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2015年06月06日

正しいから信仰?それとも、価値があるから信仰?

ある人と信仰の話をしている時に、その人から「日蓮仏法が正しいと思って信仰されているのですか」ということを聞かれたことがあります。その人も日蓮仏法を信仰している人なのですが、気になっていたのでしょうね。

なかなかストレートな質問であり、同じ信仰の人からこのような質問が飛んでくるとは想定していませんでしたが、自分自身の信仰のあり様を思い返しながら、私は、「正しいから信仰しているというよりも、日蓮仏法には価値があると思って信仰しています」ということを言いました。

正しいか正しくないかは認識の次元のことと思います。調査、研究、検証することによって、正しいものを見つければよいということですね。

しかし、宗教や信仰というものは、調査、研究、検証でどうにかなるというものではありません。正直なところ、よく分からないという側面があるものです。

正しいか正しくないかを検証してからであると、いつまでたっても信仰はできません。

所詮、信仰といっても、その人の持っている縁によるのだろうと思います。

そもそも、縁がなければ信仰はできません。

私には、日蓮仏法という縁があったというわけです。

ただ、鰯の頭も信心というレベルでは話になりませんので、「御書」「法華経」の研鑽は当然のことながら行います。その中で、信仰を深めるということになりますね。

「正しいから信仰するではなく、価値があるから信仰する」という回答は、思わず出てきた回答ですが、まんざら悪くない回答だと思います。

日蓮の書を読んでいるわけですから、法華経第一という考え方になり、正しいから信仰しているという側面があるとはいえますが、なぜ、法華経第一なのかという問いは常に持っておきたいと思っています。

日蓮仏法が正しい、法華経が第一、で止まってしまい、まさしく、思考停止してしまうならば、日蓮的とはいえませんからね。

日蓮的姿勢というのは、以下の御文にあるとおりの姿勢ですね。

先法華経につけて御不審をたてて其趣を御尋ね候事ありがたき大善根にて候
妙法尼御前御返事 1402頁

やはり、日蓮と同じく、常に信仰に対して問いを持ちながら、深めていくという姿勢がいいでしょう。

日蓮仏法の信仰から、価値を見出し、その価値を膨らましていくというイメージがよいでしょうね。
posted by lawful at 19:03| 御書

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