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2013年06月20日
194. 原田知世 塩サブレ・ひとりチゲ・小野寺修二 「はなまるマーケット」
原田さんは1967年、長崎生まれの45歳。
14歳のときに「角川映画 大型新人募集」で特別賞を受賞。
その年にテレビドラマ「セーラー服と機関銃」でデビュー。翌年、映画「時をかける少女」でブレイクします。
当時は「角川3人娘」として、薬師丸ひろ子さんや渡辺典子さんらとともに日本映画を支えました。
その後も「私をスキーに連れてって」でスキーブームを巻き起こし、最近ではNHKのテレビ小説「おひさま」で井上真央さんの母親役で話題を呼びました。
私生活では2005年にイラストレーターのエドツワキさんと結婚。
「今朝のおめざ」は
「塩サブレ」(オリジナルボックス入り 5袋 900円) プティタプティ (長崎県平戸市)
地元平戸市の海水浴土産だそうです。
ていねいに薪で仕上げた塩と、ほんのり優しいサブレのバランスが絶妙の、お店一番のメニューだとか。
「可愛いですね」「おしゃれですね」と司会陣。
「形も可愛いし、お味もすごくいいんです」「去年ライブをやったとき、お友だちからこれをいただいて、あまりにも美味しかったので…」「2度目のライブのときにはライブ用に特別に作ってもらって販売させていただいたんです」「今までグッズとかはライブで販売したことがあったんですが、お菓子は初めてで…」
2歳違いのお姉さん
原田さんは実は4人兄妹の末っ子だそうです。上の2人とは年が離れてたのですが、すぐ上のお姉さんとは2歳違いということで「姉妹だけど友だちみたいな」関係で今でも仲良くお付き合いしています。
お姉さんは子どもができてから子育てに専念していますが、知世さんから少し遅れて芸能界デビュー。主演作もありましたね。
そのお姉さんが久しぶりに映画に出演。知世さんと共演しました。
「ペコロスの母に会いに行く」という映画で、知世さんとは幼馴染の役だそうです。
お姉さん、久しぶりの映画だったはずなのに「自然と役に入れて…びっくりしました」「役の人に姉が見えて…」
きっかけは真田広之
若くして役者の道に進んだ原田さんですが、きっかけは真田広之さんでした。相手役募集のオーディションがあったのです。
「もしかしたら会えるかもしれない」と応募。先述したようにそれで特別賞に選ばれ、この道に入ることになりました。
「本選会で会えて『もう終わった』ってなっちゃって」「こんなに長くするとは思わなかったです」
オーディションが4月、夏には「セーラー服…」に主演、翌年「時をかける少女」と、本当に時代を駆けていきましたね。
大ヒットした「時をかける少女」ですが、30年経って、ようやく最近「腑観で見られる」ようになったとか。
「誰かの青春の1ページにこの作品が残っていると聞くとうれしい」
ご主人へのサプライズ
結婚して8年。「1番身近で、離れた目線でアドバイスをくれる」ありがたい存在だそうです。
そのご主人、知世さんのアルバムでとんでもない写真を見つけました。それは幼い知世さん(15歳)がYMOの3人と仲良く写っている写真でした。実はご主人、大のYMOファンだそうで。
一昨年、そのYMOがロスやサンフランシスコでライブを開くということで、ご主人の誕生日のお祝いを兼ねて、そのライブに夫婦で出かけました。
一般の夫婦でしたら、「よかったね。いい思い出になった」で終わりでしょうが、原田さんが奥様ですから、それだけではすみません。
YMOの3人とご夫婦で会食、3人はご主人のためにケーキを用意し、歌まで歌ってくれたとか。狂喜乱舞ですよね。
ご主人ひたすら写真を撮っていたそうで、原田さんと結婚してよかったと、改めて噛みしめたのではないでしょうか。
ひとりチゲ鍋
その原田さんが最近ハマっているのが「ひとりチゲ鍋」です。
30年ぶりに舞台をすることになって、毎日帰りが遅いのです。1人で食事をするときに食べたくなるのがチゲ鍋で、夜遅くに原田さんはチゲ鍋を1人作り、1人で食べているのだとか。
不思議な舞台
そういう生活を原田さんに強いている舞台の演出を手掛けてるのが、小野寺修二さんという方。
5年前に原田さんは小野寺さんが演出した舞台「空白に落ちた男」を見て大感動。
セリフがほとんどなく、無声映画のような独特の世界に原田さんは魅了されてしまったのです。
