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2024年05月31日

栄養

やはり筋肉の落ちるのが早くなった。
日曜日に行って4日目のジム。半袖になると前よりも少し腕が細く感じる。ただこれはいつものことで、最初にやる2つのマシンを使った後は筋肉がパンプアップする。継続は力だな、よく筋肉がついたと思っていた。右腕は受傷前よりも太いかもしれない。
それが少し変わった。筋トレマシン2つ後も膨らみはするが、先月よりも小さい。

前に書いたよう、4日行かなかっただけで筋肉痛を感じることはこれまでなかった。
筋肉の落ちるのが早くなったからだと考えると理屈が合う。筋肉は年齢に関係なく付くという認識は間違ってはいないと思うのだが。現実的にこの1年は筋肉が増加したように思う。
筋肉が加齢で落ちるということを調べるとサルコペニアというワードが出てくる。
サルコペニアを調べるが、何かのウイルスなどによって起きることではないようだ。加齢のみが原因の一次性サルコペニアと、活動、疾患、栄養が原因で起こる二次性サルコペニアに分類されるよう。

自分の場合で当てはめると、神経がうまく伝達できずに筋肉が付かないということを経験した。今でもその個所はある。これもサルコペニアなのだろうか。
それはともかくとして、週に2,3回筋トレをしているのだ、加齢を上回る筋肉活動をしている。特に新たな疾患の自覚症状があるわけでもない、どうしてなのだろう。
栄養なのだろうか。これまでの一人生活と変わらないようなものを食べているつもりだが、前は週末を過ごす居酒屋で週2回はけっこうな量を色々食べていた。

家での調理もやっているが、栄養素など考えてもいなかった。タンパク質が足りないか。
栄養のバランスが悪いとなると、それは自分だけでなく高齢の両親にも影響する。
両親はデイサービスで運動はしているものの、ちゃんとした指導の下で筋肉を維持するといった運動ではないだろう。身体を動かしたという満足のためだ。
食事を作るということは、栄養を考えるということとセットだという認識が足りなかったことを反省しよう。

もう金曜日。今日は栄養を考えたアテを選択しよう。
しばらく食べていない出汁巻き玉子かな。
posted by shigenon at 11:12| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年05月29日

動きながら考える

昨日は朝から夜まで大雨に見舞われた。とともに身体の状態。
一気に気圧が10hpa下がると疼痛や痺れが強くなる。何もせずにボーッとしていたから余計に判りやすい身体の変化だった。
途中、初めての料理をするためにレシピなどを見ながら集中していると痛みは感じない。
これまで書いていた通りなのだ。もう、雨が降る=気圧が下がって痛くなるということを思わないようにした方が良いのだろう。思わなければ痛くならない。
気合で病気を治すという表現がたまに使われるが、それは真だと思う。

もう月末。現役の時は営業数字やらなんやら気になることも多かったが、気楽なものだ。
出勤した日はどこに呑みに行こうかを考えるだけで良い。そういう割り切りをしても良いのだ、もう十分会社には貢献したのだ。与えられた仕事はこなしている。
月曜日は予約していた魚の美味しい居酒屋さん。帰りは降りるバス停留所を寝過ごしてタクシーで帰った。ほんと気楽なことだ。

どんどん予定を入れていこう。
ジムでも呑みでも旅行でも。忙しくすることで痛みも忘れる。もともとアクティブな方ではないのだ、思い付きの行動などほとんどないタイプだ。
「動きながら考える」…現役時代の仕事でこれを徹底してきたのだ。それがプライベートになるとダラダラしてしまうのが現実だ。
仕事は効率よく成果を上げるということ、その先のことまで考えて今やるべきことをやることを常に思っていた。会社に忠実だったのではない、面倒くさいことが嫌いなのと、ラクをしたいから。
そのラクをしたいがプライベートに現れているのだろう。

今夜も一人呑み。
カレンダーに思いつく限りの予定をいれていくか。家事も予定だし、何か変わった料理を作ってみるのも予定の一つだろう。
posted by shigenon at 13:38| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年05月27日

