アフィリエイト広告を利用しています

2017年05月22日

救急車で病院へ

僕は週2のジム・・・これは毎日酒を飲む分のカロリーを少しでも消費することと、家ではシャワーだけなのでゆったり湯につかることが目的・・・、それと週一に近いゴルフ。年の割には筋肉質な体型。
それと関係はないのだろうけど、慢性の肩こり。特に首の付け根はカチカチ。リビングには30万円弱のマッサージ機が鎮座して、その他に週一の1時間マッサージ屋が何よりの楽しみ。
後から思えば、この肩こりとその前から症状があった“時々起る左手の痺れ”が受傷にも大きく関係があったようで。

とにかく手が動かないのに身体を動かそうともがいたので肩がパンパン。肩がつりそうに感じた。人はここまで厚かましくなれるのかとは思うが、救急車が来るまで大家さんにお願いして肩を揉んでもらう。
救急車は自分の感じではすぐには来なかったような。でも10分とか15分とかでは来たんだろうな。

救急士が病院の手配をしてくれている。いい年したオッサンが倒れたら、殆どが脳関係と思うのかな?
いろいろ症状を聞いてはくれたけど、救急対応できる病院の問題もあったのだろうか車で20分くらいの地域の脳神経専門の病院に搬送するとのこと。救急車が来てから搬送までも結構な時間に感じた。
肩もみを救急士はしてくれないだろうと思ったから、「肩がつりそうだ」とか大げさに言って肩をもんでもらったのは申し訳なかった。
病院に行くから準備が必要とのことで、財布や保険証などの場所を救急士に伝える。この時には、まさか109日も入院するなんて思ってもいなかった。

不謹慎な言葉だが、担架は快適だった。僕の部屋は3階で、結構狭い急な階段。そこを何の負担を感じさせることなく運んでいただいた。さすがだ。
倒れたのが6時、救急車に乗ったのが8時前だったと記憶している。
とにかく会社の人間に連絡しないと‥今日の渋谷の打ち合わせに行けないことを伝えないと。
頭はとってもしっかりしている。
救命士にお願いして、会社の部下に電話をかけてもらい携帯をあてがってもらう。
初の救急車はあまり記憶が定かでない。とにかく病院についてからかは忘れたけど、昨日一緒に遊んでいたT君に電話をかけてもらった。





僕とT君との付き合いはそんなに長くはない。その時で知り合って3年ちょっと。でもここ2年近く週3,4回は一緒に飲んでいた。この年53回のゴルフの内、45回は一緒に行っている。年は10歳ほど下だけど、親分肌で人を大事にするすばらしい友人。
僕自身、頼れる友人は近くに何人かいるけど、T君は会社勤めではないのでとりあえず時間が取ってもらえると思って倒れたことを連絡した。

病院についてとりあえず着ていたスウェットを切り刻んで病院着に。大昔に買った「チャンピオン」のスウェットよ、さようなら。アリスのチャンピオンのフレーズが浮かぶ。そしてMRIなどの検査を受ける。
病室に戻って何の説明もなく、看護師さんにいきなり尿道に管を突っ込まれた時には「何してんねん!」と言ってしまったのも今では思い出。
とにかく、ここから入院生活はスタートしてしまった。何か処置してすぐ動けるくらいに思っていたのだが。
T君がすぐに駆けつけてくれた。何をどう話したかは全く覚えていないし、その日の病院での時系列もおぼつかない。身の回りの必要な日用品を揃えてくれた。感謝。

何が原因かわからないが立ち上がって電気を点けた瞬間に倒れ、ベッドの背板が目の上に当たって首が沿って衝撃を受けて倒れたようだ。右目の上がぱっくり開いていた。
医者から目の上の処置をしましょうということで、どうするのかと思えばホッチキスで何か所か止められる。もう抵抗のしようもない。麻酔をしないのが不思議だった。頸髄損傷に比べたら、この程度は麻酔なしで処置する程度のことなのだろう。ただ、止めた以上どうやって外すのかが気になった。普通のホッチキスのようにこて原理で外すのでなければいいけどと思った。

頸髄の損傷っていうこともその日に聞いたかどうかも覚えていない。C3とC4の間が損傷したらしい。
簡単に動けるような状態にはならないようだ。
とにかく入院ということになり、それを受け入れる以外どうしようもなかった。
身内に連絡をしてくれということになった。

僕のことは・・・1963年3月生まれ、この時で51才。バツ1で一人暮らし。両親は関西で健在。
大阪の大学を卒業後、就職。大阪に2年勤務し、その後札幌に転勤して1年で退社。その会社で先に辞めた同郷の先輩に誘われ、先輩の実家の同業種の会社で一緒に仕事をする。この時に高校卒業以来、初めて実家で生活することになる。
でも、その仕事も1年半で辞めた。実家から通える会社に再就職するものの、実家生活は短くその会社も大きくなり広島や大阪への転勤を経て現在の東京暮らし。この時で東京暮らしは11年。