その小野寺さんが5年ぶりに舞台をすると聞いて、原田さんはなんとしても出たい、ということで出演することになったのです。
その舞台「シレンシオ」は7月2日から上演されるそうです。
他にも「歌と音読の会」を定期的に開いたりと、積極的に活動している「時をかける」原田知世さんでした。
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2013年06月19日
193. 石倉三郎 浅草・大阪で開眼・俳優志望・高倉健・三木のり平 「にじいろジーン」
「ぐっさんを連れて行くならこんトコ!」で待ち合わせをしたのは浅草です。
「石倉さん、どこにいるのかな?とぐっさんが浅草の繁華な通りを歩いていると、明るい日差しの中、石倉さんはすでに一杯やっていました。
30年通う居酒屋
昭和44年創業の「居酒屋 大勝(だいかつ)」です。「ぼく、生まれた年です」とぐっさん。
この通りは、約20軒の大衆酒場が並ぶ、通称「煮込み通り」と呼ばれる通りで、日中から大勢の客で賑わう人気スポットです。
「おれ、喰うもんなくて、住むとこなくて、夜露で生きてきたね」と石倉さん。
人気メニューは
「牛もつ煮込み」 (550円) 国産牛のみを使用した、さっぱりした煮込みです。
「青空の下で飲む、何とも言えないわ」と嬉しそうな石倉さん。そのときハプニング。
「あ!京子ちゃん!」とぐっさんが声を掛けたのは、自転車に乗った浜口京子さん。
自転車から降りて挨拶する浜口さん。「美容院へ行こうと思って」地元なんですね。
「いつも浅草で会うんです」とぐっさん。ひとしきりあいさつした後、浜口さんは再び美容院へ。
「ああいう育てられ方をしたいね」と石倉さん。これにはいろんな含みがあるかと…。自らの貧しかった幼少時代が頭をよぎったのでしょうか?
ところでずらっと並ぶ居酒屋の中でどうして「大勝」を?
「ここを通りかかったのは30年前。名前が気に入ってね。先代が喰えない芸人のことをよくわかってくれてね…」
1967年、石倉さんは役者を志し、東映に入社。
1980年にレオナルド熊さんと「コント・レオナルド」を結成。大ブレイクします。
「もともとは東映でスタート?」「そう!」売れない時代が15年続きました。
売れてからも苦労はありました。関西の3花月(なんば花月、うめだ花月、京都花月)に出た時のことです。
「花月で、クスッともないよ」つらくて懐かしい思い出です。
「俳優として手応えを感じたのはいつごろですか?」
「まだないね」「え!かっこいい…」
「いや、ほんと。まだないね」「いつか手応えを感じるようになりたい…」
六区でプリン
その後、大衆演芸の中心地「六区通り」を散策する2人。
浅草にゆかりのある芸人さん、33名の写真が飾られています。
この通りを歩いていて、ある店の人から声を掛けられます。そのお店は
「浅草シルクプリン 2号店」
「入ろうか?」ということで店内へ。「いつから(の営業)ですか?」「2年前です」
2人が食べたのは
「浅草シルクプリン」(350円)
屋外のテーブルで食べる2人。口に入れて「ん!うまっ!」とぐっさん。「うまいよ、これ」と石倉さん。
「浅草でちょこんと座って甘いものをいただくのもいいですね」とぐっさんが言うと、「ぜいたくな日だね!」と応える石倉さん。「そういう場所なんでしょうね」
内気な少年を変えた言葉
続いて2人は浅草寺へ。
浅草寺の境内(?)のベンチに座り、石倉さんが幼少時代を語ります。
石倉さん、今でこそ強面で(失礼)、元気なイメージですが、幼いころは大変内気な性格だったそうです。引っ込み思案で暗かったとか。
「貧乏だったから明るくなりようがなかった…」
小6まで小豆島で暮らし、中学校から大阪に転居。
「学校に持っていくお金ってあるじゃない?義務教育と言えどもさあ、PTA会費とか…」
「あるガキが『お前、何カ月も持ってきてないやないか!』って」
ここで石倉さん、言い返したのです。
「しゃあないやないか、貧乏なんやから。義務教育で金取るんかい!おかしいと思てたんや!」
この一言が大受けしたのです。面白ければOKという土壌が大阪にはありますからね。
「貧乏がギャグになるのよ。大阪ってとこは素晴らしい国だと思ったよ。それで性格が180度変わったね」
スター誕生の瞬間です。今の石倉さんに通ずる明るさや押しの強さを育てたのは大阪?