習慣を失う

生活や環境が変わると知らず知らずのうちに失っていくものがある。
よく転勤で通勤時間や方法が変わっただけで太る人がいる。例えば毎日30段の階段を上り下りしていたことが無くなると代謝はずいぶんと変わるだろう。
身体の代謝だけでなくアタマもそうかもしれない。昔は客先など複数の電話番号が頭の中に入っていた。それが当たり前だったのだ。毎日必要だから、それが出来たのだ。
生活が変わるということは、毎日やるべき必要なことが変わることなのだろう。それが定着すると以前の生活で習慣だったことが失われていく。

今日は会社の健康診断だった。今の勤務で2回目。これまでの社会人生活では近くの医療機関に行って受けていたが、こちらではバスの診察車両で検診。これまで胃部検診は別料金を払って胃カメラを受診していたが、バスの検診だとバリウム検査になる。
自分の考えだが…バリウム検査で異変があったら胃カメラをするのだから、最初から胃カメラの方が良いのではと思っている。ただ会社の検診なのだ、バリウムはイヤだが仕方ない。
検便の準備も大変だ。毎日快便という状態ではない。昨日は下剤を飲んだ。

今朝はスマホのアラームを知らない間に消していた。母親が呼びに来て初めて目覚めた。
慌てて下に降りて朝食を食べて歯を磨いて。そしてトイレに行く時に気づいた。朝食を食べてはいけないのだ。これで今日のバリウム検査はできなくなってしまった。
一人で住んでいる時はこんなことはなかった。まず、胃カメラ受診だから前日にはその苦しみなど想像したりもする。朝食はいつも食べなかったから前日は何時までに食べたら良いのかを気にしていた。

今の生活では、何かを気にするという習慣が殆どなくなってしまった。
それは何か毎日違うことが起きるから準備しないといけない・考えないといけないという習慣が弱まってしまったからなのだろうか。
同じような生活だから、これまで注意できたことも出来なくなっているのかと思うと情けなくなってきた。老化ではない、習慣を失っただけと思いたい。
色んなことを注意深く、早めに準備するという自分の気質は失ってはいないつもりなのだが。

やはり気圧の影響をうけやすい身体になっている。
これまでもそうだったのだろう、確実に気になっていた時期もあるのだ。しばらく感じなかったのは生活が変わったりして身体を思うことが少なかったからだろうか。
脳の余裕。何かを一生懸命しているとそっちに注力する。痛みも痺れも気にならない。今は何かを一生懸命に思うことが無いからだろうか。
今朝は両肩の疼痛が気になり、これを打っている今は両手の甲の痺れが気になっている。身体を気にすることはもちろん大事なのだが、それを無視することも自分の症状には大事だ。
posted by shigenon at 13:26| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年05月24日

筋肉

ここ最近ルーティンのジムワークの中で増やしたことがある。
インスタ動画で見つけた股関節ストレッチ。簡単な動作なので加えた。最初はその姿勢をするだけで股関節と足首が異常なほど硬いことに気づかさせられる。
それが苦痛でなくなってきた。ということは柔らかくなったのだろうか。
足首をナナメにして立つ台があるが、それの2番目の角度でけっこう足首がキツかったのがラクに立てるようになった。
確かに少しは柔らかくなったという実感はあるが、それが全体的な動作にどう良い影響を及ぼしているかまでは判っていない。まあ硬いより柔らかいほうが良い程度だ。

強い低気圧もないようで疼痛や痺れが酷くならずに安定している。
日曜日に筋トレをして木曜日と中4日空いたのだが、昨日は夕方に軽い筋肉痛を感じた。それほど真剣にマシンを動かしたわけでもなかった。筋肉の落ちるスピードが速くなっているのだろうか。
速筋線維と遅筋線維があり、速筋線維は落ちやすいようだ。ただ日常生活で筋肉を使っていたらたかが数日で落ちるわけはない。
だが左の前腕筋がすぐに細くなる。筋トレ後すぐにしぼんでしまうのだ。やはり左腕は神経の伝達が良くないので筋肉が付きにくい状態なのだろう。
筋トレマシンのグリップの持ち方を変えたのが2か月前くらいだが、これも影響しているか。マシンで効く筋肉がグリップ変更で変わって、前腕への刺激が少ないのだろうか。

