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2013年06月25日
199. 土田晃之 家電・ガンダム・サッカー・おニャン子・ベストファーザー賞 「サワコの朝」
ひな壇芸人として揺るぎない地位を保ちながら、家電芸人、ガンダム芸人と様々な顔を持つ土田さんに最近「ベスト・ファーザー賞」という肩書が加わりました。
土田さんは1972年生まれの40歳。三男一女の父親です。
「最初聞いたとき、辞退したいって言った」そうですが、愛する家族のため、芸人として活躍し続ける姿はまさしくベストファーザーだという気がします。
土田さんは19歳で漫才コンビでデビュー。29歳からピン芸人に。
番組を盛り上げる「ひな壇芸人ランキング」で2位の小杉竜一、3位の有吉弘行を抑え、堂々の1位です。
記憶の中で今もきらめく曲
そんな土田さんの「記憶の中で今もきらめく曲」は
「セーラー服を脱がさないで」おニャン子クラブ
いきなりの直球ですね。
伝説の番組「夕焼けニャンニャン」が始まったのは1985年4月で、この月に土田さんは中学に入学。
終了したのが1987年の8月31日で、土田さんが中3、明日から2学期という日だったのです。
「高校受験のために終わってくれたのかなあ」
曲の映像が流れている間、メンバーの名前や会員番号、現在の状況など、テンポよく解説。
「なぜそんなに細かく覚えているの?」
「たぶん余計な勉強しなかったんでしょうね…。歴史とか数学とか入ってないんでしょうけど」
「どんな中学生だったの?」
「お笑いがしたかった…小6の卒業アルバムに、将来の夢はお笑い芸人って書いてて。中学校に入ってから『夕焼けニャンニャン』でとんねるずさん」
「そうか!とんねるずさんは衝撃的でした?」
「衝撃的でした。かっこよかったですね…勉強できないぼくらにもタカさんとかメッセージくれたりとか…『俺らはバカな高校出てるけど、東大出てるやつにも負けねえ』とか…。『おお!お笑いってかっこいいな』って」
ひな壇芸人のルール
ひな壇芸人として、土田さんが座る席はだいたい決まっているそうです。
「後列の一番手前か前列一番奥。周りが見やすくて司会者が近いところ」
「ボケとかツッコミはどうなってるの?」
「司会の方が基本ツッコミなので、ひな壇はすべてボケで構わないんです…司会がアナウンサーのときはなかなかツッコめないので、ぼくらが周りを把握しやすいとこに座らせられて」
司会の分も土田さんがツッコむのですね。
「一番緊張したのは?」
「コンビのころに出た『さんま御殿』でしたね。まだ20代くらいで…。その番組で一言しか喋らなかったですね」
「何を?」
「『(さんまさんが)お前らU-turnは東京やな?』『いえ、埼玉です』という言葉だけです。それで2時間半の収録ぜんぶ終わりました…。その日もう記憶ないです。そのころまだ実家でしたけど、気がついたら自分の部屋でこうしてたんです」とうなだれるポーズ。「明日のジョーの最終回みたいに真っ白になって…」
「『こんな大チャンスを棒に振ってしまった』『もうチャンスはないぞ』と思いました」
「実際に次の『さんま御殿に呼ばれるのは5,6年後でしたから…』
「瞬時の気の利いた言葉が…ボケにしてもツッコミにしても、そこでキメないと…」とアガワさん。
「おっしゃる通り。でもそれがぼくらの仕事ですから」
土田さんによると、ひな壇芸人としてやっていくためには「ノープランでいることが大事」だとか。
前もって考えていた「面白い話」を唐突に話し始めると流れを壊してしまうのだとか。
「準備していた話がまったくウケなくて、追い込まれながらやってたらウケたんです」「あっ!こういうことなんだ!って」
ひな壇芸人に必要なのは流れに応じて自分の引き出しから適切な話題や意見をチョイスすること…ということはかなりの反射神経が必要なのでは?
「30代のときの頭の回転が一番よかった」と土田さん。
「話しながら話の終着点を考えていた…40代になったら終着点が分からなくなってフワーッと終わる」
そういう悩みを上田さん(くりいむしちゅう)や田中さん(爆笑問題)に飲んだ機会にしたところ、「おいらはとっくにそうだ」で終わってしまったとか。
司会をしないのは?
