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2015年04月04日

利根と通力とは何か

先日は、唱法華題目抄の御文を拝しながら、利根と通力とについて、利根とは優秀さや能力、通力とは超能力といえるだろうと書きました。

確かに、そうだろうとは思うのですが、いろいろ考えていきますと、利根とは才能のことであり、通力とは権力・権威のことではないかと思うようになりました。

改めて、御文を拝しましよう。

法門をもて邪正をただすべし利根と通力とにはよるべからず
唱法華題目抄 16頁

いつの世にあっても、才能がもてはやされるものです。

才能があれば、世界が開けますし、裕福になる確率が高まります。

誰しも才能を欲します。しかし、才能は一部の人にしか与えられていないというのが実情であり、ほとんどの人にとっては無縁です。

よって、才能のある人に羨望の眼差しを向け、その才能のある人の言っていることは正しいと思いがちですが、唱法華題目抄の御文を拝した後であると、才能を根本にして物事を見てはいけないとあるわけですから、気を付けなければと思いますね。

才能は、その人の特性であって、万民のために有用なのかと考えますと、そうでもなさそうですね。

やはり、長年、培われてきた法門による方が安全でしょう。

次に、通力ですが、確かに、超能力も含まれると思いますが、スプーン曲げのような、ある意味、子供だましのような超能力などは、取り立てて問題にすることもないでしょうね。

人間世界における超能力とは、まさに権力といえるでしょう。

どこにそのような力があるのかと思えるぐらい、多くの人々を一定の方向性に動かす力が権力にはあります。

また、権威も超能力的ですね。

権力・権威のある人の言うことは、影響力が大きく、いつのまにかその通りになりがちです。

これが通力なのでしょう。

しかし、唱法華題目抄の研鑽後であると、その権力・権威すら根本にはなり得ないということが分かります。

権力・権威といっても、それぞれ「権」という字に象徴されているように、仮のものなのですね。実のもの、真実のものとは違うわけですね。

仏教的に言うならば、権教・権経の「権」であり、臨時の便法に過ぎないということですね。

このように考えますと、権力・権威すら、確かに大した事柄ではあるけれども、人生の中心に据えるものではなく、あくまでも、利用、活用するものに過ぎず、我々としては、法門を根本、中心として、世の中の事象を見ていくべきですね。

今回拝した唱法華題目抄の御文は短い一節ではありますが、豊潤な内容を含んでいます。
posted by lawful at 16:44| 御書

2015年03月29日

唱法華題目抄

法門をもて邪正をただすべし利根と通力とにはよるべからず
唱法華題目抄 16頁

仏教はあくまでも法門によるべきですね。

日蓮仏法でいうならば、御書、法華経を根本として、信仰を行っていくことです。

利根とは、簡単にいうと能力が優れていること、優秀であること等をあらわしていると考えてよいでしょう。

通力とは、不思議な現象を起こすことができる力と考えてよいでしょうね。分かりやすく言うと超能力のようなものといえましょうか。

能力があることや超能力があることは、それはそれで結構なことだと思います。

ただ、能力や超能力は、使うものであって、根本にはなり得ないということですね。

つまり、能力や超能力を持っているだけでは完結しないということです。

根本となる法門を軸として、その上で活用されるのが能力や超能力といってよいでしょう。

もっと言うと、能力がさほどなくとも、超能力がなくても、別に何の問題もないわけです。

法門を根本とする信仰が透徹されているならば成仏に不足することはなく、能力が劣ろうが超能力がなかろうが、どうでもいいのですね。

あればあったで、多少のアドバンテージがあるというだけのことです。

能力があるからといって、いい気になっていますと、成仏が覚束なくなってしまいます。

ただ、ほとんどの人間に優れた能力や超能力はありません。

能力や超能力があるようなふりをしている人間が多いというだけのことでしょう。

実のところ、上記御文以前の段階の人間が多いということです。

我々としては、御書、法華経という法門を根本として正しいものと邪なものを見分けていきたいですね。
posted by lawful at 13:16| 御書

2015年03月22日

家のガラクタを整理する

ガラクタのいっさいない家というのは、信じられないくらいスッキリして心が落ち着く。
リチャード・カールソン『小さいことにくよくよするな!2』小沢瑞穂訳 サンマーク出版 236頁

