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2013年07月16日
214. 浅野温子 元祖トレンディ女優・トマト・散歩・ドラえもん 「はなまるマーケット」
はなまるカフェ初登場の「元祖トレンディ女優」ということで、貴重なトークとなりそうです。
司会の岡江さんとはドラマで姉妹役をしたことがあるそうで、大変な盛り上がり。
そして昨日のゲスト泉ピン子さんからの昆布締めをスタッフから受け取り、「ピン子さん、ありがとうございました。」と、いい雰囲気です。
「今朝のおめざ」は
「奥出雲高原トマト」(3kg 2,000円) 奥出雲農園(島根県)
「なぜこれをおめざに?」
「朝水分欲しいなーって思ってて…食べたら調子いいじゃないですか?」「集中したいときにお腹に入れて…」
浅野さんにとって、朝、水分は摂りたい、食欲はない、でも何かお腹に入れときたい、というときにトマトはうってつけなのでしょう。
初めての「はなまるカフェ」ということでセットがもの珍しいのか、テーブルに置かれた花を見て、「可愛いね、これ…センスいいよ!ここ」とノリがよくて…。
なんとなく芸能界入り?
浅野さんは1961年、東京生まれ。14歳で芸能界に入り、15歳のとき「文子とはつ」でドラマデビュー。
知り合いのプロデューサーに勧められて、ご本人の言葉にすると「受けてみれば…?」と言われてオーディションを受け最後まで残ります。
主役の俳優さんの横でワイワイ練習していたら、役が与えられてデビュー…という感じだったとか。
家族も「そのうちやめるだろう…」と思っていたくらいで、「「周りが緩かった…」というのが環境的にはよかったのかもしれませんね。
「おたまじゃくしのように(芸能界を)泳いで…」と言うと、「巨大なカエルになったじゃないですか!」と勝俣さん。
出演作をまとめたボードは作品が多すぎて、字が小さくなりました。
主だったところで、
「あぶない刑事」1986年、「パパはニュースキャスター」1987年、「抱きしめたい」1988年、「101回目のプロポーズ」1991年、…「フリーター、家を買う」2010年、「なるようになるさ。」2013年
とにかくほとんど途切れることなく出演作品が続いています。どれも話題になった作品ばかりです。
「抱きしめたい」では、浅野ゆう子さんとW主演で「w浅野」という呼称が広まります。また「トレンディドラマ」という表現もこの作品から始まったとか。
30年近く、日本のドラマの中心人物であり続けたわけですね。
また、ドラマ出演とは異なる活動で、もう10年も続けているのが、神社を舞台にしての「読み語り」。 古事記を脚色したものを「ひとり舞台」で読み語るもので、これも浅野さんにとっては大事なひとときだそうです。
はなまる解体新書
浅野さんの趣味は散歩で、さらに散歩途中で見つけたきれいな花(主に他人の家の生垣)を居住者に断らずに撮影することだとか。不審がられることもしばしばだそうです。
「知らない街で電車を降りて散歩して、迷子になった時の心細さ、分かります?」と岡江さんに問いただして(?)いましたが…。子どものように泣くこともあるそうです。
さて「はなまる解体新書」は
座右の銘…「神のまにまに」
なるようになるさ、というくらいの意味なのだそうです。万葉集の一節で、10年ほど前から、なんとなく心に残っているのだそうです。
子どものころの夢…「花屋、尼さん、舞妓さん」
子どものころから、「手に職を持って、一人でも生きていけるように」と言われて育ったので「手に職を持たないでも生きていけそうなものに憧れた」そうです。本命だったのは「尼さん」
初デートの場所…「映画館」
中2のときで、当時流行っていた映画「ジョーズ」を見て、暗くなって、「帰ろうか?」と言って帰ったのだとか。「薄いデートでした…」
マイコレクション…「ドラえもんグッズ」
丸いフォームが大変癒されるとのことで、自らも集め、また周りもくれるので結構な数になったそうです。
珍しいものでは「ドラえもん提灯」や「ドラえもん1人鍋」など…。
そして、ドラえもんが好きすぎて、数年前にあった、ドラえもんの吹き替えの「声優オーディション」に応募。テープに声を吹き込んで送りました。「最終まで残ったらしい」のですが、結果は落選。
勝俣さん情報ですが、千秋さんは、「スネ夫からジャイアンまで、すべての役に応募し、ドラミちゃんに決定」したとか。浅野さんは「私はドラえもんだけ…そして落選」本当に残念そうで…。
「なるようになるさ。」
新しく始まった橋田壽賀子さん脚本の「なるようになるさ。」では、もう一人の主演、舘ひろしさんが、演出家と「風が吹くようにやろうね」と話していたそうで、「ベースカラーを決めたのは舘ちゃん」。
今まで橋田壽賀子さんの脚本を変えた人はいませんでした。「怖くてできなかった」のですが、「舘ちゃんがそれを打ち破った。私はそれに、うっかりちゃっかり乗っかっただけ」という浅野さんです。うーん、どうなんでしょうか?
