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2020年05月31日
営業マンから医者に転身 40
皆さん、お元気ですか??
しばらく私の方は体調を崩し、ブログをお休みさせていただいていました。
これからまた初心に戻って頑張りたいと思います( ・∇・)
昨今YoutubeやツイッターなどのSNSの書き込みひどいですね。
本当に投稿者の愚弄に止まらず、亡くなった人に対しても非難し、また讒言(ざんげん)を言う現況が横行しています。
昔司馬遼太郎さんの本のなかで、「日本に思いやりの精神が無くなったら、世界の中で生きていくことができない。」と言及されていました。
私はその文章を目にした時、司馬遼太郎さんの真意は分かりませんでした。
しかし、今なんとなく分かるような気がします。
まあ、太古の昔から人々が互いに言い争いをすることは存在した訳ですが、しかしながらSNSの導入によってよりその悪性度は増幅しているように感じます。
書き込んだことはある一定の時間残りますし、沢山の方々の目にも晒されます。
見た人は、関係者でなくても、要らぬ感情まで抱き、被害者を更に攻撃することもあるかもしれません。
今回木村花さんの死を通して、人々の慮る心や気質に対して疑念の気持ちを抱きました。
彼女の言動は少しだけYoutubeを通して概観しました。
確かに言い方はきついし、一方的に相手を攻撃している姿を見て、これは世論に叩かれるなあと思いました。
そして日々のアンチの投稿に耐えかねて、彼女は”自死”を選択したのですが、そのことについてもかなり論評があったようです。
「あいつのおかげでテラスハウスが無くなった!」
「誹謗中傷されるのが嫌だったら、アカウントを消せばいいじゃない。」
など、枚挙にいとまがありません。
確かに方法論的に彼女の選択が正しかったかどうかは分かりませんが、現代は攻撃者よりも、被害者の立ち回りの様子についても攻撃の矛先を向ける時代です。
”被害者が弱いから、いじめられるんじゃない”
木村花さんが弱い人かどうかは分かりません。
フィジカル的には相当強い人でしょう。
とにかく私が言いたいのは被害者をとやかく言う前に、攻撃者について事の真偽を問いたださなければ、彼女の死が無駄になってしまうような気がしてなりません。
毎日のように周りから責められ、人々への信頼感が失墜してしまった時の辛さは、尋常ではないんでしょう。
被害者の責任を問いただす前に、兎にも角にもアンチを初めとする反駁者をこれからどう糺し、どのように彼らの無尽蔵なまた無責任な投稿を管理していくべきか、もう一度考える必要があると思います。
ただ”それでは実名で投稿しましょう”と言っても、恐らくアンチの投稿はなくならないような気がします。
物事が変革する時、必ず犠牲者が生まれます。
彼女の”死”が無駄にならないよう、SNSのあり方についてもう一度再考する必要があると考えます。
今日はここまでです。
明日もよろしくお願いします。
しばらく私の方は体調を崩し、ブログをお休みさせていただいていました。
これからまた初心に戻って頑張りたいと思います( ・∇・)
昨今YoutubeやツイッターなどのSNSの書き込みひどいですね。
本当に投稿者の愚弄に止まらず、亡くなった人に対しても非難し、また讒言(ざんげん)を言う現況が横行しています。
昔司馬遼太郎さんの本のなかで、「日本に思いやりの精神が無くなったら、世界の中で生きていくことができない。」と言及されていました。
私はその文章を目にした時、司馬遼太郎さんの真意は分かりませんでした。
しかし、今なんとなく分かるような気がします。
まあ、太古の昔から人々が互いに言い争いをすることは存在した訳ですが、しかしながらSNSの導入によってよりその悪性度は増幅しているように感じます。
書き込んだことはある一定の時間残りますし、沢山の方々の目にも晒されます。
見た人は、関係者でなくても、要らぬ感情まで抱き、被害者を更に攻撃することもあるかもしれません。
今回木村花さんの死を通して、人々の慮る心や気質に対して疑念の気持ちを抱きました。
彼女の言動は少しだけYoutubeを通して概観しました。
確かに言い方はきついし、一方的に相手を攻撃している姿を見て、これは世論に叩かれるなあと思いました。
そして日々のアンチの投稿に耐えかねて、彼女は”自死”を選択したのですが、そのことについてもかなり論評があったようです。
「あいつのおかげでテラスハウスが無くなった!」
「誹謗中傷されるのが嫌だったら、アカウントを消せばいいじゃない。」
など、枚挙にいとまがありません。
確かに方法論的に彼女の選択が正しかったかどうかは分かりませんが、現代は攻撃者よりも、被害者の立ち回りの様子についても攻撃の矛先を向ける時代です。
”被害者が弱いから、いじめられるんじゃない”
木村花さんが弱い人かどうかは分かりません。
フィジカル的には相当強い人でしょう。
とにかく私が言いたいのは被害者をとやかく言う前に、攻撃者について事の真偽を問いたださなければ、彼女の死が無駄になってしまうような気がしてなりません。
毎日のように周りから責められ、人々への信頼感が失墜してしまった時の辛さは、尋常ではないんでしょう。
被害者の責任を問いただす前に、兎にも角にもアンチを初めとする反駁者をこれからどう糺し、どのように彼らの無尽蔵なまた無責任な投稿を管理していくべきか、もう一度考える必要があると思います。
ただ”それでは実名で投稿しましょう”と言っても、恐らくアンチの投稿はなくならないような気がします。
物事が変革する時、必ず犠牲者が生まれます。
彼女の”死”が無駄にならないよう、SNSのあり方についてもう一度再考する必要があると考えます。
今日はここまでです。
明日もよろしくお願いします。
2020年05月22日
営業マンから医者に転身 39
皆さん、お元気ですか??