石倉さんは、当時人気のあった三木のり平に憧れ、20歳で上京します。
「三木のり平・命だったわけ…そのためには東京に行くしかないだろうって」
バイト時代、高倉健さんが毎晩のように通っていた喫茶店に、たまたま石倉さんも入り、面識を得ます。
「うわあ!高倉健だ!」
役者志望のことを健さんに話すと「東映に来れば給料ももらえるし、最初は通行人とかだろうけど、頑張って…」
「天の声だよ、でも運が良すぎたんだね…ずーっと停滞しているのは」
地元にて
続いて江東区門前仲町にやってきました。
「来ましたね、地元」
2人が入ったのは
「花菱(はなびし)」
石倉さんの奥様(石原富久子さん)が女将を務める創業49年の割烹料理店です。
石倉さん、料理人の格好をして、カウンターの中に入り、包丁を握ります。
「ぐっさんは私を貧乏ったらしい男だと思っているでしょ?」「一言も言ってないですよ!」「おれの被害者意識?」確かにすごい被害妄想ですね。
石倉さんがササッと作ったのは
「揚げとキュウリの酢の物」キュウリと油揚げを三杯酢で和えた料理です。
「イワシのカレーピカタ」イワシをカレー粉と小麦粉を混ぜたものにつけて油で揚げました。
「うまい!石倉さんが考えてるんですか?」「あたり前田のクラッカー」「久しぶりに聞くわ」
いいなあ、石倉さん。石倉さんに強さ・侠気・切なさ・ユーモアが感じられる理由が分かった気がした、「ぐっさんを連れて行くなら…」でした。
2013年06月18日
192. YOU 女子高で目覚める・ユーミン・ダウンタウン・子育て・藤井隆 「サワコの朝」
登場前、アガワさんはこんなコメントを。
「はっきり言ってそんなに若くないはずなんですけれども、なんでいつまでもこんなに魅力的で、ロックで…男の人にもモテるんですけれども…」
そしてYOUさんの登場です。朝から黒のノースリーブ。いつも腕をむき出しているイメージがあります。
「生理的にここに(二の腕に)布があるのがダメで」
YOUさんは18歳のとき、原宿でスカウトされ、モデルとしてデビュー。23歳でバンド「フェアチャイルド」のボーカルとして活躍します。
有名になったのは、伝説のコント番組「ダウンタウンの ごっつええ感じ」に出演してからです。
記憶の中で今もきらめく曲
YOUさんの「記憶の中で今もきらめく曲」は
「やさしさに包まれて」荒井由実
この歌はYOUさんが小6のときに、友だちからカセットテープを借りて初めて聞いたのだとか。
「フワーってなっちゃって…」
もともとYOUさんのお父さんは音楽好きで、クラシックやらアバやら山口百恵やら、いろんな音楽が家の中に流れていたそうです。
一人っ子のYOUさんはピアノにバレエ、書道、水泳とさまざまな習い事の日々を送ります。
それが高校生になると「期待を裏切って、原宿で遊んで」という感じに…。
「高校がすごく楽しい女子高で」
高校生の頃、YOUさんは男子が苦手だったようです。「男子は汗を出す…においが…」
女子高では「カーラー巻いてて、教科書を立てて寝てて…」
アガワさんも女子高だったそうですが、このあたりの話には口をあんぐり。
嫌いなことができない
当時バブルは始まっていて、原宿歩けばモデルに当たる、という時代。YOUさんのモデル業はスタートしたのですが、1年ほどでカベに当たります。
「嫌いなものを着ると顔に出ると分かって…」「『うわ!ダッさ!』と思うと顔に出て」
今でもYOUさんは仕事のとき私服です。
「今日は仕事が3つ…全部同じ服で出るんです」
髪型についても自分でカットしている噂が。
「自分で切ってるって?」
「美容院行くのやめちゃったんです。お天気の話すんの、めんどくさくないですか?めんどくさいことはやめようと…。」「たいして喋りたくない人と喋るの、大嫌いなんですよ」
「すいませんね」と頭を下げるアガワさんに「今日は喋りたいお仕事させていただいてるので」「20代のころから嫌いなものを一つずつ排除しています」
さらっとYOUさんは語りますが、これってすごいことじゃないですか。敵を減らし味方を増やしていくのが「大人」の生き方ですから。
「それで『ラジオの仕事しませんか?』とかのお話をいただいて…」「23歳のときも『バンドのボーカルしませんか?』と…」
