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2013年06月30日
204. きゃりーぱみゅぱみゅA 又吉直樹・麺が好き! 「笑っていいとも!」
「よろしくお願いします」とあちこちに挨拶するきゃりーさん。
「色白いよねー!」とタモリさん。
きゃりーさん、小さいときは外で遊んでばかりだったので黒かったそうなのですが、「中学校に入って室内に入ってから」白くなったそうです。
「にんじゃりばんばん…早いね、回転が」とタモリさん。「ばんばん出してるよね?」「ワールドツアーやってたんだよね?どれくらいまわったの?」
「日本入れて8か国です。ヨーロッパは…フランス、ベルギー、ロンドン…」
「ヨーロッパで(人気が)すごいんですよね」とタモリさん。
「フランスはコスプレイヤーが多いので…」「ロンドンとかすごかったです。パンクなお兄さんが来て、びっくりしました…盛り上がりました」「アメリカは小さい女の子から大人まで、超熱狂的だった…」
そして「アメリカではまったん(又吉直樹)にそっくりなミュージシャンを見つけて…」あるポスターに写ったミュージシャンの顔が又吉さんにそっくりだったとか…マイケミカルロマンスの方です。
「写メ送ったら『ほんまや』って意外につまんない反応で…」とキツイ一言。
又吉直樹登場
ここで又吉さん登場です。
「一度きゃりーちゃんから電話もらってうれしかったんですけど、出てくれないんです」どうやら誤作動で又吉さんに電話がかかったらしいのです。
「電話の向こうで(きゃりーちゃんたちが)打ち合わせをしているんです。途中からぼくも参加して…」
そして又吉さん退場。
ひたすらラーメン
「何を食べてるの?」とタモリさん。
「1日に2回くらいラーメンを食べています」「昼、夜、夜中にお腹すいたらラーメン作って…」
「太らない?」
「『最近やせたね?』って言われるんです。ラーメンずっと食べてたら」
「ふつう800から900キロカロリーありますよ」とタモリさん。
「やせてきたんです」
「醤油(ラーメン)?」
「なんでも。お腹がいっぱいになって幸せになりますよね」と嬉しそうなきゃりーさん。「つけ麺も好きです。麺が好き」
「つけ麺って意外に入るよね」とタモリさん。
「焼き石って入れます?」ときゃりーさん。焼き石?
「つけ麺も冷えてくるんだよね。『温めますか?』って、焼いた石を入れてくれる」「すごく熱くなるよね」とタモリさんが解説。
「つけ麺にいっぱいシナチクを入れるのが好き」とタモリさん。シナチクって懐かしい表現…。
「シナチク?」やっぱりきゃりーさんにはわかりません。「メンマ?」
「そう!メンマか…時代が違う」
ここでタモリさんが表現について語り始めます。
「パンツのことをズボンって言う人、100人中何人いると思う?40人いたんだよ」と嬉しそう。
「スパゲッティでいいじゃないか!」興奮するタモリさん。「スパゲッティって言います?パスタ?」
「スパゲッティ派です」ときゃりーさんが言うと、「いい子だね!」と喜ぶタモリさん。
おじいちゃん(失礼)と孫のようなお2人のトークでした!
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2013年06月29日
203. さだまさし 28億の借金を返済・國學院高校・落語研究会 「はなまるマーケット」
2人組のグレープ「精霊流し」で1974年にデビュー。バイオリンを奏でるグレープは並み居るフォークグループの中でも異色でしたが、40年を振り返って「あっという間でした」「まばたきする間」とのこと。
「同期は?」
「中条きよし、仁支川峰子(西川峰子)、ダ・カーポ、浅野ゆう子、あいざき進也…仲良かったですね、みんな…楽しかったですね」
「今朝のおめざ」は
「しみずの奈良漬け(瓜)」(1パック300g 1,050円) 清水商店(奈良県大和郡山市)
国産の瓜を酒かすや調味料で3年以上じっくりつけこんだものだそうです。
「なぜこれをおめざに?」
「春日大社の宮司さんにごちそうになって…。店が(周りが畑の)ぽつんとしたところにあって、行くのがはばかられて…」勇気をだして行ってみたら、大変良かったとのことで…。
店内の壁に「創業43周年記念…」と貼ってあるのがさださんには印象的だったとか。「どうせ来年には創業44周年と貼るんでしょう」確かに!しかし味は本物とのことです。「真面目に作っています」
ソロコンサート3999回!