何のための筋トレか。
他に思いつかないのだ、習慣としてのリハビリを。前にも調べたが、速筋線維と遅筋線維のうち遅筋線維を鍛えることがふらついたり、しっかり歩くことが必要な自分には重要なのだろう。
時々ふらつくことがある。体重がナナメにかかった時に支えきれなくなるようなイメージ。ただその状態になって転ばずにいられるのは筋肉のおかげだろう。昔は似たような状況…それは酔っぱらって家に入った玄関口で起こった…身体を支えきれずに倒れたことが何回かある。
ふつうは身体のバランスを取るものだが、その感覚も少し麻痺しているのかもしれない。
まあ詳しく考えず、できることをやるだけ。それも続けられることを。

もう金曜日、早い。同じことを来週も言っているだろう。
posted by shigenon at 13:58| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年05月22日

Time goes by

よく定年退職してやることがなくさ迷う人がいるという。
居場所もなく、やることもなくといった。そういう情報をたくさん見てきた。自分の場合はそんなことには全くならないと思っていた。事実、今までやっていた仕事や会社での立場には未練もなく、新しい人生という気持ちだ。
まあ少しはこれまでやってきたことへの自慢とプライドはあるが、もともと会社という後ろ盾を持って生きていなかったからだろう。
それとはまったく違うのかどうか、時間の感覚が麻痺してきた。

なんせ1週間が早い。いや、時間はみな同じスピードで平等に与えられているのだが。
同じことの繰り返しだからなのだろう。それと心に残ることが少ないからか。これまでも心に残ることがどれだけあったかというと、そんなにあるわけではない。
呑みに行って話をして、これまでなかった新しいメニューに喜ぶくらいだったのだ。それでも変化を感じられていたのだろう。人と接する、食べる、呑む、この頻度が高かった。いや、それしかなかったか。
毎日がつまらないものと思うのは個人の意識の持ち方なのだろうか。
定年退職後の他のしょぼくれたオヤジが持つ感覚と同じにはなりたくない。

2,3か月に1回の旅行、鍼のためとはいえ6週間に1回の東京、週3回の一人呑み。
これだけの刺激では満たされないのだ。毎日のルーティンの中に刺激が欲しいのだろう。それは自分次第なのだろう。自分が何か1歩踏み出したことをしない限り何も変わらないのだ。
忙しければ気にもしなかったことに、ヒマだと考えたりしてしまう。それは避けたい。そんなことに関わるほどオレはヒマじゃないという自分でいないと。

今日は人と呑む約束。3月に魚の美味い居酒屋で知り合った人だ。
ノマドワーカーだ。各地のシェアハウスを転々としている。今は四国に居て、今日関西に移動するというので約束した。彼とは3度くらい一緒に呑んでいる。
こういった約束して呑みに行くというような小さな楽しみが週に2.3回欲しいというのは贅沢な欲望なのだろうか。
よく自分を表して「自遊人」とかたる人がいる。自遊人という言葉に憧れた
自遊人の自は自由の自なのだろうか、それとも自分の自なのだろうか。自由であるという定義は何かに束縛されることがないということだろう。それに加えて遊ぶのだ。自分の自ということで考えると、自ら遊びを見つけて遊ぶという意味になるのだろうか。
どちらにしても自ら何か行動しない限りは自遊人にはなれないのだろう。

月曜日のような感覚だが、月曜は日帰り出張に行ったのでブログを書くヒマがなかった。水曜日だ、次に出勤した時は週末。
今週も早く過ぎていく。時間が早く過ぎる感覚の恐怖、それは老いに対する恐怖なのだろう。
posted by shigenon at 13:03| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年05月17日

一人で楽しむ

出勤日の帰りに軽く呑んで帰る。休日は買い物とジムだけという去年から続いているパターンに戻った。
基本的には出不精なのだ。東京に住んでいた時も、家を一歩出れば人は多いので何か出かけた感を感じたが、結局はジムと居酒屋くらいだ。それもチャリで10分圏内。
家の必需品の買い出しということをやジムに行かなければということが無ければ引きこもりになっているかもしれない。
そういえば25歳の頃を思い出す。新卒入社の会社を辞めて実家に戻ってきた。1987年か。
その会社で知り合った同郷の先輩が会社を辞めて実家に戻り新しいことをやり始めていた。それに誘われたのだ。

その時は実家に戻っても誰かと遊びに行くということはなかった。
何だろう、新しい仕事のことばかり考えていたような気がする。家に帰る前にレンタルビデオを借りてほぼ毎日映画を見ていた。酒を呑みながら。
不思議なことに寂しさとかは全く感じなかった。世の中はバブル真っ盛りだったのだが。
一人でいることが好きだったのだろうか。たぶんそうだったのだろう。けっこう社交的ではあったが、少人数の付き合いが好きだった。

