ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候
四条金吾殿御返事 1193頁
信仰心を深めていきなさいと言っています。また、臆病であれば祈りは叶いませんよと言っています。
深い信心であればよいのですが、狂信になる人がいます。
なぜなのかと思っていますと、上記の御文にヒントとなる言葉があったのですね。
ホッファーの指摘を見てみましょう。
われわれが臆病であることを正当化するためには、狂信的な信仰が必要なのである。
エリック・ホッファー『大衆運動』高根正昭訳 紀伊国屋書店 122頁
キーワードは「臆病」ですね。
狂信は、臆病を隠すために発生するものなのですね。
日蓮は、臆病であってはならないと指摘しているのですが、狂信者は日蓮の言葉を無視し、狂信的な信仰でごまかしているというわけです。
所詮は、ごまかしということですね。
道理で、何も叶わないわけです。
いくら臆病を正当化するために狂信的な信仰を見せつけても、日蓮を読み、ホッファーを読んでいる人には、通用しません。
それ故、狂信者は、御書を読まず、本を読まない人を好むのですね。ごまかせますからね。
狂信者はよく「御書はいらない」と言いますね。なるほどと思いますよ。