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2014年05月23日
479. 堂本剛A 趣味・清水ミチコ・奈良・ほうじ茶ラテ 「スタジオパークからこんにちは」
いつもとお客さんの層が違うのがはっきり分かります。…若い…。多くの方がチラシのようなものを手にしています。
「ぼくも持ってない…」と堂本さんが静かに…。(笑)
「あなた、もう少しテンション上がらないんですか!」とMCの清水ミチコさん。(笑)「お客さんに申し訳ない」
「デビュー当時からこんなんです」と堂本さん。「最初は社長に怒られたんです。『もうちょっと元気出せ!』」「社長がもとめる元気とぼくらが出そうとする元気がうまく合わなかったみたいで…」そのうち諦められたそうです。
ところでスタジオのお客さんが手にしていたのは20年ぶりのNHKドラマ「プラトニック」のチラシでした。
清水さんのネタで大好きなのは…
清水ミチコさんの、知る人ぞ知るネタで「目マン」というのがあります。
黒のパーカーで顔をすっぽり包み、片目だけが覗いているという、アヤシイ風体の人物。それが「目マン」なのですが、そのキャラが堂本さんは大好きだそうです。
「ライブでそうっとやってたネタで、死んだと思ったのが甦ったんです…」と清水さん。「よく知ってましたね、こんなマイナーなネタを…」
「流れ流れてきて、ぼくの手元に来たんですよ…」と堂本さん。「目マンが出てきたときに、『こんなクリエイティブが世の中にあったのか!』と…」
「(目マンが)評価されたこと、初めてです。本当にありがとうございます」と清水さん。
「本当にこんな最高な…衝撃でした」と堂本さん。
私(よしろう)はルドンの絵を思い出しました。オディロン・ルドン…。隻眼の巨人…。
ドラマ「プラトニック」
NHK」ドラマ「プラトニック」は野島伸司作品。堂本さんは20年前にドラマ「人間・失格」に出演。
そのときの堂本さんの印象を野島伸司さんが語りました。
「20年前くらいにオーディションで見たときから圧倒的にタマがいいので、華もあるし…。芝居を見る前から優秀だというのが分かるくらい、段違いに、本人そのものの素材レベルが高い、という印象でしたね…」
「プラトニック」では堂本さんはミステリアスな青年の役。いつも見事な演技なのですが、「やってみて違っている点は修正していただいて…」。
今回の役は難しく、手探りの部分が多いそうです。
デビューのきっかけはお姉さん
1979年生まれ。奈良県出身。周りに迷惑をかけないおとなしい赤ちゃんだったとか。
小学生のときのあだ名は「どうもりん」。
バスケットが大好きな少年の運命が変わったのはお姉さんが勝手に応募した写真。芸能界入りし、高校生の頃にはスーパーアイドルに…。
デビューシングルは初登場1位。連続33作品「週間売り上げ枚数1位」のギネス記録は、いまだに破られてないそうです。
現在は歌手としてだけでなく、作詞・作曲、ギタリストとしても活躍しています。
奈良の薬師寺でライブ
「『奈良で歌いたい』って、ずっと言ってたんですよ」と堂本さん。周りに夢を語り続けた結果、「薬師寺のライブ」という形で実を結びました。
歌だけでなく、ギターソロもあり、アーティスト・堂本剛の存在を押し出すライブでした。
奈良への思いを語ります。
「(奈良は)1300年前の東京なんです」と堂本さん。「奈良は不便なんですよ…。観光地としても不便かと思うんですよ…。京都は新幹線が走ってるし…。奈良は一つ一つの世界遺産が遠かったりするんです。でもこの不便な感じが、今無いので…。ぼくはそこが気持ちいいなと思って…。奈良が好きなんですね…。」「奈良が好きなんで、奈良のために出来ることがあればと思ってますね…」
その思いの一つが、奈良市の「母子手帳」。魅力的なイラスト満載なのですが、そのイラストは堂本さんの手になるもの。
