毎日一緒に過ごしていたら同じようなモノ忘れにも慣れてしまうが、家を不在にしていた3日間で戻って接するとそう感じる。土曜日に父親の歩行器の契約に来ると前日にケアマネから電話があったようなのだが何時に来て何の用で来るのか忘れている。
その話をしていて暫くしたら混乱してケアマネが来るのではなく、訪問鍼灸が来ると思ったようで用意を始めている。
食事の用意などでも同じことを何度も聞くのだが、その頻度が多くなってきた。
良くなることはないのだ、それを自分がどう受け止めて対応するかなのだが、ついついキツイ言葉を投げかけてしまうことに反省の日々。
もう色んなことが出来ないいう前提で、相手に同調して接しなければいけないのだろう。
一方でそれを認めたくない、言えばちゃんと理解してやれるだろうという期待感を持ってしまう。だからキツイ言葉を投げかけてしまうのか。
こうやってここに書くことで贖罪を求めても仕方ない、自分がどう接するか、どう感情をコントロールしながら接するかだけなのだ。
土日はあっという間だ。ジム2回と英会話1回。こんなに時間をもったいなく費やして良いのだろうかと毎回反省するが、そう言っているうちはダメなのだろう。
土曜日に再び体組成計に乗った。木曜日に風呂で見る限りは左腕の上腕二頭筋が膨らんだように感じていた。これで左右差は縮まったと期待を持って。
結果は同じ。左腕の筋肉が200g少ないまま。左脚も100g少ない。見た目はほんの少しだけだ。
東京のジムの筋トレマシンが左右別々の荷重マシンで左腕だけ5キロ落として使っていた。それを同じ荷重にしたことと、左腕にいつも多くの鍼を打ってもらった。
それで特に意識することなく筋トレをしていたら左腕に筋肉が付いてきた。あと少しなのだ。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/850/0?1700443620
元々全く動かない時もあったのだ、左腕が動くだけ良いと思っていた。でもリハビリは欲がないといけない。これでいいなんて思った時点で回復はストップする。
左腕に筋肉が回復し始めると、左腕を使うようになった。そのころは右腕しか使っていなかった。
今でも普通に左腕を使っているかというとそうではない。筋肉が付いても少し使いづらい、もっと意識して使わないといけないのだろう。
何度か書いたが、リハビリ病院の病棟医のコトバ「右腕縛って生活すればいいんだよ」
確かにその通り。この医師は全く診察もしなければ、話をすることもなかった。2か月弱の入院中に巡回は2回だったか。それ以外はリハビリ中に退院勧告をしに来ただけだ。
このコトバは確かにそうなんだろう、ヒトの本能としてそうなるのだろうと妙に納得した。
さあ、明日は9時から歯医者。そしてスーパーへ買い物、英会話。
明日はゴルフの打ちっぱなしにでも行こうか。受傷した年は年間50数回のゴルフ、その年に右腕より左腕の方が筋肉が付いていたのに気づいた。ゴルフのスイングは左腕なのだ。
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