「本当に『これがやりたい!』ってことがぜんぜんなくて…」「『これやる?』って言われて初めて見るんです」「それで『やりたい!』っていう性質なんです」「人に望んでいただいたことを仕事にすればいいんだと気づいて…」
「期待に応えたいという思いと、『あんた、これ知らないでしょ?』と言われたときのほうが力が出るんです」「やってやろう!みたいな…」
「それでやっぱダメだったってことはなかったんですか?」とアガワさん。
「いっぱいありました」
「そういうときはヘコむ?」
「もともとできないと思っているので、『あ、スミマセン』みたいな…」林家三平調です。(笑)
YOUさんは堂々と言い切りました。「自分に都合よく物事を捉える力があるんです…ここまで来ると」
大好きなダウンタウン…でも胃潰瘍に
ここで話は「ごっつええ感じ」に。
あの番組はけっこう過酷で、鼻フックや頭突きボウリングなど、見ていて「痛い」企画がいろいろありました。
「『ぜったいやりたい!』って」
「嫌いじゃないの?」
「ダウンタウンさんがすごく好き で…テレビで拝見してて。『えっ!この人たちと仕事ができるの?』って」
「楽しくてしようがないんです。それとテレビのルールとかを学んで…」「間の取り方とか…自分が失敗して流れが崩れたりして…必死で付いていってました」
「ダウンタウンさんは怖くなかったですか?」
「めちゃくちゃ怖くって…私、胃潰瘍になって…口利いてくれないんですよ、最初」
「当時、彼らも24,5…大阪から出てきて皆ピリピリで…」
「怖い思いして、嫌じゃなかったですか?」
「尊敬してましたね…怖さをどっかにやってしまう凄さがありましたね。あれをさせていただいてなかったら、テレビには出てないと思う。あれのおかげで仕事をいただけるようになって…」
ご本人は「嫌いなものを排除する生き方」を志向していますが、胃潰瘍を患いながらも付いていった数年間のおかげで現在があると。
子育てもYOUさん流
この後、子育ての話に移りますが、ここでもYOUさんらしさが炸裂します。
「子どもを連れてるだけで上がるんです、評価が。『あれ、これ使える!』って思って」「『この人、ちゃらんぽらんだけど、へえ、ちゃんと子どもいるんだ』ポイントが貯まっていくみたいです」
12年間欠かさず弁当作りに励んでいる話を飲み仲間としていたとき、そばにいたマツコ・デラックスさんが「あんたね、弁当作るの、当たり前だからね!」と言い放ったそうです。
一人息子も高1です。友人たちが泊まりに来ると、「すごくくさい!」とファブリーズを吹きかけるとか。ファブリーズ…。
反撃
ここまで、アガワさんの質問に答えていたYOUさんがここから反撃(?)に転じます。
「いっつも本とか読んでいるように見えるんですけど?」「本はぜんぜん読まないんです」
「彼氏は?みんな聞きたいの」「やめて」と小声で抑えるようなアガワさん。
「研究者とか文化人、政治家、クリエイター、土をいじる陶芸?とかと居てほしいけど、意外とホストだった、というのもぜんぜん良い」とアガワさんをネタにやや妄想?
「とび職の人とかぐっとくる!」とアガワさん。
「宅急便の人とか、分かります!日本国を司っている人の愛人とか…」
言いたい放題のYOUさんです。
今、心に響く曲
「今、心に響く曲」は
お友だちの藤井隆さんが松田聖子さんに作ってもらった曲が素敵で、それがお気に入りのようです。
「 I just want to hold you. 」藤井隆
「気持ちのいい曲でしょ?」とYOUさん。
生まれ持った勘と度胸をベースに、ダウンタウンたちと何年も一緒に仕事をして得た力や信用を加えて、現在のYOUさんがあるような、そんな気がします。
他の人がYOUさんを見習って、嫌いな人とは仕事しない、って言っていると、本当に仕事がなくなってしまうかもしれません。
仕事のなくなることがなさそうな、魅力的なYOUさんでした。
2013年06月17日
191. 恵 俊彰 自宅で出産・厳しかった父親・子育て 「はなまるマーケット」
昨年12月に3男「暖真(はるま)」君が生まれた恵さんが、その誕生の経緯を語ります。本当に驚きました!
