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2015年06月14日

世界のきびしい悪意といった様なもの

今までの人生を振り返るとき、ターニングポイントとなるときがあることに気付きます。

人生でのターニングポイントなど何度もあるわけではなく、一度、二度といったものです。

死ぬまでのことを考えると、三度程度ではないかと思われます。

いずれにしても、今までの間に、ターニングポイントがあったのですが、そのターニングポイントにおいて、人生行路を誤ったがために、せっかくの上昇気流に乗れず、下降気流に押し流されてしまったことがあります。

その影響は20数年経った今でも引きずっているものです。

通常であれば、上昇気流に乗れるところを、なぜ、下降気流の流されたのか。

私の努力不足という側面があるにしても、通常であれば、上昇気流に乗れたわけですから、私の努力不足というのも理由の一つではあるにしても、主原因ではないですね。そこには何かがあると思われます。

中島敦の「牛人」という短編に、その何からしいものを表現した言葉があります。見てみましょう。

世界のきびしい悪意といった様なもの
中島敦『李陵 山月記』小学館文庫 130頁

そうですね。「世界のきびしい悪意といった様なもの」があったように思われます。

特定の誰かではないのですね。「世界」なのですね。

単ある悪意でもないのですね。「きびしい悪意」なのですね。

また、それがそのものとして輪郭をもって存在しているのではなく「といった様なもの」という風にファジーなものであり、掴みどころがないものなのですね。

よって、今まで、よく分からなかったのです。

しかし、中島敦の「牛人」のこの言葉によって、おぼろげながら、私が人生のターニングポイントにおいて、下降気流に流された主原因が掴めたように思います。

人生においては、どうしようもないことがあり、それはそれで引き受けざるを得ません。

その理由も明確なものではなく、「世界のきびしい悪意といった様なもの」が原因というのですから、対応のしようがありません。

自分自身の根本的な何かと「世界のきびしい悪意といった様なもの」とが結びついたとき、人間の力など何の役にも立たないでしょう。

やはり、宗教的な何かを求めたくなります。

今は、「世界のきびしい悪意といった様なもの」にやられてしまうのではなく、日頃から注意を怠らず、精進しているところです。

いくら「世界のきびしい悪意といった様なもの」が強烈であったにしても、常に襲いかかってくるものではありません。

また、日頃からの習慣という長期間にわたる努力の積み重ねがあれば、「世界のきびしい悪意といった様なもの」も近づいてこられないでしょう。

「世界のきびしい悪意といった様なもの」に対決するには、「御書」「法華経」という劇薬を用いるほかないと考えます。

もちろん、劇薬ですから、使い方を間違って、おかしくなる人が続出しますが、そうならないよう、注意を怠らないことですね。

いずれにしても、中島敦「牛人」の中の「世界のきびしい悪意といった様なもの」という言葉は、まさに、キーワードですね。
posted by lawful at 15:35| 文学

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