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2013年05月20日
164. 貫地谷しほり ドライブ・逗子のギョーザ・サンマ―メン 「にじいろジーン」
「ぐっさんを連れて行くならこんなトコ!」で待ち合わせをしたのは、神奈川県横須賀市。
貫地谷さんが現れる前にぐっさんは「いいですねえ」と一言。どうやらファンのようです。2年前ドラマで共演しています。
ひょっとしてデート?
「お久しぶりです」とカジュアルな服装の貫地谷さん。「今日は車でドライブがしたくて」「1年前に免許は取ったんですけど、全然運転してなくて…」
いささかひるむぐっさん。
「基本、山口さんに運転してもらいたくて…」と言われ、ほっとした様子です。「ぼくとしてもそのほうが…」
まずはガソリンスタンドに向かいます。憧れのセルフ給油と洗車をするのです。
こわごわ給油する貫地谷さん。無事給油をすませ、お金の支払いも終わりました。「うわあ、すごい!」「できた!」とひとはしゃぎ。
次はワンコイン洗車です。「一度車の中から見てみたかったんです!」
すっかり車がきれいになると(と言っても最初からきれいだったんですけど)、次はドライブスルーに挑戦。
このあたりの運転は貫地谷さんがしています。
ドライブスルーでハンバーグを買うと、ぐっさんの運転で一路逗子へ。
夕日でサザン
突然鮮やかな夕焼けが目に飛び込んできました。海に沈む夕日です。
「サザンオールスターズの雰囲気ですよね」話題はサザンの名曲「栞のテーマ」へ。
「私の名前は『栞のテーマ』から来ているんです」「どなたが?」「母が」「好きで?」「好きで」
このあたりの2人のやり取りは、小津映画の登場人物のようです。
夕日を感じながらぐっさんが「栞のテーマ」を熱唱します。「彼女が髪を指で〜かきあげる〜それがしびれるしぐさ…」 うーん、うまい。桑田の声に似せて…。
やっぱりデート!?
逗子海岸に着くと、2人は海岸に座って話し込みます…やっぱりデートじゃないですか!?
貫地谷さんは14歳のとき、新宿駅のホームでスカウトされます。現在のチーフマネージャーです。
「業界には入ったんですけど、オーディションに受からなくて、仕事は宣材写真の撮影ばかりで…」
それでも「この仕事はやりたい!」と思う映画に出会いました。2004年公開の「SURVIVE STYLE5+」です。
「このオーディションに受からなかったら辞めようと思って」「いつもの倍、倍、倍、倍、頑張って…」2の4乗ですからいつもの16倍頑張ったんですね。
「それからオーディションに受かるようになったんです」
「でも不安もあったので大学にも行って…」「3年で中退しました。逃げ道を絶ちたくて…」
あとの活躍は皆さんご存じのとおりです。「ちりとてちん」ではNHKの朝の顔になりました。
日の暮れた逗子の海岸を後にし、2人は街に向かいます。
逗子のギョーザ
「すごくギョーザが好きで、逗子に来ると必ず行く店があるんです」
その店とは
「日満亭」(にちまんてい)
ギョーザと言えばビールですが、運転をしないといけないぐっさんは飲めません。貫地谷さん、どうするかと思いきや、ためらわずに「ビールください!」
生ビールがぐっさんの前を素通り。「目の前を通りましたね」
ここのギョーザは具が細かいのが特徴だとか。貫地谷さんは必ずビールとともに味わうそうで、ぐっさんのことは気にしていません。ひょっとしてビールを飲みたいがゆえに運転しない?います、そういう人。(私も…)
次に運ばれてきたのが
「五目サンマーメン」(800円)
横浜が発祥地のサンマーメン。あんを絡めたこの店の人気メニューです。
「貫地谷さん、やってみたいことは?」「屋久島に行きたいです」「どうして?」「現実逃避を常にしている感じです」 いいじゃないですか。ストレスをため込まないわけですから。
「合理的に物事が進まないと嫌なんです」と自分の性格を説明。「佐野史郎さんにそういう話をすると『結婚をしろ』って言われて。『生きるのがラクになる』って」
「結婚かあ…」とつぶやくと、「だれでもいいってわけじゃないですもんね」
「今、遠いところを見ましたね」とぐっさん。さすがです。視線の動きを見逃しませんでしたね。
