぎんぽ)」を味わって「油っぽくないね」「さっぱりしてて美味しいですねえ」
彫刻から舞台へ
六平さんはお茶の水で勉強した後、武蔵野美術大学の彫刻科に入学します。
「ムサビで彫刻やって、大学院まで行ってたから」「喧嘩してやめて、八王子の小松製作所に入っていろいろ物づくりしながら」
しかし大学の恩師、篠田守男先生に「君は彫刻家として売れるかもしれないけど、面白いから芸能の世界に行ったらどう?」という助言を受けたのです。また大胆な助言を、と思うものの、成功しているわけですから慧眼というべき?
それで「状況劇場」の団員に応募しました。3000人の中から30人が選ばれるのですが、その中に六平さんも入っていました。
状況劇場は唐十郎さんが主宰。麿赤児、根津甚八、小林薫、佐野史郎、渡辺いっけい等々を輩出します。
しかし彫刻をやっていた六平さんは舞台美術に興味を持ち、舞台美術家を目指します。「芝居なんてやったことなかった。演劇部も経験してないし…」
それでも役者としての長い下積み生活を経験することになります。
転機は34歳のとき。ある役者に「34で子どもも生まれて(役者生活に)見切り付けないといけない」と言ったところ「じゃあ、うちにおいでよ」と誘われました。「柄本明さんが誘ってくれたんだ」
行きつけの店〜映画の前に
ぐっさんと次に向かったのは新宿歌舞伎町です。
「さっきの店(天ぷら屋)は一度行きたかった店。この店はいつも行ってる…長男と映画の前に行ってる店なんだ」
「新宿 うな鐵(うなてつ)」六平さん、行きつけの店です。
創業以来50年以上続いた秘伝のタレと備長炭で焼き上げられたうなぎが美味ですが、うなぎの串焼きも有名です。
「串巻き」(1本 280円)うなぎのお腹の部分です。
「くりから」(1本 300円)うなぎの背中の部分です。
うなぎのある部分を串を通して焼く、というのは本当に珍しいですね。
六平さんは二男一女のお父さんです。
子育てで大切にしてきたことは、「仕事は自分のやりたいことをやるのがいい」ということ。「やってみてダメだったらわかる。無理だったら身を引く、うまくいけばそれで食べていけばいい」
憧れの男性エステ
次に2人が向かったのは
渋谷区原宿 「似合わないですね」とぐっさん。
豪華な階段を上ってたどり着いたのは
「メンズラクシア」男性エステの店です。
「一度体験してみたかった」と六平さん。
2人が体験したのは、フェイシャルスペシャルコース。
まずクレンジング。「クリームを付けるだけでも気持ちいいですね」とぐっさん。
次に角質ケア。古い角質を除去。肌の新陳代謝を促進します。
一瞬いびきの声が。ぐっさんがあまりの気持ちの良さに寝てしまったのです。「駐車場の夢見てた…」
そしてウォ―ムマスク。毛穴に詰まった老廃物を取り除きます。
2時間半で25,000円です。
終わった後、お互いをほめ合う2人。
「すっごく若々しくなりましたねえ」「清水焼のようになってツヤツヤだよ」
うーん、微妙な感じです。先週は貫地谷さんとのデートだっただけに…。
2013年05月28日
170. 横山剣 横浜のライブハウス・森光子・山下達郎・歌の基準 「サワコの朝」
幼くして音楽に目覚めましたが、クレイジーケンバンドを結成したのは36歳。もちろんそれまでも音楽業界では活躍していたのですが。
2005年の人気ドラマの主題歌として「タイガー&ドラゴン」が大ヒット。一躍メジャーになりました。42歳のときのことです。
現在、年間のツアーは30本ほどですが「細かいものも入れると」50本ほどのステージをこなしています。
一番大きいところで「中野サンプラザ」、小さなところでは横浜のライブハウス「FRIDAY」。
FRIDAYは横山さんたちにとって「原点に戻れる場所」だそうです。
森光子さんからのチップ
クレイジーケンバンドは一般のファンのみならず、芸能界にもファンが多いことで知られています。
その1人、森光子さんは2002年に、FRIDAYの隣の、楽屋のように使っていた店にひょっこり現れました。
「あんたたち、お金が好きでしょ」確かに「マネー」を連発する歌がありますね。
そういうと、森さんは5万円の入った袋を渡してくれたとか。「メンバーが6人だったので、どう分けようかと…」
記憶の中で今もきらめく曲
横山さんにとっての「記憶の中で今もきらめく曲」は
「マシュ・ケ・ナダ」 セルジオメンデス&ブラジル’66
6歳か7歳のころにどこかで耳にして、「ずっと頭の中に流れていた曲」だったそうです。ボサノバの名曲ですよね。
歌の基準は「こぶし」
横山さんは小5のとき、中古レコード屋台のアルバイトをしていました。マイクをもって、口上を勢いよく語り、ギャグも交えてレコードを売るのですが、そこでカリスマ的になって、よく売れたそうです。サービス精神はその頃から?