「こんなこともなさってたんですか…」と清水さん。
「いっぱい描かせていただいて、お渡しして…」と堂本さん。「『少しでも力になるようなものを』と思って描かせていただいて…」ちょっとコワいような、それでいてかわいいような、魅力的な絵です。
そしてスタジオには奈良のゆるキャラ「せんとくん」登場。踊りまくります。堂本さんとは旧知の仲のようで…。
ハマっているほうじ茶ラテ
「奈良にほうじ茶の…有名なところがあるんですけど、ほうじ茶を牛乳で割って飲むのが好きで…」
堂本さんの、奈良への思いが伝わったトークでした。
ところで私(よしろう)は堂本剛さんへのある思いが…。というのは昨年「笑っていいとも!」に出演したときのトークを取り上げたところ、そのころ毎日50〜60くらいあったアクセスが激減。10ほどになってしまったのです…。
「堂本剛をブログで取り上げるのはタブーなのか!?」と思ったりして…。
今回、奈良への溢れる思いを書かせていただきましたが、果たして…。
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2014年05月22日
478. 藤木直人 ミスター佐倉高校・趣味・釣り・理系 「いっぷく!」
「爽やか!見てくださーい!」と国分さん。「どうですか?ハコちゃん」と岩下さんに。
「上等のリゾート地に来たようですね」と岩下さん。
「朝はお強いですか?」と国分さん。
「朝は…大丈夫です」今朝は5時に起きたそうです。目覚ましが鳴る前に起きることも多いとか。
「お爺ちゃんです」(笑)「どっちかっていうと、夜がすごく眠くなっちゃって…」
1972年7月19日生まれ。41歳。千葉県出身。スポーツは水泳、テニス。趣味は釣り。
早稲田大学理工学部情報工学科卒業。在学中に映画「花より男子」の花沢類役に抜擢され95年デビュー。
水泳が得意ということですが、「子どものころ、スイミングに行っていて…」
平泳ぎならいくらでも泳げるそうです。
ここで岩下さんの意外な過去が判明。岩下さんは中学生のころ、水泳・1500m自由形で熊本県記録を作ったのだとか。
「まったく面影ないですね」と藤木さん。(笑)
「藤木さん、大きなお世話です」と岩下さん。
「いいですね…、豪速球のツッコミ」と国分さん。
NAO-HIT TV Live Tour ver9.0~10 COUNT TOUR~ [DVD] [DVD] (2009) 藤木直人 |
理系男子?
経歴を見ると理系のようですが。「消去法で理系になったんです」
ある日、高校で文系か理系か、選択しないといけなくなりました。そういう説明のあった日に休んでいたらしい藤木さん、違いが分からず、近くの友人に尋ねると、「数学が得意なら理系、国語が得意なら文系」。
「国語が苦手だから理系にしよう」
「それは浪人しますね…」と国分さん。岩下さんのリベンジ?
そして新学期。教室に入ると、「黒っ!」。45人中男子が40人。黒い制服で教室は埋め尽くされていました。
「『だまされた!』と思って…」と藤木さん。
ミスター佐倉高校
「モテたでしょうね?」と国分さん。
「…モテないですよ」と藤木さん。高校は千葉県・佐倉高校。長嶋茂雄さんは母校の大先輩。
実際はどうだったのか。高校時代に藤木さんは「ミスター佐倉高校」に選ばれたそうなのです。
それも2年生の1位と全校での1位と…。
「大変なご自慢」と岩下さん。(笑)
「調子に乗りましたか?」と桝田アナ。思うんですけれど、「いっぷく!トーク」はけっこう本音ですよね…。面白い…。
「…乗りますよ」と藤木さん。(笑)「とくに目立つわけでもないし…。『これでオレの生活変わるかもしれない』と思ったけど、まったく同じ…」