今日もまたイチローさんの言葉を紹介したいと思います。
このお話は大阪桐蔭高校の野球部の監督の西谷さんが全校朝会で話された内容です。
イチロー選手は、言わずもがな、日本とアメリカで合計4257本のヒットを打って、世界新記録を達成されました。
そのイチロー選手が、以前小学生に野球を教えたことがありました。その時、小学生がイチロー選手に「どうやったら野球が上手になりますか?」と質問をしました。
イチロー選手はなんと答えたと思いますか?
「バットやグローブなどの道具を大切にすることだよ。」
イチロー選手はそう答えました。
どうですか?、「えっ、そんなこと?」と思った人もいるでしょう。例えば、フォアボールで一塁に行くとき、多くの選手はバットを放り投げて行きます。
しかし、イチロー選手は、バットを優しく置いてから一塁に行きます。また、打った時バットを回転させたり、派手に投げたりして走っていく選手がたくさんいる中で、イチロー選手は、バットを投げずに、上手に置きながら走ります。
イチロー選手は、「バットやグローブをいつもきちんと使えるように準備しておくこと」、そして「その道具を使えることに感謝すること」、これが野球が上手くなるコツだと言っています。
上手になるためには、道具を大事にしないとダメなのです。
では、皆さんの場合はどうでしょうか?
野球などのスポーツを習っている人はもちろんですが、習っていない人も、野球のバットやグループに当たる道具‥つまり、勉強で使う鉛筆や消しゴムなどを大事にしていますか?
買ったばかりで、新しい時は大事にするけれども、しばらく経つと、鉛筆を落としたり、無くしたりしていませんか?
また、鉛筆はいつでも使えるように削っていますか?
教科書やノートに落書きなどをしていませんか?
どんなことでも、できるようになるには、道具を大事にしないといけません。
皆さんもイチロー選手のように、道具を大事にして、勉強やスポーツができる人になりましょう!
という内容のお話でした。
私は最初にこのお話に触れた時に、「ガーン!!」( ̄◇ ̄;)と頭をぶたれたような感覚を覚えました。
道具を大切にすることは、本当に大切ですよね。
私の妻のお父さんも、本当に道具を大切にされます。
車も20年乗っても、ピカピカです。
私もこの素晴らしい模範に倣って、車を綺麗にしています。
また野球の時も、どんな安価な道具も大切に扱い、またバットやグローブを綺麗に磨いています。
ただ、結果が出た時は、非常に道具の掃除も進むのですが、結果が出なかった時は、道具の手入れが本当に大義になります(^_^;)
これではいけませんね。
皆さん、道具を大切にしましょう。
これは試験でも同じだと思います。
物を大切にする心は、自分を磨いてくれると思います。
今日はここまでです。
明日もよろしくお願いします。
今日もまたイチローさんの言葉を紹介したいと思います。
このお話は大阪桐蔭高校の野球部の監督の西谷さんが全校朝会で話された内容です。
イチロー選手は、言わずもがな、日本とアメリカで合計4257本のヒットを打って、世界新記録を達成されました。
そのイチロー選手が、以前小学生に野球を教えたことがありました。その時、小学生がイチロー選手に「どうやったら野球が上手になりますか?」と質問をしました。
イチロー選手はなんと答えたと思いますか?
「バットやグローブなどの道具を大切にすることだよ。」
イチロー選手はそう答えました。
どうですか?、「えっ、そんなこと?」と思った人もいるでしょう。例えば、フォアボールで一塁に行くとき、多くの選手はバットを放り投げて行きます。
しかし、イチロー選手は、バットを優しく置いてから一塁に行きます。また、打った時バットを回転させたり、派手に投げたりして走っていく選手がたくさんいる中で、イチロー選手は、バットを投げずに、上手に置きながら走ります。
イチロー選手は、「バットやグローブをいつもきちんと使えるように準備しておくこと」、そして「その道具を使えることに感謝すること」、これが野球が上手くなるコツだと言っています。
上手になるためには、道具を大事にしないとダメなのです。
では、皆さんの場合はどうでしょうか?
野球などのスポーツを習っている人はもちろんですが、習っていない人も、野球のバットやグループに当たる道具‥つまり、勉強で使う鉛筆や消しゴムなどを大事にしていますか?
買ったばかりで、新しい時は大事にするけれども、しばらく経つと、鉛筆を落としたり、無くしたりしていませんか?
また、鉛筆はいつでも使えるように削っていますか?
教科書やノートに落書きなどをしていませんか?
どんなことでも、できるようになるには、道具を大事にしないといけません。
皆さんもイチロー選手のように、道具を大事にして、勉強やスポーツができる人になりましょう!