そのとき、バイト代の1部として、売れ残ったレコードを大量にもらいました。リヤカーで引っ張って持って帰るほどの量だったとか。
そのレコードの中には、R&Bやら演歌や歌謡曲、民族音楽などなど、様々な曲があって、現在の横山さんの作る音楽の原点となりました。
「好きな歌の基準は何ですか?」「基準は『こぶし』です…こぶしの聞いた歌が好きです…歌の心はこぶしだと思います」
こぶしというと演歌のイメージですが、横山さんは演歌以外にも、たとえば当時人気のあったスパイダースの堺正章さんの歌声の中にも「こぶし」を感じとります。
小学生のころ、横山少年の頭の中にはすでに、様々な音楽が鳴り響いていました。「出さないと気持ち悪い」と感じていたそうです。
「楽譜はダメ」なのですが、学校に置いてあるピアノを触りながら、自分で和音を見つけ、その音に「おじさん」とか「女の子」「猫」とか名前を付けていたそうです。
ブレイクするまで
天才的な少年だったのに、曲のヒットは40代になってからです。どうして?
横山さんは34歳から8年間、会社員をしていました。「会社に勤めて自分のやりたい音楽をやるための資金を作ろう」と考えたのです。「自分の色が決まるまでは、自分が自分のパトロンになろうと…」
横浜は貨物船の往来の多いところです。
横山さんは友人のツテで、輸出する貨物を検査する会社に勤めたのです。
ここでまた音楽的な刺激を受けました。「音楽からー受ける刺激」とは違って「仕事から刺激された音楽」を見つけることができたのです。「仕事で経験したことを音楽に変換して…」
大ヒット曲「タイガー&ドラゴン」は数分でできたそうです。
中古のアメ車を買って、初ドライブに出た時のこと、「一筆書きのように」あの名曲が口をついて出てきたのです。「だから『俺の話を聞け』と言っても何も言ってないんです」
横山さんの歌の魅力に、現実に即した、言わばたくましさがありますが、「死ぬまでは生きる!」という横山さんの哲学から来ているものでしょう。
今、心に響く曲
横山さんにとって「今、心に響く曲」は
「希望という名の光」 山下達郎 2010年
ちょっと意外な気もしますが。
「山下さんの曲って言うと、アッパーな、あるいはメロウな感じがあるんですが、その山下さんがこういう曲も作るんだということで」
曲が流れてすぐに…なんと横山さんの目から落涙…サングラスでよくはわかりませんが、確かに涙が。
「ちょっと来ちゃう?」とアガワさん。「来ちゃった…」と横山さん。
「メロディと声と…信号が出てるんですね」と感激の理由を語る横山さん。「いい音楽をやろうと思いましたね」
私(よしろう)がトーク番組を見ていてゾクッとするのはこういう瞬間です。50を迎えたいいオヤジ(失礼)が山下達郎の音楽を聞いて落涙し、「いい音楽をやろう」と改めて誓う…。少年じゃないですか!
真摯に生きている人は年齢に関係なく、少年・少女なのですね。
恐るべし!横山剣の感受性!