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2014年01月26日
384. 野口健A 寿司・植村冒険館 「にじいろジーン」
ぐっさんと待ち合わせたのは東京都・世田谷区・三宿(みしゅく)。
野口さんは1999年、25歳で七大陸世界最高峰・最年少登頂記録を樹立しました。
現在はエベレスト・富士山の清掃登山など、環境問題に取り組んでいるそうです。
「初めまして」と野口さん。「初めまして、ですよね?」
この辺りは以前住んでいた場所で、行きつけの店があるのだとか。
野口さんは、現在奥さんとは別居中。「カミさんはここに住んでいて、定期的に通ってるんです。」
行きつけの寿司屋
「金多楼寿司」
野口さんがヒマラヤから帰ると必ず訪れる店だそうです。10年くらい前から通い始め、若大将とも仲がよく、現在は野口さんの活動のサポ―トもしてもらっているのだとか。
野口さんのおススメは、毎朝築地で仕入れるマグロを青唐辛子と一緒に秘伝のタレで漬け込んだ「漬けマグロ」。
「ヒマラヤ行って一番恋しかったのは寿司なんですよ」と野口さん。
「うわ、うまーい!」とぐっさん。続いて「うに巻」を味わう2人。
「エベレストに最後に登ったときに、8,000mに最終キャンプがあって…」「そこから衛星電話がつながるんですよ…」「8,000mってマイナス30℃くらいで、高山病で頭が痛いんですよ」
そこからこの寿司屋に電話をかけたそうなのですが、高山病なので「ハー、ハー、ハー」と言うだけ…。「怪しい電話になるんですよ」(笑)
寿司屋の店内で交わされている会話が聴きたかったそうです。
「日常生活がいかに幸せかが分かった…」と野口さん。
父の言葉
1990年、野口さんは高校生の時にモンブラン・キリマンジャロ登頂に成功しました。
「高校生ではいなかったんですよ」
自宅で取材を受けているとき、隣の部屋にいたお父さんが入ってきて記者に言いました。
「皆さん、うちの息子が『スゴイ』といいますけど、あれはオレが金を出して、コイツはその金で登っただけ…」
エベレストに登るのには1,000万円くらいかかるそうなのです。入山料だけで800万円…。
「あの成功はコイツの成功ではなく、お金を出した私の成功です」な、なるほど…。
その後も、登山を続けた野口さん、スポンサー集めには苦労したとか。ある会社では目の前で計画書を破られたことも…。
「君のことしか書いていない。君の道楽のために金を出さないといけないのか!」
「だよね」と野口さんは思ったそうです。そこから相手のメリットも考えるようになったそうです。
悩んだ時に訪れる場所
次に2人が向かったのは、
「植村冒険館」(入館無料) 東京都・板橋区・蓮根(はすね)
植村直己さんは、1970年、エベレスト日本人初登頂など、数々の功績を残す登山家。1984年にマッキンリーで消息不明になりました。
この記念館は、1992年に植村直己さんの功績を讃えて設立されたそうです。数々の遺品や功績を示すものが展示されているそうです。
尊敬する野口さんは、悩むとここを訪れるのだとか。
いつも明るく、危険なこともサラリと話す野口さんですが、悩みを癒してくれる、こういう場所があったのですね。「寿司屋」と「植村冒険館」…何か象徴的ですよね。
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2014年01月25日