本書は1998年に発行され、翻訳は1999年に出されています。約16年も前の本なのですね。断捨離が流行る前に同じようなことが言われています。

やはり、物事を考えていくと、断捨離に行き付くのでしょう。

ガラクタのない生活は、すっきりと整理され、よく管理されている。空間を感じる余裕がある。開放的な気分のおかげで気力が充実し、生活に押しつぶされるのではなく生活との一体感をもてるようになる。
同書 同頁

ゴミ屋敷ほどではなくても、一般の家庭の中を見ますと、いらないものが溢れていますね。

大きなお世話でしょうが、もっとすっきり生活できないものかと思ってしまいます。

散らかっている部屋で生活している人は、精神が荒んでいます。

周りに悪影響を与えるのですね。よって、他人の事柄であっても、注視しておく必要があるのですね。

私についていえば、いらないものをどんどん減らしていくなかで、本当に残そうと思ったものに対して強い愛情を感じるようになった。
同書 237頁

本についても、そうですね。たくさん本があるときは、御書が重要と思っていながらも、さほど読むこともなく、そのままになっていました。

しかし、本の断捨離をはじめますと、当然ながら、御書は残るわけで、本棚において、御書が目立つようになります。

そして、手に取り、読み始めます。

御書は相当分厚い本ですが、読み進めるうちに、読了に至ります。

本の断捨離をしたが故に、読み終えることができたといえるかもしれません。

本が多いままであると、御書が本棚の中で埋もれていたかもしれませんね。

本が多いと、大切な重要な本を読まないという弊害があるようです。

何度も読み返す本は、本棚に置いておき、そうでない本は、その都度、処分するのがよいですね。
posted by lawful at 18:56| 生き方

2015年03月01日

お金を使いすぎないこと

老後の蓄えがほとんどない人にずいぶん会ったが、彼らの多数が意外にもかなり高級な、しかも新車に乗っているのを見てふしぎに思った。もし新車を乗り回したり、新品の物ばかりを買わず、お金をもっと賢く投資していたらどうだっただろうか、と。
リチャード・カールソン『お金のことでくよくよするな!』小沢瑞穂訳 サンマーク出版 224頁

高齢者になって貯蓄がないというのは、悲惨ですね。

悲惨であるから、最貧困状態なのかといいますと、そうでもないようです。

ただ、定期的な収入が1回でも滞るならば、破綻するような家計であるようです。

なぜ、このような家計になるのか。上記にあるように、車で考えますと、高級車を欲しがるようです。そして、その高級車も新車であるという。数年に一度は買い換えているのでしょう。

これでは、お金は貯まらないでしょうね。

車だけでなく、あらゆる出費についても同じでしょうから、あったにしてもローンぐらいのものでしょう。

危険な生活といってよいですね。

自分の物欲にブレーキをかけて、収入の範囲内か、それを下回るレベルで生活をすると、「心の平安」というべつのタイプの豊かさを発見するにちがいない。心が平穏でリラックスした状態というのは、人生の最高の贈りものの一つだと私は思う。
同書 237頁

物を欲しがるのは子供じみています。

大人になっているならば、物にこだわるべきではないでしょう。

いい車に乗って、いい服を着て、いいものを食べて、と考えていきますと、お金はなくなるばかりです。

欲望のままに生きていくことは避けるべきですね。仏教的に言うならば、貪欲に陥らないこと、餓鬼界の状態から脱することですね。

見栄を張るという生き方もやめておいた方がよいでしょう。他人のために一生懸命見栄を張っても、何の豊かさも実現しません。無駄なだけです。このようなことが分かっていないというのは、仏教的に言うならば、愚かな状態であり、畜生界の状態といってよいでしょう。

大人にとって必要なことは、質素、倹約でありながらも極めて豊かな生活を編み出すことでしょうね。
posted by lawful at 17:21| お金

二年分の生活費を蓄える

大成功している財政管理の専門家が、「金持ちになる前に実行したいちばん重要なことは、二年分の生活費を蓄えたことだ」と言っていた。大変な犠牲、規律、まじめさ、忍耐のほか五年の月日を要したが、その利子――とくに心理的な見返りは大きかったという。その財政上のクッションがあったおかげで、心に平安があったし、危険を承知で成功に欠かせないステップを踏む勇気が出た。彼は二年分の生活費を蓄えたことで、心配をせずに夢やさまざまなチャンスを追求できたのだ。
リチャード・カールソン『お金のことでくよくよするな!』小沢瑞穂訳 サンマーク出版 124頁