恒例の「さだまさし、アコースティックコンサート・ツアー」が今年2013年の6月23日で、3999回を終えたとのこと。すごい数です!
36年で3999回こなしたそうで、「一番多い年で180回…2日に1回うたってました」
「4000回は来月、日本武道館でやります、せっかくですから」「日本中行きまくりました。北海道の夏・冬、沖縄の夏・冬も経験しました。主な県庁所在地は2,3週間は(トータルで)生活しました。大都市は2,3か月生活してる…」
観客も「第2世代、第3世代になっていて…。『ひいおばあちゃんとおばあちゃんとお母さんと私(18歳)とで来ました』という方もいて…」
「なんでそのペースで?」と熊谷真実さん。
「借金です。28歳のときに28億円、個人で。金利入れると35億円。『長江』という映画で…。」
覚えています!「長江」という映画。それまでヒット曲連発で、飛ぶ鳥を落とす勢いだったさださんの20代後半。「さだまさしが初監督」という鳴り物入りで公開された映画が「長江」でした。そうか、あの映画は当たらなかったのですね…。
「(借金)返しちゃった…2,3年前」「28から58まで」「(映画の前は)島を購入、ベンツを購入…」「島に橋を架けようとしたけど杭を2本打ったきり…」
「終わった時の気持ちは?」
「終わったとたん、え!いいの?私腹を肥やしていいの?」
大変な苦労だったはずなのに、ジョークも飛ばしながら「みなさんのおかげで」とニコニコ。うーん、すごい人だ…。
ファンが選んだ39曲
ファンが選んだ「さだまさしの名曲ランキング」に基づき、「天晴〜オールタイムベスト〜」をリリースしました。全部で39曲なのですが、上位にランクインした曲は…
1位 主人公 2位 風に立つライオン 3位 奇跡 4位 案山子 5位 まほろば 6位 いのちの理由 7位 道化師のソネット 8位 修二会 …
ファン投票の期間中、「ずっと1位だった」のが「主人公」です。アルバムの中の1曲で、評判がいいのでシングルにしたら「あまり売れなかった」そうです。そういう曲もあるのだとか。
私たちの印象に残っている「精霊流し」(1974)は18位、「関白宣言」(1979)が25位、「北の国から」(1982)が34位と、ファンが選ぶランキングと必ずしも一致しないのが面白いところですね。
「北の国から」は「どうして、アー、ウーだけなんですか?」という質問が。
「ぼく九州人なんですよ。北海道の自然を歌う…言葉が出てこないんですよ。あまりにも雄大だから」「倉本先生(「北の国から」の脚本家)に『言葉はいらないでしょ?』って言ったら『俺もそう思う、歌詞なしでいこうね』って」「『まわりに歌詞付けてヒット曲にしてくれって言われてもその誘惑に負けるなよ、さだ!』って…」
「『関白宣言』の評価が低いんですが、その前にどうして売れたんですかね?どの曲も売れるとは思わなかった…」
國学院高等学校還暦記念同期会
さださんは音楽留学のため、中学校から故郷の長崎を離れ、東京で一人で生活していました。
そして音楽高校を受験するのですが失敗。二次募集で國学院高校に入学します。
さださんいわく、「仲間が悪くてクラシックをあきらめた」「加山雄三さんも悪い。憧れてバンド活動を始めて…」
バイオリンをやっていると、他の楽器はできるようになるとのこと。ギターやらピアノやら、コーラスやら、必要なパートはほとんどこなせるので、大変重宝がられたそうです。
「ソロ歌手になるとは思いもしなかった…」「曲を書いたり詩を書いたり…裏方になりたかったんです」
ファンとしては借金のおかげで、ずっとさださんの歌が聞けたのかもしれませんね。借金がなかったら、歌作りやプロデューサー業に専念していたかもしれません。