383. 陳建一 中華の鉄人・四川飯店・ディズニーランド 「サワコの朝」
1956年生まれ。58歳。東京都出身。東京・赤坂の「四川飯店」2代目オーナー。
父・陳建民さんは60年前、日本に初めて麻婆豆腐やエビチリを紹介しました。
そのお父さんに師事したのが21歳のとき。
テレビ番組「料理の鉄人」で「中華の鉄人」として、一躍名前を知られることとなりました。
「記憶の中で今もきらめく曲」は
「卒業写真」荒井由実
修業時代によく聴いた曲だそうです。
「調理場は営業時間は真剣…。アイドルタイム(仕込み?)は音楽聴いていいの。リラックスしないといけない…」
「鉄人」の父
お父さん、建民さんは「感性の人」だったそうです。「『見て覚えろ』って…。感覚で教えてくれて…」
県民さんは60年前に、「観光で」日本に来たそうです。ところがお金が無くなって、中華料理店でアルバイト。そこで運命の出会い…建一さんのお母さんです。
「父の料理を食べて、おいしかった…。『これを日本に広めよう!』」「それを実現していくわけ」「『四川飯店』作って、人を雇って、教えて…、(四川料理を)広めていった…」
ご両親の情熱と戦略で広まった四川料理…ですね。
四川料理というと「辛い」というイメージだとアガワさん。陳さんが説明します。
四川省はある時期、戦争で人が少なくなり、その後、各地から人が集まったそうです。そのとき「各地のシェフが集まった…。」と陳さん。「北京、上海、広東…、いろいろミックスさせてできたのが四川料理。辛い味だけではなく、いろいろある」
麻婆豆腐は「麻婆…マー婆さん」が作った豆腐料理、らしいのですが、「それを持ってきたのが父」だそうです。
お父さんの功績はそれだけでなく、エビチリにケチャップを入れる、担々麺にスープを加える、など、日本人の口に合うようアレンジしたこと。そのアレンジが中国にも受け入れられ、今や本場中国でもエビチリにケチャップを加えるようになりつつあるのだとか。
お父さんが亡くなったのが陳さん35歳のとき。お父さんと比べられていろいろ言われたそうですが…・
「自分が作ったのに、『父が作りました』って言って出したら、『やっぱり旨い』って」そんなイタズラをしながら乗り越えたようで…。
「料理の鉄人」に出演
かつての人気テレビ番組「料理の鉄人」に陳さんは「中華の鉄人」として出演。
一定の時間内に与えられた食材で料理を作り、他の料理人と味を競うという…。
初出演のときは「ものすごく緊張しちゃって…。なに作っていいか分からない…」
すごく勉強になったようです。「初めて見る食材…」「トリュフはポケット入れて持って帰った…」(笑)
「和の鉄人」道場六三郎さんや「フレンチの鉄人」坂井宏行さんと仲良くなったそうです。調理の仕方や食材のことなど、「いろんなことを教えてくれるんだから…」「人生が広がった…」
毎年、一緒に中国に旅行するそうです。「合宿…」「料理の?」「ゴルフ合宿…」。
料理が大好き
有名になった今でも、できるだけ「調理場に立つ」という陳さん。家でも腕を振るうそうです。「料理大好きだもん」
「中華以外では?」
「パスタが最高においしい」(笑)店で出してお客さんを驚かせることもあるそうです。裏メニュー?
「どんなお客さんに対しても全力で料理を…」と陳さん。「ただ人間だから、気持ちは出る」とも。「彼女が来ると張り切っちゃうじゃない?」これは問題発言?それとも一般論?