「冠番組をなぜ持たないんですか?」
そもそもは「冠番組を持つのが夢でした」とのこと。でも、売れてない時代に結婚し、子どもが次々生まれ、頑張らないといけなくなると、「理想のためではなく、生活のために働いているんだ」と考えるようになったそうです。
若いころはプライドが高く、人気もないのに「こういうのはやりたくない」といいうのがあったようで。
そのころ原田泰造(ネプチューン)に結婚を勧められました。
「『お前はプライドが高すぎる。お前は守るものがあったほうがちゃんとやれるんだ』と言ってくれたんです」「そして来る仕事を選ばないでやっていたら、いろいろなことが分かって…」「とりあえず何でもやろうと」
「司会をしないのはなぜ?」
土田さんは司会のメリットとデメリットを考えます。
メリットは「ギャラがよい」。デメリットは「リスクが増える。視聴率が悪いと『ダメだな』となる」
いろいろ考えていたころに、土田さんはすでに子どもが3人いました。
「こいつらが大学出るまでは稼がなきゃいけない。あまり目立たなくていいからコツコツ稼ごう。細く長くこの世界にいなきゃいけない」と考えたのだとか。
「自分の技量にも気づいたんです。司会の器じゃないです」「ひな壇でちんたらぽんたらやるのがいいです」
おニャン子芸人以外にも、家電芸人、サッカー芸人として様々な番組でお呼びがかかる、本当に人気のある芸人です。
土田さんが今ハマっている番組は「SASUKE」だそうです。「人間ドラマが詰まってる!」と大好きなのだとか。
「芸人になってよかったことは?」
「若いころの切磋琢磨…めったにできない経験ができたっていう。そしてヤな人間は残らないんです。残っている人ってみんな人柄がいいんです」「みんなライバルだったのが、10年くらいたつとだんだん同志になる…みんなで助け合いの精神で番組に出るんです。だから楽しい。自分だけウケようとすると番組が成り立たないんです」
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今、心に響く曲
「今、心に響く曲」
「home」木山裕策
家族への思いを歌った曲で、「番組で木山さんの子どもからも勧められて」車で聞いたら「いい曲だなあ!」と感じたそうです。
ずっと話を聞いてますと、土田さんの仕事への情熱や方向性などは家族を考えるところから出てきていますよね。やはり「ベスト・ファーザー賞」にふさわしいと思います。
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2013年06月24日
198. 大倉忠義 韓流ドラマ ・安田章大・ラストチャンス 「A-Studio」
登場した途端、すごい歓声。大変な人気ですね。
「初めまして」と鶴瓶さん、波瑠さんとあいさつした大倉さんですが、本当は鶴瓶さんとは初対面ではないらしいのです。
「ぼくがジャニーズに入るときのオーディションで『ジャニーさん、おる?』って入ってきたのが鶴瓶師匠でした。タッキーや先輩のジャニーズに会う前に師匠にあったんです」
「だれとオーディション、一緒やったん?」
「錦戸、丸山、安田らと一緒で。渋谷、村上、横山が先輩ですね」
「年は?」
「年も4つ先輩ですね…だからけっこう敬語取れなかったですね、最初のほうは」
「今はあれやろ?」
「今はタメ口ですね。年下が上を馬鹿にする傾向がありますね」(笑)
「仲いいんですね」と波瑠さん。
「仲いいですね」
「だから村上や安田も『ほんまにあいつが今いないとアカン』って言うとったで」と言いながら1枚の写真が。鶴瓶さん、村上さん、安田さんが並んでいます。取材のため、鶴瓶さんは2人に会ったのですね。
「あら!?あれ!?」と大倉さん。
「この2人とよう飲むねんてなあ…」
「めっちゃ仲いいですね。一昨日も飲んでたんですけど、(鶴瓶さんと会ったということは)何も言ってなかったなあ…」
「ここどこや思う?」と取材場所を尋ねる鶴瓶さん。
どうやら大倉さんたちがよく行くお好み屋さんのようです。
「美味しいんですよ。しょっちゅう行くんです」