芸能界に進む気はなかったのですが、音楽をやり始めて、そちらのことも考えるようになったのだとか。「メンズ・ノンノ」の読者モデルに応募することを考え、双子のお兄さんに相談すると、「そんな恥ずかしいことをしたら、兄弟の縁を切る!」と言われ、「そうか、恥ずかしいことなのか…」と断念。
「メンズ・ノンノ」で選ばれたのが高校の同級生だと知り、「オレ、あいつに勝ったよな…」と思ったとか。
海上釣り堀
「釣りが好きで、海上釣り堀というのがあって、初めて行って…」
同じ事務所の先輩・生瀬勝久さんに連れて行ってもらったそうです。
「いかだが浮かんでいて、網があって、そこに魚を放流していくという…」「そこで釣りをする」
「よい点は?」
「環境がいい」と藤木さん。海の上ですからね。「魚、放流してるんで、確実にいる」(笑)
魚釣りというのは釣れたり釣れなかったりするものですが、
「たまには『釣れる釣り』も楽しいし、そこは釣れなくてもちゃんとお土産をくれる」(笑)
放流している魚は「ブリ、サワラ、ヒラマサ、カンパチ、シマアジ、マダイ、クエ、カレイ、天然ヒラメ…」。豪華ですね。
「おもたせ」は
「マ・ボンヌ・ブロック」(2,700円 税込) ショコラティエ・エリカ(東京都・港区)
ミルクチョコレートの中に品質にこだわったクルミとマシュマロを入れた、味わい豊かな一品。
「切り口がマティスの絵みたいじゃないですか。まあ、あなたにピッタリですね」と岩下さん。
「おいしい」「なんか贅沢…」という声が。
ホワイトデーに、藤木さんはこれを贈るそうです。
「人からもらって、『こんなチョコレート、あるんだ!』と思って…」
実は私(よしろう)の母が藤木さんの大ファンで、ライブのDVDをプレゼントしたこともあります。本当にハンサムで爽やか。岩下さんへのツッコミも絶妙で…。これからもご活躍を。
2014年05月21日
477. 中村獅童A 趣味・プロレス・コスプレ・スパイダーマン 「いっぷく!」
1972年9月14日生まれ。41歳。1981年、歌舞伎座にて初舞台を踏み、二代目中村獅童を襲名。
映画「ピンポン」「いま、会いにゆきます」やドラマ「木更津キャッツアイ」など、歌舞伎以外でも活躍。
「獅童さんは、TOKIOでいうと、松岡くんと…」と国分さん。
「そうですね…お会いすることありますね」と獅童さん。
獅童さんは隣にいる岩下さんのことが気になって仕方がない様子。
「本当にね…、朝見ていいのかな、という…。深夜番組、ちょっと一緒に」と獅童さん。(笑)
「私はもう、ずっと拝見しておりましたですね、芝居小屋に勤めておりましたから」と岩下さん。
岩下さんは、獅童さんのお祖母さん、小川ひなさんのことをよく覚えているそうです。大変存在感のある方だったそうで…。
「怖かったです」と獅童さん。「子どものときから挨拶の仕方とか、ものの食べ方とか、けっこう厳しく指導してもらいました」
早くに歌舞伎を廃業したお父さんの代わりに、舞台稽古等にはお祖母さんが付いてきてくれたそうです。
「お宅様の御一門は、今みなさん、お子さんたちも大きくなって、ご全盛ですね」と岩下さん。
「そうですね…だんだんとみんな大きくなりました」と獅童さん。
弱点
「弱点みたいなものはあるんですか」
「こういう、素の状態で出るトーク番組とか、ほんと苦手です」と獅童さん。
「お芝居のときは役になったり…」と国分さん。
「役になりきるからいいですけど…。だからぼくはよくコスプレして出ていくんですよ…」「いや、恥ずかしいですね」
プロレスファン
「ぷく袋」から取り出されたのはたくさんの覆面。
「ぼく、プロレスが大好きなんで…。『覆面が好き』って言ったら、けっこういろんな方がくださって…」と獅童さん。
「ぼく、獅童さんとほぼ同じ年なんですけど、流行りましたね、プロレスはね…」と国分さん。「タイガーマスクとかも…」
子どものころ、一人で後楽園ホールに試合を見に行った帰り、レスラーの「出待ち」をしていた獅童さん。覆面をしていたザ・コブラが現れ、タクシーに乗ろうとするのですが、子どもが群がり、覆面もしているためか、タクシーが止まらない。
