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2015年07月05日

大僻見、執情を改めて、法華経を読むこと

汝が立義一一大僻見なり執情を改めて法華に帰伏す可し、然らずんば豈無道心に非ずや
蓮盛抄 154頁

宗教、信仰の話になると、意味不明になってしまう人がいます。

その人の所属する教団がいかれているために、その影響をまともに受けているからでしょう。

辻褄が合わない、道理に反している、価値がない、そして、聖典と違うことを平気で言うのですね。

宗教には、人を賢明にする側面もありますが、人を愚昧にする側面もあります。

賢明にする側面を採用すればいいものを、どうしたことか、愚昧にする側面に依拠してしまうのですね。

教団がそのように仕向けているからでしょうが、別に、教団の思惑通りに信心する必要はないでしょう。

そうはいっても、愚昧な信心の人が一定数存在します。

その人たちの言うことは、ひとつひとつが大僻見、偏った考えであり、間違った考えなのですね。

日蓮が言うように、間違った考えに執着しないで、法華経を読むべきでしょう。

しかし、そのような人は、法華経を読まないのですね。「時間がない」「難しい」などと言って読まないのです。

はっきりと、「読む気がありません」と言うならば、それはそれでいいのですが、信心をしている格好はつけたいからか、そうは言わないのですね。

所詮、このような人々は、道を求める気のない人々であり、信仰者でもなんでもない人々です。我々としては、妖怪と認定しておきましょう。

我々は、妖怪と付き合う程、暇ではありませんので、法華経を読み、御書を読んでいきたいと思います。
posted by lawful at 15:31| 御書

文字信仰

仏は文字に依つて衆生を度し給うなり
蓮盛抄 153頁

世の宗教を概観しますと、聖典というものが存在します。

聖典のない宗教もあるかもしれませんが、主だった宗教には、然るべき聖典があります。

ユダヤ経、キリスト教には、聖書があります。イスラム教には、クルアーンがあります。

仏教には、それぞれの宗派で、依拠する経典があります。

宗教、信仰といっても、文字によって成り立っているということがいえます。

私の場合、日蓮仏法ですから、御書、法華経が依拠する文字となります。

また、本尊を考えますと、日蓮が認めた曼荼羅を本尊としていますので、これも文字で構成されているのですね。絵曼荼羅ではありませんから。

まさに、文字によって、信仰しているというわけです。

よって、「仏は文字に依つて衆生を度し給うなり」となるのですね。

文字によって信仰していると自覚して、信仰すべきですね。

文字によらないで、いい加減なことを言う人のことを信用して、信仰してはいけません。

要は、文字にするほどの価値のない、くだらない言説は、偽物ということです。

特に、宗教の場面において、しょうもない、くだらない、いい加減なことを言う人がうようよしていますので、注意が必要です。

あくまで、文字によって自らの信仰を形作るのがよいですね。

御書、法華経を軸に信仰すればよいということですね。
posted by lawful at 14:55| 御書

思い上がる人間の特徴

愚癡無懺の心を以て即心即仏と立つ豈未得謂得・未証謂証の人に非ずや
蓮盛抄 152頁

物事の道理が分からず、恥じ入る気持ちのない人間に限って、自分は偉いと勘違いしているものです。

そもそも、道理が分からず、恥知らずでなければ、自分が偉いなどと思わないでしょう。

まさに、未だ得ざるを得たりと謂い、未だ証せざるを証せりと謂えり、という状態ですね。

思い上がっている人間には、上記のような特徴があります。

端的に言うと、境涯が低いということですね。

境涯が低い割には、自分は仏と勘違いしているわけですから、救いようがありません。

ここまで酷くなくとも、自分を中心に考えすぎる人は、上記のような状態になりがちですね。

やはり、先人の業績に学びながら、生きていくべきと思うのですが、自分の人生は自分で決める、と気負い過ぎて、結局、取るに足らない人生になっていないか、反省することが必要でしょうね。

いい気になり過ぎることなく、バランスのとれた生き方をしたいものですね。
posted by lawful at 14:52| 御書

2015年07月04日

現代は、組織で生きていく時代であり、自分で生き抜く時代であること

Society has become a society of organizations in all developed countries.
Peter F. Drucker The Effective Executive First HarperBusiness edition 1993 p.G