優しくて○○な安田さん
「安田が(お好み焼きを)切っておれ(の皿に)のせてくれたんや」
「優しい!」と大倉さん。
「優しいよな」と鶴瓶さん。「こいつなんやねん!?」これは大阪人流の褒め言葉です。かなりの。
「わかんないですけど優しさのかたまりなんですよ」
「ほんま、優しさのかたまりやで…曲も作りよんねな?」
「芸術肌というか、曲が降りてくるんですよね…よくわからないんですけど、草むらに行って曲を作ったり…」
「え!?」と鶴瓶さん。
「『どこで曲が生まれるんですか?』って聞いたら『おもに草むらですね』って」(笑)「緑からパワーもらうのかなって…ちょっとよくわからないです」
「どこの草むらかも…」
「教えてくれないんです」
「いい草むらがあるんやろな…」(笑)
怖い思いも
「村上が言うとった、安田と大倉は女性誌見て『これいい!これいい!』って、OLみたいに喋ってる…」
「安は優しいんですよ、しょうもない話をしても絶対にノッてくれるんです。しょうもない話をすると怒るメンバーもいるけど、安はずっと付き合ってくれるんです」「今日は何のご飯食べる?みたいな。どうする?みたいな…」お昼どきのOLですね、ほんとに。
「安田は同期で、15年ずっと一緒なので、何か幼なじみみたいな…」と大倉さん。
「学校も一緒やったんやろ?」
「高校、一緒でしたね」
大倉さんの実家が下町で、「カツアゲロード」と呼ばれる道があって、非行少年たちがたむろっていたそうです。2人一緒に怖い思いをしたこともあったとか。
特に怖い思いをしたのは、丸山さんが一緒だった時だそうで…。
「丸山は人柄もいいし優しいのに、気になる人がいると見ちゃうみたいで」(笑)
「危ない2人組がいたのを、丸山がじーっと見たのがきっかけでからまれて…」
関ジャニに入るまで
大倉さんが関ジャニに入るまでにはやや曲折があったようです。
関ジャニができる前、大倉さんはジャニーさんに「バンドをしてくれ」と言われたのです。
普通なら「はい!」と2つ返事なのでしょうが、自分なりのイメージがあった大倉さんはなんと断ってしまうのです。「踊りがしたくて入ったので」
そこから仕事がぱったり来なくなってしまいました。15,6歳のころです。
「『ユーの代わりはいくらでもいるんだからいいよ』って言われて…」
「いやあ!ようそんなん、ジャニーさんに言うたな!?」と鶴瓶さん。本当ですよね。いい度胸してます。あるいは純粋、あるいは計算できない?
「そうなんですよ…夢に見てた方向と違う方向に行ってると思って…ちょっと焦ってしまって思わず言ってしまって…」
「それでぼく以外の6人は前で踊って、ぼくだけバックで踊ってたんですけど…すごく悔しくて」
この人はここに至るまでにけっこう辛い思いをしてきたのですね…。
「関ジャニ∞の話をいただいたときはドラムが空いていて、断る理由がなくて『これがラストチャンスだな』と思ったので」
「『1か月後に本番だから。ユーできる?』って言われて、『やらせてください』って」
「本番前のリハーサルのときに、ドラマーを呼んでいて、ぼくがダメなら2人でドラム叩く、みたいになっていて…」勝負どころですね。
「リハーサル(ジャニーさんが)見て、『ユーで行こう!』って」チャンスをモノにした瞬間です。
「どうしてたん、その1か月?」と鶴瓶さん。
「がむしゃらに、とりあえず、安田、丸山、渋谷が演奏付き合ってくれて、『これは絶対お前のチャンスやから、1か月でモノにしたらグループでやっていけると思うよ』って」
「ええやつやないか」と鶴瓶さん。
「ええ人なんですよ」
「今、太鼓の達人になったやん?」
「はい、今は、やらさせてもらってます」と大倉さん。いい表情をしています。
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メンバーからの質問
Q1 横山さんから「DVDを借りてるんですが、いつ返したらいいかわかりません。返したほうがいいですか?」
「あたり前や!」(笑)
そのDVDというのは「長瀬くん主演のドラマ」だそうで、大倉さんの話を聞いて興味を持った横山さんがDVD・BOXを借りたそうです。
