創価学会では、部活動者会というのがあるそうです。部活というようですが、学校の部活とは全く違います。
ある人に「部活、部活と仰っていますが、何をされているのですか」と聞いたところ、その人は、「新聞を読む」と仰いました。
私は、「ああ、日本経済新聞ですか」と言ってみました。
その方は、「違う、違う」と大慌ての風情であり、ちょっと滑稽でしたね。
もちろん、創価学会で新聞といえば、聖教新聞なのですが、新聞とは即ち聖教新聞というその雰囲気が馴染めなく、「日本経済新聞ですか」などと言ってみたわけです。
とにかく、創価学会の中では、新聞は聖教新聞のみというほどの圧があります。
また、他の人で「選挙、選挙」という人がいましたので、私は、「立候補されるのですか」と聞いてみました。
その人は、同じく「違う、違う」と大慌ての風情でした。
創価学会で選挙といえば、公明党の票集めのことです。
選挙即ち公明党の票集めというその感覚が私には合わないのですね。
会員の方は、新聞、選挙という単語だけで会話が成り立っており、独特な空間を形作っています。
特殊な団体、閉鎖的な団体には、世間一般とは違う感覚で言葉を使います。
やれ「折伏」だ、「新聞啓蒙」だと言っていますが、正しくは「勧誘」でしょう。
「財務」と言っていますが、正しくは、「寄付」「献金」でしょう。
「F」だ「Z」だと言っているようですが、正しくは、「票」でしょう。
このような言葉遣いになれることは好ましくないと思いますね。
思考が歪に硬直する危険性があります。私が創価学会に違和感を持つのは、このような言葉遣いをするからですね。
正しく言葉を使う習慣を身に付けるべきですね。