法華経法師功徳品第十九の文を確認してみましょう。
復次に、常精進よ、若し善男子・善女人、是の経を受持し、若しは読み、若しは誦し、若しは解説し、若しは書写せば、八百の鼻の功徳を成就せん。
梵漢和対照・現代語訳『法華経』下 岩波書店 320頁
八百の鼻の功徳といっても多いので、その中の一つを見てみましょう。
香を聞ぐ力を以ての故に男女の所念・染欲・癡・恚の心を知り、亦善を修する者を知らん。
同書 326頁
鼻の功徳を得ると、男性の考えていること、女性の考えていることが分かるといいます。
他者が何を目指しているか、何を欲しているかが分かるというのですから、相当な力といえますね。
また、欲望、おろかさ、瞋りの心を見通すことができるようです。
十界論でいうと、地獄、餓鬼、畜生の心を知ることができるのですね。
それだけでなく、善いことをする人も見分けられるということです。
このような力がありますと、悪意のある人間を排除し、善人とお近づきになれますね。
また、相手の意向を知ることができるのですから、ビジネス上でも有利ですね。
プライベートの面でもトラブルが少なくなるでしょう。
鼻の功徳とは、途轍もなく多大な功徳ですね。
方便品、寿量品を読誦するにも力が入るというものです。
法華経信仰の真髄は、このような鼻の功徳を得ることにあります。
仏法は、誰かが助けてくれるという救世主的な宗教ではなく、自らの力を発揮する宗教です。
助けてくれないからといって、怒っても仕方がありません。宗教はそのようなものではないのですから。
宗教というと、万能なものと勝手に考えてしまう人がいますが、そもそも、宗教が万能なわけもなく、間違った認識ですね。
偽善者の宗教家が万能、万能と吹聴しているからかもしれませんが、そのような悪い人間を見分けるために、自分の鼻が利くようになるという功徳を得る法華経信仰があるのですね。
何でも可能だ、などという愚かな思考をしている場合ではありません。
自分の鼻が利くだけでも、相当な功徳だと思いますね。これで十分というほどの功徳です。
あれも欲しい、これも欲しいという貪欲の状態はみっともないですね。
上記のとおり、地獄、餓鬼、畜生の状態とならず、明確に、これは地獄界の状態、餓鬼界の状態、畜生界の状態と分かるのが、鼻の功徳というわけです。
大体、不幸せな人は、地獄、餓鬼、畜生の境涯ですから、我々としては、仏の境涯を目指し、鼻の功徳を得ればいいだけですね。