「会うたびに(返せと)言うてるんですよ」「たぶん無くしてると思うんですよ」
「カツアゲよりひどいよ!」と鶴瓶さん。(笑)
Q2 渋谷さんから「おれのこと、どう思ってる?」
「ミュージシャンらしいミュージシャンやね」と鶴瓶さん。
「歌に命を懸けてますね。ステージに立った時の歌のパワーはすごいですね。なんか不思議なパワーが宿っている人ですね…髪型ヘンなんですけど…」
Q3 村上さんから「最近一番怖いものは何ですか?」
大倉さんは怖がりだそうで、怖いものがけっこうあるのだとか。
「虫、自然、飛行機とかですかね…高いとこも怖いですね」
なんでも幻のキノコを見つける番組で3時間かけて山に登ったところで、キノコのそばに大変な崖があったそうで…。
「亡くなられた方、いるんですか?」とガイドに聞くと「けっこういますね」
その返事を聞いた大倉さん、「本当にいやだ!」と断固断ったとか。
しかし、のちにそのことを大反省。次の機会にはキノコを採ったそうです。
Q4 錦戸さんから「関ジャニ∞に1番最後に加入しましたが、そのときどうでした?あと、ぼくの家に来てください」
関ジャニに加入したとき「ぼくが夢見てたジャニーズと違う!」「やばい!コント集団に入ってしまった!」という焦りがあったとか。
「ライブでいつも(コントを)やらせてもらってるんですが、長い間決心つきませんでしたね」
Q5 丸山さんから「最年少の大倉くんが見る、関ジャニ∞の今後の展望は?」
「うわあ、なんて『らしくない』ことを!」
なんでも丸山さんは常にふざけているようなのです。
「ホリケンさんみたいな感じですね。まったく同じニオイがします。ずっと意味の分からないことを言ってる。『シャケ!セミ!シャケ!セミ!』とずっと楽屋で叫んでるんです」
「危ないやん!」
「危ないんです…だんだん見てくると面白くなってくるんです」「今、携帯にサケのストラップ10個くらい付いてる…」うーん、変な人だ…。関ジャニっていったい…?
Q6 安田さんから「なぜ、おれの車によく忘れ物をするんですか?」「おれたち仲いいやん?歯ブラシの使い回し、おれはできるけど、大倉はどう?」ううん、関ジャニっていったい…?
「気持ち悪いわ!」と叫ぶ大倉さん。
「安田あほか!あほやこいつ!」と鶴瓶さん。
「あほやわー」と大倉さん。「絶対いややわ」
忘れ物については、「甘えてるんでしょうね、届けてくれるし…」
よく寝る・笑いどころを間違える
この他にも大倉さんのいろいろな面が分かりました。
最新作 映画「100回泣くこと」で共演した桐谷美玲さん、控室が同じなのですが、初めて部屋に入ったとき、大倉さんは寝転がって韓国ドラマを見ていたそうです。
「何か喋ってくれるかと思っていたら、寝てしまった…」
その後、桐谷さんは気づいたそうです。「この人には気を遣わなくていいんだと…」
これに対し大倉さんは
「恋人役なんで、リラックスしないとできないじゃないですか…言い訳なんですが」(笑)
まじめな話をしていたら寝てしまったという証言はTOKIOの松岡さんなどからも。
またまじめな話をしているのに大倉さんに大笑いされたという人もいて、城島さんや国分さんには「笑うとこ違うからな(まじめに話を聴け)」と注意されたとか。
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泣ける韓流が好き
最後に大好きな韓流ドラマのことが話題に。
「韓流ドラマのベタなところが好きなんです。『ここで抱きつくやろ?』とおもってたら必ずそうなる。(読みが当たったとき)『おお!』って思う」「すかされるのが嫌いなんですよ」
韓流映画を1人で見に行って号泣するのが好きだとか。
「おすすめは?」
「クォン・サンウ主演の『悲しみよりもっと悲しい物語』というのがあって…」
「悲しいなあ…」と鶴瓶さん。
「悲しいんです…ひくひく言いながら泣くんです」
うーん、スタイル良く、イケメン。感じのいい好青年。しかしOLっぽいところもかなりあって、友情に恵まれるも、皆怪しい…。関ジャニって…?