という内容のお話でした。
私は最初にこのお話に触れた時に、「ガーン!!」( ̄◇ ̄;)と頭をぶたれたような感覚を覚えました。
道具を大切にすることは、本当に大切ですよね。
私の妻のお父さんも、本当に道具を大切にされます。
車も20年乗っても、ピカピカです。
私もこの素晴らしい模範に倣って、車を綺麗にしています。
また野球の時も、どんな安価な道具も大切に扱い、またバットやグローブを綺麗に磨いています。
ただ、結果が出た時は、非常に道具の掃除も進むのですが、結果が出なかった時は、道具の手入れが本当に大義になります(^_^;)
これではいけませんね。
皆さん、道具を大切にしましょう。
これは試験でも同じだと思います。
物を大切にする心は、自分を磨いてくれると思います。
今日はここまでです。
明日もよろしくお願いします。
2020年05月21日
営業マンから医者に転身 38
2020年05月20日
営業マンから医者に転身 37
2020年05月19日
営業マンから医者に転身 36
皆さん、お元気ですか??
最近、比較的コロナが落ち着きつつありますので、少しホッとしています。
ただ身の回りの色々な行事がなくなってしまって、落胆の色が隠せません。
5月末に異動になる一人の先生がおられますが、彼女が研修医の時からの知り合いで、それがどうにもこうにも送別会も何もしてあげられず。。。
非常に断腸の思いでいます。
私の娘も、高校に入って、大学に行っての医学研修や、山でのスクーリングなどの楽しい行事がなくなり、凹んでおります。
高校では陸上部に入部したのですが、3年生の先輩が4月いっぱいで、卒部になり、何も交流することがなく終わってしまったことを残念がっていました。
このままだと夏までの大きな大会も全てなくなりそうですね。゚(゚´Д`゚)゚。
甲子園もなくなってしまいそうです。
今年も注目の選手はたくさんいました。
私は高校野球が好きで、よくYoutubeで拝見しています。
例えば、明石商業の中森投手や来田選手、高知高校の森木投手、東海大相模の西川選手と、いずれもプロ注目選手です。
がしかし、彼らの超高校級のプレーも今年は見ぬまま終焉しそうです。
何か他に代替案はないのでしょうか??
受験はかろうじて行われるのに、運動部の大会がなくなるのは、とても可愛そうな気がします。
まあどれが公平で、どれが不公平の峻別はつきにくいのですが。。
とにかく、高校生の熱い3年間が、良い形で行われることだけを願っています。
それにしても、本当に当たり前のように見ていたスポーツも、当分拝見できなくなることに対して、これからは”当たり前”と思っていはいけないんだと思いました。
ごく当たり前のことも、これからは感謝して行うことを心に決めました。
私も病院対抗大会が毎年行われるのですが、その大会のレベルの高さは、40後半の私にとっては尋常ではありません。
それはそのはず。
高校野球上がりの子供達が即戦力で出場しているからです。
投手のボールも速いし、皆ガンガン打って走ります。
それが過去2年間雨のため、中止になっています。
本当に信じられません。
恐らくこのままいくと、コロナの影響で、3年連続中止となる可能性が高いです。
私も本当に焦っています。
勿論毎日筋トレやランニングをしていますが、選手としての賞味期限もあるはずです。
負けず嫌いだけでやってきましたので、もう打てない投げれないでは、チームに居る意味がありません。
目も悪くなってきました。
なので、まだ元気な内に、主戦場で戦いたいと思っています。
でも焦っても何もいいことないですよね。。
とにかく悔いの残らないように頑張りますね。
今日はここまでです。
明日もよろしくお願いします。
最近、比較的コロナが落ち着きつつありますので、少しホッとしています。
ただ身の回りの色々な行事がなくなってしまって、落胆の色が隠せません。
5月末に異動になる一人の先生がおられますが、彼女が研修医の時からの知り合いで、それがどうにもこうにも送別会も何もしてあげられず。。。
非常に断腸の思いでいます。
私の娘も、高校に入って、大学に行っての医学研修や、山でのスクーリングなどの楽しい行事がなくなり、凹んでおります。
高校では陸上部に入部したのですが、3年生の先輩が4月いっぱいで、卒部になり、何も交流することがなく終わってしまったことを残念がっていました。
このままだと夏までの大きな大会も全てなくなりそうですね。゚(゚´Д`゚)゚。
甲子園もなくなってしまいそうです。
今年も注目の選手はたくさんいました。
私は高校野球が好きで、よくYoutubeで拝見しています。
例えば、明石商業の中森投手や来田選手、高知高校の森木投手、東海大相模の西川選手と、いずれもプロ注目選手です。
がしかし、彼らの超高校級のプレーも今年は見ぬまま終焉しそうです。
何か他に代替案はないのでしょうか??
受験はかろうじて行われるのに、運動部の大会がなくなるのは、とても可愛そうな気がします。
まあどれが公平で、どれが不公平の峻別はつきにくいのですが。。
とにかく、高校生の熱い3年間が、良い形で行われることだけを願っています。
それにしても、本当に当たり前のように見ていたスポーツも、当分拝見できなくなることに対して、これからは”当たり前”と思っていはいけないんだと思いました。
ごく当たり前のことも、これからは感謝して行うことを心に決めました。
私も病院対抗大会が毎年行われるのですが、その大会のレベルの高さは、40後半の私にとっては尋常ではありません。
それはそのはず。
高校野球上がりの子供達が即戦力で出場しているからです。
投手のボールも速いし、皆ガンガン打って走ります。
それが過去2年間雨のため、中止になっています。
本当に信じられません。
恐らくこのままいくと、コロナの影響で、3年連続中止となる可能性が高いです。
私も本当に焦っています。
勿論毎日筋トレやランニングをしていますが、選手としての賞味期限もあるはずです。
負けず嫌いだけでやってきましたので、もう打てない投げれないでは、チームに居る意味がありません。
目も悪くなってきました。
なので、まだ元気な内に、主戦場で戦いたいと思っています。
でも焦っても何もいいことないですよね。。
とにかく悔いの残らないように頑張りますね。
今日はここまでです。
明日もよろしくお願いします。
2020年05月18日
営業マンから医者に転身 35
皆さん、お元気ですか??
