法門をもて邪正をただすべし利根と通力とにはよるべからず
唱法華題目抄 16頁
仏教はあくまでも法門によるべきですね。
日蓮仏法でいうならば、御書、法華経を根本として、信仰を行っていくことです。
利根とは、簡単にいうと能力が優れていること、優秀であること等をあらわしていると考えてよいでしょう。
通力とは、不思議な現象を起こすことができる力と考えてよいでしょうね。分かりやすく言うと超能力のようなものといえましょうか。
能力があることや超能力があることは、それはそれで結構なことだと思います。
ただ、能力や超能力は、使うものであって、根本にはなり得ないということですね。
つまり、能力や超能力を持っているだけでは完結しないということです。
根本となる法門を軸として、その上で活用されるのが能力や超能力といってよいでしょう。
もっと言うと、能力がさほどなくとも、超能力がなくても、別に何の問題もないわけです。
法門を根本とする信仰が透徹されているならば成仏に不足することはなく、能力が劣ろうが超能力がなかろうが、どうでもいいのですね。
あればあったで、多少のアドバンテージがあるというだけのことです。
能力があるからといって、いい気になっていますと、成仏が覚束なくなってしまいます。
ただ、ほとんどの人間に優れた能力や超能力はありません。
能力や超能力があるようなふりをしている人間が多いというだけのことでしょう。
実のところ、上記御文以前の段階の人間が多いということです。
我々としては、御書、法華経という法門を根本として正しいものと邪なものを見分けていきたいですね。