新卒で入った会社。大手アパレルだ。
ブランド毎に事業部があり、事業部が一つの会社のような感じだ。
ある事業部の大阪勤務。大阪には3つのビルがあった。配属の事業部はナンバのビル。そこには3つの事業部が入っていた。
元々ファッションには興味があった。学生の頃はデザイナー・キャラクターブランドブームだ。バイトの金はほとんどが服代かパチンコだった。
配属された事業部には2つのブランドがあった。そのうちの1つのブランドを新入社員の僕と2つ上のセンパイHさんの二人だけで受け持った。考えられない組織だ。
事業部の先輩とはよく飲みに行った。飲んで仕事の話・会社の話。アパレルは華やかな業界とはいえ、ふつうの会社なのだ。
ウチの事業部は仲が良かった。20時頃まで仕事をしてそれから飲みに行く。帰りはほぼ終電。
僕は寮に入っていたので夕食を会社で食う。18時になると会社で夕食を食ってから仕事。それから飲んで食べて。不思議だ、そんなに太りはしなかった。
新入社員のクセにいっちょ前なことを言っていた。学生時代はアルバイトを数多くしたことしか誇れないのだ、仕事経験を4年して入社したようなものだ。
文句も人一倍言っていた。仕事は、自分で言うのもなんだが、のみ込みは早かったほうだ。
寮にいたから色んな事業部の先輩と仲良くなった。また、酒も強かったし完全に奢ってもらうことをせずいつもいくらかのお金は払っていた。毎日、誰かと飲んでいた。
Jから声がかかったのはそんな毎日を過ごしていた頃だ。
「お前か、いっつも文句ばっかりゆうて飲んどるヤツは」
これが最初に言われたコトバだ。今でもその時の顔と声が耳に残っている。
Jは同じナンバのビルだが違う事業部。3つ上の先輩だ。同じ事業部に3つ上の先輩が二人いたことから、よくウチの事業部のフロアに来ていた。
どのタイミングだろうか、同郷であることが解ったのは。そして同じ大学出身。
Jも文句の多い人間だった。コトバも悪い。だが、まわりの人たちから好かれていた。一目おかれた存在だった。弁が立ったのだ。
二人っきりで飲みに行ったのはそれほど多くなかったのだろうか、あまり覚えていない。
違う事業部だが可愛がってくれた。今も写真がある。給湯室で二人でアイスキャンディを食べている姿。
休日にはそのビル内の何人かと海に行くのが恒例になった。2,3か月前から予定を組む。
百貨店を担当しているので、日曜日は出勤日だ。まして新入社員なので先の日曜日の予定なんて決められない。
そう言うとJは「あほか、お前。何か月も先の話なんやから、その日休めるよう仕事せんかぇ」
その通りなのだ。
館内マイクを電話で使えることができた。交換手がいて、デスクにいないと館内呼び出しをするだけでなく、誰もが電話を使って館内に放送できた。
「〇〇〇(事業部)の〇〇君(僕)、内線××番まで」
こういう呼び出しがJから何度かあった。
「〇〇、昼から××行こか。車借りたんや。」××とは大阪郊外の百貨店。同じ百貨店でも、事業部ごと・ブランドごとに担当がいる。××百貨店はJも僕も担当していた。
当時、車で出ることなんてなく、全て電車での移動だ。車も会社には数台しかなかったと思う。
急に言われても。なのだが、Jに従う。
車に乗った。「ほれ!」缶ビールを出してくる。そしてJも缶ビールを飲みながら運転する。
35年くらい前の話だ。もちろん飲酒運転は今も昔もいけない。エピソードとしての話だ。
プライベートはともかく(もちろんダメ)、仕事で缶ビールを飲みながら運転するという破天荒ぶりには驚いた。
話は長くなりそうだ。ここで一旦筆を置こう。(いや、筆使ってないけど)
またの機会に書こう。
身体の調子は好調を維持している。当面の課題は右足先の痺れの緩和だ。
今日は金曜日。居酒屋Qだ。今日も初ガツオでスタートかな。TGIF!
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