今回は一風変わった「ぐっさんを連れて行くなら…」。新鮮でした。
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2013年05月19日
163. 波乃久里子 中村勘三郎・新歌舞伎座・きれい好き・地下鉄 「はなまるマーケット」
波乃さんと言えば新派の人気女優であるとともに、昨年亡くなった歌舞伎の中村勘三郎さんのお姉さんでもあります。
「亡くなった気がしなくて…」と言っておられましたが、岡江さんのご主人や娘さんも勘三郎のファンで「よくものまねをして」という話を聞くと涙ぐまれました。やはり…ね。
「今朝のおめざ」は
「冷やし白玉しるこ(こしあん)」(788円) 榮太樓雪月花(東京都三越日本橋店)
こだわりのあんを塩で上品な甘さにととのえ、もちもちの白玉を合わせていただきます。
「なぜこれをおめざに?」
榮太樓の会長さんは歌舞伎や新派を贔屓にしていて、その関係もあって波乃さんは若いころから毎日食べていたそうです。
そして三越劇場は日本橋の三越の前にあるので、波乃さんがご出演のときは、劇場に毎日これを届けてくださるのだそうです。(もちろん有料ですが)
姉弟3人の写真
おめざの後、波乃さんが紹介した写真には、ネイティブアメリカンに扮した勘三郎さん、魔女に扮した妹さん、お面をかぶったご自身の、3人が写っています。
「大人になると姉弟一緒に写真を撮らなくなるでしょう」
この写真は3年前に、勘三郎さんがお世話になっている人たちを集めて、レストランを借り切ってハロウィン・パーティーを開いたときに撮ったものだそうです。
100人くらいの人を呼んで盛大に行ったそうですが、波乃さんがただお面をかぶっただけなのが勘三郎さんは不満で、「ずいぶん叱られた」そうです。「人を驚かせる、喜ばせるのが好きだった勘三郎さん、本業とは違う場所でも真剣だったのですね。
親が死んだとき遺言で「姉弟仲良く」とおっしゃたそうですが、そのことを波乃さんが勘三郎さんに言うと「姉弟なんだから仲がいいのは当たり前じゃないか」と言ったとか。
「一番の思い出は?」と聞かれて「いつも覚えているから思い出はない」という波乃さんですが、話しているうちに「思い出」が。
ビデオを見ていて
波乃さんの家と勘三郎さんの家は玄関は別ですが、廊下でつながっていて、そこを開けると行き来できるようになっているそうです。
勘三郎さんは、そのドアを開けて、「姉貴いっしょに見ようよ」とよく深夜にビデオを持ってきたそうです。激しく笑い、また感動する姉弟で、笑ったときにベッドに頭をぶつけたこともあったとか。そして先日、波乃さんが同じビデオを見ていて、ベッドにぶつかったとき、その音で、「ああ、いっしょに見たんだなあ」と思いだして、たまらなくなったそうなのです。音で喚起される記憶ですね。
ヒノキ舞台
新歌舞伎座が建ちあがる前に勘三郎さんは亡くなりましたが、葬儀のとき、新歌舞伎座の建設を請け負っている清水建設の社長が、ヒノキの舞台の一部を切り取って、棺に入れてくれたとか。
「『社長は役者のことをわかっていらっしゃる』と思って、感激して…」
整理整頓魔
そして波乃さんのこだわりも披露されました。
大変なキレイ好き、整理整頓魔なのです。
キッチンの引き出しの中、磨き上げられた鍋が並んでいる写真が出ましたがでましたが、一つの鍋の握りが少し曲がっているのに気付き、激しく動揺されていました。
お部屋もまるでショールームのようです。今田耕司さんといい勝負?
「本当は嫌なんです」「できたら(キレイ好きを)直したいんです」「無駄な人生のような気がして」
好物
そして食べ物のお気に入りが
「クレーム ブリュレ バニラとシナモンの香り」(800円)
「リーガロイヤルホテル東京」(東京都新宿区)の中の「カフェ コルベーユ」
波乃さん、お気に入りの点は「大きい」確かに普通のブリュレの3倍くらいはあります。
そして「海の幸のピラフ コルベーユ風」(2600円 ハーフ1800円)
様々な海の幸が入った大変豪華なピラフです。
「ハーフになさいますか?」と聞かれるんですけれど「トンでもございません!」
ピラフ、ブリュレと、全部食べるようです。
地下鉄に乗って