冷蔵庫に眠っているしなびた野菜の調理についてアガワさんが質問すると、「『塩もみ』してから炒めるといい」と即答。「塩もみすると生き返る」
「だれが食べてもおいしいという料理は無い」と陳さん。「あったらいいね…」「自分を信じて、おいしいと思った麻婆豆腐を出してるだけなの…」「それに対してファンが多ければお客さん、来るわけ…」「ファン作りしてる…今だにしてる…」
厨房をディズニーランドに
「調理場では笑顔で」と陳さん。
「調理場ではあまりお客さんと接する機会がないのでは?」とアガワさん。
「うちは接するの…。見学、全然OK。ウェルカム、どうぞ、そういう店にしたいわけ…」と陳さん。「『ディズニーランドにしたいな』って…」「楽しいじゃないですか、ディズニーランド…。ワクワクするし、思いません?」
「好きなんですか?」
「大好き!」(笑)「調理場がディズニーランドであってほしいな…」
調理場というと怒号が飛び交う、というイメージがありますが。
「厨房では怒っちゃいけないんです」と陳さん。「でも人間だから、『おい!』、そうすると息子が、『ビー!』」「そうすると、『(優しく)ダメだよう…』って感じで…」(笑)「疲れんだよ…」
その息子、建太郎さんがやがて「四川飯店」の3代目に…。
「『適当にやれ』って…。今苦悩してる…」と陳さん。祖父は日本に四川料理を広めた人。父は「中華の鉄人」。そりゃあ悩むでしょう。
「かわいい?」とアガワさん。
「かわいいに決まってるよ…。おれより美味いんだもん」と陳さん。「その噂を流してるのはおれなんだけど…」(笑)
「今、心に響く曲」は
「私がオバさんになっても」森高千里
「おもしろいじゃない?」「元気になる」と陳さん。
人前に出るのが大好き、という陳さん。陽性パワーを存分に振りまいた「サワコの朝」でした。
2014年01月24日
382. 綾野剛A タマゴサンド・箱根駅伝・大森南朋・指輪 「はなまるマーケット」
1982年1月26日生まれ。31歳。岐阜県出身。
2003年に俳優デビュー。2012年朝ドラ「カーネーション」で注目を浴び、去年は「空飛ぶ広報室」「最後の離婚」が話題に。現在はドラマ「S-最後の警官-」に出演中。
「よろしくお願いします」と岡江さんに可愛い花束を渡す綾野さん。
「前回もお花いただいたんですよ」と岡江さん。「やるねえ、この子はもう!」綾野さんはマダムキラー?
「今、日本で一番忙しいですからね」と金曜レギュラーの勝俣さん。「空飛ぶ広報室」で共演した仲です。
「彼は熱いです」と勝俣さん。「僕たち、20歳のとき、熱かったじゃないですか…それをずっとキープして持ってる」「いい男ですよ」
ひたすら照れる綾野さん。
「今朝のおめざ」は
「タマゴサンド」(800円) ばんざい亭(大阪市・中央区)
ふわふわのオムレツとゆで卵の2層で作られる、オリジナルのタマゴサンド。卵そのものの味を生かした洋食屋さんの味。
「なぜ、こちらを?」
「大阪で仕事に行ったとき、飲んでたんです、仕事のあと…。そのとき小腹が空いていて、バーなのでご飯が出せない…出前で取ってくれたのがばんざい亭のタマゴサンド…。」「うれしいですね、東京で食べられるなんて…」
一口食べて、「んふふ…」と笑顔の綾野さん。
「おいしいですね」と皆さん。
タイの熱気球
「ルパン三世」の撮影でタイに行った綾野さん。そこで見た(参加した)のが熱気球を夜空に飛ばす行事。
「コムローイ(灯籠)」と呼ばれる、火をともした熱気球を、タイミングを見計らって夜空に浮かべるのだそうです。舞い上がっている間にお祈り…。綾野さんと浅野忠信さんは揚げるのに手こずったそうです。
