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2013年10月21日
299. 若林豪 植木・レザーアート・京都の行きつけの店 「はなまるマーケット」
74歳で「はなまるカフェ」初出演。
若林さんは1939年9月5日、長崎県生まれ。「Gメン’75」の立花警部も74歳に…。
「毎週、食い入るように見てました」と薬丸さん。
「今朝のおめざ」は
「広島のフルーツゼリー・デコポン」(1個 220円)広島県果実農業協同組合連合会(広島県・竹原市)
広島県産のデコポンの果実と果肉を使用した、飲むタイプのゼリー。柑橘の王様と言われるデコポンの濃厚なおいしさが味わえるのだとか。
「なぜこれをおめざに?」
もともとは奥様の友だちからの紹介だそうですが、
「よく差し入れに使うんです。暑いときにこれをキンキンに冷やしていただくとおいしいんです。スタッフが喜ぶんです」と若林さん。「いいでしょう?これを大のおとながチュウチュウ吸うんです」
子ども5人、孫6人
若林さんには子供が5人。男3人、女2人で、この組み合わせと人数は薬丸さんの家庭と同じようです。
「男女の順番が違いますけど…」と薬丸さん。
「もっといてもいいと思うくらい…。あっという間にいなくなりますからねえ」と若林さん。「にぎやかでいい」
若林さんの長男は公務員。現在四国にいるそうです。「まじめにやってます」
長女はスウェーデンの男性と結婚。現在スウェーデン在住ですが。「ダンナの名前が長すぎて覚えられない…」(笑)
話を聞いたときは「『ゲッ!』って言ったよね…。でも、どこでもいいよ…」
次男はお坊さんになりました。あるお寺のご住職。奥様の実家がお寺で、そこを継いだということで。
三男は俳優。「『青年座』にお世話になってます」
そして次女で、合計5人です。次女以外が結婚していて孫6人…。
丹波哲郎とルーブルへ
「Gメン’75」では「毎年11月はヨーロッパロケ…」だったそうです。
かの地では丹波哲郎さんとよく散歩をしたとか。
ある時、パリでルーブル美術館に入ることになりました。
しばらくして丹波さん、
「おい、豪、帰ろう。絵ばかしだよ」(笑)「いいでしょう?こうでなくちゃ」と若林さん。
若林さんによると丹波さんは「天才だった…袋から取り出したばかりの台本の自分のセリフのところだけをビリッと破いて、瞬時に暗記した」そうです。集中力がすごかったのだとか。
「演技をすると素晴らしい…あの方はほんとの天才だった…」
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植木の剪定
若林さんの特技は植木の剪定だそうです。
「剪定?難しいでしょ?」と薬丸さん。
「難しくない!」「ぼくはもう本職ですよ」「その木に応じた剪定の仕方がある…」
「勉強されたんですか?」
「勉強なんかしなくて…なんとなく植木屋さんを見てると分かる…」「うまくいかなかったら…根っこからいく」「根っこからぜんぶ切っちゃう…」(笑)豪快ですね。
「大丈夫なんですか?」答えず、笑っている若林さん。
20年来の趣味
若林さんの趣味はレザーアート。革を利用していろいろなものを造形するのです。
きっかけはあるデパートでレザーアーティスト・本池秀夫さんの作品を見たことだとか。
本池さんは鳥取県・米子市在住。革特有の温かみのある色合いを活かした作品が人気だそうです。
「『わあ、素敵!』と思って…。鳥取に行って弟子になったんです」