でも私の若い友人たちは皆関ジャニが大好きで、関ジャニの話をするときは目を輝かせます。一言で語れない魅力があるのですねえ…。
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2013年06月23日
197. 高嶋政伸 一人旅・タヒチ 「笑っていいとも!」
小泉孝太郎さんを初め、たくさんの花束をタモリさんが紹介しているときに、さりげなく、そうっと椅子に座られました。
「すごく静かに座るね」(笑)「いや、いいんですよ」
「ちょっと疲れが…」と高嶋さん。「ああ、気持ちいいなあ…。これだよ、これ」(笑)
「ロケ疲れ?」とタモリさん。
「今日の5時までやってたんですよ」ということはあまり寝ていないのでは?座りたくなるのも分かります。
ドラマに噛みつくタモリさん
「最近のドラマはギリギリまでやってますよね?」とタモリさん。
「(放送)当日の午前中にアフレコやったことありますよ、連続ドラマの1回目の放送のとき」「演出家の方のこだわりとか、ここのセリフは違う…そういうとき、アフレコで変えるんです」
「あ!そのアフレコ?じゃあ、口とセリフが違っているときがあるのね?」
「本当によく見ないと分からないですよね、今は」画面処理およびアフレコの技術も進化しているのですね。
「その割にドラマっておかしなとこ、いっぱいありますよね」とタモリさん。ドラマに対して思うところがあるようです。
「結婚式に行って、家族一緒に車で帰ってきて、家に入ってリビングに座って、『ああ、しかし面白くない結婚式だったな』って言うんですけど、車の中では何も話さなかったのか?」(笑)
「そうですよね…そういうことがありますよね…」と高嶋さん、申し訳なさそう。
「すみませんね、疲れている方にぶつけちゃって…」とタモリさん。
「ぶつけていただいたほうが活性化しますんで…」と高嶋さん。
一人旅
「一人旅が好きらしいね」と話題を変えるタモリさん。
「けっこう昔から好きで、チベット行ったりとか、あとは…京都なんかも一人でよく行くんですけど」
「最近は?」
「タヒチに12日間行きましたね」
「タヒチは行ってみたいですねえ…ゴーギャンが行って、何かして」とタモリさん。画家のポール・ゴーギャンのことですね。
「ゴーギャンは本当はタヒチというか、マルケサス諸島というところで亡くなられているんですけど、素晴らしいところで…」
「タヒチは新婚旅行というか、意外と多いんでしょ?」
「まあ、水上コテージとか、ありますからね」と高嶋さん。
「新婚旅行、水上コテージに行って、下に海があるんですよ」とタモリさん。
「そう、下がガラス張りになっていて…あれは朝日が差し込んで明るくて早く目が覚めちゃう、みたいな」(笑)「ゆっくり眠りたい方は遠慮したほうがいい」と高嶋さん。体験者は語る、ですね。
「フランス領なんで、フランスの人の特徴として、あまり手を入れない…自然のままなんです。動植物がそのまんまいらっしゃるんですよ」
「動植物がいらっしゃる…」とタモリさん。(笑)
「いらっしゃるんですよ…部屋に入ってみると、これくらいの(と指で示し)タモリさん…ああ、ヤモリさんがいるんです」(笑)
「サングラスかけて?」(笑)
「ヤモリさんがいらっしゃるんですよ。おお!と思って、最初はびっくりするんですけれど、虫とか食べてくれるんで、僕たちの友だちなんですよ」
「家守る?」
「家守るんです、3,4匹で…」
そして高嶋さん、ヤモリの鳴き方を真似るのですが、これがなかなかお上手、と言ってももとを知らないのですが。
寝るときに天井に数匹のヤモリがいて、高嶋さん、ヤモリに話しかけました。もちろんヤモリ語で。
「『もしよかったら出ていってくれないかな』と気持ちをこめて鳴いたら、こっちを見た!」
「見た?」
うなずく高嶋さん。
「すごいね…」とタモリさん。
タヒチは食べ物も美味しかったそうです。
「中国の方もけっこういらっしゃるので、中国ベースの料理とフレンチにココナッツが入った料理とがある。それに必ずご飯とバゲットが出てくる…だから毎日食べても飽きないんです…」
うーん、タヒチかあ…水上コテージには泊まりたいけれど、ヤモリはねえ…。
2013年06月22日
196. 宮本信子 「あまちゃん」・ハマった趣味は数知れず・伊丹十三 「あさイチ」
NHK朝のテレビ小説「あまちゃん」の主人公「天野アキ」(能年玲奈)のお祖母ちゃん、アキのお母さん「天野春子」(小泉今日子)のお母さんである「天野夏」通称「夏ばっぱ」を演じています。
「夏ばっぱ」は豪快で働き者。海女たちの頼れるリーダーでもあります。
私(よしろう)が物心ついたころからテレビに出ていた宮本さんですが、ご主人伊丹十三さんの映画で大きく開花。気がつけば白髪の「夏ばっぱ」ですから、年月が経つのは早いものですなあ、という感慨は横に置いておいて。
