2014年09月21日
教わると言う事、伝えると言う事
私が小学6年生の時の担任と言うのが、無茶苦茶怖い人でした。
今なら間違い無く『暴力教師』扱いされてしまう体育会系の先生で、ほぼ毎日殴られていた(原因は自分にあるのですが・・・)のを覚えています。
曲がった事が大嫌いなその先生、毎日いつ殴られるか分からない緊張感の中で送った小学生最後の年。
私がサッカーと出会ったのもこの先生との1年間が有っての事です。
無理矢理入部させられたサッカー部が最初のきっかけでしたね。
今考えれば、無茶苦茶な先生でしたが、その先生に教えてもらった事で今でも私の心の中に残っている言葉があります。
『守・破・離(しゅ・は・り)』と言う言葉です。
武道の教えだそうですので、知っている方もいるのではないのでしょうかね。
『守』 : 師の教えをしっかりと守り修練する事。
『破』 : 他流と交わり、自分に足りない所を見い出し、これまでの自分の殻を破る事。
『離』 : これまで身に着けた物から離れ、全く新しい物を作り上げる事。
この事は、今でも私が新しい業務に就く様な時等に、繰り返し思い出され実行する様に努めている事でもあります。
少年サッカーにおいても同様の事が言えます。
先ず、子供達がすべき事は、コーチの教えを守り、修練を重ねる事です。
次に、試合等を通じて、他者との差を自覚し、足りない物を補う努力をする事が求められます。
最後に、自分らしさと言う物を確立する事が望まれます。
小学生の内にこの全ての段階をクリアできる子なんて殆どいないでしょう。
それ程、道程は長いのですね。
何かを極めようとすれば、当然ですが尋常では無い努力を必要とします。
これは、スポーツでも、仕事でも、その他何でも、同じ事だと言えると思います。
『我流』と言う選択肢も確かにありますが、自分を客観視できる人でなければ欠陥だらけの物が出来上がるだけで終わってしまう場合が圧倒的に多いのです。
その為の師(コーチ)である訳ですから、先ず『話をしっかりと聞く事』、そしてその教えに『忠実』な『修練に励む事』。
これが、子供達にしっかり根付かないと、その先に進む事は出来ないと思って間違いありません。
そして、それはサッカー等のスポーツの枠に留まらず、生活のあらゆる面で顔を出してきてしまいます。
『自戒の念』も込めて、うちの子達にはこう言った話をする時もあるのですが・・・右から左へと・・・耳を素通りして行ってしまうのもまた子供の必殺技の1つです。
都合良くできています。(笑)
こう言った事を教える事は、コーチではなく親の務めなのでしょうが・・・伝える事が難しい事の1つでもあります。
そもそも、『自分だってそうじゃん』と言われれば閉口せざるを得ない身。
それでも、そこをどっさりと棚上げして物を言わないといけない辛さと言うか、情けなさと言うか、面の皮の厚さと言うか・・・とにかく、親はそう言った矛盾を抱えている『罪深い生き物』なのだと、この年になって初めて知る訳です。
この辺も、少年サッカーなんかに関わった為に生じた親の苦悩・・・そう言えるかも知れません。
これからも、煙たがられながら、クドクドと馬鹿息子達の耳元で囁き続けて行く事になりそうな予感がします。
今なら間違い無く『暴力教師』扱いされてしまう体育会系の先生で、ほぼ毎日殴られていた(原因は自分にあるのですが・・・)のを覚えています。
曲がった事が大嫌いなその先生、毎日いつ殴られるか分からない緊張感の中で送った小学生最後の年。
私がサッカーと出会ったのもこの先生との1年間が有っての事です。
無理矢理入部させられたサッカー部が最初のきっかけでしたね。
今考えれば、無茶苦茶な先生でしたが、その先生に教えてもらった事で今でも私の心の中に残っている言葉があります。
『守・破・離(しゅ・は・り)』と言う言葉です。
武道の教えだそうですので、知っている方もいるのではないのでしょうかね。
『守』 : 師の教えをしっかりと守り修練する事。
『破』 : 他流と交わり、自分に足りない所を見い出し、これまでの自分の殻を破る事。
『離』 : これまで身に着けた物から離れ、全く新しい物を作り上げる事。
この事は、今でも私が新しい業務に就く様な時等に、繰り返し思い出され実行する様に努めている事でもあります。
少年サッカーにおいても同様の事が言えます。
先ず、子供達がすべき事は、コーチの教えを守り、修練を重ねる事です。
次に、試合等を通じて、他者との差を自覚し、足りない物を補う努力をする事が求められます。
最後に、自分らしさと言う物を確立する事が望まれます。
小学生の内にこの全ての段階をクリアできる子なんて殆どいないでしょう。
それ程、道程は長いのですね。
何かを極めようとすれば、当然ですが尋常では無い努力を必要とします。
これは、スポーツでも、仕事でも、その他何でも、同じ事だと言えると思います。
『我流』と言う選択肢も確かにありますが、自分を客観視できる人でなければ欠陥だらけの物が出来上がるだけで終わってしまう場合が圧倒的に多いのです。
その為の師(コーチ)である訳ですから、先ず『話をしっかりと聞く事』、そしてその教えに『忠実』な『修練に励む事』。
これが、子供達にしっかり根付かないと、その先に進む事は出来ないと思って間違いありません。
そして、それはサッカー等のスポーツの枠に留まらず、生活のあらゆる面で顔を出してきてしまいます。
『自戒の念』も込めて、うちの子達にはこう言った話をする時もあるのですが・・・右から左へと・・・耳を素通りして行ってしまうのもまた子供の必殺技の1つです。
都合良くできています。(笑)
こう言った事を教える事は、コーチではなく親の務めなのでしょうが・・・伝える事が難しい事の1つでもあります。
そもそも、『自分だってそうじゃん』と言われれば閉口せざるを得ない身。
それでも、そこをどっさりと棚上げして物を言わないといけない辛さと言うか、情けなさと言うか、面の皮の厚さと言うか・・・とにかく、親はそう言った矛盾を抱えている『罪深い生き物』なのだと、この年になって初めて知る訳です。
この辺も、少年サッカーなんかに関わった為に生じた親の苦悩・・・そう言えるかも知れません。
これからも、煙たがられながら、クドクドと馬鹿息子達の耳元で囁き続けて行く事になりそうな予感がします。
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