年齢とともに月日の過ぎる感覚が早くなるか、いやそれはない。その時の自分が置かれた環境だけなのだ。仕事に忙殺されていた頃は年明けから4月までがすごく早く感じた。納期を意識した仕事をしていた時も時間は早く感じた。
迫りくる期日や時間に焦ることが大嫌いだ。例えば時間を約束していたら、その時間より前に到着できるよう準備をする。期日のある仕事の時は、その仕事のフェーズを考え周到にスケジュールを組んでた。ギリギリのことをやると神経を大きくすり減らす。それが自分の性分なのだろう。
時間は誰にも平等に与えられている。それを精いっぱい楽しめるかどうかは自分次第なのだ。
そんなことは百も承知ながら、無駄な時間を消費しているのではないかと思ってしまう。アウトプットに対する時間の使い方という観点で見れば、最小の時間で最大の効果なのだろう。
一つの約束のために何度も電車の時間を確認し、万一に備えて早めの行動をとる。同じ約束でも、違う人はギリギリで間に合わせるかもしれない。ただ、その費やす時間の差をどう使っているかだけなのだが。
実家に戻った今の生活は何か目標があるのか考えると、何も思いつかない。
最大の目標は、年老いた両親と一緒に過ごすだ。だが過ごす中でもっと考え、やってやれることをしなければ、ただの自己満足だ。両親も高齢だ、今の状況がずっと続く訳でもない。
自分のことはどうなんだろう。この先の自分に向けたことを考えないといけない。
受傷したことで少なからず目標が出来ていた。
失った機能を取り戻すこと。そして元通りの生活をすること。
ただ、元通りの生活に何か目標があったかと考える。小さな目標はあった。ゴルフで80を切るとか。人生の先・定年後を考えた時は、漠然と遊んで暮らすことを思っていた。それは目標ではなく時間の過ごし方ということだけだった。週1ゴルフに行って、後はジムに行って、月1で旅行に行ってと。
人生においては仕事のようにタスクはない。どう生きるか、どう時間を過ごすかは自分次第だ。そんなことは長く生きてきて十分に分かってはいながらも、社会に迎合する生活をしているうちに目先のことだけを考えるようになってしまうのか。
そろそろ誕生日が近づく。
ハタチの頃には想像もつかなかった歳。ハタチの頃、色んなことを経験したいと思ったのは覚えている。保守的ながらもハタチから今まで経験したことは沢山だ。
今を楽しみながら、その先にあるモノを明確に考えないと。
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