「何をお祈りしたんですか?」
「無事に撮影が終わった感謝を…」と綾野さん。
休みの過ごし方
仕事で忙しい綾野さん。
休みになると「仲良くなった人に会いに行きたい…」「食事をしたり、お酒を飲んだり…」「それだけで十分…。旅行とかはいいんです」
大阪や函館まで会いに行くこともあるそうです。
「出会いを育てたいんだね」と勝俣さん。
「『人生は人』だと思ってるんで…」と綾野さん。「きれいごとかもしれないですけど…」
買い物・食事…
綾野さんは、買い物は迷わず、「即決派」だそうです。
「買わずして、『あ、やっぱり欲しい』と思って行ったら無かったりする」「『これ絶対使うな…』と思ったものは結構使う」
食べ物に関しては「新しいものに目が無い」。
「1年くらい前に食に目覚めまして…」「食べてびっくりしたいんです」
最近では「カラスミのにぎり」に驚いたそうです。
出身地・岐阜県の鮎も好きだそうですが、そのことを言うと「あゆ、好きなんですか?」と山内アナウンサーが身を乗り出して…。山内あゆ、というお名前なんですよね。
「あなたのことじゃない!」と岡江さん。(笑)「今日はちょっとテンション高い…」
行けるとしたら「過去?未来?」という質問には、「…未来」「今が大事ですので…」「今のドラマを完走したい」
1月3日の仕事は…
元陸上部のランナーで、大学駅伝が大好きな綾野さんにとって、お正月はとても大事。箱根駅伝があるのです。
仕事と重なったときは録画し、結果を知らないようにして、テレビでドキドキしながら見たいのだそうで…。
ところが、今年の1月3日、「最後の警官」の仕事が入ってしまいました。それも駅伝のゴールの近く…。
「集中しにくくて…」と綾野さん。「携帯のインターネットを開いた瞬間、『東洋…』って見えた」(笑)
「ぼく、たまたま今年、箱根駅伝、沿道で見たんです」と薬丸さんがポツリ…。
「マジすか?」と呟く綾野さん、薬丸さんが引くほど凝視。「ぼくも行きたかったんですけど…。羨ましい…」
「(銃の)スコープで見たらよかったじゃない?」と勝俣さん。
「やってみたんです」(爆笑)「ビルで見えなかった…」
向井理さん
「最後の警官」の撮影はとてもハードで、気温0度の中、池に飛び込んで撮影をしたことも…。
共演の向井理さんは「同い年で同じ星座(水瓶座)…、語らないでも分かりあえる」と綾野さん。「気持ちのいい男性です。コミュニケーション能力が高くて…」
向井理さんからのコメントは…
ドラマでは笑顔の無い綾野さんですが、「現場で一番笑っているのは剛…。NGを出す剛を見て笑っています」「天然なところが人に好かれる…」「同い年なので、お互いに多くを語らずとも分かりあえる…」「完走できるように頑張りましょう」
このコメントに、綾野さんがびっくり!お互いのコメントがとてもよく似ていたのです。
「うれしいですね」と綾野さん。「『完走』というワードも同じだった…。」長い付き合いになる2人?
大切にしているもの
綾野さんが今、大切にしているものは先輩俳優、大森南朋さんからもらった指輪だそうです。
結婚式のお祝いに仕事のため行けず、1時ごろ連絡すると「まだやってる」。
綾野さんが来てくれたことに大喜びした大森さん、「本当に嬉しいからこれあげるよ」と指輪を外して、綾野さんにプレゼント。
「手に馴染むんです…。大森さんも同じものを…ペアリング…」と綾野さん。
黙っているときの、クールで寂しげな表情と、笑ったときの人懐こい笑顔との落差がすごいですね。私の家人も綾野さんのことが大好きです。本当に魅力的な綾野剛さんでした!