本池作品の素晴らしさを熱く語る若林さん。本当に生き生きとしています。
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通いつけの京都の店
若林さん、京都で舞台や撮影があったときに、スタッフを引き連れて食事をするのが「牛・キムラ」。
「ハリハリ鍋」がお気に入りのなのですが、
「ほんとはクジラ…今は牛肉でいただいて…」
60〜70人で食べるので、「お肉が無くなっちゃうんです…『なんでもいいから入れて』って」
いやあ、笑顔よし、喋ってよし、家族・スタッフととも仲良し…と本当に元気な若林さんでした。私(よしろう)もこんな70代になりたい…。
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2013年10月19日
298. 西郷輝彦 中華・和菓子・二子玉川商店街・おもちゃ美術館 「はなまるマーケット」
ぐっさんとの待ち合わせは東京・世田谷区・二子玉川。
「ぼく、あんまりこっち来ないんです」とぐっさん。「でも来てみると、すんごいいっぱい店があって…」
「日一日と進化していく街…」と西郷さん。この街は西郷さんの地元。もう20年近く住んでいるそうです。
まず2人は西郷さん行きつけの中華の店に行くことに。
「中国家庭料理 上海」
西郷さんがよくランチで利用するお店だそうです。
「いい雰囲気でしょ?昔からずっとこのままです。20年前から、この街に引っ越してきたときから…。そのときまだ子どもが小さかったから…。ランチ食べたり、2階で家族で食べたり…」と西郷さん。
「ところでこのお店、創業何年?」と西郷さんが店の人に尋ねると、
「創業17年になりますね…」(笑)
「あれ、ちょっと待ってください…。合わないじゃないですか…」と西郷さん。(笑)
「五目あんかけソバと1/2チャーハン」(900円)
西郷さんのお気に入り。
具がたっぷりの五目あんかけソバとチャーハンのセットは、この店一番の人気メニューだそうです。
「野菜もたっぷり、具もたくさんで…」とぐっさん。「うん…おいしい」「身体にしみわたりますねえ…」
「チャーハン、薄味なんですけど、その分、食材のうまさが…」とぐっさん。
「家庭料理ですよ」と西郷さん。
「ほんとにそうですね…」とぐっさん。
確かに、家庭料理ではあまり濃い味付けはしませんものね。
デビューとブレイク
西郷さんは1964年に歌手デビュー。
「きっかけは?」
「当時はバンドボーイをやって歌手になってスターになる、というのが多かった」と西郷さん。「(俳優より)こっちのほうが近道だ!」「早く有名になりたかった…」
きっかけは先輩の「トンズラ」でした。急にいなくなった先輩の穴を埋めるために「お前、代わりに歌え!」
そのころ、舟木一夫さんの「高校3年生」が大ヒット。学生っぽさを前面に出そうと、西郷さんは「スクールトリオ」というユニットに入ることになりましたが、上手くいきませんでした。
「こんなこというたら失礼ですけど、(『スクールトリオ』って)ダッサい名前ですねえ…」とぐっさん。
「売れそうにないよね」と西郷さん。
歌手活動は順調で、やがて「星のフラメンコ」が大ヒット。西郷さんは橋幸夫、舟木一夫さんとともに「御三家」として大人気に…。
「とにかくひどいスケジュールで、めちゃくちゃですよ…」
映画3本掛け持ち、いずれも主演。歌番組すべて出演。地方公演も全部行く…。撮影の合間の移動で睡眠をとっていたそうです。
「セリフがぜんぜん言えない。覚える気もなくて」どうしたのでしょうか?
