これは年相応なのだろうか。忘れるといってもそのタイプは何種類かある。
興味のないことはハナから覚えようとする気がない。要は気が入るかどうかなのだろう。仕事に関わることなどは忘れてはいけないこと多いが、忘れると言うより覚える気がないことがある。
仕事に関わる人でも全く名前を覚えられないことがある。ひどい話だが、数年前まで同じフロアにいる社員の名前さえ覚えなかった。そんなに大勢いるわけではないのにだ。
顔は認識している。自分の考えとしては会社を家族のように思うとかそういう気持ちは全くない。それぞれが自分のやるべき役割の中で会社を発展させるためにパフォーマンスを発揮することが第一だ。それが出来てもなく、問題意識すら持たない人とは関わりたくない。
昔は全く違ったのだが。
興味を持たない人の名前を覚えられないのではなく覚えようとしないのだ。たった数文字の単語でしかないのに。
人をパソコンに例えてみると、処理能力・記憶容量など重なる部分は多い。必要はなくてもフォルダーに仕舞って置いておくということをよくするが、それに容量を使うのさえもったいないこともある。
必要な情報をすぐに取り出せる状態にしておかないといけない。それが優先だ。
そういうことがここ何年かクセづいてきた。過ごした年とともにメモリーがパンパンなのだ。
その必要な情報は頭の中でちゃんとファイル化されてフォルダーに入っているのだろう。
考えていることがファイル化される前の段階で忘れることが多い。
ヒマなときはスマホをいじっている。ふと何か思って検索しようと思う。すぐにやらないと何を検索しようとしていたかを忘れる。複数のことを処理する能力が低下しているのだ。
そういう瞬間の忘却はよくある。
しかし自分が経験したことは忘れていない自信があった。
何でこんな話になったかというと・・・。
昨日、ウォーキングをしているとダンベルを持って歩いている人がいた。
部屋に同じ500gのダンベルがある。受傷前は使うことがなかったが、受傷後は使っていた。500gでさえ負荷を感じた頃だ。今は使っていないのだが、ずっと床に転がったままだ。
これは誕生日プレゼントとしてもらったものなのだ。
東京に来る前の大阪在住時代。広島から大阪に移動したのは2000年。毎晩のように行っていたお好み焼屋。「ママからの電話」で何度かここでも書いたママの店だ。
そこでは何人かと仲良くなった。アナミさんについては書いたこともあったか。他にイリエさんとか。
イリエさんは別の機会で書こう。一時は毎日一緒に呑んでいた。
そのお好み焼屋で若者から誕生日プレゼントとして、ダンベルと縄跳びをもらったのだ。
なんとなくプレゼントをもらったことを覚えている。それは、なんでこの人がくれるのかという驚きだったからだ。そのシーンすら覚えている。
だが、その若者とどういう接点があったのか全く覚えていないのだ。
たぶん、店に来て話がはずんで、常連の自分が支払うとかカッコをつけたのだろうか。でも一緒に呑んだのは一度だけではないはずだ。
記憶の中では顔がない。何を話したか記憶もない。ただ、袋を開けたらダンベルと縄跳びが入っていたシーンだけ覚えている。
たまたまお好み焼屋で誕生日を迎えた時に一緒で、その日以降にくれたのだろう。
そのダンベルを見る度に思い出そうと努力するのだが記憶にない。
お好み焼屋でもらったのは間違いない。もしかしたらその若者自体が存在せず、他の人にもらったのか。
オチのない話だった。
身体の調子。寝ていて下半身の痙攣が気になる。それぞれ色んな箇所の痛みや痺れはそれほど強くはないのだが。
さあ、今日も在宅。会社のパソコンにある資料がそろそろ必要だ。明日は会社に行くか。
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