ここで舘さんからのメッセージが。
「二十数年前から一緒だけど、俺は温子(オンコ)を尊敬してるんです」「温子はシャイですよ。すごく真面目で、すごくクリエイティブ。アーティスト」とベタ褒めの舘さんです。「完璧なんだよ、あいつ、嫌な女なんだよ。必ずNG出すのは俺だからさあ…もう辛い」
浅野さんはそれに対して
「NG出すのは舘ちゃんが高いものを目指しているから…」
うーん、いい関係ですねえ。お互いの力を認めあって、リスペクトしあってて…。
そこに割って入るピン子さん?いえいえ、皆さん、仲がいいようで…。
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2013年07月15日
213. 泉ピン子 熱海・杉村春子・医者のご主人 「はなまるマーケット」
和やかな登場でしたが、これは嵐の前の静けさ…。
舘ひろしさん、浅野温子さんが主演のドラマ「なるようになるさ。」に出演されますが、脚本は橋田壽賀子さん。
「セリフは長いんですか?」という岡江さんの質問に
「長いよ!!」とひと叫び。「でもみんな適当に変えるね。『ウソだろ』みたいな…。『渡る世間』の緊迫感はまったくない…。『私の23年間返してくれっ』て…」というとにっこり。
うーん、機嫌がいいのか悪いのか…。
「でも現場はすごく仲がいい。橋田先生は88歳ですよ。年ごまかしてますね!」「私も66よ…」
そして「はなまるマーケット」のオープニングで、薬丸さんが「噛んだ」ことに触れ「あなたさっき噛んだでしょ!?噛んじゃだめよ」怖っ!
そしてそのあとにっこりして「よろしくお願いします」うーん…。
この人は上機嫌と怒声が同居してて、泉谷しげるさんたちと似た芸風(?)を感じます。しかし、これらはほんの序の口でした。山本匠晃アナがおもにその攻撃(?)を受けますが。
「今朝のおめざ」は
「あんみつ(お持ち帰り用)」(472円) 菓子舗間瀬 (静岡県熱海市)
くせのないろ過水を使って作られたあんのなめらかさと小豆の豊かな風味が特長。ほどよい食感の寒天が入り、くるみと絡めるとさらにおいしさが増すそうです。
そしてピン子さん流の食べ方があって、バニラアイスをトッピングします。
「おいしい!」という声があちこちから…。
「おいしいでしょ!?」とピン子さん。「地元熱海でございますからね!」「熱海が発展しますように!」と現在お住まいの熱海をイチ押しニ押し。ところが・・・
「駅どうにかしろよ!市長!ほんとに…。ガチャガチャじゃねえか!」「ほんとに!!」と言ってにこり。スタジオは爆笑です。
一大転機
かつてピン子さんは元気のいい女性レポーターとしてテレビに登場しました。しかしいつからか女優さんに…。その転機となったのがドラマ「日曜劇場 おんなの家 その9」(1979年放送)でした。
ここで当時31歳のピン子さんはなんとも芸達者な3人の女優さんと共演します。
山岡久乃さん(52歳)、奈良岡朋子さん(49歳)、そして杉村春子さん(73歳)の3人です。杉村さんは日本を代表する女優さんでしたから、大変な中に入ったものです。そして脚本はやはり橋田壽賀子さん。
ここでピン子さんは1シーンで12ページの長セリフを与えられました。限界を感じ、制作室でおいおい泣いたそうです。
「覚えられませんから、降ろしてください!」
「明日からリハーサルなのに12ページなんて覚えられないもん」ここで本当に降りてたら、今のピン子さんはなかった…?