いつからか一人の寂しさを感じるようになった。
それは広島に住み始めてからだろう。学生時代にYMCAの子供スキーのセンセイをした。その時に知り合ったY君。そんなに親しくもなかったが、同じ大学の同じ学部。
そのY君と再び再会した。先輩の会社を辞めて転職した今の会社、その業界の展示会で隣のブースだったのだ。声を掛けられるまで気が付かなかった。
そのすぐ後に広島に転勤になるのだが、Y君も広島に転勤していた。そして住むところは歩いて5分という距離だった。

それからは毎日Y君と呑み歩いた。広島の繁華街にはほぼ毎日行っていた。
それは何年続いただろう。その後本社に転勤になり、また1年後に広島に戻った。その時にはY君も転勤していたのだったろうか。あまり覚えていない。
その後は得意先のFさん、その後輩のH君の3人で2日に1回は呑みに行くようになった。サウナに行ってマッサージをしてもらってから料理屋に行く。一緒に呑みに行かない日は一人で近所の居酒屋に行った。
Fさんは10歳くらい年上だったか。呑みに行っても9時にはもう眠いといって帰る。Fさんはもう何十年も単身赴任していた。毎日誰かを誘って呑みに行く生活だった。

Fさんは一人でいられないタイプだった。とにかく寂しがりやだった。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/127/0?1715919258

自分もいつの間にか寂しがりやになった。
それは広島でほぼ毎晩誰かと一緒にいることから始まったのだろう。その後は転勤した大阪では、今でも何度もママが電話をくれるお好み焼き屋。その後の東京では居酒屋S。店もそうだが、そこに集うお客さんと約束するわけではないが、集まって楽しく過ごした。
人との触れ合いが欲しくて長い時間酒場で過ごした。

寂しさにも慣れてきた。毎日誰かと触れ合いたかった時から、コロナ禍でそれを埋めたのがSNS。リアルでの人との触れ合いは週に何度かあれば良かった。
もう色んなことが面倒くさくなってきた。一人で楽しめることを考えないと。
もう人生も終盤なのだ。自分がやるべきことは、身体の状態の維持と両親のことを思うこと。たまに一人旅をして美味しい酒を呑みながら食べればよいか。
今日は魚の美味しい居酒屋。この店の予約頻度も上げていこう。食べて呑むくらいしか楽しみはないのだ。
posted by shigenon at 14:09| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年05月15日

自律神経の調整

月曜日の午前中は調子が良くなかったのだが、午後になると復調。
頭痛アプリを見ると深夜から早朝にかけては気圧が下がり、午後から気圧が上昇予報だった。気圧は下がるときだけでなく上がるときも注意とアプリには表示されている。
でも自分は上昇ですっかり調子が良くなるようだ。会社を出るころは久しぶりにスキップができるくらいの脚の調子だった。
これを書いている今、辛くなり始めている。この時間から深夜にかけて15hpa以上の気圧が下がる。頭痛アプリの通りに身体が反応している。
それに加え、太陽フレアが活発になっている。太陽フレアの人体への影響は何のエビデンスもないようなのだが、何か関係があるのかもしれない。

去年はそれほど感じなかった気圧の変化による不調。何か自分の体質が変わったのだろうか。
自律神経失調症。気圧だけでなく、ストレスもあればホルモンの乱れも原因だ。
何かストレスはあるかと考えれば、母の認知症でイラついていることがあるか。でもそれはイラついてはいけないのだ、自分の母親のことだ。
それ以外にもイラつくことはある。でも何にせよイラついたり何かに気をもんでもどうしようもない事ばかりなのだ。身から出た錆もある。
ホルモンの乱れはどうなのだろう。こればかりはどうしようもないのだろうか。
ホルモンの不調を整えるには、適度な運動、質の良い睡眠、ストレス発散、トキメキを感じる生活らしい。
今はトキメキだけが足りないか。