社会は、先進国では、組織社会になっている。
『経営者の条件』上田惇生訳 ダイヤモンド社 1995年 D頁

組織が何だ、と言ったところで、所詮、現代は、組織社会ですから、組織の中で生きていかざるを得ません。

いくら個人の生活を強調したところで、組織から逃れることはできません。社会そのものが組織社会なのですから。

要は、個人だ、組織だ、などと不毛な議論をするのではなく、組織の中において、どのように生きていくべきかを考える方がよいでしょう。

その意味で、ドラッカーのThe Effective Executive は名著といえるでしょう。

組織の中で成果を上げながら生きていく方法が示されています。

それも、他人ではなく、自分という観点から述べられているのですね。

Management books usually deal with managing other people. The subject of this book is managing oneself for effectiveness.
Ibid., p.F

普通のマネジメントの本は、人をマネジメントする方法について書いている。しかし、本書は、業績をあげるために自らをマネジメントする方法について書いた。
同書 B頁

ある意味、他者はどうでもよく、まずは、自分が変革すればよいということですね。
posted by lawful at 20:20| 英語

他者と比べても仕方がないこと:自分は自分で境涯を上げること

外道に対すれば小乗も大乗と云われ下揩ネれども分には殿と云はれ上揩ニ云はるるがごとし
蓮盛抄 151頁

大乗仏教の観点からすると、大乗が優れ、小乗が劣ると考えます。

そもそも、小乗という言い方が大乗仏教からの視点で言われていることで、上座部仏教、部派仏教、南伝仏教の側が自らを小乗と言うことはありませんし、そのような認識もないですね。

いずれにしても、大乗仏教の立場から物事を述べる場合、端的に、「小乗」という言葉を使うわけです。

「下劣乗」とも訳す場合があるということですので、小乗に対する評価はきわめて低いということがいえるでしょう。

その小乗であっても、外道と比べると優れており、大乗に等しく、大乗と呼ばれるという。

また、下掾A所謂、立場の低い人間であっても、より劣っている人間と対比すれば、相対的に上位になりますから、その小さな枠内では、殿と言われたり、上掾A所謂、立場の高い人間と言われたりします。

評価などというものは、いい加減なもので、対比する対象の選択次第でどうにでもなります。

よって、自分の方が上だ、といっていい気になっても仕方がないのですね。

逆に、自分は劣っている、といって必要以上に嘆くこともありません。

根本的に上を目指すというのがよいですね。

つまり、境涯を上げるということです。

十界論からいえば、地獄、餓鬼、畜生という三悪道や、修羅を含めた四悪趣に留まるのではなく、あくまでも仏の次元を土台とした状態であるべきですね。

他者と比べて、どうのこうのと言っても、その時々により、上に行ったり下に行ったりということですから、いちいち気にしていますと疲れるだけですね。

自分の境涯を仏界の状態に持っていきながら、地獄、餓鬼、畜生、修羅の状態すら活かすという生き方が求められます。

他者と比べるのではなく、自分自身の境涯を上げることに専念することが大切ですね。
posted by lawful at 17:25| 御書

「真言見聞」に学ぶ

才芸を誦し浮言を吐くには依る可からず正しき経文・金言を尋ぬ可きなり
真言見聞 150頁

才能を誇ってみたり、芸があると誇ってみたりする人がいますが、そのような人を相手にしてはいけませんね。

また、いい加減なことを言う人がいますが、このような人も相手にしてはいけませんね。

それよりも、正しい文献、正しい言説に学ぶべきです。

表面的には、才能があったり、芸があったりする方が目立ちますが、才能、芸そのものは結構なのですが、所詮、才能、芸であって、根本とすべきものではありません。才能や芸というものは、使うもの、活用すべきものといえましょう。

あくまでも根本とすべきなのは、仏教的観点からすると、御書、法華経ということになります。

長い年月をかけて練り上げられたものの集大成として、御書、法華経を位置付け、自らが改めて、研鑽という形で練り直すということが求められます。

世の中には、無責任でいい加減な言説がはびこっていますが、そのような言説に惑わされることなく、仏教の伝統に則って、然るべき経文・金言を自分のものにしていきたいものです。
posted by lawful at 16:45| 御書

