終了時間が20時というのもちょうどいい。それ以上だと呑み過ぎる。今回から焼酎と一緒にチェイサーを置くようにした。ママの作る焼酎はだんだん濃くなって、最後はほぼロックに近いからだ。
土曜日の筋トレも指の1本1本まで意識が行きわたるよう動かした。
不思議なものだ、落ちたと思った左腕の筋肉が膨らんできた。やはり脳から連携する意識は大事なのだろう、にわか信じられないようなことだが本当なのだ。
脳は何の障害もない。そこから各末端に伝える太い神経に難がある。だから、末端を動かして脳までの信号を活性化させよう。これは自分で思って実践してきたことだ。
これを土曜日の鍼でAセンセイに話す。特に前回書いた脳の意識のこと。
「あぁ、PNFのことですね」
PNFというコトバはこの鍼灸院に来てから知った。待合室に1枚のチラシが張ってあった。
ずっと「神経疎通を良くする」という何か電気療法だと思っていた。これまでもセンセイからPNFというコトバは聞いていたが、何かの療法だと思っていたので聞き流していた。
違った。逆にリハビリに関わるセラピストの人たちには当たり前のコトバだったのだ。
ネットで調べるとPNFとは「固有受容性神経筋促通(法)」が邦訳になるらしい。
手法ではない、考え方なのだ。
その施術例とかも紹介されているが、今となってはそんなものには興味ない。その考え方が1940年からあって、障害をもった自分が全く知らなかったということが腹立たしいし、悔しい。
自分がずっと考えて実践してきたことがPNFの考え方に基づいているのなら、もっとそれを深掘りしてリハビリを進められたのかもしれない。
何らかの疾病を持った患者への情報は、医療従事者や医療機関だ。
実際のところ、その疾病を治すためにどれだけの情報を患者に与えているのだろう。語弊があるかもしれないが、僕が関わった多くの医者が“薬の処方”だけになっている。しかも、薬の情報サイトを見ながらの処方の医者も多い。まあ、副作用の確認とかだろうが。
痛風を長く持っている。医者に行って先に言う。「今の症状だと、ザイロリックでいいです、今度の血液検査次第で、ユリノームかも」こんなことは知っていたら簡単なことだし、医者に聞くまでもない。
今回のPNFについても、もしかしたらその概念に沿って入院中はリハビリを実施してくれたかもしれない。Aセンセイに聞くと、僕の入院していた病院はPNFを実施していることで有名だったらしい。
聞いたことない。入院中に。
色んな情報をスマホで調べたが、調べ方が悪かったのか、たどり付くのは「中枢神経は損傷したら二度と元にもどりません」
色んなことをPTさんにしつこく聞いたら「先生が元に戻ると言われたんですか」とも言われた。
(そのPTさんを責める気はない、一生懸命やってくれたのも事実)
中枢神経損傷者は巧緻運動障害になる。
指が動きにくい。いつか良くなるか、どうしたら指が動くか。自分で一生懸命考えていた。闘っていた。
「巧緻運動障害」というコトバを知らなかった。
巧緻運動障害というコトバを知っていたら、あぁ、そうなるんだ、仕方ないよね、じゃあそこから自分としてはどう生活をするために工夫しようか。となる。
PNFという概念がある。これを知っていたら、どれだけ励みになっただろうか。
患者がどんな情報を必要としているのか・それをどう受け止める人なのか。
それが難しいのだろう。理解できる。情報過多は混乱を引き起こす。
でも、色んな有用な情報に辿りつくのにこれだけかかる現状、世の中の色んな“業界”で考えるとなんと情けないことか
。医療従事者みんな一生懸命に患者と向き合っている、いったい何が足りないのか。
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