「『次の日に早く来ますから、お稽古お願いします!』って言ったら、3人の先輩、早く来てくださいました」「私にとってこのドラマは忘れられないドラマ…」
「ちゃんと12ページ覚えて?」と岡江さん。
「覚えました…ほとんど食べず、眠らずに覚えた。」「山岡さんが『お前ね、セリフのない役は来ないよ』って。森光子さんにも同じことを言われて…」
確かに、寡黙な役はピン子さんには似合いません。
ここでそのときの熱演を皆で見ることに。31歳のピン子さんの迫力の演技です。
「かわいいわね…」とピン子さん。そして山本アナに「なんか言いなさいよ!あなた!あなたみたいな若い人に『かわいい』って言われたら『そうかな…』ってなるのよ!」吼えました。(爆笑)
山本アナ、ひるみながらも「でもピン子さん、ほんとにかわいかったです」
「そういう取って付けたような…長い付き合いなのに!」とピン子さん。(爆笑)
「すみません」と山本アナ。でもめげたふうはありません。けっこうピン子さんとは仲良し?
心の師・杉村春子
この後、ピン子さんは、杉村春子さんのことを語りました。杉村さんは心の師で、今も携帯の電話番号はそのままおいてあり、お墓参りにも行ってないそうです。
「厳しかったですけどねえ…。『下手ね!』って怒られて…。一緒に舞台やったときも『どうしてそんなに下手なの!もうちょっとあんた、言えないの!?』って…。『自分のもう一つの耳で自分の言った言葉を聞きなさい。そうすれば必ずセリフは自在に言えるようになります』って…」
「『お友だち、何人くらいいるの?』って聞くから、若いから『28人くらい』って。『そんなわけないでしょ!1人か2人でしょ』」
「結婚するときも彼を会わせたのは西田(敏行)くんと先生だけで…」とピン子さん。
「先生は『ひざで泣ける人を作りなさい』って。『同業者は泣けないから』って」
「なるようになるさ。」
舘ひろしさん、浅野温子さんと共演するドラマ「なるようになるさ。」では、ピン子さんは浅野さんのお姉さん。そして舘さんの義理のお姉さんを演じるのですが、舘さんと並んでうれしそうな写真が紹介されました。
長身の舘さんの横で背伸びするピン子さん。ここで山本アナがひとこと…
「ピン子さんの身長、154cmくらい…」
「うるさいよ!!あんたの人生に何の支障もないでしょ!?ちびでも!」(爆笑)そこまで言います…?