さださんのいた2年10組は1クラス68名でした。マンモスクラスですが、それには訳があります。
「1年のときに悪かったやつが集められて…学級崩壊する可能性もあったんですが、悪ガキが結束しちゃうと学年をリードするんですね」
楽しそうなクラスですね。しかし、ほぼ毎日、7,8人は休んでいたとか。
ところがある日大雪が降って、電車の止まっている中、4時間かけて登校してクラスに入ったらHRの最中で、さださんを見てみんな大拍手。「お前で全員そろった」と担任の先生。「他のクラスは誰も来ていない。こんなお前たちがおれは好きだ。さだも来てくれたし、じゃあみんな帰ろう!」さださん、また4時間かけて帰ったそうで。いやあ、なんとも…。
高校時代のさださんは…
悪友の一人が師岡熊野神社(神奈川県横浜市)の宮司、石川正人さん。
「(さだが)落研に入ってきて意気投合。2年で席が隣になって…」
「(さだは)必ず輪の中心にいる。話題豊富、おしゃべり大好き、しかもマメ。先生の癖を盗むのがうまかった…」
「さださんに助けられた思い出は?」という質問に、
「助けられた思い出はない、助けた思い出はある」
故郷を離れ、一人で暮らすさださんの生活費が厳しくなると、石川さんたちは「さだ募金」をしたそうです。校内をまわって、「10円くれ、さだを助けてくれ」とお金を集めたとか…。数千円になったそうです。
「そんなに集まったのもさだが明るかったからだと思います。」と石川さん。
「そのお金で牛肉買って食べるから、一気になくなる」とさださん。「悪辣な募金には気を付けてください」とも。
いやあ、面白い。
さださんがグレープでデビューしたときのことを私(よしろう)はすごく覚えています。私は拓郎・陽水派だったのですが、クラスで前の席の友人がグレープのファン。その良さを熱く語ってました。
私は当時のさださんのお顔を見て、「神経質そうな人だ」と思ったことを覚えています。「一発で消えそうだな」とも思っていたのです。なぜか?線が細そうだったからです。その後「無縁坂」やら「関白宣言」やら様々なヒット曲を連発するのを見て、自分の不明を恥じました。
溢れる才能で大量に曲を作り、落語家張りのトークでライブを盛り上げることの出来る、稀有な音楽家・エンターテイナーでした。クラシックの音楽家にはならなかったかもしれませんが、民衆の音楽家として大成功されたのではないでしょうか。
これからもご活躍を!
2013年06月28日
202. マルシア 娘・和菓子・アボカドジュース・ブラジル 「はなまるマーケット」
「今朝のおめざ」は
「みたらし団子」(1本 150円) 玉川屋 目黒駅前店(東京品川区)
「ときどきたまらなく和菓子が食べたくなって、すっぴんのままこの店に走るんです」
和菓子にも禁断症状(失礼)があるんですかね。このみたらし団子、夕方になると売りきれていることもあるそうです。
「焼き目が香ばしい」「ほっとしますね」という声が。
「玉川さんはどのお菓子も優しくって飽きないんです」「団子は(一気に)5本くらい食べちゃう」
愛娘
マルシアさんと大鶴義丹さんの間にできた娘さんはもう15歳。おしゃれに敏感で、金髪のウィッグは5つほど持っているとか。
高校のブラスバンド部に所属して、サックスに夢中だとか。いろんな音楽を聴いていて、歌うことにも興味があるそうです。
はなまる通知表
マルシアさんのことを娘さんが採点しました。
会話…4 いつもテンションMAXなので、それに負けて話す気が無くなってしまうことも…。 でも、世界で一番の理解者は母と父です。
仕事…∞ 母は仕事に対してとても積極的で粘り強い。私は仕事をしている母が一番好きです…。
愛情…∞ 余るくらいの愛情を持っています。
やめてほしいこと…お願いだから抱きつかないでください!
