中枢神経を損傷してから解った事がたくさんある。
いわゆる健康法と言われるモノでオーソドックスなモノはちゃんと理にかなって効果が期待できることなのだなと。
よくテレビでや本に紹介されることなどだ。それらは比較的簡単にできるように紹介されている。
あっ身体にいいのか!ということでみんなやってみる。でも続かない。何故か。それはその人たちが健康だから効果を実感できないのだろう。
健康法といわれること、それらは症状に紐づいて紹介される。
例えば「肩こり」という症状であれば、肩を回すといった簡単な紹介もあれば、もっと突っ込んで肩甲骨を開く運動と要因にまで言及した紹介もある。肉体的なことだけでなく自律神経の調整が重要と紹介することもある。これらは全部正しいことなのだ。
もちろん肩こりの原因なんて様々だ。もともとの原因を治さない限り一時しのぎなのだ。
でも、こういったことを知らない人がほとんどなのだ、自分もそうだった。だから対処療法に頼る。
食べ物で「塩分を摂りすぎると高血圧になりますよ」と言われればそれは気を付けることが出来る。
しかし「同じ姿勢をずっととっていると肩こりになりますよ」と言われても、気を付けるのはたまにだ。
それが生活なのだろう。食べるものは1日3回だから意識できても、その他の行動はもっと長い時間だ。
実際に酷くなってから何かに頼ろうとする。これも当たり前なのだ。
健康法と一口に言ってしまえないが、「食べる・身体を動かすこと」で毎日気をつけられることはそれほど多くは出来ない。
よほどこれをやったらダメだと思わない限りなのだろう。
そんなことを昨晩は酒を呑んで足首を回しながら思った。
足首を回すと血管が浮き出てくる。ふくらはぎが柔らかくなりポンプ活動開始だ。足首も柔らかくなる。血行だけでない足の着地で膝や腰も変わるのだ。
足首の重要性、こんなことは受傷してから何度も気づいているのだ。
ゴルフに行くと翌日ちゃんと歩けるとか。それは斜面を歩いて足首を使ったからだともう何年も前から書いている。
それでも足首を回してケアするという考えに至ってない。健常ではない、不自由でもっと改善したいと日々思っているのにだ。
それはある程度生活できているからだろうか。動かしにくいと言いながらも動けているからだろう。
でも動かしにくい状態で無理して動かすと思わぬ副作用が生じる。
坐骨神経痛がそうだったのだろう。
まずは小さな出来ている動きも、それが正しい動きなのか考える必要がある。