言うだけ言うとピン子さんは、またにっこり。今日何度となく繰り返されたシーンです。
「山本くんとは長いからね…でもそこでつっこまれるとはね…」
新しいドラマですが、
「『渡る世間』とは180度違うから。あの緊張感はなんだったの!?」
「舘ちゃんはいきなり台本を直した。『えーっ!?』みたいな…。『わたしはちゃんと言ってきましたよ』みたいな…」
いわゆるカルチャーショックってやつですね。演技の面でも舘、浅野の2人はアドリブの連続でやりたい放題のようです。でもそれを楽しんでいる風なピン子さんでもありました。
夫婦円満
医者のご主人とはもう25年の結婚生活です。
夫婦円満の秘訣は「適当な距離を置くこと」とのこと。「夫婦は戦友、身体を気遣う、それでいいんじゃない?」
ここで山本アナが「ご主人が医者ということで心強いのでは?」と訊いて、また噴火。
「『近くの医者より、遠くの薬局』って言うんだよ!ばか言ってんじゃない!!」と落雷。(爆笑)
「医者と結婚したんだ、週刊誌に『ピン子、玉の輿』って…18万でどこが玉の輿だよ、逆玉だ!バカやろう!!」(爆笑)
ああ、おもしろすぎる。ピン子さんが出るトーク番組は必ず見よう…怖いもの見たさです…。
「点滴打ってもらうために、どんだけ家で芝居するか?家の芝居のほうが多いんだから…なるようにしかならないんだから…」さりげなくドラマの宣伝?
「お願いだからたまには点滴打ってちょうだい…」とテレビの前のご主人に懇願?
今は亡き横山やすしを髣髴とさせ、泉谷しげるを凌駕し、カンニング竹山をはるかに見下ろす、迫力満点の泉ピン子さんでした!
2013年07月12日
212. 賀来千香子 チョコケーキ・マイケルジャクソン・韓流 「はなまるマーケット」
すらっと伸びた足、本当に見事なプロポーションです。その話題でまずは盛り上がります。
「今朝のおめざ」は
「オランダ坂の石畳」(2,500円) ネオクラシッククローバー (長崎県雲仙市)
ベルギー産のミルクチョコを使用し、生クリーム、カカオスポンジ、バニラスポンジを8層に重ねて、スイートチョコでコーティグ。独特の食感とハーモニーが魅力だとか。
「なぜこれをおめざに?」
賀来さんのメイクさんのご実家が長崎で有名なカステラ屋さんを営んでいて、そこのお菓子だそうです。
「私、チョコレートが大好きで、それでこのチョコレートケーキが…。私にとってクリームとチョコレートとスポンジのバランスが、クリームがちょっと多いほうが嬉しいんですね。その願いをかなえてくれていて…」
「層がきれいですね」という声が…。「そう!」と賀来さんは言いませんでした、もちろん…。
「おいしい!これ、おいしい!」と薬丸さん。「少し口の中にずっと残っている食感が心地いいですね」
ほぼ毎日の朝食
朝食はプレート4枚。1枚目にはイチジク。2枚目にはマフィン。3枚目にはヨーグルトとブルーベリー。4枚目にはサラダですが、このサラダがなかなか盛りだくさん。
「アボカド、キュウリ、ミニトマト、カシューナッツ…」「私、マイケルジャクソンが好きで、カシューナッツとアボカドしかめしあがらないという情報があり、『体にいいんだな』と思って…」
けっこうなボリュームですが、朝昼兼用でほぼ毎日これを食べるそうです。
もう一人の自分
書店に行くと、必ず賀来さんが表紙のファッション誌が置いてありますが、もともとは賀来さんはモデル出身。
ファッション誌の撮影も好きで、テンションの上がる仕事の一つだそうですが、そうなるまでには時間が必要だったようです。
私たちが賀来さんをドラマで初めて見たのは大ヒットドラマ「男女7人夏物語」でしたが、当時はモデル出身の女優が少なく、周囲の目は冷たかったそうです。
ご自分でも「モデル上がり」がコンプレックスだったとか。
しかし時代が変わり、モデル出身の男優や女優はかなりの数に。気がつけばモデル出身の女優としての先駆者のような存在になっていました。
現在は「モデルと女優の2つあって、今の自分があるな」という、感謝の気持ちになっているとか。
ファッション誌の表紙モデルの仕事を「ありがたいですね」と受けとめる賀来さんです。