2015年06月28日

英語をマスターするには基本を繰り返すこと、そして、続けること

日々、英語の勉強をしていますが、1日1時間程度がいいところで、やや、上滑りの勉強になっているのではないかと考えていたところ、参考になる文章に出会いました。

このようなことは何度も読み聞きしているのですが、改めて、確認すると今後の勉強に資するところ多いのではないかと思います。

まず文法のテキストを用意します。問題を解いて、答え合わせをして、理解したら完成した文を一〇回音読、さらにテキストを見ずにその文を使う場面を想像しながら一〇回暗唱。そうしてテキストの最後までいったら、二周目、三周目と繰り返す。五周もやれば基本の文型が瞬時に使えるようになります。
森沢洋介「プレジデント」2015.4.13号 38頁

今、『中学英語でパッと話せる 1秒英会話』を使っていますが、これが、文法のテキストといえるでしょう。

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左ページに日本語があり、右ページに英文があります。まずは、日本語をみて、それを英文にしてみるのがよいですね。

そして、答え合わせをして、間違ったところを確認し、英文を音読するということですね。

それから、使う場面を想像しながらの暗唱を行うという。

これを五周すればよいということですから、みっちり勉強することになりますね。

現在、二周目程度ですから、まだまだというところです。それも、上記のようにみっちり勉強しているわけではありませんので、今後は、上記のとおり、みっちりやってみたいと思います。

上記の本と並行して勉強しているのは、『表現のための実践ロイヤル英文法(例文暗記CD付き)』の中の別冊「英作文のための暗記用例文300」です。

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これも左側に日本語があり、右側に英文があります。まずは、自分で英文を作成し、チェックすることですね。

そして、正しい英文を理解したのち、音読というわけです。これも、使う場面を想像しながらの暗唱というのがポイントですね。

確かに、今までの勉強では、使う場面を想像しながらの暗唱という点がなかったと思います。勉強、勉強という感じであったのでしょう。

「英作文のための暗記用例文300」というぐらいですから、英文が300文あります。上記の『中学英語でパッと話せる 1秒英会話』では、700文以上ありますから、合計1000文以上の英文となります。

この1000文以上の英文を瞬時に使えるようになれば、英語の勉強がはかどるだけでなく、英文を読む際に、引っ掛かりが少なくなるでしょう。

クイックレスポンスができないという点を改善できれば、英語を読む際も、聞く際もストレスがなくなるだろうと思われます。

次はリーディングです。これも中学レベルのテキストを使いましょう。まず、辞書を使わず大まかに読みます。次に単語を調べ、解説を見て、完全に理解したうえで読みます。そして音読。付属CDを使い、一つの文章につき計三〇回、何度も声に出して読んでいきます。
同書 同頁

次にまとまった文章についてですが、あまり、勉強、勉強というのが続くと、嫌になってしまいますので、いかにもテキストというもの、所謂、教材というものを使う気にはなれませんね。

確かに、中学レベルのテキストはたくさんあり、手に取りながら確認をしましたが、正直なところ、そのテキストの文章そのものに興味が持てないのですね。

中学生が勉強するにはちょうどいいかもしれませんが、いい大人の社会人が勉強するには、ふさわしくない内容なのですね。

そもそも、面白くないもの、面白く感じられないものをテキストにしても続かないでしょう。

そこで、この点においては、自分で適切なテキストを探さなければなりません。

ネットでいろいろ探したところ、NHKの「ニュースで英会話」というサイトがありました。

単語の確認もできる、英文一文ずつに解説がある、読みあげの音声もある、確認テストもある、というわけで、これでもかという充実ぶりです。

一年と少し続けていますが、内容が実際にNHKワールドで放送されたものを使用しているだけあって、飽きがこないですね。

常に新鮮に勉強できるというものです。

それに、内容が所謂教材テキストでない分、幅広い単語が出て来て、この言葉は英語ではこういうのかという驚きがあります。

確かに、語彙のレベルは上がりますが、大学受験をするわけでもなく、実際使われている英語を分かるようになろうとしているわけですから、難しかろうとどうであろうと、実際に出てくる単語はすべて重要といわなければなりません。