「『アフレコだからいいよ』って…。監督が『おれがセリフ言うからその通りに言いなさい』」
「すごい時代やな…」と驚くぐっさん。
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二子玉川商店街
西郷さんが、ほぼ毎日通っている商店街です。
「ここ、ここ、ここ」と西郷さんが指さした先にある店は
「西河製菓店」
「50年もやっているんですよ」とお店の方。西郷さんのお気に入りは
「豆大福」(126円)
薄い皮から小豆が透けて見え、おいしそうですが、ここでぐっさんが、「ぼく、個人的にみたらしだんご、好きです」
「みたらしだんご」(84円)
「香ばしさとちょっと苦味があって…おいしい」とぐっさん。
みたらしだんごというのはたいていおいしいのではないかと思うのですが…。「豆大福」の感想を聞きたかった私(よしろう)でした。
次に2人が入ったのは
「焼き鳥専門店 ふらっと」
「何度も店の前を通って…。女房と、『どんな店かねえ?』って…」
現在は月に1度のペースで通う、お気に入りの店となりました。定番メニューは
「おまかせ5本盛り」(730円)
この店イチオシメニューだそうです。店長が仕入れた鳥肉の中から、とくに状態がよい部位をセレクトし、国産の備長炭でじっくり焼き上げたものだとか。
焼酎とセットで楽しむのが西郷さんの定番だそうです。
2013年6月、娘の辺見えみりさんに女児が誕生。西郷さんはおじいちゃんになりました。
「よく携帯の待ち受けに孫の写真、『冗談じゃねえや、バカヤロー…』」と感じていた西郷さん。「(今はその気持ち)分かりますよ」(笑)
「携帯に入ってるんですか?」
「人には見せないけど…入ってる」(笑)
おもちゃの美術館
2人が次に訪れたのは新宿区・四谷。
孫への愛情に目覚めた西郷さんが行きたいところがあるのです。
「孫にね、おもちゃとか、夢をかけてね…」と西郷さん。「大変なおもちゃが並んでいる美術館」
「東京おもちゃ美術館」(入館料 大人700円 子ども500円)
小学校を改装して作られたおもちゃの美術館。国内外から集められたおもちゃが約15,000点。おもちゃを体感できるスペースや展示されたおもちゃを購入できるショップなど、いろいろあるそうです。
「グッド・トイ展示室」
日本全国に4,000名いる「おもちゃコンサルタント」が選定した優良おもちゃが展示されています。ほとんど木製品…。
子どもたちが飽きもせず叩く「大工さん」。
どういう叩いても沖縄民謡に聞こえる「小さな森の合唱団〜沖縄版〜」
その他「ゲームの部屋」「おもちゃのまち きいろ」など、様々な展示室で童心に帰る2人。
「我々はいくつになってもおもちゃを卒業しない」と西郷さん。「手作り感がとてもいいですねえ…」
西郷さんがお孫さんを連れて、この美術館を訪れるのは、そう遠いことではないでしょう…。
297. 上野樹里 Juri's Farm・スウィングガールズ・天然 「A–Studio」
登場前に鶴瓶さんが「久しぶりに会うんですけど、おもろいやつですよ…こういうとこにはあまり出てこないけどね…」と紹介。
そして登場。「かわいい!」と女性たちの大歓声。
「ほんまにお久しぶりやわ、メチャメチャうれしいわ」と鶴瓶さん。
2人は映画「奈緒子」で共演。上野さんが主役の奈緒子。鶴瓶さんはコーチ役でした。
上野さんの話によると、鶴瓶さんは撮影で「雨待ち」のとき、落語をしてくれたそうで…。
「こっち向いて真剣に聞いてるから…」と鶴瓶さん。「大河とか…えらい女優になったなあ…」
「なってないでしょう…」と上野さん。
最初からスゴかった?