2014年01月22日
381. 西川きよし 粒あん・大家族・逆立ち健康法 「はなまるマーケット」
ともに1946年生まれの67歳。1967年に結婚。今年の9月で結婚生活47年になるそうです。
きよしさんは昨年芸能生活50年を迎え、その記念公演「コメディ 水戸黄門」を全国で行っているそうです。
2人が出会ったとき、ヘレンさんはすでに吉本新喜劇の看板女優。半年遅れで吉本に入ったきよしさんは「着ぐるみ専門」。
「クマ、ウマ、シカ…全部ぼくでした」ときよしさん。
「私は調教師(の役)でした」とヘレンさん。
「ムチでしばかれて」ときよしさん。
「その2人がご結婚…」と薬丸さん。
「縁て不思議ですね」ときよしさん。
「今朝のおめざ」は
「冨もなか 求肥入り」(15個入り 2,730円) 山堂 新大阪店 (大阪市)
北海道・十勝産小豆を使った粒あんと柔らかい求肥を包んだ上品な最中。
「なぜこれを?」
「何十年来、東京に来るときのお土産です。一番喜んでいただけるのは、米良美一さん…。持ってきて、自分も小豆が好きですから一緒にいただきたいんです」ときよしさん。
ヘレンさんは甘いものより辛いものがお好きだそうで。
最中の表面に「冨」と書かれてあります。
「小豆の中にお餅が入ってるんです…金もち…」ときよしさん。「冨って書いてある…冨の中にもち…金もち」と縁起が良いことを強調するきよしさん。
「そんなに甘くない…」と岡江さん。
「上品な最中…」といとうあさこさん。
「異常に粒あんが好きなんです」ときよしさん。
4世代家族
西川さんのお宅は、きよしさんのお母さん(91歳)を筆頭に孫まで同居の、4世代家族だそうです。
大家族だといろいろ大変だと思うのですが、「うちは皆仲がいい」と言い切るきよしさん。
「何かトラブルがあると、ぼくが裁判官になるんです。親が悪いと『親が悪い』、家内が悪いと『家内が悪い』」
ヘレンさん、すかさず「主人が悪ければ私が裁判官…」(笑)
「いい間、してますね」ときよしさん。
お孫さんは6人で、お孫さんからの手紙はきよしさんの宝物です。
「孫って可愛いもんですねえ…」ときよしさん。「疲れが取れますね…」
「私は一人っ子でしたので、主人の大家族に憧れて」とヘレンさん。「私のほうから『お嫁にもらってもらえませんか?』って…」
すかさずきよしさん「あんなにムチでしばいていたのに」
46年間の夫婦生活、ケンカは?
「私が原因になることはほとんどないんです」とヘレンさん。きよしさんの、若き日の過ち(?)を匂わせました。
「公開裁判や!」ときよしさん。(笑)
「次に行きましょ」と薬丸さんが言うと、「味方は薬丸さんだけや!」(笑)
30代は超多忙
1970年代後半、きよしさん30代のころ。レギュラーが週に14本、漫才の方は「2ヵ月で50日、舞台でした」。
「その間に(子どもの)運動会とかもちゃんと来てくれたんですよ…」とヘレンさん。
「やす・きよさんは一大ムーブメントを起こしましたね…」と薬丸さん。
故横やすしさんと西川きよしさんの漫才コンビ、通称「やす・きよ」の登場は、当時小学生だった私(よしろう)にも鮮烈でした。メガネのやすしさんと大きな目のきよしさん。畳みかけるような話術・スピード感、「お嫌いですか?お好きです」というギャグも生まれ、お笑い好きの小学生は、狂喜したものです。
実際にはその数年前、2人とも人生の岐路に直面していたそうなのです。
着ぐるみで頑張っていたきよしさんに、「一緒に漫才しよう」と声をかけたのはやすしさん。そのやすしさんは、「天才子ども漫才師」として名前を馳せるも、コンビが続かず、きよしさんとで5回目。きよしさんも、看板女優を取られた会社から様々なプレッシャーをかけられていたのだとか。
迷っていたきよしさんの背中を押したのはヘレンさんのひと言。
「芝居は先輩がいて、なかなか上にあがれない。漫才は15分間2人が主役、思い切ってやってみたら?」
ダメだったときのことも考えたそうです。
「もし漫才コンビ失敗したら、2人でだれも知らないところへ行きましょう…」とヘレンさんが言ったそうなのです。「どこ行くねん?」「北海道へ…」「北海道は吉本のテレビが流れてなかったですから…」
「アパートの2回の奥の部屋に住んでさんまを焼いて暮らそう…」かなりリアルに考えていたんですね。
「そんな細かいとこまで?」といとうあさこさん。
「『北海道でさんまはおかしいやろ!』って…」ときよしさん。「そのころさんまは安かったですから…。吉本のさんまは高いですけど」(笑)
2人の漫才を舞台に出していいものか、重役たちを前にしてのオーディションで2人は見事合格。快進撃が始まったのです。北海道行きを覚悟しての背水の陣でした。
「そういうのは家内のほうが太っ腹…」ときよしさん。勝利の女神は「ダメなら北海道!」と迫ったヘレンさん?
