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2020年05月08日
営業マンから医者に転身 25
皆さん、お元気ですか??
今日はとても天気が良いようです。
いつも待機の日は、朝病院に着いて、それからずっと翌日夕方に帰るまで病院の中に基本いるため、外の空気を吸うことがありません。
よって帰る折外気に触れる時、とても体の中に爽快感があります。
やっと帰れるという安堵の気持ちと一緒に。
非常に心の中にたおやかな思いが到来するのです。
今日もそのような心境になるのでしょうか?
室蘭時代のことを話たいと思います。
室蘭時代は本当に皆さんがよくしてくれました。
確かに研修内容に幾分か不満はありましたが、しかし研修の身分でそのようなクレームを訴えることは、忙しくしておられる方々に失礼だと思いました。
色々遊んだり、食事に招待してくれたり、本当に北海道の人々の情に触れることができました。
反対に私があのような歓待をすることができるのかと情けなさを感じました。
室蘭時代から少しずつ「医師になりたい」という転職のことを考え、また勉強し始めましたので、一生懸命業務に着いて教えて下さる方々や、会社の方々に申し訳ないなと思いました。
彼らは私が将来この会社のために何らかの貢献をしてくれると思って、熱意を持って教えてくださる訳で、私がそのような考え持っているということは夢にだに思わないはずです。
そのような半ば罪悪感を抱きながらの研修生活を送っていました。
一方で、外国の労働者は転職が非常に多いと聞きました。
自らのキャリアアップのために、何度も会社を転々とする。
それは将来の明確な青写真が描けている証拠なのでしょうが、それにしてもすごいなと思わされました。
私の会社は創業100年以上の会社ですから、皆どちらかといえば、その会社に”おんぶに抱っこ”という形で、そのような新進気鋭な方はあまり見受けなかった印象があります。
会社自体が自らのポジションを維持する日本古来の保守的な会社でしたから、従業員もそのような雰囲気を醸し出していました。
当時私は文系でしたので、技術系の業務内容に”チンプンカンプン”でした。
一緒に回っている同期は確か12,3人だったと思うのですが、半分以上は理系出身でした。
彼らの機械やシステムに関する知識はとてつもなく、会話に全く着いていけませんでした。
私は体育会であった以外は、特に特筆すべきことはなく、正直もっと自分に付加価値、引き出しが欲しいと思いました。
英語英文科であったにも拘らず、満足に英語も喋れません。
しかし、そこで感じた劣等感をバネにして頑張ろうと決意をすることができました。
ただ、それぐらいのステージに甘んじている者が、医師になるということは並大抵のことではできません。
優秀な人か、そうでないか。
私は完全な後者ですが、向こう見ずな挑戦に立ち向かって行くのでした。
今日はここまでです。
明日もよろしくお願いします。
今日はとても天気が良いようです。
いつも待機の日は、朝病院に着いて、それからずっと翌日夕方に帰るまで病院の中に基本いるため、外の空気を吸うことがありません。
よって帰る折外気に触れる時、とても体の中に爽快感があります。
やっと帰れるという安堵の気持ちと一緒に。
非常に心の中にたおやかな思いが到来するのです。
今日もそのような心境になるのでしょうか?
室蘭時代のことを話たいと思います。
室蘭時代は本当に皆さんがよくしてくれました。
確かに研修内容に幾分か不満はありましたが、しかし研修の身分でそのようなクレームを訴えることは、忙しくしておられる方々に失礼だと思いました。
色々遊んだり、食事に招待してくれたり、本当に北海道の人々の情に触れることができました。
反対に私があのような歓待をすることができるのかと情けなさを感じました。
室蘭時代から少しずつ「医師になりたい」という転職のことを考え、また勉強し始めましたので、一生懸命業務に着いて教えて下さる方々や、会社の方々に申し訳ないなと思いました。
彼らは私が将来この会社のために何らかの貢献をしてくれると思って、熱意を持って教えてくださる訳で、私がそのような考え持っているということは夢にだに思わないはずです。
そのような半ば罪悪感を抱きながらの研修生活を送っていました。
一方で、外国の労働者は転職が非常に多いと聞きました。
自らのキャリアアップのために、何度も会社を転々とする。
それは将来の明確な青写真が描けている証拠なのでしょうが、それにしてもすごいなと思わされました。
私の会社は創業100年以上の会社ですから、皆どちらかといえば、その会社に”おんぶに抱っこ”という形で、そのような新進気鋭な方はあまり見受けなかった印象があります。
会社自体が自らのポジションを維持する日本古来の保守的な会社でしたから、従業員もそのような雰囲気を醸し出していました。
当時私は文系でしたので、技術系の業務内容に”チンプンカンプン”でした。
一緒に回っている同期は確か12,3人だったと思うのですが、半分以上は理系出身でした。
彼らの機械やシステムに関する知識はとてつもなく、会話に全く着いていけませんでした。
私は体育会であった以外は、特に特筆すべきことはなく、正直もっと自分に付加価値、引き出しが欲しいと思いました。
英語英文科であったにも拘らず、満足に英語も喋れません。
しかし、そこで感じた劣等感をバネにして頑張ろうと決意をすることができました。
ただ、それぐらいのステージに甘んじている者が、医師になるということは並大抵のことではできません。
優秀な人か、そうでないか。
私は完全な後者ですが、向こう見ずな挑戦に立ち向かって行くのでした。
今日はここまでです。
明日もよろしくお願いします。