今日は私の小さい頃のお話をしたいと思います。
皆さんももしかしたら、持病を持たれている方がおられるかもしれません。
私は乳児期から”喘息”は発症しました。
小さい頃から喘息でしたので、もう親は大変だったと思います。
大きくなれば、我慢ができるかもしれませんが、子供ですから、えらければそのままストレートに表現するわけです。
とにかく喘息は皆さんご承知の通り、呼吸がしづらくなる病気です。
もうこの大変さはやはり経験者しか分からないと思います。
小さい頃は身体の予備能力が低いですから、しょっちゅう喘息を起こすんです。
特に季節の変わり目は要注意です。
風邪をこじらせ、喘息になります。
幸いおじいちゃんおばあちゃんが家にいましたので、よく面倒をみてもらいました。
あと父が喫煙者でしたので、副流煙も幾分か吸っていたと思います。
でもその父が私が喘息で苦しんでいても、やめなかったのに、孫が生まれてから全く吸わなくなりました。
その決断力はすごかったです。
タバコって、病気を契機に辞める方がほとんどだと思うのですが、きっぱり辞めました。
だったら、早くから辞めて欲しかったなあと少し思いましたが、でも57歳ごろから吸ってないので、よく頑張っているなあと感心します。
喘息で今まで入院した回数は恐らく30回以上になると思います。
小学校2年生の時は、ほとんど学校に行けませんでした。
街の大きな病院で半年ほど集中的に治療をしました。
小さい時から、診察してくれた医師の先生や看護師さんは今でも元気にされているかなとふと思ったりします。
喘息は本当に酷い病気です。
病は気からと言われますが、私はもう乳児期に発症していたので、その格言は当てはまりません。
喘息は学童期に治ることがほとんどですが、稀に大人になっても苦しんでいる人や、妊娠やストレスを契機に大人になってから発症される方もおられます。
私の印象として、大人の発症は結構厄介です。
なかなか治りが悪いし、また仕事を休んだり、ストレスを軽減させることが難しいですから、一度発作を起こされると激烈な症状になることがあります。
今は私もほとんど完治していますが、それでも疲労が重なると、しんどい時があります。
そのことで業務上損をしたこともあります。
でもこれからも上手く付き合っていくしかないですね。
とにかく自己健康管理が一番大切だと思いますので、今回のコロナ感染だけでなく、日頃から死ぬまで、心身の鍛錬と管理を怠らないようにしましょう!!
今日はここまでです。
明日もよろしくお願いします。
今日は私の小さい頃のお話をしたいと思います。
皆さんももしかしたら、持病を持たれている方がおられるかもしれません。
私は乳児期から”喘息”は発症しました。
小さい頃から喘息でしたので、もう親は大変だったと思います。
大きくなれば、我慢ができるかもしれませんが、子供ですから、えらければそのままストレートに表現するわけです。
とにかく喘息は皆さんご承知の通り、呼吸がしづらくなる病気です。
もうこの大変さはやはり経験者しか分からないと思います。
小さい頃は身体の予備能力が低いですから、しょっちゅう喘息を起こすんです。
特に季節の変わり目は要注意です。
風邪をこじらせ、喘息になります。
幸いおじいちゃんおばあちゃんが家にいましたので、よく面倒をみてもらいました。
あと父が喫煙者でしたので、副流煙も幾分か吸っていたと思います。
でもその父が私が喘息で苦しんでいても、やめなかったのに、孫が生まれてから全く吸わなくなりました。
その決断力はすごかったです。
タバコって、病気を契機に辞める方がほとんどだと思うのですが、きっぱり辞めました。
だったら、早くから辞めて欲しかったなあと少し思いましたが、でも57歳ごろから吸ってないので、よく頑張っているなあと感心します。
喘息で今まで入院した回数は恐らく30回以上になると思います。
小学校2年生の時は、ほとんど学校に行けませんでした。
街の大きな病院で半年ほど集中的に治療をしました。
小さい時から、診察してくれた医師の先生や看護師さんは今でも元気にされているかなとふと思ったりします。
喘息は本当に酷い病気です。
病は気からと言われますが、私はもう乳児期に発症していたので、その格言は当てはまりません。
喘息は学童期に治ることがほとんどですが、稀に大人になっても苦しんでいる人や、妊娠やストレスを契機に大人になってから発症される方もおられます。
私の印象として、大人の発症は結構厄介です。
なかなか治りが悪いし、また仕事を休んだり、ストレスを軽減させることが難しいですから、一度発作を起こされると激烈な症状になることがあります。
今は私もほとんど完治していますが、それでも疲労が重なると、しんどい時があります。
そのことで業務上損をしたこともあります。
でもこれからも上手く付き合っていくしかないですね。
とにかく自己健康管理が一番大切だと思いますので、今回のコロナ感染だけでなく、日頃から死ぬまで、心身の鍛錬と管理を怠らないようにしましょう!!