撮影の様子が紹介されていましたが、本当に和やかなムードでの撮影で「私はスタッフに恵まれてて…」と一言。
賀来さんが同世代に贈るお薦めファッションアイテム
@カラーパンツ
「今年は流行ってますね、鮮やかな色が。今年は色がいいです。新たな自分を出して…」
「基本は3色だと思ってるんです」この3色とはカバンや靴も含めての3色だそうです。ということはけっこうシンプルですよね。
Aスニーカー
ジーンズにスニーカーは普通ですが、そうではない服にスニーカーを合わせ、違和感を楽しむのだとか。
「定番はコンバースです」
バッグの中身は…
財布や身だしなみのグッズに混じって写真のようなものが…。
「韓流にハマってて…。チャ・スンウォンが好きで…」
チャ・スンウォンは現在43歳。今大人気の俳優さんで「最高の愛〜恋はドゥグンドゥグン〜」が大変おもしろいのだそうです。「この方もモデル出身で…」
「周りが韓流ファンで」その影響でいろいろ見せられているうちに、「周りの思惑通り」韓流ファンになったのだとか。
東方神起は「ファンクラブに入っている」ほどです。「紅白のときに『素敵だな』と思っていて、ライブに行ってハマって…」
ライブの客席で隣の人にサインを求められ、応じて書いたところ、それがその人のブログにアップされていた、ということもあったそうです。「下手な字で書いてしまって…」
現在舞台の「真田十勇士」に向けての稽古に余念がないようですが、モデルとして女優として、また趣味の韓流など、公私ともに充実の賀来さんでした。
2013年07月11日
211. 石塚英彦 俳優志望・お気に入り洋食屋・十条銀座商店街 「にじいろジーン」
「ぐっさんを連れて行くならこんなトコ!」でぐっさんとの待ち合わせは東京都品川区大井町。
「大井町はいいとこだなあ…。うまいもんだらけではないかと…。」つぶやきながら石塚さんを探すぐっさん。
とある路地に見覚えのある大きな背中が…。石塚さんです。口の周りを白く染めて何やらむさぼっています。シュークリームのような…。
「喉が渇いちゃったからさあ…」と石塚さん。「ぐっさんも食べる?」とシュークリームを差し出して「ウェルカムドリンク」
ツッコむ気にもなれません。
強烈な洋食屋「ブルドック」
しばらく歩いて路地に入ると、目立つ看板が…。「お食事は大井一うまい、やすい ブルドック」
「ただいま!」と入る石塚さん。
「ぐっさんに食べてほしい料理がある」と、店の主人、鈴木謙さんに話しかけます。「ぐっさんをあれで驚かせてやりたいんですけど…」
「あれで?」とご主人。「行きます」
「いつごろから(この店に)来てるんですか?」とぐっさん。
「ぼくはもう5年ほど前から…5、6回は…」と石塚さんが答えると店長の鈴木さんがすかさず、
「いやもっと、300回近いんじゃないですか?」
「そうねえ、5、6回が300回…こらこら!」とツッコむ石塚さん。ここの店長、面白いけれど、ちょっとめんどくさいかもしれない…(失礼)。
「ここの料理、ヴィジュアルが一番じゃないかな…」と石塚さんが言ってるうちにハンバーグらしきものが運ばれてきました。
おお!ハンバーグが四重の塔になって…。
「ハンバーグ」(830円)
一番上のハンバーグはハート形をしています。ちょっとメルヘン?
「一番上はハート?」とぐっさん。
「いえ、ちがいます。お尻です」と言ってその場を去る店長。ほんとにめんどくさい…。
「殴っても痛くない鈍器、持ってないすか?」と石塚さん。(笑)
この店長、かなりです。ちょっと楽しみになってきました。
次に出たのは
「メンチカツ定食」(1090円)これもかなりのボリューム!インパクトがあります。
「初めて見た、このサイズ…」とぐっさん。
「おススメです」と石塚さん。
サクサクの衣とあふれ出る肉汁が楽しめる大満足の1品だとか。
「ご本人を前にして言わしてもらっていいですか?」とぐっさん。「まいうー!」
「まいう、入りました!」と石塚さん。「いい汗かいてるねえ。肉がいい汗かいてますよ」
そして店長に話しかける石塚さん。これは危険な行為では?
