20時過ぎに帰ろうと思ったが、誕生日を一緒に過ごしたO夫婦のテーブルに移って、マスター・ママも交えて歓談しながら呑んだ。まんま誕生日のメンバーだ。
1年前まで知らなかった人とこうやって仲良く過ごす、これが一人飲みの楽しさと思っている。
ジムでの筋トレ、やはり上半身のマシンの荷重は軽く感じる。
フライは30キロに、チェストプレスは35キロに。それぞれ1つ荷重を上げた。筋肉を付けるのが目的でないにしろ、ある程度の負荷を感じないと達成感がない。
鍼は2週間ぶり。いつもそうなのだが、鍼論議に花を咲かせて治療を受ける。
Aセンセイに言われた。「〇〇(僕)さんを治療する人は大変でしょうね。色々知っているから」
そうかもしれない。他の鍼灸院の治療はどうだったろう。鍼を打ってもらった後の評価は難しい。効いているか効いていないかの判断が難しい。受けている患者の感覚一つなのだ。
ピリッと神経に響けば効いた気がする人もいるだろう。
少なくとも治療行為は“狙い”を持って実施するものだ。
じゃあ鍼は狙った通りの効果を上げられるのかというと、それは評価しにくいだろう。関節が外れていて、それを整体師が戻すといった解りやすさはない。
教科書通りに経絡に鍼を置けば血流が良くなって改善できるのも事実だ。何か“効いた”という実感を患者が持てば励みにもなる。
自論だが、脳を喜ばさないといけないと思う。
先々週の誕生日、今の自分の状態を書いた。
その時まで肩と腕の疼痛は忘れていた。たまに最近痛くないよな・とか、筋肉痛が勝っているのかな・とか思ってはいた。これまでのようなズキッズキッと感じる痛みはなかった。
書いてからだ。思い出したのだ、いつも疼痛があったことを。それからしばらく疼痛が気になっていた。今は気になっていないのだが、これを書くことで思い出してしまった。痛さをまた感じるかな。
何度も書いているが、痛みや痺れは慣れれば脳の判断から消せるのだ。ある程度。
どこかキズつくとかした時に痛みを感じて脳は教えてくれる。ずっと痛い状態を脳が信号を発していたら脳も疲れる。忘れさせてやることだ。脳を喜ばせること、気持ちよい状態にしてやることが大事。
そんな話をしながらAセンセイの治療を受ける。
このような話は大好きだし、とても脳が喜んだ状態になる。
たまに生意気なことを言ってしまう。「あっ、今のはいい鍼でしたね」打ってもらって感じるのだ。鍼の欲しいところに鍼が届くのが。
いやぁ、こんな治療を受けていたら他には行けないだろう。
北九州に帰っていたEさんから連絡があった。帰ってきたと。土曜の朝にお土産を持ってきてくれていた。そして鍼後に居酒屋Qへ。この日はその後バーに行った。
相変わらず呑み過ぎる。日曜日、雨予報だったのでジムを諦める。結局降ったのは遅い時間だったが。
英会話も続いている。同じA講師だ。もう2年くらいか。他人とは思えなくなってきた。
さあ、今週は外出予定なし。ずっと内勤だ。
日曜日にジムに行けなかった、火曜日に行こう。
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