今日はここまでです。
明日もよろしくお願いします。
2020年05月17日
営業マンから医者に転身 34
皆さん、お元気ですか?
まだまだ混沌とした状況は続きそうですが、いかがお過ごしでしょうか?
私は今日は待機日で、ゆっくり過ごしております。
今日もアメリカのことです。
私は後々に詳しくお話しするつもりなのですが、プラントに機械を納入する営業を行なっていました。
といっても、電話番をしたり、見積書を英語で作ったりぐらいのことしかしていません。
ただ、英語が少しだけ話せた私は、海外で働くことも楽しいそうだなと思っていました。
とにかく色々な国々から電話がかかってくるのですが、皆英語が上手でかつ、速いんです。
ヨーロッパの方々も本当に、ペラペラでした。
ある日いつものように電話が鳴りました。
「This is 〜」
と出ると、物凄い流暢な英語が流れてきました。
またどこかの英語達者な外国人の方かと思い、身構えました。
そして話を進めていくと、最後に「This is Kim.」
のようなフレーズが聞こえました。
そう皆さんもお分かりの通り、それは韓国人の方だったんです。
その当時は、彼は大林グループに属していて、いわばエリート社員でした。
もちろん英語が流暢であることは当たり前で、非常に何かインテリジェンスを感じました。
私はまた型通りの英語を話して応戦しましたが、多分笑われていたと思います。
それにしても韓国人の方々の向上心は凄まじいものがありますよ。
彼らの受験戦争の熾烈さは日本のそれとは比べ物にならないというのは皆さんご存知だと思います。
彼らの受験は一発勝負で、とにかくソウル大学か高麗大学か延世大学の三つの大学に入らなければ、将来は約束されないというなことを、仲良くなった韓国の方がおっしゃっていました。
ちなみに当たり前ですが、その韓国の取引先の方は、日本語ペラペラでした。
とにかく、彼らの見ている志考・視野は世界なんですよね。
日本人は日本というマーケットがある程度大きいですから、その中で収まっている感があると思うんですよ。
韓国はどうしても5000万人ほどの国ですから、世界を視野に入れて動いているところはあると思います。
その韓国の苛烈な受験戦争に比べたら、まだ日本は生易しいのかもしれませんね。
私は、海外出張を任される前に会社を辞めてしまったのですが、そのまま残っていれば、ヨーロッパやアメリカなどたくさんの国々に出張や支店勤務を言い渡されていたかもしれないと考えると、少しだけ口惜しい気がします。
ただ、2001年にニューヨーク同時多発テロが起きましたが、もし私がニューヨークで働いていたら、恐らくあの貿易センタービルの中での勤務だった可能性が高く、非常に危なかったなあと振り返って思いました。
今の医師としての人生ももちろん、素晴らしいのですが、そのままの海外営業マンとしての人生も捨てたものではなかったのかもしれません。
今も先ほど述べた韓国の方々のように、意識を高く持って、英語はもちろんのこと、他の言語(中国語、韓国語、スペイン語)を勉強しています。。
今日はここまでです。
明日もよろしくお願いします。
まだまだ混沌とした状況は続きそうですが、いかがお過ごしでしょうか?
私は今日は待機日で、ゆっくり過ごしております。
今日もアメリカのことです。
私は後々に詳しくお話しするつもりなのですが、プラントに機械を納入する営業を行なっていました。
といっても、電話番をしたり、見積書を英語で作ったりぐらいのことしかしていません。
ただ、英語が少しだけ話せた私は、海外で働くことも楽しいそうだなと思っていました。
とにかく色々な国々から電話がかかってくるのですが、皆英語が上手でかつ、速いんです。
ヨーロッパの方々も本当に、ペラペラでした。
ある日いつものように電話が鳴りました。
「This is 〜」
と出ると、物凄い流暢な英語が流れてきました。
またどこかの英語達者な外国人の方かと思い、身構えました。
そして話を進めていくと、最後に「This is Kim.」
のようなフレーズが聞こえました。
そう皆さんもお分かりの通り、それは韓国人の方だったんです。
その当時は、彼は大林グループに属していて、いわばエリート社員でした。
もちろん英語が流暢であることは当たり前で、非常に何かインテリジェンスを感じました。
私はまた型通りの英語を話して応戦しましたが、多分笑われていたと思います。
それにしても韓国人の方々の向上心は凄まじいものがありますよ。
彼らの受験戦争の熾烈さは日本のそれとは比べ物にならないというのは皆さんご存知だと思います。
彼らの受験は一発勝負で、とにかくソウル大学か高麗大学か延世大学の三つの大学に入らなければ、将来は約束されないというなことを、仲良くなった韓国の方がおっしゃっていました。
ちなみに当たり前ですが、その韓国の取引先の方は、日本語ペラペラでした。
とにかく、彼らの見ている志考・視野は世界なんですよね。
日本人は日本というマーケットがある程度大きいですから、その中で収まっている感があると思うんですよ。
韓国はどうしても5000万人ほどの国ですから、世界を視野に入れて動いているところはあると思います。
その韓国の苛烈な受験戦争に比べたら、まだ日本は生易しいのかもしれませんね。
私は、海外出張を任される前に会社を辞めてしまったのですが、そのまま残っていれば、ヨーロッパやアメリカなどたくさんの国々に出張や支店勤務を言い渡されていたかもしれないと考えると、少しだけ口惜しい気がします。
ただ、2001年にニューヨーク同時多発テロが起きましたが、もし私がニューヨークで働いていたら、恐らくあの貿易センタービルの中での勤務だった可能性が高く、非常に危なかったなあと振り返って思いました。
今の医師としての人生ももちろん、素晴らしいのですが、そのままの海外営業マンとしての人生も捨てたものではなかったのかもしれません。
今も先ほど述べた韓国の方々のように、意識を高く持って、英語はもちろんのこと、他の言語(中国語、韓国語、スペイン語)を勉強しています。。
今日はここまでです。
明日もよろしくお願いします。
2020年05月16日
営業マンから医者に転身 33
皆さん、お元気ですか??