デビューは15歳。
16歳で犬童一心監督の映画「ジョゼと虎と魚たち」に22歳の女子大生役で出演します。
「ジョゼと虎と魚たち」…通称「ジョゼ」は妻夫木聡さんと池脇千鶴さんが主演の映画。ラストはフェリーニの「道」を彷彿とさせる、何とも切なく愛らしい映画です。
犬童監督の話では、100人以上オーディションをしても女子大生役が見つからない、そこへふっと上野さんが現れ、「この子だ!」となったそうです。
「まだほっぺたが赤かってんて…加古川から来て…」と鶴瓶さん。
「ジョゼ」では乳母車に載った池脇千鶴さんを叩くシーンがありますが、オーディションでは、助監督を相手にその場面を演じたそうです。
本気で叩く必要が無いのに、思い切りパーン!とやってしまい、助監督から猛抗議。
「すみません、すみません」と謝ってやり直し。もう一度、パーン!と叩いたそうで…。(笑)
「ぜんぜん学習しないんですよね」(笑)「『次はやりません』と言ったのを覚えています。『次はやりません、気をつけます』って…」「でも忘れちゃって…。叩いた瞬間、目がテンになってました…」「反省しました…すごく」
「らしいわ、すごくらしいわ」と喜ぶ鶴瓶さん。
「演技とか習ったことなかったので、そのオーディションで監督とディスカッションすることしか勉強の場所が無かったから…いっぱいいっぱいで…」「たぶん次からはちゃんとできると思うんですよね」
「ぜったいでけへんわ…。次もまた本気で行くと思うよ」と鶴瓶さん。(笑)
「ジョゼ」では喫茶店で上野さんが泣くシーンがありましたが、ここでひとこと「泣けません」といったそうです。
喫茶店を借りているのは3時間。監督のアドバイスで無事泣くことができたのだとか。
他にもどう演じたらいいのか分からないときは、「分かりません」と上野さんは言ったそうなのです。そして監督の演技指導。それを上野さんはどんどん吸収していったのでしょうね。
「分からないことをちゃんと『分からない』と言えるって、すごい強さというか…言えないですよ」と司会の波瑠さん。
「そのシーンで妻夫木が『彼女すごいよ』って言うたらしいで」と鶴瓶さん。
「ありがとうございます…がんばらなきゃ」と上野さん。
ベッドシーンもあったのですが、1回でOKだったようです。
「なんかサラッと終わったなって思いました」
「そのときも妻夫木が『彼女すごいよ』って…」(笑)
「最初に凄いメンバーとやってるよね…」と鶴瓶さん。
「ありがたい…」と上野さん。
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「スウィングガールズ」
映画「スウィングガールズ」で主演を務めたのは18歳のとき。
この映画で上野さんたちは吹奏楽器を演奏しますが、上野さんは最初ほとんど吹けなかったそうで。
4か月間、腱鞘炎になるほど練習して映画に臨んだのだとか。
このオーディションの話が事務所に来たときには「楽器ができる子」という条件が付いていて、「無理だ」と事務所の人が断ったそうです。
しかし再度オーディションの話が来たときには「楽器が出来なくてもいい、演技が出来なくてもいい、キャラだけ見たいから受けませんか?」という条件に変わっていました。上野さん、ツイてますね。
「気軽に…」と上野さん。
そのオーディション。
たくさんの少女たちが来た中で、上野さんが現れたとき、監督の矢口史靖さん「来たな…やっと見つけたよ」と言ったそうです。
「へえ…」と上野さん。
「どんな性格の子や?その子は?」と鶴瓶さん。
「漫画を読んで鼻をほじるシーンがあって…。スローモーションで鼻水が垂れるシーンがあって…」(笑)
イノシシに追いかけられて鼻水を垂らすシーンは衝撃(?)でした。
長く垂れる鼻水はガラスの棒を鼻にツッコんだのだとか。さすがにこれは事務所に確認を取らないといけないと携帯をかけますが圏外。
矢口監督に「あなたはモデルですか?女優ですか?」と聞かれた上野さん、
「『はい、こっちです』ってガラスを鼻にツッコんで…」(笑)
矢口監督の回想はまだ続きます。
泣くシーンで「もう1回やらせてください」と懇願する上野さんに、「もういい、これでいいんだ」と突っぱねたそうです。
「悪いこと言ったな…」と思った監督、フォローしようとロケバスに行ったら、皆とお菓子を食べて「わーっ!」と笑ってたそうです。