ファンを大切に
歩いているときや食事をしているときに、サインを求められたとき、きよしさんは、その方のご住所を書いてもらうそうです。
「あとからきちんと色紙に書いて、日本のどこにでも送らせていただきます」ときよしさん。
「休みの日はずっと色紙を書いています」とヘレンさん。
こういうところもきよしさんの息長い人気の秘密なんでしょうね。
横山やすしvs(と)西川きよし [モーレツ漫才コンビの全記憶] 5巻7枚組BOX(「みる見るやすきよ事典」特典ブックレット付) [DVD] |
健康法は「三角倒立」
きよしさんがずっと続けている健康法に「逆立ち健康法」があります。
頭をつけての逆立ちを1回15秒から20秒、これを何回か繰り返すそうです。
「第2の心臓であるふくらはぎの血液を下げるんです…」「これをやると気持ちがいいんです」
そしてときおりヘレンさんのマッサージも受けて…。ヘレンさんはエステティシャンの資格を持ち、かつてはエステのお店も開業していました。
結婚生活46年で、芸能生活50年…本当にすごいですね。あやかりたいものです。これからもご活躍を…。
2014年01月21日
380. キムラ緑子 塾経営・女ののど自慢・マキノノゾミと2回結婚 「はなまるマーケット」
NHKの朝ドラ「ごちそうさん」で強烈な小姑役を演じ評判に。
「自分で見ても怖かったですもん…どこか、山奥に住みたいなと…、逃げたい…と」と笑顔で語るキムラさん。
1961年10月15日、兵庫県洲本市(淡路島)生まれ。同志社女子大学時代に演劇の道へ。
「劇団M.O.P」の看板女優として活躍。2007年ごろから映画やテレビの世界に進出。「パッチギ!LOVE&PEACE」「テルマエロマエ」等に出演。
岡江さんとは交流があり、一緒にお食事をしたこともあるそうです。
「昔から知っていて、『本当にうまい方だな』と…」と岡江さん。「今日はいつものように飲んでる感じでお願いします」(笑)
「今朝のおめざ」は
「あわじ オレンジスティック」(金の小箱 75g入り 630円) 長手長栄堂(兵庫県・洲本市)
「幻のみかん」と言われるほど希少な淡路島特産の鳴門みかんを、砂糖の蜜に寝かせ、半年かけて仕上げ、ベルギー産チョコレートでコーティングしたお菓子です。
「なぜこれを?」
「淡路島の『長栄堂』って有名なお菓子屋さんなんですけど…」とキムラさん。なんでもその店の現社長とは同級生だったそうです。
「もちろんすごくおいしくて…。みんな『すごくおいしい』って言ってくれて…」
その同級生の長手さんの記憶の中のキムラさんは「当時からすごく明るくて、男女隔てなくお友だちがいた…」。
確かにキムラさんはずっとニコニコしていて、「本当にあのお義姉さん?」というくらい、明るいオーラに満ちています。
「おいしいです」と薬丸さん。
「最初は少し固くて、カリッ、グニュっという食感が好きなのと、チョコレートが少し苦いんですよね…よく食べてます」とキムラさん。
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キムラ緑子は本名
「キムラ緑子」は本名だそうです。「木村緑子」と漢字で。
「なぜカタカナに?」
「姓名判断に凝ったことがあって…。自己流なんですけれど、カタカナのほうがいいって」とキムラさん。「父親が緑が好きで…。それと秋生まれで…。あれ?秋に生まれて緑…、緑は夏ですよね?…今のは無かったことにして」(笑)
杏さんとは仲良し
弟の嫁役の杏さんを強烈にいびりますが。
「嫌われるかな?嫌がるだろうな?」とかなり心配したそうです。実際は「大丈夫でした」。
杏さんは芝居へのオンオフの切り替えがすごくお上手らしく、「『すごい!』っと思って惚れ惚れして見てるんです」