前々回から書いてきましたアメリカ紀行。
たくさんの経験をさせていただきました。
本当にカンザス州のハッチンソンという田舎町に行って、わたしたちは善戦しました。
がしかし、健闘むなしくベスト8ぐらいで負けたと思います。
まあ、ひとつしたのリーグでしたので、よく頑張ったと思いますが、トップリーグでは、もう上投げかというぐらいのウインドウミルのピッチャーが、唸りを上げながら投げていました。
あれが、世界のトップレベルなのかと思い知らされました。
それにしても、「LIFE」という映画でもテーマとして掲げられている通り、とにかくいろいろな場所に行き、そしていろいろな人々と語らいあいます。
その経験が後々に人生の歩みに生きてくるという教訓を得る主人公が、世界中のいろいろな辺境の地に行きます。
北極圏に行って、エスキモーに遭ったり、アマゾンに行って、原住民に遭遇したり、もうハチャメチャな冒険をします。
その中で人生のおける”経験”の大切さを学ぶのですが、私もアメリカ遠征を通して、人生の大切な教訓を学ぶのでした。
この経験はその後の人生の歩みにも大きくかかわっています。
それは私が営業マンから医者を目指すという途方もない冒険に旅立つ決意をするにも影響を及ぼしていると思います。
常識のある人であれば、そのような破天荒な決意はできないと思います。
そのままサラリーマンを継続しても、それなりに安定した人生を歩んでいたと思います。
しかしながら、その安住した陸での生活を離れ、大海に飛び出したのです。
人生における冒険心は、それだけに留まりません。
今も現在の安泰した生活に安住することがなく、次のアクションを考えています。
カイロプラクティックを学ぼうかとか、何か企業しようかとか、MBAを取りに行こうかとか、プログラミングを本格的に学んで、それもセカンドワークに生かそうかとか、ややもすると妄想の域に達していますが、そのようなチャレンジ精神が嵩じて、次のことを暗に企んでいるのです。
それも先ほどから述べた、たくさんの”経験”を経てきた冒険心が動機付けになっているのでしょうか!?
ですから、私はぜひ転職やキャリアアップをお考えの方に、ぜひいろいろな経験を積んでほしいと思います。
その中で、特に思うことは、「これは私にメリットがある。」とか「これは私にはプラスにならない。」と背後でそろばんをあえてはじかないでほしいと思います。
人生においては、何が自分に益をもたらすか、どのような人物が自分のスタイルを変えるほどのインパクトを与えるかは分かりません。
ですから皆さん、冒険心+打算的に決してならないように心がけてほしいと思います。
今日はここまでです。
明日もよろしくお願いします。
前々回から書いてきましたアメリカ紀行。
たくさんの経験をさせていただきました。
本当にカンザス州のハッチンソンという田舎町に行って、わたしたちは善戦しました。
がしかし、健闘むなしくベスト8ぐらいで負けたと思います。
まあ、ひとつしたのリーグでしたので、よく頑張ったと思いますが、トップリーグでは、もう上投げかというぐらいのウインドウミルのピッチャーが、唸りを上げながら投げていました。
あれが、世界のトップレベルなのかと思い知らされました。
それにしても、「LIFE」という映画でもテーマとして掲げられている通り、とにかくいろいろな場所に行き、そしていろいろな人々と語らいあいます。
その経験が後々に人生の歩みに生きてくるという教訓を得る主人公が、世界中のいろいろな辺境の地に行きます。
北極圏に行って、エスキモーに遭ったり、アマゾンに行って、原住民に遭遇したり、もうハチャメチャな冒険をします。
その中で人生のおける”経験”の大切さを学ぶのですが、私もアメリカ遠征を通して、人生の大切な教訓を学ぶのでした。
この経験はその後の人生の歩みにも大きくかかわっています。
それは私が営業マンから医者を目指すという途方もない冒険に旅立つ決意をするにも影響を及ぼしていると思います。
常識のある人であれば、そのような破天荒な決意はできないと思います。
そのままサラリーマンを継続しても、それなりに安定した人生を歩んでいたと思います。
しかしながら、その安住した陸での生活を離れ、大海に飛び出したのです。
人生における冒険心は、それだけに留まりません。
今も現在の安泰した生活に安住することがなく、次のアクションを考えています。
カイロプラクティックを学ぼうかとか、何か企業しようかとか、MBAを取りに行こうかとか、プログラミングを本格的に学んで、それもセカンドワークに生かそうかとか、ややもすると妄想の域に達していますが、そのようなチャレンジ精神が嵩じて、次のことを暗に企んでいるのです。
それも先ほどから述べた、たくさんの”経験”を経てきた冒険心が動機付けになっているのでしょうか!?