多趣味の人
宮本信子さんは多趣味な方で、今までハマった趣味やお稽古ごとが紹介されていました。
日本舞踊、モトクロス、小唄、水泳(4種目メドレー)、ジャズダンス、乗馬、ジャズ、英会話、ボウリング、ウォーキング、スキー
「恥ずかしいですねえ」と宮本さん。
日本舞踊や小唄は師範の腕前のようです。
「モトクロスは家族でやってました。伊丹さんと…」「気持ちいいですよ!とても楽しかった」
「スキーはダメでした…(スキー板を)担ぐのがいやなのよ…」
「最初は先生に付いてきちんと習うんです。スキーは転び方、そこから始まることにすごく感動した」
宮本さんが多趣味なのは伊丹さんの影響が大きかったようです。新し物好きで、家族を巻き込んで取り組みたかったとか。
ジャズは55歳でCDデビューしました。
「CDは記念なんです。ライブは楽しい…お客様の前で歌うのは楽しい…ジャズは趣味だから」
俳優という仕事と趣味の領域であるジャズとは一線を画しているようです。
もう一つの顔
愛媛県松山市は伊丹さんの生まれ育ったところです。市内から車で7,8分のところに「伊丹十三記念館」があり、宮本さんはその館長もされています。
入り口には伊丹さんの笑顔の写真が飾られていて入館者をお出迎え。
館内は「十三」にちなんで、13のブースに分けられていて、少年時代、エッセイスト、映画監督、料理、音楽等、伊丹さんの様々な面が分かるようになっています。
スタッフの制服は宮本さんのデザインです。おしゃれで動きやすく、洗っても型崩れしにくい、こだわりの制服だとか。
中庭が素敵です。桂の木が立っていて、一見したところ一本ですが途中から2本に枝分かれしているます。この建物を設計した建築家が、伊丹さんと宮本さんのイメージで選んだものだとか。
宮本館長の仕事は「お客様のお迎えをすること」と「握手や写真に納まること」だそうです。
運よく宮本さんがいらっしゃれば、あの笑顔でお出迎えしてくださるのかも。
伊丹さんは自分なりのこだわりが多く、「文句の多い人」だったそうです。「30年も一緒にいたから文句を言うところがわかる」そうで、「常にその辺で見ている」気がするそうです。「記念館はすごく喜んでいると思いますよ、伊丹十三さんは…」
転機は3年前
宮本さんは現在68歳。女優としての転機が3年前にありました。
「『どういう仕事をして、やっていけるか?』って考えているとき、『続・遠野物語』の話をいただいて」「この仕事は、次の私の女優としての仕事を目指す大きな節目になりました」「カツラを白髪に変えたのはこの仕事が初めてですしね」
このドラマで宮本さんは、死んだ夫を当然のように待つ、老婆の役を演じました。
老婆役というのは女性としては抵抗があるのではと思うのですが、宮本さんは演じるにあたって「これから面白いな」と思ったそうです。
このドラマを見て、最初、老婆を演じているのが宮本さんだと分からなかった方がいたそうで、それを聞いたとき宮本さんは「やった!」と喜んだそうです。自分とは別人になりきれた、役者としての喜びですね。
「この役を与えられて本当によかった」と語る宮本さんです。
そうか、「夏ばっぱ」の成功はこの時に始まっていたのか。
喋り方から髪型、歩き方まで、「夏ばっぱ」を作り上げるために、宮本さんは現地を取材。今や方言が血肉化してしまい、別の番組のナレーターをするとき、方言を指摘されるそうで。
役者っていいなあ、とつい思ってしまいます。年をとってもちゃんと自分の年齢にふさわしい役がありますもんね。
円熟した女性を演じる役者としての宮本さん、館長としての宮本さん、趣味にハマる宮本さんと、本当にリア充(!)な宮本さんでした。
2013年06月21日
195. 中村玉緒 お抹茶トリュフ・焼肉・エビの天ぷら・勝新太郎 「はなまるマーケット」
お着物が艶やかで「パワフルでお若くて」と言われ、「73歳で、もうどうでもよくなって…」
いきなりの玉緒節(?)ではないでしょうか。
「今朝のおめざ」は
「お抹茶トリュフ[建都の昔]」(5粒入り 1箱 5,250円) 大阪帝塚山POIRE/ポワール(大阪市)
最高級の抹茶を使用したショコラは絹のようななめらかさが特徴だそうです。
豊潤で濃厚なトリュフショコラです。
「値段は(1粒)1000円なんですけどね、大阪で仕事していた時にいただいて…東京でも売り出してもらいたいと思って…。
このトリュフの魅力を語る際にしばしば「1,000円」を口にする玉緒さんでした。
芸能界に入ったきっかけはスカウト
若かりし日の夫・勝新太郎さんとのナイトクラブで踊っている写真が紹介されましたが、お2人とも本当にお若い!勝新さんのなんとほっそりとした面立ち!