よく聞くのは、3か月分の生活費や6か月分の生活費を貯めるということですが、二年分の生活費とは、なかなかの金額になりますね。

さて、1か月分の生活費とは、いくらぐらいなのでしょうか。

人それぞれではありますが、余裕をもって考えるならば、30万円程度と考えるのがよいかと思います。1日1万円と考えるわけですね。

そうしますと、二年分の生活費は、約730万円になります。

もっと余裕をもって考えますと、1年に10万円は余分に欲しいところです。二年分で20万円。

上記730万円と20万円との合計金額である750万円程度を蓄えることができれば、二年分の生活費を貯めたといえるでしょう。

確かに、10万円や20万円程度の貯蓄額では不安だらけでしょうね。

ただ、100万円や200万円程度の貯蓄額でも不安は拭えないでしょう。

300万円から500万円といっても、まだまだということなのでしょうね。

やはり、上記に示した750万円程度の貯蓄額があってこそ、次のステージに進めると考えるのがよいでしょう。

単にお金があるというだけでなく、心理的な見返りが期待できるようです。

心の平安が得られ、その上で、いざという時はいつでも動けるというのは、心強い限りです。

750万円を貯めたからといって、すぐに何かをする必要はありませんが、いつでも動ける状態をキープできることは、安心感につながりますね。

お金に振り回されないで生きていくには、少なくとも二年分の生活費、本ブログでは750万円と設定しましたが、この程度の貯蓄額は必要でしょうね。

休暇を減らし、車や家、服にぜいたくをせず、外食の回数も減らし、ある程度の必需品も切りつめるという犠牲を払ってでも、二年分の生活費を蓄えることには充分に価値がある。
同書 126頁

二年分の生活費を貯めるには、無駄を排し、いらないぜいたくをやめ、蓄財に励まなければなりません。

質素な生活、節約をする生活を身に付けることによって、お金が貯まるのですが、実はそれだけでなく、質素、倹約の生活を行う程の自制心を育むことが根本的な目的と思われます。

浪費しない生活ができるようになれば、750万円を貯めることは困難ではありませんし、余裕資金があるならば投資をすればよく、お金が増えていくことになるでしょう。

そもそも浪費しない生活は、経済的破綻の正反対の生き方ですから、破綻しようにも破綻できないですね。

二年分の生活費を貯めるとは、浪費しない自分を作り上げるためのトレーニングと考えればよいですね。

そして、二年分の生活費が貯まったならば、浪費しない人間になったのだと思ってよいでしょう。

あとは、投資をして運用の次元でお金と付き合うことになりますね。
posted by lawful at 16:55| お金

2015年02月28日

『最貧困女子』

頑張ると言っていた翌日に頑張れなくなるのが貧困だ。
鈴木大介『最貧困女子』幻冬舎新書 35頁

貧困に陥るのは、本人の責任というよりは、巡り合わせによると思われますね。所詮は、運ではないだろうかと思います。

貧困に陥らなかったのは、運が良かっただけと考えるのがよいでしょう。

頑張ればどうにかなるというのは、その通りでしょう。
しかし、頑張りたくとも、頑張ることができない。これが貧困なのでしょうね。

周りから「頑張れ、頑張れ」と声援を送ったところで、何にもならないようです。

ある意味、社会のしくみそのものに変化をつけないことには、解決は難しいでしょう。なにせ、運なのですから。

彼女たちのワンコインは「500円ではなく100円」だという。
同書 42頁

貧困とは、どういうことなのか。この一節が教えてくれます。

通常、ワンコインといえば500円であり、私もそう思っており、いまどき、ワンコインでは、大したものは食べられないなどと思っていましたが、貧困状態のワンコインは100円なのですね。

やはり、貧困とは、通常の感覚を越えた次元なのですね。

ためしに、100円で食事を作るとなると、さまざまな知恵を出さなければなりません。普通の考えでは、まともな食事はできないでしょう。

そして、貧困とはどういうことか。明確に示す一節があります。

圧倒的に「何も持たざる者」だった。
同書 58頁

「持たざる者」ではないのですね。「圧倒的に」、「何も」、「持たざる者」ということです。

一般的に、「持つ者」と「持たざる者」との格差がどうのこうのと議論しますが、本当の貧困は、「持たざる者」にも含まれていません。よって、議論の対象にすらないっていないというのが現状でしょう。