ですから、私はぜひ転職やキャリアアップをお考えの方に、ぜひいろいろな経験を積んでほしいと思います。
その中で、特に思うことは、「これは私にメリットがある。」とか「これは私にはプラスにならない。」と背後でそろばんをあえてはじかないでほしいと思います。
人生においては、何が自分に益をもたらすか、どのような人物が自分のスタイルを変えるほどのインパクトを与えるかは分かりません。
ですから皆さん、冒険心+打算的に決してならないように心がけてほしいと思います。
今日はここまでです。
明日もよろしくお願いします。
2020年05月15日
営業マンから医者に転身 32
皆さん、お元気ですか??
今日もアメリカ時代のお話をします。
その遠征でいきなりカウンターパンチをもらったのですが、それからもいろいろなことがありました。
まず、ホテルに滞在していたのですが、毎日だいたい同じ料理が出てきました。
ポテト、スクランブルエッグ、ステーキというメニューで、最初のころはおいしくいただいていたのですが、それが1週間も続くと、だんだん日本食が恋しくなってきました。
みな一応に「日本食たべたい〜!!」と言って、日本食シックにかかっていました。
そうこうしているうちに、数人の部員がチャイニーズレストランを電話帳で探し、場所を突き止めました。
なんでもチャイニーズレストランは世界中のどこにでもあると断言していたのですが、本当に彼らの言う通りにチャイニーズレストランはありました。
皆でタクシーで移動して、早速チャーハンを注文しました。
その時に食べたチャーハンは涙が出るほどおいしかったです。
日本のお米ではなく、フィリピン米だったので、食感が全く異なり、ぱさぱさしていたのですが、そんなことは当時全く関係ありませんでした。
皆で”がつがつ”と食べまくり、本当に腹の底から満たされたのを鮮明に覚えています。
それから同時に試合も行われていました。
試合でも異国の洗礼を受けました。
相手はやはり体の大きな外国人ばかりで、私たちのようなリトル日本人は、彼らにとっては侮蔑の対象になっていたのでしょう。
試合は勝っていったのですが、私にも試合に出る機会が何度かありました。
私は特段足が速かったわけではないのですが、塁に出ると調子に乗って盗塁を仕掛けました。
そうすると、次第に完全にセーフでもアウトと宣告されるようになりました。
全く相手から触れられることがなくても、「アウト!!」と告げられ、とぼとぼとベンチに戻っていったのを覚えています。
審判は初老の白人だったのですが、これが一種の人種差別なのかと、後で振り返るといい意味での社会勉強になりました。
アメリカでは、このような差別が日常的にあるのだと感じました。
それは当たり前ですよね。
いろいろな人種を受け入れているわけですから。
皆さん、ご存知ですか?
現在アメリカ人の約10%は英語を喋れません。
そう、移民の人たちです。
私たち日本人がそのような経験をすることがまずありませんよね。
だからアメリカ人はタフになるわけです。
何かアメリカ遠征がアメリカ修行みたいになってしまいましたが、でもやはりそこに行かないと絶対できない経験を積むことができ、改めてアメリカに行って良かったなとつくづく思いました。
今日はここまでです。
明日もよろしくお願いします。
今日もアメリカ時代のお話をします。
その遠征でいきなりカウンターパンチをもらったのですが、それからもいろいろなことがありました。
まず、ホテルに滞在していたのですが、毎日だいたい同じ料理が出てきました。
ポテト、スクランブルエッグ、ステーキというメニューで、最初のころはおいしくいただいていたのですが、それが1週間も続くと、だんだん日本食が恋しくなってきました。
みな一応に「日本食たべたい〜!!」と言って、日本食シックにかかっていました。
そうこうしているうちに、数人の部員がチャイニーズレストランを電話帳で探し、場所を突き止めました。
なんでもチャイニーズレストランは世界中のどこにでもあると断言していたのですが、本当に彼らの言う通りにチャイニーズレストランはありました。
皆でタクシーで移動して、早速チャーハンを注文しました。
その時に食べたチャーハンは涙が出るほどおいしかったです。
日本のお米ではなく、フィリピン米だったので、食感が全く異なり、ぱさぱさしていたのですが、そんなことは当時全く関係ありませんでした。
皆で”がつがつ”と食べまくり、本当に腹の底から満たされたのを鮮明に覚えています。
それから同時に試合も行われていました。
試合でも異国の洗礼を受けました。
相手はやはり体の大きな外国人ばかりで、私たちのようなリトル日本人は、彼らにとっては侮蔑の対象になっていたのでしょう。
試合は勝っていったのですが、私にも試合に出る機会が何度かありました。
私は特段足が速かったわけではないのですが、塁に出ると調子に乗って盗塁を仕掛けました。
そうすると、次第に完全にセーフでもアウトと宣告されるようになりました。
全く相手から触れられることがなくても、「アウト!!」と告げられ、とぼとぼとベンチに戻っていったのを覚えています。
審判は初老の白人だったのですが、これが一種の人種差別なのかと、後で振り返るといい意味での社会勉強になりました。
アメリカでは、このような差別が日常的にあるのだと感じました。
それは当たり前ですよね。
いろいろな人種を受け入れているわけですから。
皆さん、ご存知ですか?