「店長、お肉そのものがいい味なんだけど?」
「手洗うの忘れてたから…」出た!やっぱりこの店長ヘンです。
「ぶっとばす!」と石塚さん。でも。石塚さんがこの店を紹介したのは料理だけではなくこのヘンな(失礼)店長も紹介したかったのでは?
もともと俳優志望…
石塚さんは1982年、21歳のとき、俳優を目指して劇団に入団します。
最初はエキストラでした。あるとき、「明日坊主(頭)にできる人?」と言われ、石塚さんは迷わず手をあげます。
翌日坊主頭にして東映撮影所に。すると、
「『戦争映画なのに、お前、なぜ物のない時代なのに太ってるんだ?』と言われて…」そしてエキストラの中でも離れたところにいるように命じられます。
2年間、エキストラの仕事をして、石塚さんは考えます。当時、伊東四朗さんやいかりや長介さんなど、お笑いの大御所がいろんなドラマや映画に出ている…。
「お笑いから入るという登山口もあるんだな、と…」目指す頂上は俳優ですが、まずお笑いから入るということですね。
「面白かったら放っておかないでしょ?」確かに…。「小劇場でも面白かったら話題になるでしょ?」
念願かなって現在は俳優としても活躍しています。
「大きな夢があるんだ」と石塚さん。「正月映画に出たいんだ…『肉バカ日誌』とか」(笑)
「完全にパクッてますよね」とぐっさん。
「和牛と出会う…全国をロケして…最後に牛にフラれて、また旅に出る…」妄想が入ってます。
「食べたらいいですやん!」とぐっさん。確かに。
十条銀座商店街で食べまくり
次に2人が向かったのは北区にある十条銀座商店街。
「ぼくは好きなんです、商店街が」と石塚さん。「全国にいろんな商店街があるんですけれど、なんでここが好きかというと、即戦力の塊なんですよ。料理して、とかじゃなく、そのまま、アン・ドゥ・トロワ」と口に放り込むしぐさをする石塚さん。要するに、すぐに口に入れられるものが多いってこと?
十条銀座商店街は昭和初期にできた、長さ400m、179もの店舗を抱える商店街です。
歩き始めていきなり石塚さんが目を輝かせます。そのお店は
「あい菜家」チキンカツ、チキンステーキ、ポテトコロッケ等々、かなりの品ぞろえです。
「ぜんぶ即戦力だ!」と石塚さん。
石塚さんはコロッケとエビマヨ。ぐっさんは軟骨ボールと唐揚げを頼みます。
「んまっ!」という声が2人から。ジャイアント・ロボかっ!というツッコミが分かる方はかなりの年齢のはず。
続いて行った店は
「野菜の台所」朝採りのゆでたトウモロコシが並んでいます。さっそく食べる2人。もくもくと食べるばかりでコメントがありません。
石塚さんが口を開きました。「甘いと書いて、トウモロコシと読むんだねえ…」微妙です。
ここで石塚さんがぐっさんに提案します。
「商店街を盛り上げることができないかと思って」「商店街の歌を2人で作り、歌えないかな?」
石塚さんは6年前からバンド「ビーフ・ジャンキーズ」のボーカルをしています。
「いいですね!」とぐっさん。
そして曲作りのために、もう何軒か店をまわることにしました。
ある店の軒先で生のキュウリを見ていて、通りがかったおばあちゃんにプレゼントされました。「今、寄付してあげるからね」
かき氷ののれんを見て、石塚さんがぐっさんに質問します。
「この時期、人間に必要なものは?山口くん」
「氷です!」と店に入る2人。
即興ライブ敢行!
ネタを十分仕入れた2人は歌を作りました。詩を2人で書き、それにぐっさんが曲をつけました。所要時間約20分!
