なぜ、このようになるのだろうかと思っていましたが、それなりの理由があったのですね。
ホッファーの言葉を参考にして考えてみましょう。
熱烈な憎悪は、空虚な人生に意味と目的とを与えることができる。
エリック・ホッファー『大衆運動』高根正昭訳 紀伊国屋書店 112頁
平成に入ってから、創価学会と日蓮正宗との対立が激しくなるわけですが、その中で、創価学会は、日蓮正宗に対して、これでもかというぐらいの悪口を投げかけました。
通常であれば、しらけるだろうと思われるところ、しらけるどころか、より一層、悪口がひどくなり、盛り上がっていましたね。
つまり、創価学会員自身の人生が空虚であったということでしょう。
熱烈な憎悪を掻き立てることにより、自分自身のつまらない人生をごまかし、意味と目的とを得ようと必死だったのでしょう。
思い返しますと、痛々しいですね。
そこで人生の目的を失って悩んでいる人びとは、自分自身を神聖な大義に献げるだけでなく、狂信的な不満を育てて新しい満足を見出そうとする。
同書 同頁
狂信的というところが、言い得て妙ですね。
単に、空虚な人生に意味と目的とを見出すだけでなく、不満に基づいた歪な感情を育み、新しい満足を得ようとするのですから、気持ち悪いですね。
確かに、この通りでしたね。
ホッファーの指摘を自分自身に当てはめ、至らぬ点を改善することですね。
また、劣等な創価学会員の振る舞いを他山の石としておくことですね。