本書で紹介されている「最貧困女子」は、普段見るテレビや新聞等々のマスコミから紹介されることは稀であり、可視化されていません。

著者はそのことを危惧し、本書を執筆しています。

紹介されている事例のあまりの貧困さ、悲惨さに驚愕するばかりです。

世界各地での貧困についてのレポートを見聞きし、遠くの世界は大変な状態なのだなと思うところですが、日本国内という身近なところで、最貧困という状態があるわけで、本書のような本を読むことにより、まずは、事実を見つめていきたいものです。

その上で、何ができるのかと考えるのですが、大したことができるとは思えないにしても、常に考え続ける習慣は持っておきたいと思いますね。

その中で、妙案が浮かぶかもしれませんし、浮かばないにしても、ちょっとした心掛けを持つきっかけになるでしょう。

少なくとも、日本における最貧困について、関心を持ち続けるということが大切だろうと思います。

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posted by lawful at 15:44| 雑感

2015年02月15日

お金を持って謙虚になるのは困難?

かれらの小説の一部登場人物たちが贅沢だとしても、19世紀の小説家たちは、格差はある程度必要不可欠なものとして世界を描いている。もしも十分に裕福な少数の人々が存在しなければ、誰も生存以外のことに頭がまわらなかっただろうと考えていた。このような格差に対する考えは、少なくともそれを能力主義に起因するものとして描かなかった点では賞賛に値する。ある意味で、この少数の人々はその他のみんなのために生きるように選ばれた人々であったが、誰もこの少数の人々が、他の人々よりも能力が高いとか高潔だとかいうふりはしていない。それにこの世界では、財産がなければ尊厳のある人生が送れないのはまったく明らかだ。学歴や技能があれば、平均の5倍や10倍は稼げるかもしれないが、それ以上はない。現代の能力主義社会、特に米国は敗者に対してずっと厳しい。なぜならその社会は、根柢の人々の低い生産性は言うに及ばず、正義、美徳、能力が優れているから自分たちの優位性は正当化されると主張したがるからだ。
トマ・ピケティ『21世紀の資本』山形浩生 守岡桜 森本正史 訳 みすず書房 432頁

19世紀の世界は、まさに格差社会であり、階級社会ですが、当時の小説家からその社会が糾弾されていたかというと、そのようなことはなく、格差社会は当然という描写であったようです。

ただ、裕福な暮らしをしている少数の人々が、人間的に優れ、能力があるから裕福な暮らしをするにふさわしいというものの考え方ではないようです。

言ってみれば、たまたま裕福な家に生まれたというだけのことであり、運がよかっただけということです。

裕福な家に生まれた少数者が、貧しい人に対して、自らが優れていると主張しないというのは、能力主義社会の観点からすると、不思議に思えますが、当時の裕福な人からすれば、自らが優れていると主張する必要もなかったのでしょうね。

いずれにしても、古今東西を問わず、財産がなければ話にならず、尊厳などあったものではありません。

まともな生活をしたければ、財産がなければなりません。

お金なんて、などとほざいている場合ではありません。

この世の中がお金で動いている以上、どのようなことがあろうとも、それなりの財産は確保しておくべきです。所謂、恒産というものですね。

ピケティの指摘で「学歴や技能があれば、平均の5倍から10倍は稼げるかもしれないが、それ以上はない」という点は興味深いですね。

平均の5倍10倍も大したものですが、「それ以上はない」と言われると、大したことがないように感じられます。

ピケティが論じているのは、10倍をはるかに超える報酬を得るスーパー経営者のことであり、5倍10倍などもののかずではないということでしょうね。

そして、ピケティが難じているのは、特に米国のスーパー経営者の自らが優れていると強調したがる点です。

人間的に優れていると言うそのもの言いに不遜なもの、思い上がり、勘違い、滑稽さ、実のところおバカさんという点を見ているのでしょう。

確かに、10倍を超える報酬は多すぎるでしょうね。運が良かったという分には、その通りでしょうと首肯できますが、私が優れているからですよと言われると、失笑しますね。そんなことはないだろう、と指摘することになるでしょう。

たくさんの報酬を得るのは結構なのですが、思い上がる必要はないでしょうね。

多額の財産が得られても、それは運が良かったからと考えるのが正しいでしょうね。

ただ、人間は、お金を持つと名誉が欲しくなるために、自分が優れていると言いたくなるのでしょうね。

こうなりますとお金の問題というよりは、精神性の問題といえるでしょう。

お金があるからこそ出てくる名誉欲、これを制御することができれば、それなりの一級の人間になったといえるでしょう。

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posted by lawful at 16:45| 生き方