「もう気が変わってて…」と上野さん。(笑)
「『なんじゃ!こいつは!』って思ったって…」
矢口監督の誕生日にに上野さんは、自作の紙粘土と大きな器を贈ったらしいのですが、上野さんは全く(!)覚えていませんでした。
「捨ててください」と上野さん。(笑)
「捨ててください…お願いします」と鶴瓶さん。(笑)
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趣味は畑
「野菜も作ってるって?」
「たまーに、顔出すくらいですけどね」と上野さん。
その名も「Juri's Farm」
「2レーンだけコーナーを貸してくださって…」
畑のオーナーは浅野悦男さん。
「種とかも自分で開発してて、いつ行っても発想にあふれてる人なので…面白いです」
「陽だまりの彼女」
「『陽だまり』の中の樹里、メチャきれかったで」
「ありがとうございます」
共演は松本潤さん。
「作品に対して愛情を持っている方」と上野さん。「関わった人たちを大事にする人なんだなっていう…」「嵐のライブを見に行って…」「嵐の仕事から『陽だまり』の現場に安心して戻ってこれるように…」「信頼関係がしっかり生まれたんですよね…」
「ええ?」と鶴瓶さん。「信頼関係がしっかり生まれた」という表現に引っ掛かったようで…。
「ええ?」と上野さん。
「好きにならへん?おれやったら毎回好きになってまうわ…」「ええわ、この人やったら…」(笑)
「役の上では好きになるんですけど、プライベートでは携帯の番語を交換し合うとか全くないんですよ」「作品が終わったら会うこともないし…」と上野さん。
驚く鶴瓶さん。
「おれ、樹里の携帯知ってるしな…」
「今、消えちゃってないんです」と上野さん。
立ち上がる鶴瓶さん。「消したんちゃうやろな!?」
「登録をちゃんとしないんです…たぶん…」
「ああ、そうか…」
「男優さんも知らないし…矢口さんのも多分入ってない」(笑)「どんどん消滅させていくみたいなんです」(笑)
「おれ、しつこく電話するわ」(笑)
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職人から好かれる?
「陽だまり」の現場には、矢口監督、犬童監督、そしてショートムービーで仕事をしたマイケル・アリアス監督も来たそうです。みんな上野さんと協力して(闘って?)作品を作り上げた人たちです。
「裏方の人たちのほうが話をしていて自分が落ち着くんですよね…。(ハッと気づいて)鶴瓶さんは表方ですけど、落ち着くんですけど…」(笑)
プライべートで交流のある芸能関係者は少ないようです。
「普通に喋れるようになりたいんですけど、恐れ多くて…。仕事があって初めて、役を通して…」
トーク後の鶴瓶さんのコメント
「…樹里は打算、計算が一切ない!いろいろ正直に言うことを職人たちは楽しんでいる…本物で、本気で、本当のことしか言わない…」
ああ、とても素敵なトークでした。
じつは私(よしろう)は上野さんのファンで、バラエティ番組に出演したときなど拝見しているのですが、いつも緊張されているようで、「素の上野さん(ちょっと天然?)が出ていないな…」と感じていたのです。
さすがは鶴瓶さん、かなりリラックスしたムードで、見事に上野さんの柔らかな表情を引き出してくれました。
トークを聴いていて、上野さん主演のある映画を思い出しました。
「虹の女神」です。上野さんは映像作家を目指す女性なのですが、「裏方が好き」と言っていた通り、いきいきと映画を制作していました。
そして共演の市原隼人さんを上野さんが蹴りまくるシーンがあるのですが、多分本気だったと思います。今日のトークで確信しました。
「虹の女神」も名作だと思います。
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2013年10月18日
296. 松本潤 いい香りの出る器具・レモンの木・松潤伝説 「あさイチ」
松本さんは1983年、東京生まれ。2歳上のお姉さんがいます。
小1からの野球少年で、そのまま中学生になっても野球を続ける予定だったのが、お姉さんの影響でジャニーズに興味を持ち、小学校卒業式の日に事務所に履歴書を送ります。
2か月間連絡がなく、「ぼくは落ちたんだな…」と思っていたころ、ジャニーさんから電話が。