「今朝のおめざ」は
「歌舞伎座せんべい」(筒 950円) 南部せんべいの巖手屋(岩手県二戸市)
歌舞伎座の3色の色をイメージして作られたせんべいです。
「すごくおいしくて、お気に入りだったんです」「『ひるおび』でも紹介しました」「(3色のうち)特にりんごが美味しい」
「和風アップルパイですね」と薬丸さんがいうと、「さすがですねえ」と恵さん。「お使いください」「使います」
2人とも司会者だけあって、軽妙なやり取りが見事です。
自宅出産に付き添ったのは…
昨年12月に恵さんは4人の子持ちとなりました。
長男俊太くん(16歳)、次男楓徒(ふうと)くん(8歳)、長女愛結(あゆ)ちゃん(5歳)、そして昨年12月に生まれた三男の暖真(はるま)くんです。
その暖真くんの誕生がなかなかのドラマだったようで…。
その日は予定日のほぼ10日前。予約していた検診に8歳の楓徒くんと5歳の愛結ちゃんを連れて奥様は病院に行きました。
検診後、2人のお稽古ごとに行きましたが、どうもお腹の様子がおかしい。とりあえず自宅に戻ることにして帰宅。2階のお手洗いに行く途中に破水します。
ママは携帯電話を楓徒くんに渡して119番に電話をするように頼みますが、なかなか電話がつながりません。
ママが電話することにすると、「ぼく近所の人を呼んでくる」と外へ。
2階に残されたのは産気づいたママと、5歳の愛結ちゃん。でもさすが女の子、愛結ちゃんはちっとも怖がらず、出産したママに毛布を渡したそうです。
戻ってきた楓徒くん、2階に上がりたいけれど、赤ん坊の泣き声など、ただならぬ気配に、「ママ、行きたいけどこわい、ごめんね!」。
そこに救急車が到着し、楓徒くんは救急隊員を家へ案内します。「2階にいます」
へその緒がつながっている状態でママは救急車に乗り、病院へ。2人のお子さんも同乗します。
この一大事の最中、恵さんは何も知らず仕事でテレビ局にいました。そして携帯に着信が。
「産んじゃったの。ごめんなさい」恵さん、「?!」
「何なんだ?何が起きたんだ!?…コマーシャルはさみます?」と薬丸さんに確認する恵さん。いいなあ。
「いえ、2分おしてます。マキで」と薬丸さん。こちらも当意即妙。
「病院に間に合わなくて、家で産んだの…今は病院にいる」
奥さんと電話でのやり取りのあと、番組の打ち合わせに戻った恵さんですが、ほとんど馬耳東風だったとか。
病院に駆けつけて
仕事を終えて病院に駆け付けた恵さんに、「おそいよ、大変だったんだよ」と2人のお子さんが、口々に体験談を語ったそうです。
「8歳と5歳が、どうも上から目線で…」そりゃあ自分たちで乗り切ったんですからね。
「『こんなことになってたのに、おれは何も知らなかった』と自分を責めてしまって」
この時点でまだ、何も知らない家族がいます。部活で家にいなかった長男です。
恵さんは携帯で長男に事情を説明。そして頼みごとをします。
「お兄ちゃんしかいない。えらいことになってると思う。お兄ちゃん、自宅にもどって掃除してくれ。そして何か感じてくれ」
ことの重大さを知った長男は帰宅し、掃除をしたそうです。「廊下とか、大変になっているのを見て、分かったんじゃないかと…」
この時に長男に事情を説明し、助けてほしいということと、ここから学んでほしいという思いを伝えた恵さんは立派ではないでしょうか。
さて、落ち着いた後、8歳と5歳の兄妹は、家にいなかったお父さんとお兄さんを、改めて上から目線で見るようになったとか。「立場が逆転して」
どこの家でも赤ちゃんはアイドルですが、恵家では下の2人がことのほか、暖真くんを可愛がっているようです。
「自分たちが(生まれるときに)立ち合っているので違うんですよね」
糸への感謝
九州(鹿児島)に住む恵さんのご両親のお気に入りは長女の愛結ちゃんだそうです。
名前に秘密があります。
恵さんのお父さんは大島紬を作っています。
恵家の跡取り息子だった恵さんは、ご両親の思いに反し、芸能の世界に進みます。
「ぼくは仕事を継がなかったので大島紬の恵家は終わってしまう…『感謝の気持ちを表さなきゃなあ』と思って(名前の)字に糸へんを付けて…」