こんな頼りない僕でも親だけには迷惑をかけたくない気持ちは強いので、実家には連絡しないことを看護師さんに伝える。
24歳の時に札幌で急に息が苦しくなって病院に行ったら、喘息と診断されて即5日間入院したことがあった。その時も心配をかけるので家族への連絡を言われなかったし。
今回はそうはいかないようだった。それほど重篤な症状らしい。諦めて実家に電話。
後で聞いたら、姉が実家にケーキを買って来ていて食べるところだったとか。ということは姉が仕事を終えた後だから18時ころか。なんせ世間はクリスマスイブ。

とにかくこの時点で動くのは右脚が少しだけ、右手でナースコールが押せないのでベッドの右足が届くフレームにテープでつけてもらった。
18時くらいに彼女のKさんが来てくれた。Kさんは109日の入院生活の中、80日くらいは来てくれた。感謝。】A

入院した部屋は個室。差額ベッド代は1日21600円だった。平日だったら美味しい料理の付く温泉宿並み。とにかく2014年クリスマスイブに、とんでもないプレゼントであった。

頸髄損傷ということが解らなかった。「頸椎損傷?」って医者に言ったら強い口調で「頸髄です」と言われた。それがどんな症状でどう回復するのか解らなかった。とにかく入院して、何らかの処置を受ければ治るのだと思っていた。時間とともに回復する骨折のように。

両親が来てくれたのは翌日25日。この年になっても、両親の顔を見ると心強く励みになる。
その翌日には姉も来てくれた。
この日から母親は約3か月間、東京の僕の部屋から毎日通ってくれることになる。感謝。





翌日から毎日何をしていたのだろう?あまり記憶がない。12月25日から30日までの。
年末には恒例の同級生ゴルフ、年明けには37年ぶりの中学の同窓会が予定されていた。同級生に電話して同窓会をキャンセルしてもらったり、年末年始の切符はネットでとっていたのはキャンセルしたっけ?
でも、今だから記憶が曖昧なだけで、四肢が動かない以外はすごく頭は回っていた。

僕はどちらかというと気は長い方ではないし、自分の意見をあまり曲げない。いわゆるガンコなジジイ。
この状況をその時の自分はどう受け入れたのか?左手は全く動かない・右腕は少し動く・感覚がないなど。ただ思ったのは、「起こってしまったことは仕方ない」だった。
それと、それまでの長い人生の中で色々なことを経験して「強く」なっていたと思うことがある。
こんな状況になっても、なぜか悲観的な思いはなかった。これは入院中も今も。
動かない足、これから今の住んでいる部屋までの階段がのぼれるかな?満員電車に乗れるかな?とか考えていた割には、現実と乖離した思いは「何とかなるし、元通りになる」というお気楽な気持ちを持っていた。

とにかく点滴をされたまま、毎日をベッドですることなく過ごした。昼間のテレビも面白くないし。
とにかくベッドに仰向け、首にはコルセット。夏でなくて良かったなど、呑気なことも思っていた。
T君が持ってきてくれたラジオで地域のFM局が、昔の洋曲を流してくれていたのが楽しみだった。
T君は「前もって来たラジオは小さかったから」といってもう一つ少し大きめのラジオも持ってきてくれた。とにかく身体が動かないので寝ているしかなかった。

リハビリが始まったのは年内だったと思う。多分、26日か27日。ベッドでのリハビリ。PTのIさんは色白の美人。OTの男性は名前忘れたなぁ。(すみません)
受傷から2、3日した時には少しは動くようになっていたと思う。ナースコールを右足から右手の手の届く場所に移動した。ただ、左腕と左手はピクリとも動かなかった。
この病院は(どこもそうなのか?)偉い先生に数人の医師と看護師長が毎日回診に来る。白い巨塔。申し訳ないけど、この回診でなんか有用な事は言われたことはなかった。
「調子はどう?」「変わりはないね?」の繰り返し。
【このカテゴリーの最新記事】
posted by shigenon at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 入院
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/6290402
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
ファン
検索
<< 2024年12月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
孤独ではないこと by shigenon (11/15)
孤独ではないこと by 頸髄損傷ママ (11/12)
痛みを感じるのは大事だが… by shigenon (11/02)
痛みを感じるのは大事だが… by shigenon (11/02)
痛みを感じるのは大事だが… by 三姉妹ママ (11/02)
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
shigenonさんの画像
shigenon
2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
プロフィール