そして、最近地下鉄デビューをしました。もちろん初めてではなかったのですが、今は毎日のように乗っています。
「迷路のようで楽しい」「すごいですよ」「(駅から上がったら)目の前にグッチ!」「自家用車ですよ」
地下に潜るのは母胎回帰の意味もあるようで、今は地下鉄が波乃さんの心を癒してくれるのかもしれませんね。
昔、「スター千一夜」という毎日15分間放送されるトーク番組があったのですが、あるとき、まだ小学校の低学年だった勘九郎少年とお姉さんの波乃久里子さんが出演されていました。
自分(よしろう)とほとんど年の変わらない少年がテレビでインタビューを受けているのが不思議で、「この子はどうしてテレビに出られるんだろう?」と疑問に思ったのを覚えています。
それから数十年、少年は歌舞伎界を背負って立つ人気役者になり、芸能の世界に大きな足跡を残し、いなくなってしまいました。
あのテレビを見た時から半世紀近く経ったのだなあ、と感慨にふけるよしろうでした。
2013年05月18日
162. 原口あきまさ&ホリ 京都のいなりずし・コロッケ・コージー富田・ものまね芸人あるある 「はなまるマーケット」
原口さんがさんま、ホリさんがキムタクと、おなじみのものまねで始まりました。
「仲がいいですね」と薬丸さん。
「年が一つしか変わらないし、『ものまねクラブ』の先輩・後輩のような関係です」 そうか、クラブ活動なのか。ものまね芸をしている人たちって、ものまね番組をするたびに集まるから、同族意識のようなものができやすいのですかね。良きライバルであり、仲もよいという…。
「今朝のおめざ」は
「いなり寿司」(1個130円) 寿司乙羽 (京都市中京区)
「『笑うしかないおいしさ』だとコロッケさんに言われて食べたんですけど、本当においしくて…」とホリさん。
そして全員で食べたところ、口に入れた人たちから次々と笑いが…。爆笑する人もいて、ちょっと異様な盛り上がりです。
「本当においしいですね」と笑いながら薬丸さん。ああ、食べたい!今度京都に行ったら探してみよう。
遊び仲間
よく遊ぶメンバーは今日出演の2人にコロッケさんやコージー富田さんなど。
「夜中の1時、2時に電話があると、たいていコロッケさんなんです。
コロッケさんは一緒に飲みに行くと、すぐに寝てしまうそうです。そして12時ごろパッと目を覚ますと「カラオケで高い声で歌う大会をしよう」とカラオケ屋に向かうのだとか。「朝の4時にXを歌うんです」
ものまね芸人あるある
ここで「ものまね芸人あるある」が紹介されます。
「他人のものまねは1度自分でやってみる」
人がものまねをしていると、自分もそのものまねをしないではいられない性癖がものまね芸人さんにはあるようです。ものまね番組で、山寺さんが福山さんのものまねをしているとき、自分もその真似をしているのにホリさんが気づき、ふと横を見ると原口さんもそのまねをしていたそうです。
「1度は通る武田鉄矢」
ものまね芸人たちが集まっているカラオケ屋に遅れて原口さんが入った時のこと。全員が武田鉄矢になって「贈る言葉」を歌っていたそうです。ただ、みんなこだわりがあって、「101回目のプロポーズ」の武田さん、「金八先生」の武田さんなど、真似をする部分が違うそうですが。
ところでそれだけ真似されている武田鉄矢さん。前回「はなまる」に登場したとき、だれが一番似ていると思うかと聞かれ、ホリさんと答えたそうで、ホリさんはずいぶんうれしかったそうです。
いやあ、ものまねをする人たちって楽しそうだなあ、と思うのは私だけでしょうか?「私もものまね芸人になりたい」って言っても、無理ですね。田中角栄だけですから、できるのが。「まあね!」…田中角栄調。
2013年05月17日
161. 由紀さおり 童謡コンサート・ピンクマルティーニ・紫綬褒章・パリで喝采・9pヒール 「はなまるマーケット」
1969年に「夜明けのスキャット」でプロの歌手としてデビュー。「手紙」や「恋文」なども大ヒット。吉田拓郎作の「ルームライト」という名曲もありましたね。今年で芸能生活44周年となります。
キラキラの衣装と赤いネイルが華やかですが、「歌謡曲を歌うときは(赤いネイルで)自分に勇気と元気を与えるんです」ということは、こんな大ベテランでも緊張する?