ここで持ち前の「しきり」の能力を獅童さんは発揮。
「みんな下がって」と子どもたちを後ろに下がらせ、コブラをタクシーに乗せたそうです。
国籍不明のコブラが獅童少年の耳元で「どうもありがと…」と囁いたそうで、「日本人なんだ!」と感激したのだとか。
今でもたまに覆面をかぶって、レスラーになりすまして外出することがあるそうです。
ここで異変。国分さんや獅童さん、岩下さん、火曜レギュラーの渡瀬マキさんまでが覆面をかぶって…。
「メキシコの朝番組みたい」とはしゃぐ国分さん。
和室にスパイダーマン
和室でスパイダーマンがポーズを付ける写真が登場。もちろん獅童さんのコスプレです。
誕生日のときにリクエストされて着たものだそうですが、しわやたるみもなく、ぴった合っています。
これは特別仕立てで、「約100万です!」と獅童さん。(えーっという声)
「松竹衣装?根岸ですか?」と岩下さん。さすがお詳しい。
「松竹衣装…」と呟く獅童さん。
「プライベートで着るんですか?」と国分さん。
「着ます。近所をパトロール…。犬の散歩とか…」
歌舞伎への憧れ
子ども時代は素直に歌舞伎に憧れていたという獅童さん。
「ぼくも白塗りして、刀差して舞台に出てみたい…」
ところが思春期に入ると悩みます。進路に迷いが生まれました。
転機は学生時代に学校から見にいった(歌舞伎)鑑賞教室。
「生まれて初めて切符を買って、学生の仲間と一緒に見て、感想を書いて…」「歌舞伎って意外と面白いね」という感想が多かったそうです。ふだんはロック一辺倒の友人が「歌舞伎って最高じゃん!」「何か新鮮なんですよね…」
「客観的に見たときに、こういう魅力的な世界にいることができたんだ…」歌舞伎の世界に進む原動力になった出来事でした。
お母さんの教育方針
昨年12月に亡くなられた獅童さんのお母さんは、獅童さんにいろいろなものを吸収させてくれたそうです。
大衆演劇、アングラ…、テントでやるお芝居。
「今でいうストリップのようなものも初めて見せてくれたのが5歳くらい…」「表現というのは垣根が無いんだということを教えてくれたんですけれども…」
同じ映画を昼間と夜中に2回見に行ったこともあったそうです。時間帯が変わると客層が変わる、見え方も変わると…。
2年前、獅童さんはお母さんと初めての海外旅行・ハワイに行きました。
「2年前…。二泊三日で、すごく喜んでくれて・・・」
「おもたせ」は
「生シェルパイ(バニラ味)」(260円 税込) イル・ド・ショコラ(神奈川県・鎌倉市)
「ぼく、これ、鎌倉散歩しているときに、たまたま店を発見して食べたら、ものすごくおいしくて…。パイの中にクリームが入って…」と獅童さん。「打ち上げとかに差し入れたり…」
「お散歩もされるんですか?」
「散歩、大好きですよ…。セリフ覚えるときも散歩したりしながらしますし、もちろん気分転換で散歩することも…」
照れながらも、いろいろと語る獅童さん。豊かなサービス精神を感じます。それにしても、「おもたせ」が「はなまる」での「おめざ」と同じということは、本当に好きなのですね、生シェルパイ…。
2014年05月20日
476. 糸井重里 趣味・恐竜・あんこ・犬・コピーライター 「スタジオパークからこんにちは」
「今日のゲストはいろいろやってらっしゃる方で…、その一つがコピーライター」と伊藤アナ。
「コピーライターという言葉、この方で知ったわね」とMC役の高畑淳子さん。
コピーライターとしての糸井さんが80年代に放ったコピーの数々…。「おいしい生活。」「不思議、大好き。」「くうねるあそぶ」「いまのキミはピカピカに光って」。
そしてジブリ作品にも糸井さんのコピーが。
「このへんないきものはまだ日本にいるのです。たぶん。」となりのトトロ