先週あれだけ呑んでも幸いにも肝臓は元気なようだ。
月曜、火曜はそれほど酒が進まなかった。吞み過ぎると自然と自分で調整できる。
酒を少しでもゆっくり吞んで、食べたいものを食べる。これが一番の自分にとってのストレス解消なのだ。
水曜日、いつもの安居酒屋でなく、少しは会話ができるおばんざいの店に行くか。
posted by shigenon at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年05月13日

心待ちの鍼

2泊の旅。鍼に行くための関東への旅。
今回は大阪からのバス。バスの予約は1カ月前にしないといけない。1か月前は大阪から乗る意味があったが、それも無くなっていた。詳しくは書かないが誰も1カ月先のことは想像できないのだ。
1人で軽く呑んでバスに。翌朝はネカフェでジムまでの時間を潰す。この時に気になることがあった。もしかしたら自分は何かを見逃して大きな間違いをしたかもと。すぐに大阪に戻ろうと思ったが、それも杞憂だった。自分は色んなことを瞬時で判断してそれが正しいと思ってやってきた。大抵は正しかったと思っている、、でもそれは仕事においてのことだった。
自分についてのことは身体のことを優先することが癖になり、他を深く思うことは何も出来ていないのだ。

1日目の夜はいつも行っていた洋食屋へ。昼のランチと夜にも。
後縦靭帯骨化症と診断された常連さんが来るかと待っていた。塗装の仕事をしている人。この前ママに聞いた話では手術を受けるということ、もう仕事を減らして身体障碍者申請を社労士に頼んで障害年金を貰うとか言っていたそうだ。自分が話してやれることたくさんある。
調べると障碍者申請を代行して手数料を貰う社労士がたくさんいるのにも驚いたし、多少の痺れや痛みでそんなものがまかり通るのかという疑問。それだけではない、そんな気持ちなら例え手術で頚髄を損傷するリスクを回避したとしてもずっと痛くて痺れているという幻想痛に苛まれるだろう。
痺れや痛み、得体のしれない症状に人は怯えるのは当然なのだ。だが中枢神経を損傷しない限り、それは大したことではないのだ。

まあ人のことなのだ。その人が思うようにしたらいいと思う反面、少しでも親しく話して呑んだ仲なのだ、何か助けてやれることはないかと思うのだが。
ママに聞くと、手術も後伸ばし伸ばしになっていつになるか判らないそうだ。本人はそう診断されてから、怖くて仕事も減らしているようだ。確かに転ぶと危険だ。
その夜はいつものようにワイン1本。この1年で酒が弱くなったのだろう、1本を呑み切ると足りなくてもう1本頼むか他のショットを頼んだものだが、全くこれ以上呑むことはできなかった。
カッコをつけて、この後バーに行くからと言って店を出た。もちろんバーには行かない、ホテルに戻って寝ようと思ったが、ついついラーメンが食いたくなってバスを降りた。

2日目は小田原で呑む約束。自身が関わっているSNSグループの呑み会。
管理人の女性がコロナに感染した後の後遺症が酷くてしばらくは会ってなかった。宿泊の湯河原で同い年のオッサン3人と待ち合わせ、着いた瞬間にコンビニでビールを買って乾杯。
小田原に着いて全員集合、6名だ。王将から始まり居酒屋2軒、カラオケボックス、バーと12時間呑みっぱなし。
1人では量を呑めなくなったと思っていたが、人と話しながらだと呑める。まだまだ元気なのだろう。
翌日も昼前から小田原に出て呑んでから家路に向かった。

この1年間で一番鍼治療が待ち遠しく感じていた。
4月中旬から下旬に痺れが強くなったものの5月に入って回復していたが鍼の刺激が欲しかった。
何度も書いていることだが、痺れた右脚は鍼を打ってもらうとどこに反応しているかを感じ取れる。これはAセンセイの鍼だからなのだろう、これまでの鍼灸では感じなかった。それだけ深く狙いを定めて打っているのだろう。
下腿への鍼は土踏まずの内側、親指、甲と末端に繋がる。まるで電気が放電するような感覚。痺れていない左脚だとこの感覚が無い。
今回はけっこう強めの鍼だったように感じた。だからワイン1本で良く酔いが回ったのかもしれない。

6月の金曜日に社員旅行がある。それには行かず、木曜から土曜まで高知と高松に行くことにした。
どちらの地域にも中高の同級生がいて、SNSで繋がっている。
高知の同級生は高校卒業以来だし、高松の同級生は5年くらい前に出張で行ったときに会った。次の楽しみはそれだけだ、あとはヒマになったからダイエットにでもチャレンジしてみるか。
posted by shigenon at 13:03| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年05月08日