「最近特にひどいんです…離れていくような気がして…」とマルシアさん。
そして娘さんからのメッセージ「母を私は尊敬しています。大好きです」を見て、涙ぐむマルシアさんでした。
毎日飲んでるアボカドジュース
「アボカドってどんなイメージですか?」とマルシアさんが尋ねますと「醤油をかけたら豆腐のような…」といとうあさこさん。(笑)
しかし、マルシアさんは毎朝飲むアボカドジュースがスタミナ源だということで、実際に作り、皆で味わうことになりました。
入れたのは、アボカド、コンデンスミルク、ハチミツ、牛乳、氷。これらをミキサーでかき混ぜます。
「おいしい!」
「どれだけ甘いんだろうと思ってた」と薬丸さん。
「栄養がいっぱい入ってる」「フルーツを入れてもいい」とマルシアさん。
ブラジルの食材の専門店
ブラジル出身のマルシアさんがよく行くマーケットが
「キョウダイマーケット」(東京 品川区)
ブラジルの食材を販売するマーケットです。
「アサイーボウル」を作るアサイーなどが販売されています。
「フェイジョアーダ」黒豆、牛肉、豚肉を香辛料で味付けしたブラジルの家庭料理が、缶詰で販売。
デビューのきっかけ
マルシアさんはブラジル生まれのブラジル育ち。日系ですので「紅白歌合戦」を楽しみにし、日本のアイドル歌手の歌などを覚えて歌っていました。
「いつかは日本に行ってみたいな」と思っていた16歳。
「世界漫遊演歌の旅 ブラジル編」というのど自慢形式の歌番組がブラジルで撮影されたのです。
もともと代表だった人が急に行けなくなり、マルシアに白羽の矢がたちました。
結果は、松田聖子の「青いサンゴ礁」を歌って準優勝。「悔しい!」「日本に行きたい!」という気持ちが募りました。
チャンスが訪れます。この番組がきっかけとなって作曲家の猪俣公章さんにスカウトされ、日本に行くことに。しかし家族は大反対。家族の反対を押し切っての日本行きとなりました。
2年間猪俣先生の家に内弟子として修業。少しずつ日本語や日本の文化を学びます。
そして晴れてデビュー…
「ふりむけばヨコハマ」で日本レコード大賞「最優秀新人賞」を受賞。この時にはブラジルの家族も大きな声援を送ったそうです。
今年でデビュー25周年のマルシアさん。「Marcia 〜 愛は海を越えて」をリリースしました。
アボカドジュースとみたらし団子で今日もマルシアさんは頑張っています。
2013年06月27日
201. 高橋惠子 4人の孫・高橋伴明・おススメパン屋 「はなまるマーケット」
「今朝のおめざ」は
「エジプシャン・デーツ」(1袋 250g 945円) ファーイーストバザール(東京渋谷区)
砂漠に佇むナツメヤシの実を半乾燥させたものだそうです。ミネラルや食物繊維が豊富に含まれており、保存料・砂糖を一切使用しておらず、果物本来の味を楽しめるのだとか。
高橋さんがこれを知ったのはある友人からです。その方の肌がとてもきれいで、理由を訊いたところところ「教えたくはないんだけどね」と言いながら教えてくれたのが「エジプシャンデーツ」だったとか。
「とっても肌にいいんです」
皆さん口に入れて、薬丸さんは「干し柿?」という反応でした。
大家族に君臨
高橋さん、現在は大家族で、4人の孫の面倒を見るお祖母さんなのだとか。
高橋さんが「関根恵子」という名前で鮮烈なデビューを飾ったのが私の中学時代のころ。その頃を知る人間としては「あの関根恵子さんがお祖母ちゃん…!?」という感慨を覚えます。どなたにも歳月は平等に訪れますね。でも高橋さんは相変わらずお美しい。
4人の孫は長女10歳、次女8歳、三女2歳、長男11か月と、下の2人はまだまだ手のかかる年頃です。
高橋さんは子どもが泣いていると「かわいそう」と思うのですが。娘さんは「子どもの泣き声が好き。放っておこう」というタイプなのだとか。なかなかたくましいですね。
お孫さんたちと一緒にいると楽しいですが、疲れることも事実。
高橋さんは疲れると、ある家政婦さんを「演じる」のだそうです。その名は「柳川よし子」さん。
「ノーギャラで演じるんです」(笑)
子どもたちは、お母さんやお祖母ちゃんに言えないことを「よし子さん」には言うそうです。「学校でいやなことがあって…」とか。
10歳と8歳のお孫さんに、高橋さんのことを聞きました。
Q1「ふだんのおばあちゃんは?」
10歳「朝起きると髪がライオンみたい」 8歳「いつもお風呂で歌をうたっている」
Q2「おばあちゃんのたのしいところは?」
10歳・8歳「急にお手伝いさんになるところ」柳川よし子さんです。
Q3「おばあちゃんの好きなところは?」
10歳「前向きなところ」 8歳「ママに怒られたときに話をきいてくれる」
「10歳の子に前向きって言われてもねえ」(笑)
家族円満の秘訣
親子孫、総勢10人で暮らす高橋さんですが、家族円満の秘訣は「波風を立てる」だそうです。
「育った環境が違う人間が生きる…1回ぶつかったほうがお互いのことがよくわかる」「雨降って地固まる、です」