単語のレベルが高いので中学レベルのテキストでないと思われるところ、文章の構造を見てみると、ほとんど中学英語文法のレベルで英文が構成されており、実際には、中学レベルのテキストといっても問題はないでしょう。

この英文の文章も何度も音読せよとのアドバイスですから、音読しようと思いますが、月曜から金曜までで5つのニュースが出てきますので、全部を30回音読というのは、時間的な問題で難しいですね。

とりあえず、全部を勉強し、まずは、それぞれ、数回程度の音読をしておくことですね。

そこで、全部30回の音読をやろうとするのではなく、この5つのニュースのうち、一つを選び、その一つのニュースに関しては、30回の音読をするというメリハリが必要でしょうね。

いままでの勉強の失敗を思い返してみると、あれもしよう、これもしようと欲張り過ぎて、結局、できないので嫌になり、そして、勉強そのものをしなくなるという、冷静に考えれば、くだらない負のループにはまり込んでいたように思います。

まずは、続ける。そして、続けるためには、何を削り、何に集中すべきかを考えることですね。

全部しようと考えず、大事なところに集中するという態度がよいでしょうね。

そうしませんと続きませんから。

続かないと何事も為せませんから、続けるための工夫をすることですね。
posted by lawful at 17:43| 英語学習

2015年06月27日

英語脳になるには6年かかる

英語を勉強しておりますが、なかなか上達しないものです。英語をマスターするには時間がかかるとは分かっていても、では一体、何年ぐらいが必要なのか、よく分かりません。

「プレジデント」を読んでいますと、興味深い記事がありました。明確に年数が示されているのですね。

意識することなく自然に英語を読んで話せる省エネ脳に切り替わるまでに、およそ六年かかるということがわかってきました。一方、母語から遠い外国語を仕事で使えるくらいにまで読めて話せるようになるには、二二〇〇時間の学習が必要だというデータがあります。
酒井邦嘉 東京大学大学院教授 「プレジデント」2015.4.13号 34頁

英語脳になるには、6年かかるということです。

まだまだということですね。

また、仕事で英語を活用できるには、2200時間が必要ということです。

仮に、2200時間を6年で割ると、約366時間です。1日にすると約1時間ですね。少なくとも、1日1時間の身の濃い勉強を6年続けると、英語脳になると考えてよさそうですね。

1日1時間は、確かに少ないですが、実際に6年間続けるとなると、難しいかもしれませんね。慌てず、じっくりと1日1時間の勉強に集中すべきでしょう。

やれ、1日2時間だ、3時間だと気合を入れても、数日後には、1日0時間という日が続くということが多いわけですから、まずは、1日1時間を6年と考えておくのがよいですね。

その上で、都合がつくときに、1日2時間、3時間の勉強をするのはよいことでしょう。

勉強だけでなく、ネットでは、アメリカのトーク番組もアップされており、英語の記事などは数え切れないほどありますので、興味の赴くまま見て、読んでみるのもいいでしょうね。

あまり、勉強、勉強と気負わずに、生活の中に英語を取り込んでいきたいものです。
posted by lawful at 13:47| 英語学習

2015年06月24日

歎くべきことを歎き、どうでもいいことを放置すること

日々の生活、日々の仕事において、嫌なこと、不愉快なことが出てきます。

その都度、気分が悪くなります。

ほとんどは、人に関することで、嫌な奴が原因なのですね。

冷静に考えてみれば、相手にする必要のないくだらない人間ですから、ほっとけばいいのですが、一応、関わりを持ってしまうと、へばりついてくるようです。

よって、気分が重くなり、嫌な気持ちになるのですね。

そこで、相手にしないようにしようとするのですが、そのくだらない人間の記憶は、そう簡単に消えません。さも、この記憶が重要であると思わせるのですね。実際は、取るに足らない記憶であり、それこそ、どうでもいいわけです。