本音と建て前とを使い分けること

アメリカ革命とフランス革命はどちらも、権利の平等を絶対的な原理として認めた――当時としては進歩的な立場だ。でも実際問題としては、19世紀を通じ、こうした革命から生じた政治体制は、主に財産権保護に専念したのだった。
トマ・ピケティ『21世紀の資本』山形浩生 守岡桜 森本正史 訳 みすず書房 500頁

権利の平等を絶対的な原理として認めることは大切なことだとは思います。

しかし、権利の平等を絶対的な原理として振りかざしたところで誰も相手にしないでしょう。

実際のところ、権利は平等ではありません。権利を行使できる人と権利を行使したくてもできない人とがいます。よって、権利は平等とはいえないでしょう。

簡単に言うと、財力がある人にとっては、権利は行使しやすく、実際、行使しています。また、権利を行使する術を知っています。

財力がない人は、権利を行使したくとも、どのように行使すべきかを知りませんし、知ったところで、タダで権利を行使することはできず、それなりのお金がかかります。そのそれなりにお金すらないのが財力のない人ですから、権利は平等という以前に、そもそも財力のない人にとっては権利などないのですね。

権利を行使できる人、つまり、財力がある人が政治体制を作り上げますから、財産権保護に専念するのは当たり前でしょうね。

財力のある人は、建て前では、権利の平等を絶対的な原理として謳ったにしても、本音では、権利が平等なわけがないと思っているわけです。当然でしょうね。

左がかっているのかどうかは分かりませんが、権利の平等を絶対的な原理として叫んでいる人がいますが、よく見るとただの貧乏人であったりします。

まずは、真面目に働けば、と思ってしまいますし、まずは、貯金すれば、と思いますね。

権利、権利と言えば、どうにかなるというその発想が貧困なのですね。よって、生活も貧困というわけです。

現実の世の中をみれば、建て前と本音とがあり、それを上手に使い分けることが大切なのですね。

いつまでも子供じみたものの考え方で生きていくのは危険極まりないことです。厳しくとも現実を見つめ、そのメカニズムを解明していく癖を付けておく必要があるでしょう。

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posted by lawful at 14:54| 生き方

時代の変化に合わせ成長すること

30年の単位で見ると、年率1パーセントの成長率は累積成長率として35パーセント以上になる。年率1・5パーセントの成長率は、累積成長率50パーセント超だ。実際には、これはライフスタイルと雇用にとっては大規模な変化を意味する。具体的に言うと、ヨーロッパ、北米、日本が過去30年で見せた1人当たり産出の成長率は、1―1・5パーセントであり、それでも人々の生活は大きく変化した。1980年にはインターネットも携帯電話網もなく、多くの人は飛行機に乗ったこともなく、今日では普通に使われる先進医療技術の多くはまだ存在せず、大学進学者も少数派だった。通信、運輸、保健医療、教育の分野ではすさまじい変化が起きている。
トマ・ピケティ『21世紀の資本』山形浩生 守岡桜 森本正史 訳 みすず書房 101頁

確かに、1980年の頃を思い出しますと、インターネットはなかったですね。軍事の面ではあったようですが、一般には解放されていませんでした。

携帯電話もありませんでしたね。当時は、固定電話であり、プッシュホンもありましが、ダイヤルであったような。

さすがに飛行機に乗ったことはありましたが、頻繁に乗るものではなかったですね。

先進医療技術もなかったですね。ガンになった人は、死んでいましたからね。ガンの宣告をするかどうかで悩んでいた時代でしたね。今から思えば、なぜ、ガンを宣告しないのか、となりますが、当時は、ガンを宣告されただけで死を覚悟し、自殺までする人がいたのですね。医療の進歩は人間の人生そのものを根本的に変えましたね。

大学進学も大変でしたね。受験戦争という戦争があったころです。

あれから30数年、我々の暮らしは激変しています。

冷静に考えますと異常でしょう。よって、鬱になる人も出てくるのかもしれません。時代に付いていけないでしょうね。

それでも、多くの人は、どうにかこの激変に合わせて生きているのですから、相当タフなのでしょうね。または、変化が大好きなのかもしれません。

たった年率1パーセントの成長率であっても、長い目で見れば、激変をもたらします。

我々としても、人間として、年率1パーセントの成長を続けるならば、30年後には、相当な人間になっていることでしょう。

しかし、実際は、年率マイナス1パーセント以下の水準で推移し、30年後にはみっともない人間になるのでしょうね。

やはり、ここは踏ん張って、人間として年率1パーセントの成長を堅持すべきでしょうね。

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posted by lawful at 14:07| 生き方