「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」魔女の宅急便
糸井さんは1948年11月10日生まれ。65歳。群馬県・前橋市出身。
中学時代の夢はマンガ家。毎日マンガを描いていたそうです。
高校卒業後、上京。広告制作会社に勤務。コピーライターの仕事を始め、1980年代に活躍。コピーライター・ブームの火付け役となります。
また、小説家・作詞家としても活躍。沢田研二さんのヒット曲「TOKIO」の作詞もしました。NHK教育テレビでは、若者向けの番組「YOU」の司会も…。
「『コピーライターはなんでも出来るんだよ』って言いたかったんです。コピーライターが考えている順番とか、最終的に表現にする…。基本的にはどの仕事もコピーライターの仕事の中に入ってるんで…」「司会は打ち合わせと同じですから」
最近の興味@
恐竜
「これはずっとなんですけどね…。浅く、長く…」
スタジオに恐竜の卵の化石が持ち込まれました。
「中国で発掘されて、1回アメリカに渡って、ぼくのところに…」「これは妻(樋口可南子さん)のプレゼントです、ぼくへの…誕生日プレゼント」
他にもティラノサウルスの牙が…。
「これはぼくが大人になったから買えた…大人買いが出来たっていうか…」
値段をさりげなく聞く高畑さん。
「高いもの買うと人に嫌われるんです…。ぼろいジーパンの古いやつみたいな値段です」いわゆるヴィンテージもの?「でも安くはない…。ヤですね、その言い方」(笑)
恐竜への興味は怪獣が出発点だったそうです。円谷プロの怪獣…。
最近の興味A
あんこ
「甘いものは好きなんですけど、あんこは特に好きで、ある種の憧れだったんです…」と糸井さん。「大人になったら何をしようかな、っていうことが子どものときからすっとありますけど、『あんこをつくる』って一つの憧れだったんですね」
そしてついにあんこを作るために動き出したそうで…。
「老舗のあんこを作っている方の工場にお邪魔したり…、自分で作るようになって…やっぱり嬉しい」
自家製の、昨日出来たばかりのあんこをMCの2人に振舞う糸井さん。
「おいしい!うわ、このつぶつぶ感、たまりませんね」と伊藤アナ。
「教えてくれた人がいいんで…」あんこづくりの苦労を語る糸井さん。
最近の興味B
犬
「あんこの次はわんこ」と伊藤アナ。(笑)
「うまいこと言いますね」と糸井さん。(笑)
「うまい!」と高畑さん。「考えてたでしょ?」
「いつかまた飼えるようになったらいいな、と思っていたんですけど…」
動物を飼えないところに住んでいたそうです。
「今だ!という機会が11年前に来まして…」「引っ越しから始まって…。飼える家を探した」
引っ越しと同時に禁煙も始めたそうです。
「犬の年齢がぼくの禁煙の年齢なんですよ…。便利なんです」
犬の名前はブイヨン。糸井さんの運営するHP「ほぼ日刊イトイ新聞」で有名です。目次に登場していますね。
猫も好きになったという糸井さん。
「野良猫をどうするか、という話で、うちの会社にいた子が、どうするかで、愛護運動の人と知り合って、その活動に興味を持って…。で、もうじき、動物病院とペットサロンと、保護・引き取りの団体と、一つの建物に固めた建物に引っ越します…団体が」
糸井さんは、その会社を作るお手伝いをしたそうです。
「一番いいのは捨てる人が一人もいなくなることなんですけど…。ご老人で飼ってる人が亡くなったりとか、いろんな問題があるんで…」「一概に人間のせいだけにするわけにもいかない…『じゃあ、みんなで面倒みよう』みたいな…」
私(よしろう)が糸井重里さんの名前を初めて知ったのは矢沢永吉さんの「成り上がり」のインタビュアーとしてでした。
その後、80年代を迎えるとあらゆるところに「糸井重里」という名前が…。ご本人の作品のみならず、「糸井重里」という名前があると、「大丈夫です、この〇〇」みたいな、いわば「保証書」のような役割を果たしていた気もします。