「今、レッスンやってるからユー来ちゃいなよ」
「怖い…本物だろうか?」
お父さんに代わってもらって「本物らしい」
そしてテレビ朝日のリハーサル室へ。まさに人生を変えた電話でした。
ジャニーズでのレッスンは「学校の部活に近かった…」「…大人たちに囲まれて刺激的だった」
そしてNHKのドラマに初出演。土曜ドラマ「もうひとつの心臓」です。
生まれつき心臓が弱い少年を演じました。妹との病室でのやり取りがとてもリアル…。
松本さんは成長期前で身体が小さく、声変わりもしていませんでした。本当に初期の松潤を見ることのできる作品だと思います。
演出をした柴田岳志さんの回想。
「当時から澄んだピュアな存在感がピカイチでした。現場では静かな少年でした。今でも印象深いのは、1か月に及んだロケの最後のほうで撮影した、妹との病室のシーンでした。
ドラマの経験がほとんどなかったにも関わらず、勝負所をつかむ勘がとても良かった。そのシーンが終わり、『ああ、ここまで来てくれた』と感慨深く思ったものです。
衣装合わせのたびに身長が伸びる、そんな少年期のころに一緒に仕事をさせてもらいましたが、今は本当にたくましく成長されて、たのもしく見守っています。」
このドラマは文化庁芸術祭優秀賞を受賞したそうです。
松本さん、このドラマを見直したことがあったとか。
故森田芳光監督もこのドラマに出演していて、松本さんのことがとても印象に残ったそうなのです。そのことを人づてに聞いて、監督が亡くなった後、関係者と対談することになり、見直したのだとか。
「何がよかったのか、全然分からなかった」というのが松本さんの率直な感想。自分では分かりにくいのかもしれませんね。
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18歳の悩み
嵐結成が1999年で、松本さんは16歳でした。
多忙な日々が続きます。
「自分では『こうしたい』という思いと、『できない!』というギャップがすごくあって、理想に近づけない…フラストレーションになった…」」「ある意味カン違い…。できないくせに『もっとできる』と思っていたり…。」
そして18歳。高校卒業の年です。
「みんなが進路を決める時期。自分は16歳でデビューしたのに、何もできていない。」「『ヤバいなあ…やらなきゃ』でもできない」
鬱屈した思いを周りにぶつけたこともあったそうです。
「周りが『今はこれをやる時期』、『いや、そうじゃないでしょ?』」よくぶつかったのだとか。
「どうやって乗り越えました?」と井ノ原さん。
「事務所の人が『それはやっぱり違うんじゃない?』ていねいにこんこんと、ちゃんと叱ってくれて…」
「『おれ、間違ってるんじゃ?』と思って…」「『周りの人がどう動いているかちゃんと見てみよう』と思って…」「見てみたら、みんな葛藤を持って、やるべきことをやっている…」「『自分も変わんなきゃ』と思って…」
そうして少しずつ、松本さんは変わることができたそうです。
嵐のメンバー
悩んでいたころ、松本さんは嵐のメンバーともよく話をしたそうです。
「地方のコンサートの後、ホテルで集まってよく話をして…。『グループとしてこうあるべきじゃないか』」
「こうしたい」という希望を語るのは松本さんが一番多かったそうです。
嵐のメンバーと「印象的だった過去の出来事は何だったか?」という話題になると、「2001年、2002年によく話していたこと」と口を揃えるそうです。
足並みの揃わない時期の嵐をまとめたのがリーダーの大野さん。
「(大野さんは)一番年上なんだけど、あまり自分のことや自分の考えを言わないで、人の話を聞いて、『いいと思うよ』というタイプの人なんで…うまく一つにまとまってたんじゃないかと思いますね」
井ノ原さんも、大野さんの包容力には一目置いているようです。「酔っぱらったとき、ずっと介抱してくれて…」なんじゃそりゃ…。
「(嵐は)ほっとくと内向きになる、自分たちだけで話をしているところがある」と松本さん。
「自分が言いだしっぺになって、『ここに行ったら面白いんじゃないの?』」「最後は相葉さんがまったく予想できない行動に出る」(笑)
ライブの後、メンバーで話し続けたことが最強のグループを作ったのかもしれません。
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もっとも丸いキャラ
