では、仏はどのような言葉遣いをするのでしょうか。
法華経方便品第二の文で確認してみましょう。
言辞柔軟にして衆の心を悦可せしむ。
梵漢和対照・現代語訳『法華経』上 岩波書店 78頁
仏は、言葉遣いが柔らかいということですね。
圧迫するような言葉遣い、乱暴な言葉遣いではないのですね。
そして、ただ単に言葉遣いが柔らかいというだけではなく、その言葉遣いによって、人々の心を喜ばせ安心させるという特質があるようです。
柔らかい言葉遣いの中に、豊潤な内容が含まれているということですね。
いくら柔らかな物腰でも、中身のないことをベラベラ話されても困りますからね。
我々自身のことを考えてみますと、果たして、柔らかい言葉遣いで人を喜ばせ安心させているだろうかと考えますと、適当な生返事をしてみたり、つっけんどんな話し方をしてみたり、決して柔らかではない言葉遣いをしてみたり、といった感じで仏の言葉遣いとは似ても似つかない話し方をしているものです。
仏法を信仰しておきながら、これでは、何の意味もないですね。
やはり、柔らかな言葉遣いをしながら、相手を喜ばすほどの話し方を身に付けるべきですね。
これは、単に言葉遣いだけの問題ではなく、全人格的な問題につながってきますね。
自分自身の根本を仏の境涯としておかなければ、「言辞柔軟にして衆の心を悦可せしむ」とはなりません。
ちょうどこの文は、勤行の際に読誦しますので、毎日、自分自身を省みることができます。
よく、経典の現代語訳を読んで、経典といっても大したことがないと悪態をつく人がいますが、この文は大したことを言っていると思いますね。
大体、悪態をついている人は、「言辞柔軟にして衆の心を悦可せしむ」と正反対なわけですから、分からないのでしょうね。
経典もいろいろあるわけですから、いい経典と縁があればよいということです。
我々としては、法華経と縁があるわけで、その法華経の豊潤な法門をひとつひとつ自身の中で展開すればよいですね。