歌謡曲とともに情熱を傾けてきたのはお姉さんの安田祥子さんと一緒に歌う童謡コンサートです。86年に始めて27年間、2500回以上行ってきました。
「後半キツイなと思ってて、お姉ちゃん、もっと大変だったろうな…と。1回止めたんですけど、『ファミリーコンサート』という形でまたやります。」
お2人の童謡のコンサートを楽しみにしている若いパパ・ママや子どもたちがいるでしょうからね。私(よしろう)も若いパパだったとき、お2人の童謡をテレビで録画し、それを子どもたちと何度も見たものです。童謡に漂うしみじみとした情感は幼い子供たちにとって大事なものではないかと思います。
ピンクマルティーニで火がついて
由紀さんと言えば、2011年、アメリカの人気ジャズオーケストラ「PINK MARTINI」とのコラボレーション・アルバム「1969」が世界50カ国以上で発表・配信され、1大ブームを巻き起こしたのも記憶に新しところです。
全米「iTunes ジャズチャート1位」、カナダ「iTunes ワールドミュージックチャート1位」と、北米を制覇しましたね。
由紀さんの歌声は国境・世代を超えて広がりました。
そしてビルボードの選んだ全米1位のウクレレ奏者ジェイク・シマブクロさんから熱烈なオファーを受け、初競演。ジェイクさんはピンク・マルティーニが好きで、「1969」を聴いて共演したくなったそうなのです。
「全米1位同士ですね」と薬丸さん。
「今朝のおめざ」は
「アップルリング」(170円) ココフラン ウィング 新橋店(東京都 港区)
サクサクのパイ生地の中にしっくり煮詰めた半熟リンゴのコンポートが入っています。リング状になったアップルパイという感じですね。
「私は3分の1ずつくらい分けて食べるの」「公演に差し入れすると喜ばれて…」「ちょっと食事の後に甘いものが欲しくて…」
紫綬褒章
44年も歌い続けてきた由紀さんに、2012年、秋の紫綬褒章が贈られました。受章を聞いて、
「長く歌わせていただいて…1つの区切りに…これからも頑張りなさいと、背中を押されたような…」
同時受章者には、ロンドンオリンピックで活躍した選手たちもいたのですが、その中で体操の内村航平選手は彼が有名になる前から知っていたのだとか。共通の知人がいたそうなのです。
パリで喝采
由紀さんはパリでも歌い、大喝采を浴びました。「2800人のホールが2days立ち見で…」
「上品で美しい声」「幸せそうに、そして楽しそうに歌う」 若いパリっ子たちの感想です。
先月はロシアでもコンサートを行いました。「百万本のバラ」や「恋のバカンス」などはロシア語で歌ったとか。3か月間の特訓による賜物です。
9pのヒール
そんな大活躍の由紀さんの、こだわりの品が「9pのヒール」です。
「どうして9pなんですか?8pでも、10pでもなく」と薬丸さん。
「ドレスの時は背を高く見せたくって…9pはドレス丈の関係で…足先が細く見えるので」
履きやすい靴をついに見つけた由紀さん、店に頼み込んでメーカーを教えてもらい、直接電話をかけ、自分用に作ってほしいと交渉。お気に入りのヒールが続々とできているところです。
最後にチャプリンの名曲「スマイル」に日本語の歌詞を載せ、スタジオで披露。
まだまだいろんなチャンスがありそうな由紀さんです。
160. 久保ミツロウ&能町みね子 タモリファン・オールナイトニッポン・相撲・坂道 「笑っていいとも!」
お2人そろって登場なのは、オールナイトニッポンのDJを一緒にしているからなのです。
お花の中に「日本相撲協会」のプレートが。
これは能町さんが「相撲が好きすぎて…親方と仲良くなって」
男性名の女性漫画家と…
久保ミツロウさんは現在37歳の女性漫画家です。男性名にしたのは、「将来エロ漫画を描くかもしれないから、何でも描けるペンネームということで…」
「モテキ」が200万部売り上げて人気漫画家となりました。
もう一人能町みね子さんは34歳。2005年にブログ「オカマだけどOLやってます」で注目を浴び、書籍化され、その後漫画家としてデビューします。
「最初の会社員(のとき)はネクタイをしめて…転職とかいろいろあって…その後3、4年、OLをやって…」
どうやってOLとして就職できたんでしょう?
「履歴書の男女欄に○を付けずに、女性と思われたら(間違えた)向こうが悪いので…」
仲良くなるべきだ!
2人が仲良くなったきっかけは
久保さん「能町さんの本を読んで、『この人とは絶対に仲良くなれる』と一方的に思い込んで、トークショーに行って、サイン会で並んで自分の本を渡して、『この人は絶対私のことを好きになるはず』と確信を持って渡して、それからしばらくして仲良くなって…」
能町さん「『モテキ』のことも知らなかったんですが、『これ絶対わかると思います』って言われて、実際分かったので、『この人は間違いない』って」
久保さん「急に夜中に長電話をしたい気持ちが高まって、お互いに溜まっていたネガティブなものを話し合って、『トークショーをやったほうがよくない?』ってことになって…」
これは運命の出会いというものなのでしょうか。
ところでこの話の間中、能町さんは右目を気にされてます。「コンタクトの加減で涙が止まらなくなって…感激してってわけじゃないんです」(笑)
タモリさんが好き
しかし、「能町さんは私の何百倍もタモリさんのことが好きなんですよ」と久保さん。
能町さん「(一緒に)飲みたいくらいなの…」と熱い視線。
「みね子、話しなよ」と、恋のお手伝いをする中学生のようなノリの久保さん。
能町さん「日本坂道学会は(メンバーを)募集しているのですか?」「私も坂道が大好きで…」
「私が副会長でもう一人会長がいて、2人がOKだったら会員になれるんです」とタモリさん。
「みね子、入りたいって言いなよ」とけしかける久保さん。
女(?)同士の友情はうるわしい、としみじみ感じさせられた「テレフォンショッキング」でした。