玉緒さん、20歳のときのご結婚です。
「10代でナイトクラブに行ってたんですか?」と薬丸さん。
「いえ、婚前交渉…」しばし沈黙ののち爆笑。
「いやあ」(笑)「いえいえいえ…」「婚約もして親もちゃんと知ってて…」さんまさんが居てたら突っ込みまくってたでしょう。
玉緒さんが芸能界に入ったきっかけは、歌舞伎の家柄だったということではなく、中1のときにスカウトされたからなのです。
それまでは漠然と、京都の女子大に進みたいと考えていたのが、これで映画界への夢が膨らみます。ところがスカウトされた松竹での出番は少なく、半ば放っておかれた状態に。たまらなくなった玉緒さん、お父さん(二代目中村雁治郎)に頼んで大映に移ります。
勝新との出会い
ここで出演した映画が「水戸黄門」。黄門様に天下の二枚目、長谷川一夫、助さん、格さんに市川雷蔵と勝新太郎という豪華な組み合わせ。
しかし、長谷川一夫は叔父、市川雷蔵は兄(四代目坂田藤十郎)の親友ということで、勝新太郎さんだけが他人の男性ということで10代の玉緒さんは恋心を抱きます。
そして、勝新太郎さんの家に食事に行ったとき、マネージャーから、勝さんのことをどう思うか、打診がありました。「好きです」と返事。
さらに1週間後、勝さんの家に呼ばれたとき、「勝さんがあなたのご実家に行って、あなたとの結婚を申し込みたいと言っているが」とのこと。玉緒さん、お父さんに「絶対に断らんとって」と念押ししたとか。
豪放なようでシャイな勝さん、マネージャーを通して思いを伝えたのですね。
勝新伝説
「勝さんはかっこよかったですか?」
「白くて細くて…いつのまにか知らないうちにひげを生やして…」
「婚約第1作が『悪名』、結婚第1作が『座頭市』だったんです」
全盛期の日本映画の主役の一人でした。
勝新伝説1 「飲みに行ったお店でたまたま居合わせた客の分まで払う。」
玉緒さん、最近飛行機で、とある人から「昔銀座で飲ませていただいて…」と挨拶されたそうです。名刺を見ると、「ものすごい企業の会長さん!昔は会長やなかったんですけど偉なって…」
勝新伝説2 「身に着けているものを褒められるとあげてしまう。」
「形見の品がほとんどないんです」「台湾で立派な毛皮を買ってきて、主人が誰かにあげる前に女ものにしてしまったんです。今娘が着てます」
勝新の愛した焼肉店
その勝新さん、一人でふらりと初めての店に入ることもあったそうで、そのうちの一軒をたいそう気に入いりました。玉緒さんたちは今でも週に1、2回は通っているそうで、何十年となるお付き合いです。その店は
「焼肉 清香園」渋谷、道玄坂のすぐそばだとか。
「焼肉を食べたい」というのが玉緒さんの健康のバロメーターだとか。お気に入りは
「特上カルビ」(2,625円) 鹿児島の黒毛和牛を使用しています。
「注文せんでもすぐに出てくるんです」というほどの中村さん家族の定番メニュー。
「牛スジの煮込み」(1,050円) 4,5時間煮込んだ牛スジが絶妙で勝新さんもお気に入りの一品だったとか。
そこまで食べますか!
最後に玉緒さんの恐るべき食欲のエピソード。
他の番組で天ぷら屋さんに行った時のこと。玉緒さん、エビが大好物で、この日もエビの天ぷらだけを食べ続け、なんと29本!20本あたりでエビが出てくるのが遅れると「エビはまだですか?」
「私は天ぷらはエビ!」「高つきまっせ!」と言い切っていました。
「寿司屋もエビ…踊り食いとか…」
勝新さんは家庭では厳しい方で、玉緒さんは「主人には『はい』しか言ったことがないんです」ということですが、この生命力旺盛の玉緒さんだったからこそ、勝新さんと添い遂げ、幾多の困難を乗り越えることができたのではないかと思うのです。ほんとに…。