まあ、こんな生活も1ヶ月になればガマンも慣れてくる。何かをやろうという気力も起きない。これは独りだからか。普通の家族がいる家庭は違うのだろう。せっかくの休日だ、家庭から出たくなるとは思う。
土・日とお出かけ日和だった。ギリギリまで実家に帰ろうと思っていたので鍼の予約もしていない。いつもの公園には太陽を浴びに行った。1時間もいなかったが、半ズボンの足と半袖の腕は日焼けした。
あとはテレビを見て過ごしている。
土曜にK整形外科にリリカを貰いに行った。
Kセンセイ「どうですか、相変わらずですか」と聞いてくる。「相変わらずです」から始まる。
身体が硬直することが多いことを話す。2キロのダンベルを左手で上に上げようとしても止まってしまう。寒い時に腕と脚が動かないように。何も持たないと腕は上がる。500gのダンベルだと普通に上がる。2キロになると重くなって上げられないのではなく、腕にブレーキがかかったようになる。
腕を上げようとすることを意識から外す。他のことを考える。そしたら上がる。
寒さを感じて脚が硬直して動かないときもそうだ。無理やり動かすのでなく、他のことを考える。そしたら動く。脚がそうなった時、手を後ろに組んだら脚がスムーズに動くことを最近見い出した。
これは脳の働きだ。脳と末梢神経のキャッチボール。寒さを皮膚が感じると震えようとするが、それがうまく伝達できない。その上に歩く指令を加えても動かない。恐らく、震える指令を取り消さないといけないのだろう。重さを感じたら力を入れる指令が働く。でも、それがうまく伝達できていない。
多少の重さだったら意識せずとも持つことはできる。重くないという再指令が必要なのだろう。
この話をKセンセイにした。Kセンセイが言う、「動くようになった替わりの神経が、まだ慣れていないんですね」。
替わりの神経・・・神経の可塑性を認めてくれる発言だ。思わずセンセイに聞いた。「センセイ、神経の可塑性はありますか?」センセイ、「ありますよ、その替わりの神経が慣れてくれば動きも良くなるんでしょうね」
失礼ながら、街の老医師にあるのは経験・・・目の前の事象を多く見てきたということだけかもしれない。
エビデンスではない、目の前の事象を見て、確信に変わる。日々、それの繰り返しだろう。
その方に言っていただけるのが一番有難い。
自分もそうだ。当事者なのだ。当事者が言うことが一番正しいのだ。
先週、鍼のAセンセイと話した時。Aセンセイは言う。「自分が患者さんと同じ症状がないから判らないんですよ」いや、判らなくても、充分に鍼の必要なポイントを探り当ててくれる。
それは、その患者の痛みは感じなくても、その痛みを感じようとしてくれている姿勢なのだろうか。
2キロのダンベルの話も興味深く聞いてくれた。
話は変わって・・・電子マンガにはまっている。
入院中に読んだ「一色まこと作“花田少年史”」このマンガで笑って泣いた。今年に入って電子マンガで購入した。
この作者の「ピアノの森」も名作だ。金曜に26巻を大人買いした。最後2巻を今日読む。終わらせるのがもったいなくて小分けで読んだ。読み終わると喪失感が来るだろうな。
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