「メチャメチャ厳しい両親だったのにデレデレですよ」
厳しかったお父さんが激変したのが恵さんには驚きだったようです。
お父さんの真実
職人気質であまり喋らず威厳のあったお父さんの、他の1面も恵さんは知りました。
それはお父さんが膝を痛め、東京で手術を受けることになったときのこと。お父さんの生活の場は九州ということで、東京での入院生活にお父さんは寂しさを感じていたそうです。
「自分が行かないと」という思いで、恵さんがお父さんの病室にお見舞いに行くと人がいます。
「うちの息子、テレビに出てる。サインしなさい」と恵さんはお父さんに言われるままにその人にサインしました。
次の日に病室を訪れると、4人の人がいたそうです。
「そのうち、病室が満員に…けっこう楽しくやってる」
そして恵さんが感じたのは、「親子で暮らしていた時は会話がなかったが、本当は喋り好きなのかなあ」ということでした。「跡取り息子を厳しく鍛えないと」という思いがお父さんの中に強くあって、厳しいお父さんというイメージを自ら作り上げていたのかもしれませんね。
子育て本
子どもであった自分が結婚し、4人の子持ちになった今、恵さんは心境を本にまとめました。
「親父の役目 四人目が生まれて思うこと」マガジンハウス
この本を書くきっかけは、楓徒くんの学校の同じクラスの保護者の方にマガジンハウスの人がいて、「書いてみませんか?」と持ち掛けられてことだったとか。
同窓会
毎年高校時代の仲間と1年に2,3回同窓会を開くそうです。
「『今回はなまるに出るんで、何か写真送ってよ』って言ったらすごく送ってきました。
48歳の恵さんが16歳に戻る瞬間だそうです。
それにしても16歳を筆頭に子どもが4人…まだまだ頑張らないといけない恵さんです。
2013年06月16日
190. 大杉 漣 お気に入りのパン・散歩・焼肉・大好きなサッカー 「はなまるマーケット」
2012年は10本の映画に出演。
2013年は「きいろいゾウ」「モンスター」「はじまりのみち」「極道の女たち Neo」「箱入り息子の恋」「100回泣くこと」とすでに6本に出演されています。
違った役柄での出演ですから大変なものですよね。
「今朝のおめざ」は
「クリームぱん・クルミチーズ」(各 100円) パン工房プクムク(東京都中野区)
じゃがいもを生地に加えたもっちもちのクリームパンはキビ砂糖の甘さが口いっぱいに広がるそうです。また、クルミチーズはフランスパン生地にクルミとチーズを加え、平たくお好み焼き風に仕上げています。
「どうしてこれをおめざに?」
「現場に差し入れするとき、パンって食べやすいじゃないですか?たまたま車で走っててここを見つけたんですよ」
外壁一面にかわいいイラストを描いていて、人目を引きます。
「値段もリーズナブルで、作られているのもご夫婦で、一つ食べてみたらとても美味しくて…この2種類を現場に差し入れてるんです」
「もっちもち!」という声が。
「あまり甘くないでしょ?」と大杉さん。
「カスタードクリームのクリームパンとは違いますね」と薬丸さん。
「出会ったときは感動しました…ほかにない味でしょ?」「この店、朝の6時30分からされてるんです」
ゴンタクレの兄弟
大杉さんは徳島県出身。男ばかり4人兄弟の4番目です。兄弟は子どものころから「ゴンタクレ(やんちゃ)」と呼ばれていましたが、一番上のお兄さんが亡くなり、現在はゴンタクレ3兄弟となりました。
その3兄弟、すでにいいお年ですが(失礼)、ある夏、家の近所の川沿いを歩いていた時、2番目のお兄さんが「おい、川入るか?」と言って、服を着たまま飛び込んでしまいました。
この川は兄弟が子どものころから親しんでいる川で、大杉さんは「2回溺れた」というのですが、初老3兄弟は仲良く川に飛び込み、ひと泳ぎ。童心に帰りました。
兄弟のことで大杉さんには印象に残る思い出があります。
まだ一番上の兄さんが存命のころ、お父さんが亡くなり、4人が顔を合わせました。葬式を済ませ、葬儀場の近くの空き地で、所在無さからキャッチボールを始めたのです。