「1回ぶつかったほうがよい」という高橋さんですが、ご自身が映画監督高橋伴明さんと結婚した当時は激しくぶつかったそうです。
「結婚2年間は取っ組み合いのケンカをして」「『(殴られて)殴り返したのは私だけだった』と言われて…」(笑)
「すごく気が強いんですよ…負けず嫌いで」
高橋さん、子どものころは内気だったそうです。北海道の原野で育ちますが、小6のときに東京に引っ越します。
家族で東京の写真屋で写真を撮ってもらってた時に、そのカメラマンにスカウトされます。写真屋の前に映画のスチールカメラマンをしていたそうです。
「父が俳優になりたかったので喜んでました」でも「こんなに長く(女優を)するとは思わなかった」とも。
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パンが大好き
ところで高橋さんはパンが大好物だそうです。
こだわりのパンは「黒ゴマのペーストとはちみつを混ぜて、バターを塗った食パンの上に塗って食べる」もの。見た感じは感じは、真っ黒ですので、どうもおいしそうには…。
「とても体にいいんです」「美味しいんです」とのことで…。かれこれ35年、このパンを食べているとか。
高橋さんおススメのパン屋が2軒。
1軒目「プチ・アンジュ・国立」(東京国立市)
閑静な住宅街にあるパン屋で常時90種以上のパンを販売しているそうです。
「ラウンド食パン」(1本 328円)これは珍しい。丸い食パンです。
「とまたまカレー」(252円)カレーパンのサンドウィッチです。
「カエルのチャチャチャ」(260円)梅雨限定。抹茶パンにジャージークリームがサンドされています。並んだカエルがとてもかわいらしい。子どもにウケる一品です。
「チーズフランス」(336円)この映像が出たとき「これこれ!」と高橋さん。大好きだそうで。
2軒目 米粉パン専門店「MAGOME」 近所にあるパン屋だそうです。
米粉と小麦粉の比率は8:2。
70種以上のパンが並びます。
高橋さんは幼いころ、「離乳食がパンだった」そうで、パンが大好きなのは「母乳の次に口にしたのがパンだったから」とご本人は言っています。
「1年ともたない」と言われて結婚した高橋伴明監督とも長年連れ添い、2人で旅行することもしばしばだとか。
ああ、高橋さん幸せそうだな、よかった、と思うよしろうでした。
2013年06月26日
200. 六角精児 4回目の結婚・鉄道ファン・ギャンブルで離婚 「笑っていいとも!」
ドラマ「相棒」ですっかり有名になりました。
「下北沢に住んでるの?」とタモリさん。
「前お会いしたときから、南西へ約200m引っ越しました」
「なんで?」
「前は共同生活者がおりまして…飲み屋のオヤジなんですが…」
「これ?」と右手の甲を左頬に当てるタモリさん。(笑)
「違います!生活の必要上、仕方なく住んでたんです」
売れっ子になり、生活が向上したので引っ越ししたそうです。
ギャンブルが好きで
「前、自転車で出かけるのを見たけど、パチンコだったんだね」
「自転車で出かけるのはだいたいパチンコで…」
六角さんは大のギャンブル好きで、以前は競輪にも夢中になっていたのですが、「帰りの電車賃が無くなるまでやって、『これはマズイ』と思って…」「競輪やめて鉄道ファンになったんです」
「鉄道ファンってあまり損しないもんね」とタモリさん。
「電車賃、分かってますし」
それでもパチンコ・パチスロはまだやっているそうです。
「何年くらい?」
「30年…パチンコがチューリップだけのとき。手打ちの時代から…」「30年間で小さい家が一軒買えるくらい(パチンコにつぎ込みました)」
「去年、結婚したんですよね?」ここで拍手が。
「4回目ですよね…モテるんですよ」とタモリさん。
「モテないです…臆面もなく告白しまくったので…」「フラれても一晩酒を飲んだら忘れるほうなので…マイナスを考えず、告白して」
4回結婚するためには
「4回結婚するためには、3回離婚しなくてはいけないので、それは自分によくないところがあったので…ギャンブルはその一つです」
「ギャンブルで離婚しちゃたんだ」
「帰ったらいなくなってて…」「家具が半分になってる…」「怒った奥さんが壁に向かって正座してる…これはヤバいんです」そらヤバいでしょう!
「あと新聞紙を細かく刻んで、こう山盛りになっている…下を向いて黙っているしかない」
自分でもわかっていらっしゃる。でも
「ギャンブルはやめられないんです…タモリさんはありませんか?」
「いっぱいありますよ、酒とか」
「ギャンブルとか酒はやめられないんです」と六角さん。
「今は売れてきて、奥さんに(お金)やれるようになって」とタモリさんが言うと、六角さんがにっこりと。
「少し前までは、ここにこうして座っているなんて思わなかった」「役者を続けていてよかった」
感慨にふける六角さんでしたが、幸せを維持するためにもギャンブルはほどほどに…。