2013年06月25日
199. 土田晃之 家電・ガンダム・サッカー・おニャン子・ベストファーザー賞 「サワコの朝」
ひな壇芸人として揺るぎない地位を保ちながら、家電芸人、ガンダム芸人と様々な顔を持つ土田さんに最近「ベスト・ファーザー賞」という肩書が加わりました。
土田さんは1972年生まれの40歳。三男一女の父親です。
「最初聞いたとき、辞退したいって言った」そうですが、愛する家族のため、芸人として活躍し続ける姿はまさしくベストファーザーだという気がします。
土田さんは19歳で漫才コンビでデビュー。29歳からピン芸人に。
番組を盛り上げる「ひな壇芸人ランキング」で2位の小杉竜一、3位の有吉弘行を抑え、堂々の1位です。
記憶の中で今もきらめく曲
そんな土田さんの「記憶の中で今もきらめく曲」は
「セーラー服を脱がさないで」おニャン子クラブ
いきなりの直球ですね。
伝説の番組「夕焼けニャンニャン」が始まったのは1985年4月で、この月に土田さんは中学に入学。
終了したのが1987年の8月31日で、土田さんが中3、明日から2学期という日だったのです。
「高校受験のために終わってくれたのかなあ」
曲の映像が流れている間、メンバーの名前や会員番号、現在の状況など、テンポよく解説。
「なぜそんなに細かく覚えているの?」
「たぶん余計な勉強しなかったんでしょうね…。歴史とか数学とか入ってないんでしょうけど」
「どんな中学生だったの?」
「お笑いがしたかった…小6の卒業アルバムに、将来の夢はお笑い芸人って書いてて。中学校に入ってから『夕焼けニャンニャン』でとんねるずさん」
「そうか!とんねるずさんは衝撃的でした?」
「衝撃的でした。かっこよかったですね…勉強できないぼくらにもタカさんとかメッセージくれたりとか…『俺らはバカな高校出てるけど、東大出てるやつにも負けねえ』とか…。『おお!お笑いってかっこいいな』って」
ひな壇芸人のルール
ひな壇芸人として、土田さんが座る席はだいたい決まっているそうです。
「後列の一番手前か前列一番奥。周りが見やすくて司会者が近いところ」
「ボケとかツッコミはどうなってるの?」
「司会の方が基本ツッコミなので、ひな壇はすべてボケで構わないんです…司会がアナウンサーのときはなかなかツッコめないので、ぼくらが周りを把握しやすいとこに座らせられて」
司会の分も土田さんがツッコむのですね。
「一番緊張したのは?」
「コンビのころに出た『さんま御殿』でしたね。まだ20代くらいで…。その番組で一言しか喋らなかったですね」
「何を?」
「『(さんまさんが)お前らU-turnは東京やな?』『いえ、埼玉です』という言葉だけです。それで2時間半の収録ぜんぶ終わりました…。その日もう記憶ないです。そのころまだ実家でしたけど、気がついたら自分の部屋でこうしてたんです」とうなだれるポーズ。「明日のジョーの最終回みたいに真っ白になって…」
「『こんな大チャンスを棒に振ってしまった』『もうチャンスはないぞ』と思いました」
「実際に次の『さんま御殿に呼ばれるのは5,6年後でしたから…』
「瞬時の気の利いた言葉が…ボケにしてもツッコミにしても、そこでキメないと…」とアガワさん。
「おっしゃる通り。でもそれがぼくらの仕事ですから」
土田さんによると、ひな壇芸人としてやっていくためには「ノープランでいることが大事」だとか。
前もって考えていた「面白い話」を唐突に話し始めると流れを壊してしまうのだとか。
「準備していた話がまったくウケなくて、追い込まれながらやってたらウケたんです」「あっ!こういうことなんだ!って」
ひな壇芸人に必要なのは流れに応じて自分の引き出しから適切な話題や意見をチョイスすること…ということはかなりの反射神経が必要なのでは?
「30代のときの頭の回転が一番よかった」と土田さん。
「話しながら話の終着点を考えていた…40代になったら終着点が分からなくなってフワーッと終わる」
そういう悩みを上田さん(くりいむしちゅう)や田中さん(爆笑問題)に飲んだ機会にしたところ、「おいらはとっくにそうだ」で終わってしまったとか。
司会をしないのは?
「冠番組をなぜ持たないんですか?」
そもそもは「冠番組を持つのが夢でした」とのこと。でも、売れてない時代に結婚し、子どもが次々生まれ、頑張らないといけなくなると、「理想のためではなく、生活のために働いているんだ」と考えるようになったそうです。
若いころはプライドが高く、人気もないのに「こういうのはやりたくない」といいうのがあったようで。
そのころ原田泰造(ネプチューン)に結婚を勧められました。
「『お前はプライドが高すぎる。お前は守るものがあったほうがちゃんとやれるんだ』と言ってくれたんです」「そして来る仕事を選ばないでやっていたら、いろいろなことが分かって…」「とりあえず何でもやろうと」
「司会をしないのはなぜ?」
土田さんは司会のメリットとデメリットを考えます。
メリットは「ギャラがよい」。デメリットは「リスクが増える。視聴率が悪いと『ダメだな』となる」
いろいろ考えていたころに、土田さんはすでに子どもが3人いました。
「こいつらが大学出るまでは稼がなきゃいけない。あまり目立たなくていいからコツコツ稼ごう。細く長くこの世界にいなきゃいけない」と考えたのだとか。
「自分の技量にも気づいたんです。司会の器じゃないです」「ひな壇でちんたらぽんたらやるのがいいです」
おニャン子芸人以外にも、家電芸人、サッカー芸人として様々な番組でお呼びがかかる、本当に人気のある芸人です。
土田さんが今ハマっている番組は「SASUKE」だそうです。「人間ドラマが詰まってる!」と大好きなのだとか。
「芸人になってよかったことは?」
「若いころの切磋琢磨…めったにできない経験ができたっていう。そしてヤな人間は残らないんです。残っている人ってみんな人柄がいいんです」「みんなライバルだったのが、10年くらいたつとだんだん同志になる…みんなで助け合いの精神で番組に出るんです。だから楽しい。自分だけウケようとすると番組が成り立たないんです」
中古価格 |
今、心に響く曲
「今、心に響く曲」
「home」木山裕策
家族への思いを歌った曲で、「番組で木山さんの子どもからも勧められて」車で聞いたら「いい曲だなあ!」と感じたそうです。
ずっと話を聞いてますと、土田さんの仕事への情熱や方向性などは家族を考えるところから出てきていますよね。やはり「ベスト・ファーザー賞」にふさわしいと思います。
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/3584682