そりゃそうだ、人間、経験したことばかりだったらラクでいい。気にせず耳にしていたが、だんだんこのコトバに違和感を覚えてきた。
そう目くじらを立てることではないのだろう。確かに‘人類が経験したことのない’という解釈で使っているのだ、正しいコトバだ。みんなに警鐘を鳴らすには解りやすいコトバだろう。
片や、「経験したことがないから仕方ないよね」「誰も悪くないんだよ」というようにも聞こえる。
確かにそうなのだろう。一方で「平和ボケ」を感じてしまう。
戦地で暮らしている人々が、毎日何らかの敵対攻撃を受けている人々が、かつてない一斉攻撃を受けた時に「経験したことのない攻撃だった」というだろうか。
餓えや病気が日常化している環境の人が、「経験したことのない」と感じるのはどういう時なのだろう。
不適切なことを書いているかもしれない。そういう環境の世界にいる人々を傍観者として“例”として書いていることに。
人の毎日って経験したことのないことの連続ではないのか。
同じことをやっていても、それは昨日やったことと違うはずだ。何よりも1日経っている。それは昨日やったことよりも優れていなければいけないのでは。自分はそう思うが。
病気やケガなんて「経験したことがない」状態に降りかかってくるのだ。
「経験したことのない」というコトバは逃げだ。コロナ禍で非常事態宣言になって何日だ。
それは、もう「経験したこと」とじゃないのか。
経験したことは学びだ。そして次に考えて行動を起こす。
PDCAというコトバ。Plan Do Check Action。これにStudyを加えるということを最近学んだ。PDCSと言い切る人もいる。僕のイメージはPDCASだが。
昨日は「ピアノの森」の最後2巻を読み終えた。ほとんど聞いたことのないショパンが絵の中から聞こえてくる。涙が止まらなかった。
そのあと、YouTubeで1990年のショパンコンクールのドキュメントを見たり、2015年のコンクール上位者の演奏を探したりした。
こういう感動も身体にはいい影響を与える。痛いところが気にならない、感動している間は。
さあ、まだいい天気だ。ラーメン作って食べて、公園に行くか。
(在宅勤務以降、昼メシはヤサイの入ったインスタントラーメンをほぼ毎日作っている)
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