最新作「陽だまりの彼女」で、松本さんは松潤史上「もっとも丸いキャラ」を演じているそうです。
共演した上野樹里さんは語ります。
「(松本さんの)イメージは強くて、鋭くて、(いい意味で)孤独で、自分の強い世界を持っている印象がありました」
「現場ではスタッフへの気配り、いろんなことに気がついたり…一緒に仕事する人たちをすごく大切にする方…暖かい一面を感じました」
「一緒に仕事をしてみないと分からないな、と感じました」
松本さんと上野さんは初共演。
撮影前に、共演者やスタッフとの食事会があったそうです。
2人は隣同士に座ったにも関わらず、ひとこともしゃべらず。
「おたがい、人見知りなんだ」と上野さんは感じたそうです。
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お気に入り
その1 レモンの木
松本さんの自宅のベランダには友人から誕生祝いに贈られたレモンの木があるそうです。
「この木に水をやるのが日課」「料理をしたときに、もいで使う」のだとか。
それまで自宅での料理と言えばインスタントラーメンを作るくらいだったのが、ドラマ「バンビ〜ノ!」でシェフ役をしたのがきっかけで、パスタを作ったり、ティラミスを作ったり、いろいろ作るようになったそうです。
その2 マイブーム
松本さんが自宅で一番リラックスできるのはソファの上。
マイブームなのは、これも人からもらったそうですが、ボタンを押すと「ムーン…」という音がして、電動で部屋にいい香りを発する器具。
いい香りの広がった部屋で、ソファに座り、テレビを見る…。くつろいでいる松本さんの姿が想像できます。
松潤伝説
その1 ひとりごとが多い
松本さんは一人暮らしです。帰宅すると「おう、帰ったぞ」などと、やたらひとりごとをいう癖があるのだとか。「お湯が入りました」という声に返事したり…。
「家はけっこう寂しい」と松本さん。「何万人ものライブが終わって、家で一人パンツを洗う…」
確かにギャップがものすごいですね。ただ、今はあまり言わないようにしているそうです。
そういえば堀北真希さんもひとりごとが多いそうですが、一人暮らしはひとりごとが多くなるのでしょうか?
その2 勘定は早めに済ます
事務所の後輩と食事に行って、会計のときに後輩が勘定を確認すると、「もうお勘定は済んでおります」。
松本さんが早目に済ませていたのですね。
ジャニーズには先輩が後輩に食事をおごるという伝統があるそうなのですが、それでも松本さんは手早い。
「会計のときに立って待ってるのが嫌なので…。『じゃあ、帰ろう』とすっと帰りたい…」
うーん、やっぱりスマートですね。
今、松本さんはライブの構成のことで頭がいっぱいだそうですが、それでもこういうトークに出演すると、本当に言葉なめらかに自分のことを語ってくれます。
いろいろな意味でスマートな松潤さんでした。
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2013年10月17日
295. 武田鉄矢 フライフィッシング・モテなかった・101回目のプロポーズ 「笑っていいとも!」
たくさんの花束の中に「リン・チーリン」という名前が。
この方は中国の女優さんで、中国版「101回目のプロポーズ」の主演を務めている方だとか。
「上海の貧しい労働者の青年が、上海の一流企業のこれの(バイオリンの)お嬢さんに恋をして、中国のトラックの前に飛び出す、という」(笑)
かつて共演した浅野温子さんはリン・チーリンさんのバイオリンの師匠役、武田さんも恋する2人を飲み屋で励ます日本人役で出演するそうです。
「何年ぶりですか?」
「22、3年ぶりですかねえ…」「リン・チーリンさんは本当にべっぴんでした…」「きれいな人でした…。こんなに背が高くて…。『あなたは私のアイドルです』って言われて…」「胸がキュンとしました。ジジイのくせに…」(笑)
かつて武田さんが主演した「101回目のプロポーズ」はかなりの人気で、中国では海賊版(?)が作られるほどでした。
ちゃんと著作権を取った映画「101回目のプロポーズ」はすでに中国で上映。これからアジア全域で上映されていくそうです。
