その第4巻に「創価学会」の項目があります。その一部分を見てみましょう。
創価学会は、日蓮大聖人の大仏法が純粋に伝わっている唯一の宗教である日蓮正宗の信徒として、大聖人の御遺訓を守り各自の生活に実践すると共に、法華折伏破権門理の御金言に従って、あらゆる不幸の根源であるいっさいのあやまれる宗教、さらに偏頗な思想を糺し、未だ真実の大歓喜を知らない人々を、日蓮大聖哲の顕わされた三大秘法の大御本尊に導入し、自他ともに絶対幸福の境涯を得、もって万人の希求する世界平和を達成しようと努める真摯な同志の集まりである。
したがって、創価学会には、それ自体の教義はない。
『仏教哲学大辞典』第4巻(1968)
日蓮正宗の信徒団体ですから、「創価学会には、それ自体の教義はない」というのはその通りと思います。教義は、日蓮正宗のものを使えばいいのですからね。
当然のことながら、日蓮正宗を持ち上げています。威勢のいい文言が並んでおり、やる気満々であることが見て取れます。この第4巻は1968年に発行されており、当時の創価学会の勢い、熱量がいかほどであったかがひしひしと感じられます。向かうところ敵なしという感覚であったのでしょう。
「未だ真実の大歓喜を知らない人々を」などという記述など、今から読みますと、なかなか突っ込みどころがある文言です。「真摯な同志の集まり」と書いており、自己評価が非常に高いですね。当時は、本当にこのように思っており、ある意味、純粋であったのでしょう。
では、新版の『仏教哲学大辞典』の「創価学会」の項目の一部を見てみましょう。
日蓮正宗の在家の信徒をもって構成されている宗教団体。
『仏教哲学大辞典』新版(1985)
あっさりとした記述ですね。この後は、創価学会の歴史等が記載されています。客観的な記載となっており、1968年の頃のような熱さはないですね。1985年頃の創価学会は、やや落ち着いた感じだったのでしょう。その間、いろいろありましたからね。
では、最後に第三版の『仏教哲学大辞典』の「創価学会」の項目の一部を見てみましょう。
創価学会は、日蓮大聖人の仏法を信奉する在家の宗教団体である。その国際的な組織であるSGI(創価学会インタナショナル)は、百六十三カ国・地域にメンバーを擁している(二〇〇〇年六月現在)。「創価」とは価値創造を意味し、個人の幸福の実現とともに、仏法の人間主義、生命の尊厳の思想を基調として、文化・教育・平和の創造に寄与し、人類社会に貢献することをめざしている。
『仏教哲学大辞典』第三版(2000)
2000年の『仏教哲学大辞典』には、日蓮正宗の信徒という文言がなくなっています。日蓮正宗と決別したあとの『仏教哲学大辞典』ですから、当然、記載に変化が生じているのですね。「日蓮大聖人の仏法」という言い方になっています。
第三版では、国際的に広がっているという記述があったり、「創価」が価値創造を意味すると説明したり、人間主義、生命の尊厳という言葉も出てきます。文化・教育・平和という単語も出てきており、やや、上品な感じになっていますね。初版のころのような暑苦しさはなくなっています。
現在のところ、『仏教哲学大辞典』の第四版の発行はなく、第三版の発行から約24年が経過しており、現在において「創価学会」の項目はどのような記述になるのでしょうか。
もう、日蓮正宗の教義をそのまま使うわけにもいきませんから、創価学会の教義はこのようなものであるという説明を加えるかもしれません。しかし、初版において、「創価学会には、それ自体の教義はない」と記載していることからして、取って付けた教義を書くわけにもいかず、悩ましいところですね。
初版、新版、第三版と見てきましたが、やはり、初版の記述が興味深いですね。新版、第三版は客観的であり、面白みに欠けます。その点、初版は、勢いがあり、ドヤ顔が浮かぶような暑苦しさがあり、そこがある意味、魅力的なのですね。この魅力があったため、当時は、実際に会員が増えていましたからね。
ただ、1970年頃から会員の増加はほとんどなく、1985年、2000年の頃では、宗教二世、三世でどうにか若さを保っていた時代といえるでしょう。
現在、2024年においては、会員の高齢化、若年層の減少により、かつての勢いはありません。初版の『仏教哲学大辞典』の記載を読んで、このような時代があったのかとしみじみと感じ入るところですね。教団の栄枯盛衰が見えてきます。