現在アメリカ人の約10%は英語を喋れません。
そう、移民の人たちです。
私たち日本人がそのような経験をすることがまずありませんよね。
だからアメリカ人はタフになるわけです。
何かアメリカ遠征がアメリカ修行みたいになってしまいましたが、でもやはりそこに行かないと絶対できない経験を積むことができ、改めてアメリカに行って良かったなとつくづく思いました。
今日はここまでです。
明日もよろしくお願いします。
2020年05月14日
営業マンから医者に転身 31
皆さん、お元気ですか??
昨日は私たち夫婦の大好きなアメリカについて記しました。
今日も書き込みたいと思います。
私は今でこそ、英語について講釈を言いますが、以前は本当にひどいものでした。
忘れもしません。
1回目の大学生だった頃、私たちはハワイでのソフトボール選手権を優勝し、アメリカ本土での大会に駒を進めることができました。
私はハワイでのその優勝したチームには入っていなかったのですが、一緒にアメリカに連れて行ってもらえることになりました。
アメリカの場所はカンザス州で、私たちは「カンザス州ってどこ??」
と言う認識から始まり、専門の添乗員さんと一緒に一路アメリカに向かうのでした。
空港に着き、カンザス州までバスで移動でした。
皆さん、アメリカをバスで移動された方はお分かりだと思いますが、もう行けども行けども同じ景色で、本当に頭がパンクしそうでした。
まだかな、まだかなと目的地を待ちわびながら、バスに揺られました。
バスで着くとそこはカンザス州ハッチンソンと言う田舎街で、もう典型的なアメリカの田舎町と言う印象でした。
そこで私たちは、右も左も何も分からないまま、昼食を取ることにしました。
私たちの英語のレベルは本当にお粗末なもので、誰か多少話すことができる人間が通訳をしていました。
あるレストランに入り、皆で物珍しそうに、メニューを眺めていました。
そうするとウェイトレスの中年の女性が私たちの所に来られました。
その時たまたま、英語が少し喋れる同胞がいなかったため、私たちは英語で書かれていたメニューとにらめっっこしながら、あれやこれやと喋っていました。
それから、ウェイトレスの女性が、何かを話しました。
「Are you ready to order?」
みたいな英語を私たちに話しました。
私たちは、何を言っているか全く分かりませんでした。
そして「どうする!?」みたいな感じで、もごもごしていると突然
「〜〜〜OOXX△△!!」
とウェイトレスの女性が怒り出して、帰って行きました。。。
私たちは呆然として、今一体何が怒ったのだろう??と立ち尽くしました。
あとで、添乗員さんに聞くと、「ここは日本人がほとんどいないから、英語が喋れない日本人への対処の方法が彼らには分からないんですよ。」
と答えてくれました。
それを聞いて、「あっ、そうなんですか!?」
と半ば納得したのですが、いきなりの現地でのカウンターパンチを見舞ったのでした。。。。゚(゚´Д`゚)゚。
今日はここまでです。
明日もよろしくお願いします。
昨日は私たち夫婦の大好きなアメリカについて記しました。
今日も書き込みたいと思います。
私は今でこそ、英語について講釈を言いますが、以前は本当にひどいものでした。
忘れもしません。
1回目の大学生だった頃、私たちはハワイでのソフトボール選手権を優勝し、アメリカ本土での大会に駒を進めることができました。
私はハワイでのその優勝したチームには入っていなかったのですが、一緒にアメリカに連れて行ってもらえることになりました。
アメリカの場所はカンザス州で、私たちは「カンザス州ってどこ??」
と言う認識から始まり、専門の添乗員さんと一緒に一路アメリカに向かうのでした。
空港に着き、カンザス州までバスで移動でした。
皆さん、アメリカをバスで移動された方はお分かりだと思いますが、もう行けども行けども同じ景色で、本当に頭がパンクしそうでした。
まだかな、まだかなと目的地を待ちわびながら、バスに揺られました。
バスで着くとそこはカンザス州ハッチンソンと言う田舎街で、もう典型的なアメリカの田舎町と言う印象でした。
そこで私たちは、右も左も何も分からないまま、昼食を取ることにしました。
私たちの英語のレベルは本当にお粗末なもので、誰か多少話すことができる人間が通訳をしていました。
あるレストランに入り、皆で物珍しそうに、メニューを眺めていました。
そうするとウェイトレスの中年の女性が私たちの所に来られました。
その時たまたま、英語が少し喋れる同胞がいなかったため、私たちは英語で書かれていたメニューとにらめっっこしながら、あれやこれやと喋っていました。
それから、ウェイトレスの女性が、何かを話しました。
「Are you ready to order?」
みたいな英語を私たちに話しました。
私たちは、何を言っているか全く分かりませんでした。
そして「どうする!?」みたいな感じで、もごもごしていると突然
「〜〜〜OOXX△△!!」
とウェイトレスの女性が怒り出して、帰って行きました。。。
私たちは呆然として、今一体何が怒ったのだろう??と立ち尽くしました。
あとで、添乗員さんに聞くと、「ここは日本人がほとんどいないから、英語が喋れない日本人への対処の方法が彼らには分からないんですよ。」
と答えてくれました。
それを聞いて、「あっ、そうなんですか!?」
と半ば納得したのですが、いきなりの現地でのカウンターパンチを見舞ったのでした。。。。゚(゚´Д`゚)゚。
今日はここまでです。
明日もよろしくお願いします。