2013年06月29日
203. さだまさし 28億の借金を返済・國學院高校・落語研究会 「はなまるマーケット」
2人組のグレープ「精霊流し」で1974年にデビュー。バイオリンを奏でるグレープは並み居るフォークグループの中でも異色でしたが、40年を振り返って「あっという間でした」「まばたきする間」とのこと。
「同期は?」
「中条きよし、仁支川峰子(西川峰子)、ダ・カーポ、浅野ゆう子、あいざき進也…仲良かったですね、みんな…楽しかったですね」
「今朝のおめざ」は
「しみずの奈良漬け(瓜)」(1パック300g 1,050円) 清水商店(奈良県大和郡山市)
国産の瓜を酒かすや調味料で3年以上じっくりつけこんだものだそうです。
「なぜこれをおめざに?」
「春日大社の宮司さんにごちそうになって…。店が(周りが畑の)ぽつんとしたところにあって、行くのがはばかられて…」勇気をだして行ってみたら、大変良かったとのことで…。
店内の壁に「創業43周年記念…」と貼ってあるのがさださんには印象的だったとか。「どうせ来年には創業44周年と貼るんでしょう」確かに!しかし味は本物とのことです。「真面目に作っています」
ソロコンサート3999回!
恒例の「さだまさし、アコースティックコンサート・ツアー」が今年2013年の6月23日で、3999回を終えたとのこと。すごい数です!
36年で3999回こなしたそうで、「一番多い年で180回…2日に1回うたってました」
「4000回は来月、日本武道館でやります、せっかくですから」「日本中行きまくりました。北海道の夏・冬、沖縄の夏・冬も経験しました。主な県庁所在地は2,3週間は(トータルで)生活しました。大都市は2,3か月生活してる…」
観客も「第2世代、第3世代になっていて…。『ひいおばあちゃんとおばあちゃんとお母さんと私(18歳)とで来ました』という方もいて…」
「なんでそのペースで?」と熊谷真実さん。
「借金です。28歳のときに28億円、個人で。金利入れると35億円。『長江』という映画で…。」
覚えています!「長江」という映画。それまでヒット曲連発で、飛ぶ鳥を落とす勢いだったさださんの20代後半。「さだまさしが初監督」という鳴り物入りで公開された映画が「長江」でした。そうか、あの映画は当たらなかったのですね…。
「(借金)返しちゃった…2,3年前」「28から58まで」「(映画の前は)島を購入、ベンツを購入…」「島に橋を架けようとしたけど杭を2本打ったきり…」
「終わった時の気持ちは?」
「終わったとたん、え!いいの?私腹を肥やしていいの?」
大変な苦労だったはずなのに、ジョークも飛ばしながら「みなさんのおかげで」とニコニコ。うーん、すごい人だ…。
ファンが選んだ39曲
ファンが選んだ「さだまさしの名曲ランキング」に基づき、「天晴〜オールタイムベスト〜」をリリースしました。全部で39曲なのですが、上位にランクインした曲は…
1位 主人公 2位 風に立つライオン 3位 奇跡 4位 案山子 5位 まほろば 6位 いのちの理由 7位 道化師のソネット 8位 修二会 …
ファン投票の期間中、「ずっと1位だった」のが「主人公」です。アルバムの中の1曲で、評判がいいのでシングルにしたら「あまり売れなかった」そうです。そういう曲もあるのだとか。
私たちの印象に残っている「精霊流し」(1974)は18位、「関白宣言」(1979)が25位、「北の国から」(1982)が34位と、ファンが選ぶランキングと必ずしも一致しないのが面白いところですね。
「北の国から」は「どうして、アー、ウーだけなんですか?」という質問が。
「ぼく九州人なんですよ。北海道の自然を歌う…言葉が出てこないんですよ。あまりにも雄大だから」「倉本先生(「北の国から」の脚本家)に『言葉はいらないでしょ?』って言ったら『俺もそう思う、歌詞なしでいこうね』って」「『まわりに歌詞付けてヒット曲にしてくれって言われてもその誘惑に負けるなよ、さだ!』って…」
「『関白宣言』の評価が低いんですが、その前にどうして売れたんですかね?どの曲も売れるとは思わなかった…」
國学院高等学校還暦記念同期会
さださんは音楽留学のため、中学校から故郷の長崎を離れ、東京で一人で生活していました。
そして音楽高校を受験するのですが失敗。二次募集で國学院高校に入学します。
さださんいわく、「仲間が悪くてクラシックをあきらめた」「加山雄三さんも悪い。憧れてバンド活動を始めて…」
バイオリンをやっていると、他の楽器はできるようになるとのこと。ギターやらピアノやら、コーラスやら、必要なパートはほとんどこなせるので、大変重宝がられたそうです。
「ソロ歌手になるとは思いもしなかった…」「曲を書いたり詩を書いたり…裏方になりたかったんです」
ファンとしては借金のおかげで、ずっとさださんの歌が聞けたのかもしれませんね。借金がなかったら、歌作りやプロデューサー業に専念していたかもしれません。
さださんのいた2年10組は1クラス68名でした。マンモスクラスですが、それには訳があります。
「1年のときに悪かったやつが集められて…学級崩壊する可能性もあったんですが、悪ガキが結束しちゃうと学年をリードするんですね」
楽しそうなクラスですね。しかし、ほぼ毎日、7,8人は休んでいたとか。
ところがある日大雪が降って、電車の止まっている中、4時間かけて登校してクラスに入ったらHRの最中で、さださんを見てみんな大拍手。「お前で全員そろった」と担任の先生。「他のクラスは誰も来ていない。こんなお前たちがおれは好きだ。さだも来てくれたし、じゃあみんな帰ろう!」さださん、また4時間かけて帰ったそうで。いやあ、なんとも…。
高校時代のさださんは…
悪友の一人が師岡熊野神社(神奈川県横浜市)の宮司、石川正人さん。
「(さだが)落研に入ってきて意気投合。2年で席が隣になって…」
「(さだは)必ず輪の中心にいる。話題豊富、おしゃべり大好き、しかもマメ。先生の癖を盗むのがうまかった…」
「さださんに助けられた思い出は?」という質問に、
「助けられた思い出はない、助けた思い出はある」
故郷を離れ、一人で暮らすさださんの生活費が厳しくなると、石川さんたちは「さだ募金」をしたそうです。校内をまわって、「10円くれ、さだを助けてくれ」とお金を集めたとか…。数千円になったそうです。
「そんなに集まったのもさだが明るかったからだと思います。」と石川さん。
「そのお金で牛肉買って食べるから、一気になくなる」とさださん。「悪辣な募金には気を付けてください」とも。
いやあ、面白い。
さださんがグレープでデビューしたときのことを私(よしろう)はすごく覚えています。私は拓郎・陽水派だったのですが、クラスで前の席の友人がグレープのファン。その良さを熱く語ってました。
私は当時のさださんのお顔を見て、「神経質そうな人だ」と思ったことを覚えています。「一発で消えそうだな」とも思っていたのです。なぜか?線が細そうだったからです。その後「無縁坂」やら「関白宣言」やら様々なヒット曲を連発するのを見て、自分の不明を恥じました。
溢れる才能で大量に曲を作り、落語家張りのトークでライブを盛り上げることの出来る、稀有な音楽家・エンターテイナーでした。クラシックの音楽家にはならなかったかもしれませんが、民衆の音楽家として大成功されたのではないでしょうか。
これからもご活躍を!
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