そしておそろいのユニフォームで即興ライブが始まり…。
「ハイカロリー石塚です」「ローカロリー山口です」「2人合わせてザ・カロリーズでーす!」これって「あまちゃん」ですよね。
そして歌が始まります。
純情 愛情 十条銀座商店街
5m×400mの天国 横道それてもメイン通り そこはカロリーパラダイス …
女子大生からおばあちゃんまで すれちがうのにからみあう …
アーケードだからロケ上手 じゅうじょうむじんに広がるよ …
理想は高く 値段は安く 人は純情 ここ十条 …
うーん、制作時間20分とは思えません。この歌は現在十条銀座で流れているとか。
石塚さんのカオスな熱意を感じた「ぐっさんを…」でした。
2013年07月09日
210. 小泉孝太郎 「総理の息子」「アンタッチャブル」・いかりや長介・ミスチル 「サワコの朝」
登場前、アガワさんは次のように話されました。
「今日のゲストは本当にこんな爽やかな青年が、という顔をしていますが、心の中は大変にいろいろ苦労をしていると、親の七光り族の1人としては思うのですね…」(笑)「まあ、ちょっと格が違いますけどね、私とは…」
確かに小泉さんがデビューのときは「現総理の息子」というふれこみでしたから、親の七光りと思われても仕方がない状況でした。
「大変だったでしょう!?」とアガワさん。小泉さん、爽やかな笑顔なのですが、決して否定せず…。
代々政治家の家に長男として生まれ、23歳のときに芸能界デビュー。23年経った今、連続ドラマ「名もなき毒」で初主演を務めることになりました。ここまで大変だったはずなのです。
記憶の中で今もきらめく曲
「アンタッチャブル(の主題歌)」エンニオ・モリコーネ
ケヴィン・コスナー主演の大ヒット映画の主題歌です。
「父親に『これだけは見とけよ』って言われて…」しばらく聞いていましたが「テンション上がりますね!今日絶対見よう」
「映画館で初めて見た映画、ETなんですよ。幼稚園の年長だったと思いますね…」「最後のシーンで泣きました」「どうしたらスクリーンの向こうで生きることができるのかと、という…ずいぶん考えましたね」
「それが最初の役者への目覚め…」とアガワさん。
「目覚め、というか、恋い焦がれるというか…」
父の教育
「厳しさと優しさ、その2つですね。厳しさだけの日はないし、優しさだけの日もない…緊張感、ありましたね」
「お忙しいのでは?」
「週1回、帰ってきたときは、まず公園で…。『次、銭湯行くか』寝る時も絵本読んでくれて…」「本を読んで父が先に泣いてました…」
小泉元首相、なかなかいいお父さんですよね。
「悪さしたこと、ないんですか?」
「家を一歩出ると町中に父親のポスターがあるんですよ」(笑)「悪さしたくてもできないですよね」
「でも辛いというか、『サラリーマンの家に生まれてたら』って…」とアガワさん。
「それはよく考えましたね…なぜ自分はこの家に生まれたんだろう?自分の人生、どいうふうにしていけばいいんだろう?ずいぶん考えましたね…」
「周りのプレッシャーは?」
「父が一度も『政治家をやりなさい』とは言わなかった、『好きな仕事をしなさい』って。それが救いでしたよね。もし『政治家になれ』って言われてたら、ぼく、つぶれてたでしょうね…どっかで…」
「そう?」
「でも、高校のころから、『そういえば小っちゃいころから映画好きだったし、自分自身が一生懸命になれる世界ってなんだろう?』っていうと、この世界でしたね」
「役者の世界…」
そのあと小泉さんは大学に入るのに2浪しています。
「勉強は好きなほうではなかったし…ちょっと考える時間、将来についての…申し訳なかったと思いますが…アルバイトもしたし…」
家からもらってたのは食費の500円だけで、お小遣いはなかったとか。「体を動かして働くのがよかった…」
役者への道
「石原裕次郎賞」に申し込み、落選したのは20歳のとき。お父さんには事後報告でした。
