設い正法を持てる智者ありとも檀那なくんば争か弘まるべき
四条金吾殿御返事 1148頁
いくら正法を持っている優れた知性のある人がいても、布施をしてくれる人がいなければ、法は広がりません。
やはり、重要なのは財力ということでしょう。
法がいくら素晴らしくとも、法だけでは広がらず、人によって広がっていきます。
しかし、その人に金銭的余裕がなければ、法が広がるという以前にその人の生活が破綻してしまいます。
法を広げる人その人が財力を持つか、若しくは、法を広げる人を財政的に支える人がいるかですべてが決まってしまいます。
正しければ法は広まるというお花畑の思考では、何事も為すことができません。
まずは、お金という側面を無視してはいけませんね。
そもそも、お金に困っている仏などいないわけで、財力があることによって、その人が仏を開いているとの証明になります。
信仰をしていなくとも財力がある人がいますが、仏法的観点から考えると、善い先業があるからといえるでしょう。
善業を持っている人とそうでない人との差は大きいですね。
人を羨むのではなく、今から、然るべき財力を得るべく、正しい信仰に勤しむというのがよいですね。
先業による差は、如何ともしがたいわけですから、まさに、今からという感覚で日々を過ごすべきでしょう。
そして、自分が智者になると共に檀那となるように精進したいですね。