5連続

GW後半の6連休は5日連続でジム。5連続は初めてだ。
やはり連続すると筋肉の疲労を感じるが、ストレッチをマットで5日連続ですると少しは柔軟性が出た感覚がある。
4月中旬から下旬に感じた痛みや痺れの強くなった感覚は無くなった。緩やかな痺れの状態。やはり気圧だったりその時の体調で強く感じたのだろうか。何か自分のアクションとしては変わったことはしていないから、やはり気圧だけなのか。

気圧の変化が判るアプリは気圧の上下が折れ線グラフで表示され、上下する時間帯に「警戒」の文字が出る。
気圧が下がるときだけ注意しないといけないと思っていたが、上がるときも「上昇注意」と出る。気圧の上昇は調子良くなるものと思っていたが、そうでもないのだろうか。
まあ気圧の変化を常に見れるのは便利だ。

火曜日は歯医者。その前の火曜日には診察中に先生から「パソコン変えたらプリンターが動かない」と言われ、プリンター設定をした。プリンターのドライバーを入れないと動くわけがない。
治療中もゴルフや観光の話。いつ口を開けたらいいのか判らなくなる。まるで居酒屋に来てマスターと話しているような感覚だ。衛生士さんの合いの手も、居酒屋アルバイトと一緒に話しているような感覚。
フレンドリーなのだ、その歯医者の全ての人が。
その歯の治療も後は5本で終わる。差し歯4本と右奥歯を被せれば終わりだ。そう思うとなんか生き慣れた居酒屋に行けなくなるような寂しさを感じる。
人との触れ合いが圧倒的に減っているからだろうか。

明日からは東京。大阪からの高速バス、ある程度呑んで熟睡体制を整えねば。
土曜日は小田原でSNSグループメンバーとの呑み会。久しぶりに会う人もいて楽しみだ。金曜日はいつもの洋食屋で過ごそう。
常連客の一人が後縦靭帯骨化症だと聞いた。その人は良く隣り合わせた時に肩を揉んでやったりしていた。カチカチの首筋だった。自分も受傷前はそうだったのだ。
手術を受けるとか聞いていたがどうなったのだろうか。
posted by shigenon at 11:30| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2024年05月01日

歩く効果を再認識

久しぶりに歩いた。
29日に香川県の直島に行った。ここは草間彌生のオブジェや安藤忠雄の建築物があり、芸術の島と言われている。中でも安藤忠雄設計の地中美術館にはモネの作品がある。
そんな大きな美術館ではないが、かなり歩いた。今見ると13000歩。もちろん芸術のための歩行だけでなく、夜の呑み歩きも含めてだが。

脚が張る感覚は久しぶりだ。筋トレとは違う活きた筋肉の活動。特にふくらはぎが張っている。
ゆっくりと風呂に浸かりながら大腿四頭筋やハムを触るが、それらのいつも押せば痛い箇所の痛みが少ない。アキレス腱あたりも筋肉痛はあるのだが、いつもより柔らかい。
歩くという行為による脚の筋肉の収縮はある面、筋肉をほぐすような役割もあるのだろうか。昨日は寝ていても、最近少し強く感じていた下腿の痺れが和らいでいた。

今日は出勤日。出勤では階段の上り降りが2回ある。
上るより降りる方に神経を使う。いつも階段を下ることで脚の調子が判断できる。柔軟性をもって前傾できるかどうか、足首の前と後ろの硬さがその日によって違うようだ。
今日の足の張った状態は、ふくらはぎは張っているが足首の柔軟性は良いようだ。
コロナ禍の在宅勤務の時に昼にウォーキングをしていた。ウォーキングに加えて公園の階段ダッシュ。そして出勤になった時に。いつもの地下鉄に降りる階段の歩行感覚が大きく変わったことを思い出す。
やはり歩く筋肉の使い方は良いことなのだろう。痺れの緩和も、ふくらはぎを使うことによる血流改善なのかもしれない。

今日の出勤が終われば6連休。
予定していた奈良の旅は無くなった。明日から近所の山へのウォーキング、そしてジムに入り浸ろうか。
posted by shigenon at 15:08| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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