子供がいじめをするといっても、その原因が子供から発しているとは思えないですね。
子供スタートでいじめがあるのではなく、親がスタートでしょうね。
親は、仕事等でストレスを抱え、ままならない人生を歩み、欲求不満になっています。その欲求不満の状態で子供と接すると、虐待に近いことをしてしまうものです。
子供は、親に対して、対抗することができず、欲求不満を抱えてしまいます。
どこかで、この欲求不満を解消したいと思う時、学校というちょうどいい場所を見つけるのですね。
ここで欲求不満を解消しようとするわけです。相手は誰でもいいのですね。
ホッファーの言葉でより深く考えてみましょう。
ある人間に虐待されたとき、われわれはしばしば、まったく関係のない人物あるいは集団に憎悪を転じるものである。(中略)ヴェルサイユ条約によって、苦しめられたドイツ人は、ユダヤ人を絶滅して復讐をとげた。(中略)アメリカの南部派民主党員 Dixiecrats によって搾取された南部の無知で貧しい白人は、黒人に私刑を加えるのである。
エリック・ホッファー『大衆運動』高根正昭訳 紀伊国屋書店 108頁
いじめをする人間は、欲求不満をもたらしたその当人と対決することはありません。「まったく関係のない人間」に矛先を転じるのですね。
この「まったく関係のない人間」に絡んでくるという点が恐ろしいですね。予期できず、予測できないのですから、どうすればよいのでしょうね。まずは、逃げるしかないでしょう。相手をしてはいけません。
いじめは、いじめる方が悪いのであって、いじめられる方は悪くありません。
なぜなら、もともと「まったく関係のない人間」なのですから。
いじめている人間の親の欲求不満が悪いのであり、もっと言えば、その親に欲求不満を抱かせるその他の人々が悪いといえます。
いずれにしても、子供のいじめが多いということは、親の欲求不満が尋常でないほど溜まっているということです。
社会全体が欲求不満ということです。
結局は、我々の問題といえるでしょう。