キャッチボールをしながら4人の胸にはそれぞれお父さんに対する万感の思いがこみ上げてきたのでしょう、号泣し始めたというのです。
「親父と過ごした時間が甦ってきて…キャッチボールで号泣しながら、親父を送り出したんです」
「なんか映画のワンシーンみたいですね」
「親父にすがって泣いたとかって言うんじゃなくて、親父が今そこにいて、違う時間でキャッチボールをして…」
「それぞれの思いがあったでしょうね…」と薬丸さん。
「『役者やりたい』って言ったときも、反対するのでもなく、見守ってくれるという親父なんで…兄弟みんな親父のこと、嫌いじゃなかったし、いろんな思いが皆あって…」
お父さんのことを「好きだった」ではなく「嫌いじゃなかった」という言い回しに、大杉さんが肉親を語るときの「照れ」のようなものを感じました。そしてお兄さんたちへの気遣いも。末っ子の大杉さんはたぶんお父さんから一番かわいがられたでしょうから。
趣味は散歩
大杉さんの趣味は歩くことだそうです。私(よしろう)も歩くのは大好きですので、共感を覚えます。
「歩いているといろんな発見があって面白いですね」と岡江さん。
そして番組では、大杉さんのご近所(渋谷区初台)を、TBSアナウンサーの駒田健吾さんとともに散歩しました。
初台は新宿から1駅(京王新線)のところで、オフィスビルが立ち並ぶ庶民的な雰囲気もある街だそうです。
さっそく大杉さんが今ハマっている「こんにゃく」のお店に。
「週に2,3回買いに来るんです。最近ハマってて」
こんにゃくの販売だけでなく、ランチも魅力だそうです。
「にゅうめんのランチセット」(600円)
店主が挨拶に見え、「テレビ写りが悪くて…」と。この一言けっこう面白かったんですけれど。
「初めまして、大杉と申します。たまに寄らせてもらってます」と丁寧にご挨拶。
「大杉さんはこの街では有名ですか?」と駒田アナ。
「この街に限らず全国で…」そらそうでしょ。駒田アナ、やや愚問?(失礼)
「ご主人とは初めてお目にかかるので」と大杉さん。いつも店にいるのは奥さんと娘さんらしいのです。
「知らない道を歩くと面白くて…同じ道に出たりするんですけれど…」と大杉さん。
「好奇心旺盛と言うか…」と駒田アナ。「(好奇心)多すぎ?」と大杉さん。出ました!オヤジギャグ。
ある店で大杉さんが立ち止りました。
「入りたいんですけど、いいですか?」
「近江牛焼肉 永福苑」家族でよく来られるお店だそうです。柔らかいメスの赤肉にこだわっているお店だとか。
「炙りランプ」(1人前 980円) 特製の「とろろだれ」で味わうそうです。
「うん!」と体を揺する大杉さん。「うーーー!」とうなって満面の笑み。そして、次に食べたのが…
「上ハラミ(さがり)」(1人前 1,480円)ああ、食べたい!
「家ではダラダラするタイプなんで、子どもには怒られるんです」と大杉さん。娘さんに、「はい、ダラダラ〜」と責められるそうです。
「『街はプラプラ、家でダラダラ』をモットーにしてるんです」とのことですが、労働量からするとダラダラしても許されるでしょう!こんなによく働くお父さんはいないぞ!娘さん!
「新宿のすぐ近くなんですけど、肩の力を抜いて生きていける場所がいいなって…」
散歩のロケ映像が終わり、大杉さんがぽつんと一言。「あの長大なロケがこんなに(短く)なるなんて…」
「それがテレビです」と薬丸さん。(笑)
でもカットされた映像を見たいと思うのは私だけではないでしょう。散歩好き人口はけっこう多いはずです。
ブルーのユニフォームを着た愛犬
子どものころは野球にはげんだ大杉さんですが、現在は大のサッカーファン。
日本代表の試合があるときは、サムライブルーのユニフォームに身を包み、愛犬、風ちゃん(フウちゃん)にも青いユニフォームを着せ、応援します。
行けるときには試合場に行き、行けない時はテレビで、さらにテレビをリアルタイムでみられない時は録画なのですが、「これが大変です」
「辛いです、どうしても(見る前に)結果が入ってくるんです」結果が分かると、録画を見る楽しみが半減します。
いろんなお話をニコニコと楽しそうに話される大杉さん。この素顔も大杉さんの大きな魅力です。