トマ・ピケティ『21世紀の資本』から今後のことを考える

低成長経済では、過去の富が当然ながら重要性を大きく高めることとなる。
トマ・ピケティ『21世紀の資本』山形浩生 守岡桜 森本正史 訳 みすず書房 28頁

元々、資本、所謂、お金や富というものをもっている人が有利ですね。ピケティによると低成長経済では、その有利さが際立つということです。

もし資本収益率が長期的に成長率を大きく上回っていれば(これは経済成長率が低いときには、必ずとは言わないまでも起こりやすい)、富の分配で格差が増大するリスクは大いに高まる。
同書 28頁

それ故、元々、持つ者と持たざる者との差があったのが、より一層、その差が開くというわけですね。

その格差が増大しますと、住むところも、学ぶところも、仕事をするところも、遊ぶところも別々になるでしょうね。所謂、住み分けが完成するわけです。

現今の日本を観察したところ、やや、このような傾向が見受けられますね。

資本収益率が経済の成長率を大幅に上回ると(19世紀まで歴史のほとんどの時期はそうだったし、21世紀もどうやらそうなりそうだ)、論理的にいって相続財産は産出や所得よりも急速に増える。相続財産を持つ人々は、資本からの所得のごく一部を貯蓄するだけで、その資本を経済全体より急速に増やせる。こうした条件下では、相続財産が生涯の労働で得た富より圧倒的に大きなものとなるし、資本の集積はきわめて高い水準に達する――潜在的には、それは現代の民主社会にとって基本となる能力主義的な価値観や社会正義の原理とは相容れない水準に達しかねない。
同書 29頁

ここで明らかなように、有史以来、経済は低成長であり、持つ者と持たざる者との差は歴然であったところ、二度の世界大戦を経験し、高度経済成長の時代であった20世紀は、その差を縮小させました。

いってみれば、驚異的な時代だったといえるでしょう。このような時代に「能力主義的な価値観」や「社会正義の原理」が広まるのは当然のことと思われます。

しかし、21世紀は、世界大戦を経験しておらず、経済は低成長です。19世紀以前に戻っているわけですね。

「能力主義的な価値観」や「社会正義の原理」といっても、最近は、空々しく感じられていましたが、低成長の時代という観点から考えると首肯できます。

20世紀とは時代が違うということは認識しておくべきですね。もう変わっているのですよ、ということですね。

今後数十年で、人口と経済双方の成長率は低下する見通しが高いので、このトレンドはなおさら懸念される。
同書 29頁

今後のことを考えますと、多額の相続財産があればよいのですが、そのような人は一握りであり、ほとんどの人にとって、大した相続財産はないわけですから、まずは、自らが財産を築くことでしょうね。

そうしませんと、貧困層に陥ってしまいます。

最初にすべきことは、貯金でしょうね。その貯金が一定金額に達したのちは、そのお金を投資にまわすことですね。

流動性のことを考えますと、株式投資あたりがよいでしょう。

株式といいますと、株価が上昇することによって得られる利益のキャピタルゲインに目が行きますが、配当による利益のインカムゲインに注目しておくのがよいでしょう。毎年、一定の金額が配当されるということは、長い目で見ますと非常に大きなことです。

最初は、ごく僅かな株式投資であっても、少しずつ投資を続けているならば、それなりの財産になり、その財産からの配当もそれなりの金額になります。

ピケティの指摘は、その通りだと思われますので、我々としては、時代が変わっていることを認識し、その上で、持つ者となるべく、然るべき財産を自らの手で作り上げることですね。

安易に浪費することなく、よく分からない詐欺に引っ掛からないよう、十分に注意しておくことです。

考えてみますと、持つ者が考えていること、行っていることを真似ればよいですね。そのようにしますと、今まで自分が考えていたこと、行っていたことが、いかに庶民とやらの振る舞いであったかが分かります。

今後、庶民として生きていくならば、貧困層まっしぐらでしょう。決して、そうなってはいけません。

20世紀は、ある意味、庶民の時代だったでしょうが、21世紀は違うとピケティは教えてくれているわけですから、いいことを教えてもらったと感謝しながら、自らの生き方の軌道修正を図ることですね。

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