2014年01月26日
384. 野口健A 寿司・植村冒険館 「にじいろジーン」
ぐっさんと待ち合わせたのは東京都・世田谷区・三宿(みしゅく)。
野口さんは1999年、25歳で七大陸世界最高峰・最年少登頂記録を樹立しました。
現在はエベレスト・富士山の清掃登山など、環境問題に取り組んでいるそうです。
「初めまして」と野口さん。「初めまして、ですよね?」
この辺りは以前住んでいた場所で、行きつけの店があるのだとか。
野口さんは、現在奥さんとは別居中。「カミさんはここに住んでいて、定期的に通ってるんです。」
行きつけの寿司屋
「金多楼寿司」
野口さんがヒマラヤから帰ると必ず訪れる店だそうです。10年くらい前から通い始め、若大将とも仲がよく、現在は野口さんの活動のサポ―トもしてもらっているのだとか。
野口さんのおススメは、毎朝築地で仕入れるマグロを青唐辛子と一緒に秘伝のタレで漬け込んだ「漬けマグロ」。
「ヒマラヤ行って一番恋しかったのは寿司なんですよ」と野口さん。
「うわ、うまーい!」とぐっさん。続いて「うに巻」を味わう2人。
「エベレストに最後に登ったときに、8,000mに最終キャンプがあって…」「そこから衛星電話がつながるんですよ…」「8,000mってマイナス30℃くらいで、高山病で頭が痛いんですよ」
そこからこの寿司屋に電話をかけたそうなのですが、高山病なので「ハー、ハー、ハー」と言うだけ…。「怪しい電話になるんですよ」(笑)
寿司屋の店内で交わされている会話が聴きたかったそうです。
「日常生活がいかに幸せかが分かった…」と野口さん。
父の言葉
1990年、野口さんは高校生の時にモンブラン・キリマンジャロ登頂に成功しました。
「高校生ではいなかったんですよ」
自宅で取材を受けているとき、隣の部屋にいたお父さんが入ってきて記者に言いました。
「皆さん、うちの息子が『スゴイ』といいますけど、あれはオレが金を出して、コイツはその金で登っただけ…」
エベレストに登るのには1,000万円くらいかかるそうなのです。入山料だけで800万円…。
「あの成功はコイツの成功ではなく、お金を出した私の成功です」な、なるほど…。
その後も、登山を続けた野口さん、スポンサー集めには苦労したとか。ある会社では目の前で計画書を破られたことも…。
「君のことしか書いていない。君の道楽のために金を出さないといけないのか!」
「だよね」と野口さんは思ったそうです。そこから相手のメリットも考えるようになったそうです。
悩んだ時に訪れる場所
次に2人が向かったのは、
「植村冒険館」(入館無料) 東京都・板橋区・蓮根(はすね)
植村直己さんは、1970年、エベレスト日本人初登頂など、数々の功績を残す登山家。1984年にマッキンリーで消息不明になりました。
この記念館は、1992年に植村直己さんの功績を讃えて設立されたそうです。数々の遺品や功績を示すものが展示されているそうです。
尊敬する野口さんは、悩むとここを訪れるのだとか。
いつも明るく、危険なこともサラリと話す野口さんですが、悩みを癒してくれる、こういう場所があったのですね。「寿司屋」と「植村冒険館」…何か象徴的ですよね。
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