バブルが崩壊し、時代が変わると、糸井さんの出番は少し減ったかのような気がしたのですが、また強烈な形で出てきました。「ほぼ日刊イトイ新聞」です。
矢沢永吉さんと対談し、吉本隆明さんを引っ張り出し、谷川俊太郎さんに声をかけ…、「言いまつがい」を出版し、「ほぼ日手帳」をヒットさせ…。もうやりたい放題で、本当にこの人からは目を離せません。
京都の街を歩きながら、「糸井さんの京都のお宅はどこだろう?」などと夢想する私です。
475. 佐野史郎 医者の家系・趣味・写真・小泉八雲 「徹子の部屋」
ドラマ「ずっとあなたが好きだった」の「冬彦さん」役で一世を風靡。誰もが知る俳優となりました。ドラマで共演した野際陽子さんたちとはプライベートでもお付き合いがあるそうです。
「家族の感じです、ずっと会っていなくてもね…。親戚っていうか、そんな感じがありますね」と佐野さん。「ああいう密度の濃いドラマを一緒にやった仲間というのは…」
実家は代々島根県・松江市のお医者さん。
「あなたのお家は代々写真の…」と黒柳さん。「写真好き」の家柄でもあるそうです。
「祖母と父が2000年に立て続けに亡くなりまして、押し入れから大量の写真が、アルバムが出てきて…」と佐野さん。
明治42年、初代の佐野家の集合写真も現存するそうです。
「必ず記念写真を玄関先で撮ってましたね…」「今でもそうですけど…」
写真好きは…
父方は松江で医者をする傍ら、趣味で写真を愛好。
「母方も出雲大社で写真館をやっているもので…。」「子どものころから写真が身近にあって…」
夏休みに2週間くらい母方の実家の写真館に預けられ、そこで写真館の様子を間近でみたそうです。
また、お父さんが写した佐野さんの幼少時代の写真も相当数、残っているとか。写真の下にお父さんによるキャプションが添えられています。
「おひるの食事です」「誰か相手をしてくれと、怒って居ます」という具合に。お父さんの、佐野さんへの愛情が伝わる写真の数々…。
「父が亡くなってから、写真への思いが余計強くなって…」「自分でも、改めて気づかないうちに好きで…」
郷里・松江に戻ると、宍道湖周辺を撮影するそうです。
小泉八雲
「怪談」で有名な小泉八雲こと、ラフカディオ・ハーンは松江に住んでいたことがあり、今もその屋敷が残っています。
「(松江では)ラフカジオ・ヘルンって明治時代は言ってたみたいですよ…。松江の人は『ヘルンさん、ヘルンさん』って言ってます。」「松江ゆかりの文人として、松江の人はみんな愛してますから…」
佐野さんは、10年近く前から、松江市主催でハーンの作品を朗読しているそうです。
「ぼくがいろんな作品を構成して、怪談があったり、ちょっとコミカルな童話があったり、あとは哲学的なエッセイがあったり、そういうものを組み合わせて…」「だいたい1時間20分くらいの朗読台本書いて、同級生の山本恭司というロックギタリストと一緒に2人で定期的にやっているんです」
山本恭司!
ここで私(よしろう)はしばし興奮。矢沢永吉さんのライブで度々弾いていらっしゃる圧巻のギタリスト!
確か、高校の同級生だったんですよね…。
今年はハーンの生まれ故郷のギリシャの島で朗読会を行うそうです。
「ただ日本語で、字幕なので、果たしてどう伝わるか…」
岡田将生の父親役
まもなく公開の映画「オー!ファーザー」では、岡田将生さんの父親(4人いるそうです)役を演じるとか。
「岡田くんは本当に二枚目ですけれど、二枚目の自覚がない」と佐野さん。
「だから余計に綺麗に見えるんでしょうね…」と黒柳さん。
「ああ、そうか…」と佐野さん。「楽しいです、彼といると…」
マザコン息子役で有名になった佐野さんも、父親を演じる年齢となりました。穏やかに話している姿は知的で紳士そのもの。これからもご活躍を。