杏さんのイラスト入りトレーナーをプレゼントされたそうです。
「周囲の反応はどうですか?」意地悪な役で出ると、それを真に受ける視聴者の方もいるようですから。
「道でいろいろ言われるかと思ってたんですけど…気づかれなくて…。薄い顔…」
セリフは道を歩きながら覚えるとか。そして寝る前に「半覚え」で眠ると、夢の中で反芻して、朝には頭に入っているのだそうですが、「朝起きると眉間にシワが…」
演劇への目覚めと塾経営
同志社女子大学時代には、流行の「聖子ちゃんカット」をしていたキムラさん。演劇には興味がなかったのですが、下宿の隣りの部屋に住む友人から、「(近隣の大学の)演劇サークルに入りたいから、ついてきて」と誘われたそうです。
そこで見たのが学生演じる「熱海殺人事件」。「こんな世界もあったのか!」と感動。「私も入るわ!」
でも、当時は一生の仕事とは考えてなく、卒業すると、故郷の淡路島へ。塾経営と家庭教師をしたそうです。
「経営ってのがすごいですね」と薬丸さん。
「部屋を借りて生徒が来てくれたら『私は経営…』みたいな…」とキムラさん。
小・中・高の英語と数学を教えていたそうです。
「数学が好きだったんですよ、私」「行ったのは英文科だったんですけど、すごく好きでした…」
「女ののど自慢」にも出演。
朝のワイドショー「ルックルックこんにちは」(日本テレビ)の中に「ドキュメンタリー 女ののど自慢」という視聴者参加コーナーがありました。
「女性が苦労した過去を振り返り、その後で一曲歌う」というもの。
キムラさんのお母さんとお友だちがオーディションに出ることになっていたのが、お友だちが出られなくなり、急遽キムラさんがピンチヒッターで出ることに…。「苦労なんかしたことなかったのに…」
見事合格。大橋純子さんの「たそがれマイラブ」を披露したとか…。意外な「過去」…。
ご主人は役者・脚本家・演出家
キムラさんのご主人はマキノノゾミさん。「劇団M.O.P」の主宰者で、役者、脚本家、演出家でもあるそうです。
NHKの朝ドラ「まんてん」の脚本、舞台「十三人の刺客」「真田十勇士」の脚本や演出もされたそうです。
驚きなのは、この方とキムラさん、2回結婚したのです。1992年と2011年に…。
「『ほんとにすみません』って感じで…」とキムラさん。
1度目の結婚は13年ほど続いたそうです。「『もういいです』って感じで(別れました)」。
2回目は「震災婚です…。あの年の暮れに『結婚して』ってプロポーズして…」キムラさんからのプロポーズだったそうです。「今さら…」というご主人に「無理やり」復縁を迫ったとか…。情熱家ですね。
そのマキノさん、キムラさんのことを「最も信頼できる女優…本気の演技しかできない」確かに!
奥様としては「私と結婚してくれて感謝」しかし「ゴミの分別を覚えてほしい」。
ご主人がゴミの担当なのですね。我が家と同じです。私(よしろう)もかなりの分別魔(!)です。
キムラさんから見たご主人は「ボヤーとしてます。静か…」。
歌の活動
キムラさんは「女ののど自慢」に出演するくらいの歌自慢。「5年に1度くらい」ライブを行うそうです。
大谷さん(?)という方とご一緒に「ドリー&タニー」とユニットで、ジャズのスタンダードナンバーを「大阪弁で」歌うのだとか。
「FLY ME TO THE MOON」は「フライもんなんやもん、ああ、ええ匂い…」と替え歌で歌うそうです。
「面白い!」とスタジオでは大ウケ。このイベントも化ける可能性あり?
ちょっと目をそむけたくなるほどの強烈なイビリも、高度な演技力と集中力によるものなのですね。明るい素顔との落差(!)が強烈でした。「キムラ緑子」時代が訪れる予感がします…。