四川省あたりでは武田さんが出る場面で拍手が起こったそうです。武田さん、浅野さんが出ていると「今度はちゃんと著作権料を払っている…安心だ」という思いがあり、素直に共感できるのではないか、というのが武田さんの意見です。
「中国人は私みたいにモテないヤツがいっぱいいる。映画館で泣きながら見るやつがいるそうで…」
「身につまされるんだよね…」とタモリさん。
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モテなかった…
「俺らの世代って、ほんとにモテなかったよね…」とタモリさん。
「そうですよね…」
「モテた記憶ってないよ!」とタモリさん。「今はけっこうカッコいいヤツいるでしょ?小学生のときから告白されたり…ないよね?」
「ない!」と武田さん。「福岡の天神で女の人から振り切られて…。佐賀の人だったんですけど、あのスポーツセンターの前で怒鳴られて…」
「怒鳴られた?」
「俺しつこかったから…。『別れとなか!別れとなか!』って粘って…。その『101』みたいに…」(笑)
「実際にあったの?それ…」とタモリさん。
「パッと手を振り切られて、『大きい声出すよ!』」(爆笑)「ステージで話すとウケるんだけど、みっともないフラれ方しましたよね…」
武田さん、フラれた話が非常にウケるので、だんだんノッてきて…。
「俺たち、フラれたらその場で泣いてたよね?ぐずぐず追っかけたりしなかったよね?」
「しなかった」とタモリさん。「安い酒、飲みに行くんだよね」
「友だちがいて、すぐ集まる。『だれだれがフラれた』っていう情報が入ると、すぐ5、6人集まる」(笑)
「しかもみんな笑顔で集まってね…」(笑)
「フラれたとや?俺は最初からイヤな予感がしとった…。」「また、明日から探そう」(笑)
「ほんとカッコいいヤツいなかったからね」とタモリさん。
頭脳、運動神経、ルックスの3拍子揃ったタイプが、かつては少なかったという意味のようです。
「『手をつないだ男女は結婚しなければならない』って思ってませんでした?」と武田さん。
「あった…あったね…。『手をつないだらもう俺のもんだ』って…」
「手をつないで街を歩くともう…」
「もう完全に!」とタモリさん。
「それは肉体関係の一種だった…」と武田さん。
基本的にはモテないのに、フォークソングをしていたがために、瞬間モテて、思い込みから失敗、という経験もあったそうです。
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趣味
「最近、ゴルフやめたの?」とタモリさん。
「ジジイになって集まり悪くなって…。4人集まるのがたいへん…」
ゴルフに代わる趣味として、武田さんが注目したのが釣り。これならひとりでも楽しめます。
「ちょっと技術があるやつ…フライフィッシングってわかります?こう、投げるやつ」と武田さん。
フライフィッシングの練習道具がスタジオに登場です。フライの付いてない、ひもだけのものです。
「うまい人がやると、コーヒーカップに落とすみたいな確率で…」「現場に行くと、これやると大変。後ろに引っかかって…」と言ったとたん、ひもが何かに引っかかりました。(笑)笑いの神が降りている?
タモリさんが挑戦。すぐもつれてしまい、指導する武田さん。
「もうやんない!俺!」とタモリさん。(笑)
「短気はダメ」
タモリさん、もう一度やってみますがうまくいきません。喜ぶ客席…。
「やってみい!」とタモリさん、客席に向かって叫びます。(笑)
フライフィッシングはひもの結び方も3種類覚えないと仕掛けができないようになっているのだとか。
「イギリス人が作っただけあって、めちゃくちゃややこしい…」
釣果は?武田さんは「6度出撃して1度も釣れていない…」そうです。
「最悪はヤマメの養殖場の裏手に行ったのよ。『逃げ出すやつもいるだろう』って」(笑)「釣れねえ…」
「なんでもっと簡単なやつから始めなかったの?」とタモリさん。
「釣りやっている人を見ると、大物を釣る人は顔がちょっと怖いじゃないですか…」と武田さん。
「たとえば?」
武田さん、声をひそめて「松方弘樹さんとか…」(笑)
64歳でも元気な点はデビュー当時と変わりません。
フォークグル―プ「海援隊」でヒットを飛ばし、やがて映画やドラマにも進出し、代表作が何本もある武田さん。これからも川を上る魚のように、力強く歩まれますように…。