これまでずっと今の1歩はどうだったとか考えながら歩いた。そして次の1歩を踏み出す。
それが何も考えなくてもほぼ普通に歩いている。
右下腿に痺れはもちろんある。左脚もたまに足先が下がる。
だが考える前にスイスイ足が出ている。ただしスピードは速くない。かといって遅くもない。
これまで何度か書いたけど、1歩1歩今の歩きはどうだったかと考えて歩くということをやっているのは信じられないかもしれない。
でも本当なのだ。それを繰り返していたら、どこか頭の隅で歩きのチェックをしている。
痺れが弱くなったからだろうか。右足裏の感覚が少しはあるようになった。足首周りは完全に痺れていた状態から、少し弱い痺れになった程度。でもそれは右脚のことであって、左脚は関係ない。
これだけで歩くことが無意識にできるようになるのだろうか。
これまで「歩く」ということに向き合ってきた自分としては、いささか拍子抜けする感もある。
今朝、人通りの少ないタバコロードでやってみたかったことをした。
スマホの漫画を読みながら歩く。
ながら歩き。決して推奨できることではないけど、意識が別の所にありながら自然に足が出せるかの検証。
脳が別な事に働いてもどれだけ歩くという指令に影響されずに歩けるかを知ることが、ちゃんと歩けるようになった後にやるべきことなのだ。
でも何が良くなってこうなったのだろう。
毎日3時頃に一度目覚めるが、それを考えていたら眠れなくなった。
この良くなる前にやったこと。足裏への鍼。ふくらはぎへの鍼。鍼だけなのだろうか。
龍王峡。龍王峡の神が良くしてくれたのだろうか。入院中にもう一度龍王峡を歩きたいと願っていた。
昨日の夜は足首の裏の筋肉がすごく柔らかくなっていた。揉むと気持ちいい。これまでは揉んでも気持ちいいのだが、その気持ちいい所までたどり着かなかった。
夜中、トイレに立つとふくらはぎが引っ張られるような軽い痛みがある。
これはこれまでなかったこと。痺れが軽くなったのはふくらはぎが大きく関係しているように思うが、よく解らない。足首が柔らかいから良くなったのか、良くなったから足首が柔らかいのか。
一番末梢である足裏や足先への鍼の刺激が改善の原因だとすれば、末梢神経への刺激が大元の神経へ影響を及ぼしたことになる。
とにかくこの状態に安堵することなく改善を考えないといけない。
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