このままでは、しょうもない記憶に振り回されますので、視点を変える必要があります。

その際、適切な御文がありますので、確認してみましょう。

世間にまさる歎きだにも出来すれば劣る歎きは物ならず
佐渡御書 961頁

くだらない記憶、しょうもない記憶は、世間の歎きといえるでしょう。

しかし、世間の歎き以上のものといえば、まさしく、生老病死ですね。

仏法の根幹の歎きに思いを馳せれば、くだらない記憶、しょうもない記憶など吹き飛んでしまいますね。

世間の歎きなど、あまりにも取るに足らない。

やはり、生老病死という観点や、低い境涯にある自分自身の現状を大いに歎き、生老病死を超え、また、境涯を高めることですね。

このような観点を持てば、くだらない人間のことなど気にならなくなります。というよりは、気になっている場合かと思えてくるでしょう。

我々の人生において、肝心なことは、境涯アップであり、どうでもいいただの他人はほっておけばよいのです。

落ち着いて考えますと、くだらない人間は、我々の人生にとって、何らの価値を生みません。時間を奪い、財を奪う存在にしか過ぎません。

叩き潰す対象といってもいいでしょう。ただ、相手にする価値がないほどの人間ですから、放置するというわけです。相手にするだけ、時間と労力との無駄というものです。

あくまでも、我々は、御書、法華経を土台として、境涯を上げていくことに専念すべきです。
posted by lawful at 22:03| 御書

2015年06月14日

世界のきびしい悪意といった様なもの

今までの人生を振り返るとき、ターニングポイントとなるときがあることに気付きます。

人生でのターニングポイントなど何度もあるわけではなく、一度、二度といったものです。

死ぬまでのことを考えると、三度程度ではないかと思われます。

いずれにしても、今までの間に、ターニングポイントがあったのですが、そのターニングポイントにおいて、人生行路を誤ったがために、せっかくの上昇気流に乗れず、下降気流に押し流されてしまったことがあります。

その影響は20数年経った今でも引きずっているものです。

通常であれば、上昇気流に乗れるところを、なぜ、下降気流の流されたのか。

私の努力不足という側面があるにしても、通常であれば、上昇気流に乗れたわけですから、私の努力不足というのも理由の一つではあるにしても、主原因ではないですね。そこには何かがあると思われます。

中島敦の「牛人」という短編に、その何からしいものを表現した言葉があります。見てみましょう。

世界のきびしい悪意といった様なもの
中島敦『李陵 山月記』小学館文庫 130頁

そうですね。「世界のきびしい悪意といった様なもの」があったように思われます。

特定の誰かではないのですね。「世界」なのですね。

単ある悪意でもないのですね。「きびしい悪意」なのですね。

また、それがそのものとして輪郭をもって存在しているのではなく「といった様なもの」という風にファジーなものであり、掴みどころがないものなのですね。

よって、今まで、よく分からなかったのです。

しかし、中島敦の「牛人」のこの言葉によって、おぼろげながら、私が人生のターニングポイントにおいて、下降気流に流された主原因が掴めたように思います。

人生においては、どうしようもないことがあり、それはそれで引き受けざるを得ません。

その理由も明確なものではなく、「世界のきびしい悪意といった様なもの」が原因というのですから、対応のしようがありません。

自分自身の根本的な何かと「世界のきびしい悪意といった様なもの」とが結びついたとき、人間の力など何の役にも立たないでしょう。

やはり、宗教的な何かを求めたくなります。

今は、「世界のきびしい悪意といった様なもの」にやられてしまうのではなく、日頃から注意を怠らず、精進しているところです。

いくら「世界のきびしい悪意といった様なもの」が強烈であったにしても、常に襲いかかってくるものではありません。

また、日頃からの習慣という長期間にわたる努力の積み重ねがあれば、「世界のきびしい悪意といった様なもの」も近づいてこられないでしょう。

「世界のきびしい悪意といった様なもの」に対決するには、「御書」「法華経」という劇薬を用いるほかないと考えます。

もちろん、劇薬ですから、使い方を間違って、おかしくなる人が続出しますが、そうならないよう、注意を怠らないことですね。

いずれにしても、中島敦「牛人」の中の「世界のきびしい悪意といった様なもの」という言葉は、まさに、キーワードですね。
posted by lawful at 15:35| 文学

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