「ちょっとお父さんに言っておけば…」とアガワさん。
「そういうのイヤでしたね、父親のコネとか…」
お父さんに結果を告げると「そりゃダメだろうな…そんな簡単な世界じゃねえよ」という言葉。
そうこうしているうちにお父さんは総理大臣になり、孝太郎さんも「総理の息子が芸能界に…」ということで注目を浴び、「両手ほどの」プロダクションからのオファーを受けました。
「ちょっといい気持?」
小泉さん、複雑な気持ちだったそうです。
「ごくごく普通のサラリーマンとして生きていこうかとも考えて…。二者択一で…。父を見ていて、表に立つ人間の家族の苦しさも分かってたんで…。」「穏やかに生きてくってのもいいな…普通に散歩して、お茶飲んで…」
迷った小泉さんは総理公邸に向かいます。
小泉さんが切り出す前に、お父さんは「やってみればいいじゃないか!」と。
「『あ、いいんだ!』と思って…」「父に『やめてくれ!』って言われたらやめとこうって…」「あの時の父を見ていたら、自分の(夢)なんていくらでも押し殺せた…」
小泉さん、政治家の家に長男として生まれた自分の立場も分かっているし、日本を背負って立っているお父さんの立場も分かっているし、「自分の夢を貫いて、お父さんに何か迷惑をかけちゃいけない」という気持ちもあったろうし…辛かったでしょうね。
現役総理の息子が芸能人としてデビュー。たびたびインタビューを受けます。
「個性を出さなきゃいけないのに、ぼくは『自分の個性を消さなきゃ』って思ってました。何を言っても『総理の息子』だから…。」
「一番つらい時期だった…」と振り返る小泉さんです。
恩師との出会い
この辛い時期にうれしい出会いもありました。事務所の大先輩、故いかりや長介さんです。悩む小泉さんのために時間を作り、いろいろ話をしてくれたそうです。
「(役者は)いい仕事だよ。30、40、50になっても、その時の自分を出せる。いい時もそうでない時も、その時の自分で勝負できる世界だから。君はこの世界に入ってよかったよ、いい世界に入ってよかったよ」
「ものすごく温かくて、『焦らなくていいんだよ』って肩をポンと…」
いかりやさんは台本の読み方も教えてくれたとか。そして「絶対にいかりやがお前に教えてることは言わないでくれ。役者が役者に教えることは恥ずかしいことなんだ…」
役者としてのスタートの時期に小泉さんはいい先輩に出会いましたね。これも運がいい?それもあるでしょうが、私は小泉さんの人徳ではないかと思います。小泉さんには若者らしい「可愛げ」があります。そっと救いの手を差し伸べたくなるような…。
今年で12年
今年でデビュー12年になる小泉さん、「幸せなこと」と一言。
「『明けましておめでとう』から、今年1年のスケジュールが全部埋まって…本当にうれしかった…やっと小泉孝太郎になれたっていうか…」
「小泉首相の息子の」小泉孝太郎だったんですよね…。
「『そういえば、お父さんは総理でしたよね』って言われることがあって…」
今年はついに連続ドラマの主役です。
「今はこの道に賭けてみてよかったな…と」ほっとしたような、何ともいい表情です。
今、心に響く曲
「innocent world」Mr.children
この歌は小泉さんが高1のころに流行った曲だそうです。どんなに落ち込んでいるときでも、この曲を聴くと「頑張ろう」とプラスの気持ちになれるのだとか・
「ちょっと危なかった…泣きそうだった」「自分は将来どうしたらいいんだろう、というときに聴いたんです」
今日もアガワさんの「聞く力」炸裂!いろんなことを話して小泉さんはさっぱりした表情に…。
「走って帰れるくらいに元気だ!」が最後の言葉でした。
それにしても思います。
悩める若者よ(別に若者でなくてもいいんですが)、「サワコの朝」を毎週見よう。人生のヒントが必ずある。
叫びたくなった私、よしろうでした。今週もよかった…。